第3話 両親
母は花が好きだった。それは母の名に花の名前が入っていたからかも知れない。
母の名はガーベラ・ロッテ。私と同じ栗色をした長髪でブルーの瞳を持った優しく、暖かい女性だった。
母は幼い頃、幼馴染だった父と河原に出かけては良く花冠を作って遊んでいた普通の娘だったらしい。その時の母の話を父は楽しそうに、懐かしそうに話していた。暖炉の前に座った父は膝の上に私を座らせて色々な話をしてくれて、そんな私と父を母はいつもニコニコしながら見ていた。父が話し込みすぎてしまった時、母が止めに入って私を寝かしつけてくれたなんてことも良くあった。
母は私が何か手伝おうとすると優しく頭を撫でて柔らかい笑みを浮かべていた。それが嬉しくて色々なことを手伝ったりして、偶に失敗すると私の頭をポンポンと叩いて不安そうな顔で心配してくれた。
母は誰にでも優しくて、子供の頃に嫉妬したこともあった。すると、母はその時初めて私を叱った。他に怒られた記憶は無いが最初に怒られたのはよく覚えていた。あれだけ優しい母が怒るくらいに私がいけないことをしたんだ、と酷く反省した思いがある。その時の母のビンタほど痛い物もなかったかも知れない、というほどに痛かったから今でも鮮明に思い出せる。
母はよく私に花の話をしてくれた。その花言葉や咲く季節、咲いてる場所なんかも教えてくれてそこに父、母、祖母、私の4人で行ったことなんかもあった。
母は私の名前も花の名前が入っているのよ、と言っていたので色々調べて見たのだがレウなんて花は結局見つからなかった。
母の両親は身体が弱く、母が自立する頃には病死してしまったらしいが祖母が母に父と結婚してしまえばいい、となんとも大雑把かつ大胆なことを言い出したと言っていた。その頃、二人は密かに付き合っていて親には内緒だったらしいのだが、親の目とは欺けないもので祖母や母の両親には勘付かれていたらしく、結婚自体か実は親公認だったそうだ。
親もそうだからであろうか母も身体が弱く、父と共働きしようにも出来なかった為に祖母が働いていた。母はよく祖母にすみません、と申し訳なさそうにしていたが祖母は気にしない様子で私のことを母から聞いていて、母が嬉しそうに私のことを話のも良くある光景だった。よく話を誇張するのは母の悪い癖で、そんな欠点もある母が大好きだった。
私の父、セルビス・ロッテは人助けが大好きで、困った人を見ていると助けずにはいられない性分の人だった。
その性格から父は町の人から非常に信頼されていて、そんな父は私のちょっとした憧れだった。
父の父、つまり祖父にあたる人は結構な自由人で冒険者だったそうで、森に出没する
今ではその面影は全くないが、祖母も昔は非常にパワフルな人だったらしく、父を背負いながら仕事をしたり、父が子供の頃に一緒に働きに連れ回されたり、町ではこの旦那にして妻ありと言わしめたほどの人だったそうだ。
母のことは一目惚れだったらしく、幼馴染でずっと一緒にいながらその熱い恋心に悩まされていたようだ。父の母に対する愛はそれはもう凄いもので、父に母の話をしてくれと頼むと時間を忘れていつまでも話し続けるもんだから、次からは父に話をせがむ時に母の名前を出さないようにしたぐらいだ。
父は母の恥ずかしい話をするのが好きで、ディープキスがーとか、母さんの口内がーだとか、今でもよくわからないことを口にして赤面した母に口を塞がれるということがよくあった。
祖父は冒険者業をしている時に行方不明になったそうで、祖母が捜索隊を出して探したが結局見つからなかったそうだ。
父は両親の仕事もあってか、裕福とは程遠い生活を送っていて、具体的には暖炉のない暮らしをしていたらしい。
私はそんな父の過去を聞いた時に可哀想だと言ったことがあったが父は首を振って言った言葉を今でも覚えている。
「ここからずっと南にある国には、王様の我儘のせいで食べ物や服なんかにも困っている人達がいるそうだ。そんな彼らに比べたら父さんはとても幸せ者だよ」
いつかその人達も助けたい、と凄く真面目に、それでいてなお優しい笑みを浮かべてそう言った父が私は大好きで、将来は父のように人助けを沢山しよう、困った人を大勢助けようと心に誓ったのは父との記憶の中でも新しいものだ。そんなに凛々しい見た目はしていないのだが、その時の父はとても大きく、凛々しく見えた。
そんな稀にかっこいい父は配達、いわゆる飛脚というものをやっていた。
飛脚といっても郵便だけでなく、隣の町まで輸出品を運んだりする仕事をしていて、転移魔法陣を使い隣町へ移動して荷物を分けて運ぶ。昔は転移魔法陣なんて大魔導士くらいしか使えなかった為足をつかって運んでいたらしい。そう思うと随分便利になったものだ。
しかし、父が言うには苦労も減ったし速さも段違いになったが、新人の若者が楽な仕事と聞いて入ってくるのを見ると彼らが気の毒でならないと苦笑いを浮かべていた。
両親の事を思い出すと瞼に焼きついた日常風景が蘇る。テーブルを囲んで笑う母や父が風景が映る。
そんな私の大好きな両親はもう居ない。
***
日が真上に昇った頃、私はいつもと変わりなく活気に満ちた町を歩いていた。別に今日は仕事がないので町を歩いているというわけではなく、魔法陣を使い隣の町から運ばれてきた配達物を配達するのを手伝っている最中だ。
配達物の入った袋を二つぶら下げて町の知り合いの方に挨拶したり、困ってる人の手伝いをしたりしながら届け先に向かう。
