スシを継ぐ者

輝井永澄

スシを継ぐ者

 緑色の海から漂う腐臭を纏った風、それに逆らって僕は、仰々しい密閉型ドアを開けた。


「おい、早くドアを閉めてくれ。肌が渇くだろ」


 中に入った僕に、その男が言う。


「少しくらい大丈夫だよ、おっさん」


「おっさんじゃない、『大将』だ」


 大将――この男の研究する古代の文献に登場する言葉だ。ある空間を支配し、その空間では王侯貴族であっても「大将」に逆らうことはできない。


 幻の古代王国「ニホン」……それを研究するこの男は、文献に登場するその言葉を好み、自分をそう呼ばせていた。実際に呼ぶのは僕だけだが。


「それで、大将。『スシ』の研究は進んだの?」


 紙袋の中から圧縮ビスケットを取り出して大将に渡しながら言う。古代ニホンの最大の謎「スシ」――それに大将は挑んでいた。


 大将は黙ってディスプレイを示す。


「サカナ……?」


「『スシ』の原料と考えられる。海の中に棲んでいた古代生物らしい」


「まさか! 海に生物なんか……」


 僕は腐臭を放つ緑色の水面を思い浮かべた。


「おいおい、我々の祖先だって海から生まれたんだぞ」


 そういって大将は紙に「鮪」「鰆」「鯛」などの記号を書いて見せた。


「この記号の左側……これが『サカナ』を指すらしい。そして、もうひとつの原料が『シャリ』……これは明確な記録があった」


 ディスプレイには「舎利」という言葉が映った。


「ゴータマという古代の聖人の遺骨のことらしい。海の怪生物『サカナ』と聖人の遺骨、それを合わせて摂取し、力を得る……それが『スシ』という儀式と考えられる」


「そういえば、『スシヤ』に入れるのは上層市民だけだったって」


「そうだ。そう考えると『大将』というのは巫女か僧正のような役割だったのだろう。ニホンは自然信仰が強い国だったしな」


「なんか野蛮だなぁ」


「古代文明を今の常識ではかっても仕方ないさ。なにしろ我々、魚人類が発生するより前のことだからな」


 大将はミミズ肉の圧縮ビスケットを齧り、エラを震わせて笑った。

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スシを継ぐ者 輝井永澄 @terry10x12th

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