主役はむらさき

はくたく

第1話 主役はむらさき


 檜の一枚板のカウンター。

 そこに置かれたのぞきには、濃い色の液体がなみなみと入っている。

 俺は新鮮な真鯛のにぎりをつまみ上げ、その液体を両面にたっぷりとこ染み込ませてから、口の中に放り込んだ。


「最近流行りのな、酸化しにくい容器の醤油っての? 試してみたけどありゃあダメだね」


「ああ。醤油の匂いが薄いですね。熟成させて初めて立つ香りってのもあるんです」


「こう言っちゃあなんだが、味が幼いんだ。薄っぺらすぎるんだよ。あんな醤油じゃ寿司に負けちまう。それに比べて、こいつは美味い」


 今回、俺が店に持ち込んだ醤油は、和歌山県の由良町で作られた伝統製法。

 とろりとしたコクのある味わいは、真鯛のような白身魚にもよく合う。だが、もちろん脂の強い中トロにも負けない。

 俺のもっとも好きな醤油のひとつなのだ。


「さすが醤油好きで通る成瀬さんですね。じゃあ次は私の選んだ醤油を試してもらえませんか?」


 カウンターの向こうから大将が出してきたのぞきには、また違った色合いの醤油が注がれていた。

 なるほど醤油くらべというわけか。俺は真鯛をもう一貫頼んだ。


「おう!? こりゃ甘いな。大将……こりゃあ九州の?」


 まるで砂糖醤油のように甘い。

 だが、砂糖のようなツンツンした刺激はまるでなく、その甘みはどこまでもまろく、深いのだ。


「いえ。実はこれ、石川県は金沢の醤油なのです。仰る通り、九州の醤油も甘いので有名ですが、こちらは独自の発展を遂げたものです」


「素晴らしい醤油だ。なんといっても、甘みが優しい」


「醸造職人が江戸時代の文献を紐解き、その技術を再現した醤油なのだそうです。この甘みはもろみに米麹を加えることで出しています」


「なるほど。だからしつこくないんだな」


「これもどうぞ」


「コイツは分かるぞ。滋賀の杉樽三年熟成!?」


 ほのかな杉の香と熟成された旨み。アミノ酸の量が桁違いだ。


「ご名答」


 やはり醤油は旨い。寿司の主役は醤油むらさきである。

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