僕とサオリさんの日常会話

甘みず列車

第1話 自殺をしてはいけない理由

「私が自殺したいって言ったら、どうする?」

 サオリさんは、隣を歩く僕を横目で見ながらそう言った。

 僕は今日、学校の図書委員と日直の仕事が重なり、いつもより帰りが遅くなった。最近では日が沈むのが早くなったから、僕が学校を出たときには、外は暗くなり始めていた。

 僕は、帰りが遅くなって少し不満だったけど、同時に少しある期待をした。このくらいの時間なら、帰宅途中のサオリさんに偶然会えるかもしれない。

 そして、僕はその期待どおり、帰り道にサオリさんと会うことが出来た。

 僕が「一緒に帰ろう」と言うと、サオリさんは、笑顔で「ええ、喜んで」と言ってくれた。

 僕とサオリさんは、いわゆる幼馴染である。親同士の仲が良かったため、子どもの頃から家族ぐるみの付き合いをしていた。

 優しくてキレイで、大人っぽいサオリさんは、昔から僕の憧れのお姉さんだ。

 この時間に帰ると、運が良ければサオリさんと一緒に帰ることが出来る。だから僕は、学校の用事で帰りが遅くなると、いつも少しだけ期待した。

 そのサオリさんが「私が自殺したいって言ったら、どうする?」と僕に問う。

 僕の横を歩くサオリさんは、制服に丈の長いダッフルコートを着ていて、白色のマフラーを首にしっかりと巻いている。マフラーのせいで口元が隠れていて、表情を読み取るのが難しい。

「そんなのだめだよ」

 僕の声は、自分で思うよりも大きくなった。サオリさんが自殺だなんて、そんなの絶対にだめだ。

「どうしてだめなの? 人がやりたいことをだめって言うなら、それなりの理由が必要になるんじゃないかしら」

 サオリさんは、大きなキレイな目で僕を見る。サオリさんの瞳がきらきらとしているのを見て、僕はため息をついた。

 どうやら、また、サオリさんのいつもの癖が出たらしい。

 サオリさんは、僕に会うといつも難しい話をしたがる。子どもの頃から、『人が死んだらどうなるのか』とか『サンタさんはどうやって家に入っているのか』なんていう、子どもには難しい話をして僕を困らせていた。そういうとき、サオリさんの瞳は、決まってきらきらとしていた。

 今では僕も中学生になったから、人が死んだら意識がなくて無なんだとか、サンタさんの正体は実は親なんだとか、ある程度難しい話にも答えを出せるようになった。

 そして、今回は『どうして自殺をしてはだめなのか』という話らしい。サオリさんは、それって考えて何か意味あるのっていう難しい話が好きなのである。

 とにかく、サオリさんは、何か悩み事があって自殺を考えているわけではないのだ。

「うーん……学校の授業で、命を粗末にしてはいけないとか習うし、テレビでも自殺はしちゃいけないって言われてたよ」

「それは結論であって、理由ではないわ。学校やテレビが自殺をしてはいけないと口を揃えて言うのであれば、それには何らかの理由があるはずよ。それは何なのかしらね」

 自殺をしてはいけない理由……。今まで、そんなこと深く考えたことはなかった。

 小学生のとき、道徳の授業で『命を粗末にしてはいけない』って習ったような気はする。そのときは確か、『身近な家族や友達が傷付くから』というのが理由だったような気もする。

 それほど昔の話ではないのにあまり覚えていないのは、僕がその授業を真剣に聞いていなかったからだ。

 先生が、「命は決して粗末にしてはいけないぞ」と教室に響き渡る大声で言ったとき、僕は、何を当たり前のことを言っているのだろうと思った。

 その先生は、すごく熱血の先生で、帰りの会や道徳の時間に、「いじめをしてはいけないぞ」とか「掃除はサボらずにやりなさい」といった当たり前のことをいつも大声で叫んでいた。

 僕は、先生のことはどちらかと言えば好きだったけど、先生の言うことは当たり前のことが多くて、僕はそれほど真剣に聞いていなかった。

 サオリさんだったら、先生の話を真剣に聞いていたのだろうか。

「人が死んだら、家族とか仲の良い友達が悲しむと思う。人を悲しませることはしたらだめだよ」

 僕は、授業で多分先生が言っていた理由を言ってみる。

 サオリさんは、僕とのやり取りを楽しむかのように目を細めて、すぐに反論する。

「確かに、家族や友達は悲しむわね。でも、その理由だと、家族がいない人や友達がいない、一人ぼっちの人は死んでも良いことになってしまうわ」

 確かに、サオリさんの言うとおりだ。家族や友達がいない人も、この世の中にはいるはずだ。でも、だからといって死んだらだめだと思う。

「それと同じように、人に迷惑をかけるから、というのも理由にならないわね。それが理由なら、人に迷惑をかけない方法の自殺ならしても良いことになってしまうわ」

 サオリさんが話している間に、僕は、なんとか新しい理由を考え出す。

「そうだなあ……命って大切な物だから、自分から捨てるのはだめなんじゃないかな。だから自分から死のうとするのはいけない、とか」

 僕は、正直なところ、難しい話は別に好きではないし、僕が『自殺をしてはいけない理由』を必死に考える必要もない。

 でも、サオリさんは、僕の反論にふんふんと頷きながら、すごく楽しそうな顔をする。サオリさんの楽しそうな顔は、とてもキレイで、僕はその顔を見ていたくて、いつも難しい話に付き合ってしまうのだ。

