旅客と童女と握り寿司

茅原 秋

旅客と童女と握り寿司


 旅の途中で大雨に降られた半兵衛が逃げ込んだ先は、小さなほこらであった。

 この雨では、しばらく留まるほかあるまい。

 空腹を押さえて横になる。

 目を閉じれば、馳走ちそうの幻が浮かんでくる。なかでも半兵衛の心を惹いたのは屋台で供される寿司であった。

「寿司か。寿司が食いたいな」



「あんさん、なにしてんの?」 



 声に驚いて飛び起き、目をあける。

 どうしたことか、今の今まで寝ていた祠は消え失せていた。

 見慣れぬ造りの家屋だ。腰掛けがいくつも並んでいる。

「ドラマの役作り? 気合い入ってんね」

 困惑する半兵衛の眼前には、一人の少女が立っていた。

「どうやって入ったんだ? ……まあいいや。いま、寿司食いたいって言ったよな。座んなよ」

「寿司?」

「だってウチ寿司屋だし」

「いや、今は金子きんすの持ち合わせが」

「いいから」

 手を引かれるままに、席につく。

「アタシ見習いなんだ。親父は『お前にはまだ早い』って怒るからさ、練習台になってくれよ」

 あれよあれよという間に、着替えた少女が対面に立った。

 出されたのは鮪の握りだった。見慣れたモノより幾分小ぶりで、シャリは絹のような純白である。

「食いなよ。腹減ってんでしょ?」

 促されるままに口へ運ぶ。

 途端、強烈な魚の旨味が半兵衛を襲った。噛みしめるごとに味は広がりを見せ、さわやかな酢の香りが鼻を抜ける。

「……こんなに美味い寿司は初めてだ」

 少女は満面の笑みを浮かべ、さらなる寿司を握った。

 供されるままに食らう。四半刻しはんどきも経たないうちに腹が膨れた。

「実に美味かった。礼を言う」

「いいんだって。喜んで貰えたみたいだし」

 その会話を契機に、猛烈な眠気に誘われた。

「うっわ。おい、どうしたよ」

 驚きの声を上げる少女。大丈夫だと言おうとしたが舌が回らない。抗いがたい眠気に、意識が落ちた。


 目がさめると、元の祠に横たわっていた。

 すっかり雨も上がり、空は快晴である。

 狐に化かされたか、と半兵衛は苦笑する。

 その頬には、ちいさな米粒がついていた。

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旅客と童女と握り寿司 茅原 秋 @Shu_kayahara

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