「大切な物……ね。例えば、私は小さい頃に君から貰った手紙を今でも大切にしまってあるわ。それを捨てることはないけれど、私がそれを捨てようとしたとき、他人に『捨ててはいけない』なんて言われる筋合いはないはずよ」

「いや、むしろその手紙は捨ててよ!!」

 僕は思わず立ち止まって叫んだ。

 どんな内容の手紙かは分からないけど、小さい頃に書いた手紙なんて、絶対恥ずかしいことしか書いてないに決まってる。恥ずかしくて顔が沸騰しそうだ。

「嫌よ。私が貰ったのだから私の物だし、それをどうするかは私の自由よ」

 サオリさんは、いかにもニヤニヤと言わんばかりの顔で僕をのぞき込む。僕が火照った顔を見られないようにそっぽを向くと、サオリさんは笑いながらテクテクと歩き出す。

 僕は慌ててサオリさんを追いながら、話をそらすため、機転を利かせてスムーズに話し出す。

「い、いのちは、人の命はその人の物なのかな? ほら、命は自分だけの物じゃなくて、神様の物でもあるって聞いたことがあるような」

 僕の機転の利いた理由づけに対して、サオリさんは、やれやれといった表情で意見を言う。

「神様ときたわね。ところで、君はサンタさんを信じる?」

「サンタさん? サンタさんの正体は親だから、信じるも何も……」

「そう。それじゃあ、神様は信じる? 初詣や合格祈願以外に、神社でお参りとかしたことはあるかしら」

「うーん、初詣は行くけど、それはクリスマスパーティーみたいなもので、毎年のイベントって感じだよね。本気で神様がいるとは思ってないかな」

「そう。それなら、命が神様の物だからっていう理由は使えないわね。少なくとも、自殺をしてはいけないというのは、神様といった超自然的存在を信じるか否かにかかわらず、普遍的な決まり事になっているわ。そうだとすれば、自殺をしてはいけない理由に、超自然的存在を持ち出すことは出来ないはずよ」

 なんだ超自然的存在って。話がこんがらがってきて、僕の頭はだんだんオーバーヒートしてきた。

 僕の頭がごちゃごちゃになっているのを感じ取ったのか、サオリさんは人差し指を立てて得意げに話し出す。

「神様を理由にするのは、神様を信じている人にとっては一つの正解だと思うわ。でも、神様を信じていない人に対して、『命は神様の物だから、勝手に捨ててはいけない』なんて言っても、『いや、神様なんていない。命は自分の物だ』と言われてお仕舞いなんじゃないかしら」

 確かに、「あなたの命は神様の物です」なんて言われても、僕は全然納得できない。僕は神様とか信じないタイプなのだ。地球上にはたくさん生き物がいるのに、なんで神様が人間だけ特別扱いするのか僕には理解できないのである。

 それにしても、先ほどから僕の考えた理由が否定されてばかりで、すごくカッコ悪い。僕はサオリさんとやり取りをするだけでも楽しいけど、やっぱりサオリさんに一目置かれたい。欲を言えば、『カッコ良い』とか思われたい。

 少しずるいけど、僕はサオリさんが反論できなさそうなことを言ってみる。

「確かに、サオリさんの言うとおりだね。あ、たった今思い出したけど、自殺は法律に違反するんだよ確か。だからしてはいけないんだよ」

 僕は自信満々に言い切った。正直なところ、僕は法律のことなんて全く分からなかったけど、サオリさんだってまだ高校生で、法律のことなんて知らないはずだ。だから、ここは自信満々に言い切れば勝ちなんだ。

 そんな僕の考えを見透かすように、サオリさんは間髪入れずに答える。

「私の記憶では、法律違反にはならないわ」

「……え?」

 予想外の即答に、僕の自信満々の顔は真顔になる。

「少なくとも刑法犯には当たらないわね。殺人罪の『人』は、他人を意味するとされているし、自殺を手伝ったり唆したりすることは自殺関与の罪になるけれど、自殺自体は罪にならないはずよ。自殺が未遂に終わって、刑罰を科することができる状態だったとしても、何ら刑罰は科されないことから考えても、自殺は犯罪にはならないわね」

「……はい」

「自殺対策基本法その他の法律においても、自殺自体を禁止する法律はないように記憶しているけれど、私の勉強不足かもしれないし、間違っている部分があったら教えてね」

「……いいえ、ありません」

 サオリさん、高校生の知識レベルじゃないと思います。

 僕は、サオリさんの知識量に改めて驚いたけど、それ以上に、僕の知ったかぶりが一瞬でバレたことに途方もないショックを受けた。

 僕、カッコ悪すぎる……。


 僕がとぼとぼ無言で歩くのを、サオリさんは、僕がまた違う理由を考えていると思ったようで、僕の隣を同じく無言で歩いた。

 僕とサオリさんは、しばらく、何も話さず歩いていた。

 辺りはすっかり暗くなり、住宅街の街灯が僕とサオリさんを照らしてくれる。サオリさんと話をしているときも楽しいけど、こうやって二人で、ただ歩いているだけでもすごく心が満たされる。このまま二人で歩いていけたらいいのに。

「あら、時間切れね。残念」

 気づくと、僕とサオリさんは、家の近くの路地まで来てしまっていた。僕とサオリさんの二人の時間は、『帰宅するまで』の短い時間なのだった。

 この路地からは、僕とサオリさんは別々の方向になってしまう。

 僕は、もう少しこのままサオリさんと歩いていたいと思った。話をしなくても、一緒にいるだけで良いと思った。でも、それは出来ない。僕とサオリさんは、まだ、そういう関係ではないのだ。

「答え見つからなかったね。でも、サオリさんと久しぶりに話せて楽しかったよ」

 僕がそう言うと、サオリさんは微笑んだ。

「私もすごく楽しかったわ。また一緒に考えましょう」

「うん、それじゃあ、またね」

「ええ、またね」

 笑顔で手を振ってから、サオリさんは自分の家の方向に歩き出す。

 サオリさんは、僕と分かれた後は、いつも振り返らず、真っ直ぐに家に向かう。

 僕は昔から、後ろ姿が見えなくなるまでサオリさんを見送っていた。サオリさんは、後ろ姿もすごくキレイなのだ。

 僕は、見えなくなるまで、サオリさんの後ろ姿を見ていたかった。でも、僕はもう中学生だし、ずっと見送るのも寂しがりやみたいでなんだか恥ずかしくなって、僕は自分の家の方向に歩き出した。

 だけど、僕の頭にふと、サオリさんの言葉が浮かんだ。

「私が自殺したいって言ったら、どうする?」

 そんなのダメに決まってる。

 僕は急に心がざわざわしてきて、とにかく、サオリさんになにか伝えないとだめだと、そう思った。

 そう思ったときには、僕はサオリさんに向かって叫んでいた。

「サオリさん!!」

 サオリさんはだいぶ先を歩いていたけど、すぐに振り返ってくれた。珍しい僕の大声に驚いたのか、サオリさんはびっくりした顔をしていた。

 大きく息を吸い込み、僕はサオリさんに伝える。

「人が自殺したらいけない理由なんて、難しくて僕にはわからない。わからないけど、サオリさんが死んだらだめな理由はあるよ。だって、僕が、いやだから。サオリさんが死んじゃったら、自分で命を捨てたら、僕はサオリさんを助けられなかったことを一生後悔して、僕自身を恨むよ」

「だから、サオリさんが自分で命を捨てるなんてだめなんだ!」

 僕は、大声で言いたいことを一息に吐き出し、苦しくなって、みっともなく息を切らす。自分の顔がすごく熱い。

 サオリさんは少しの間びっくりした顔をしていたけど、僕が必死に息を整えていると、目を細めてにっこりと微笑んでくれた。

 サオリさんは、大きく息を吸い込み、口元に右手を添えて、

「ありがとう。嬉しい」

 と言った。

 サオリさんの声は、僕みたいな大声ではなかったけど、透き通った声で、僕の耳にもしっかりと届いた。

 サオリさんは、微笑みながら僕に何回も手を振ってくれたけど、僕はなんだか急に恥ずかしくなって、ろくに挨拶もせずに駆け出し、自分の家に走って帰った。

 家に帰って自分の部屋に駆け込み、ベッドに突っ伏して息を整える。

「はあ、はあ……。何やってんだろう僕は。恥ずかしすぎる……」

 どうして自分が急にあんなことを言ったのか、自分でも良く分からなかった。突然大声を出してサオリさんを驚かせてしまったし、なんだかすごく恥ずかしい。

 でも、不思議と妙な達成感があり、悪い気分はしなかった。

 今度サオリさんと会えたら、もっと長い時間、色々な話が出来たらいいな。

 僕はそんなことを考えながら、いつのまにか眠りに落ちていた。


                                  終わり

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