別に急がなくてはいけないという事はなく、配達物を盗まれるという事もない。この国、ダレルは他の国に比べ犯罪が少なく、その中でもこのレウルカントレは特に犯罪が少なくて有名な町だ。去年は犯罪件数が1年で13件しか無かったとか、1ヶ月に1回しか起こらない犯罪に出会うなんてそんな事は滅多に起こらない訳で……。
「きゃっ!」
私は不意に右肩を突き飛ばすようにぶつかってきた何かによろける。壁に手をつきながら前を見ると片手に見た事のある袋を持って走る帽子を被った子供。
「せ、窃盗……」
この町で滅多に起こらないことを体験したという突然の出来事に頭が追いつかずしばらく背中を眺めていたが、ハッと我に返って急いで子供を追いかけた。
一所懸命走っているのだが、元々運動が得意ではないので距離は縮まるどころかどんどん開いていく。
「ま、まって〜〜!」
私が追いかけているのに気付き、こちらをちらりと見ると道を曲がり私の視界から消えてしまう。このままでは見失ってしまうと必死に追いかけ曲がり道を曲がると目の前で騎士が尻餅をついている子供に剣を今にも振り下ろそうとしていた。
「危ないっ!」
私は咄嗟に子供を庇うように騎士を背にしてギュッと目を瞑った。
目を閉じて暫くしても剣が振り下ろされるような気配がないのでゆっくりと目を開き振り返る。
そこには騎士の前に手を出して静止する女性が立っていた。
「
その女性は宥めるような優しい声で騎士を止め、美しい金色の髪をかきあげて琥珀色の瞳をこちらに向けた。きめ細かく雪のように白い透き通るような肌を持つ彼女を私は見た事があった。
「怪我はないかしら」
彼女はそう告げると眩むような笑みを浮かべた。
私はその姿に見惚れてしまい、私は抱かれた子供が苦しそうに押し退けてきて我に返った。
彼女は首を傾げて不思議そうな顔をしたので慌てて大丈夫です、と膝を払って立ち上がった。
私が立ち上がったのを見て尻餅をついていた子供は逃げようとして止まり、足首を抑えて地面に手をついてしまった。どうやら足を挫いてしまったようで、その際に帽子が落ちて顔が見えた。苦しそうに歪めたその顔立ちから髪の短い女の子だという事が分かった。
私が少女に近寄りその小さい肩を両手で抱くと、しまった。という表情をして逃げようとする。
「貴女、足を挫いたのでしょう?近くに知っている教会があるからそこで手当てしてあげる」
「やぁっ、……え?」
少女は驚いた様にこちらを見たので掴まって、と背中を向ける。
最初は掴まろうかと少女は逡巡して手をウロウロとさせたが、私が黙って待っていると私の背中に掴まり身体を預けてきた。
「お嬢様、失礼ながらお時間の方が……」
「分かったわ。では私はこれで失礼しますわ」
お嬢様と呼ばれた女性は優雅に挨拶すると馬車に乗りその場を去っていった。
私は馬車が行ったのを見送ってから路上に落ちた帽子をおぶった少女に被せて教会に向かった。
***
「駄目よ、ちゃんと冷やさないと。こんなに腫れてしまってるじゃない」
「物好きだねー」
氷を入れた桶に水を貼ってそこに少女の足を冷やすため入れさせていると横でエティさんが呟く。
少女は桶に足を入れて辛そうに顔を歪めてしばらく無言だったが、不意に私の服の裾をちょんちょんと引っ張り、あの。と言って口を開いた。
「なんで僕に優しくしてくれるの?僕は、その、お姉さんの荷物を盗んだのに」
そんな不思議な事を聞いてくるので私は首を傾げた。
「困ってる人を助けるのは当然のことじゃないかしら?」
「え、何?この子窃盗犯なの?レウちゃんって本当に物好きね」
エティさんは私を少女を一瞥してから私を見て少し微妙な表情をしてそう言った。
教会は私と同じくらいの歳であろう多くの見習い僧侶達が修行しているから中には入れなかったので、今は裏口から入った小部屋にいるのだが司教様はここに居てもいいのだろうか。
「それにしても、レウちゃんはよくこの子が女の子だって分かったわね。私なんて背負ってきた時はレウちゃんが小さい男の子誘拐してきたと思って驚いたのに」
エティさんはなんか感心する様に少女を見つめる。なんて失礼な人なんだろうこの人は。
「こんなに可愛い子を男の子と見間違える訳ないじゃないですか」
「……僕のこと初対面で女だって分かったのお姉ちゃんが初めてだよ」
「ほらみたことか!」
可愛いなんて初めて言われた……、と恥ずかしそうに小声で少女が呟く。驚く私をほらほらと煽るエティさんの態度や少女の発言に納得がいかなく少し頭にきて、「えぇー」と不満をたれる。
「こんなに可愛いのに……。失礼しちゃうわ」
「なんかお母さんみたいだねぇ」
てか年寄りくさい、と本当に失礼極まりないエティさんは無視して少女の名前を尋ねると、カナと言うらしい。
カナに住んでる場所や両親について聞いてみたがずっと俯いて何も話してはくれなかった。
私とエティさんが困った様に顔を合わせると桶の水に何かが落ちる音がした。私は少し自分を責め、カナの方を向くとその幼い身体を何も言わず抱きしめた。
抱いた少女は、ただその小さな身体を震わせることによって私に訴えかけしばらくして重く閉ざした口をゆっくりと開いた。
「両親は、もう居ないの」
カナは震えながら私達に告げてくれた。私は彼女を抱きしめながらその言葉に耳を傾けていた。
「…………」
「……何も聞かないの?」
カナが私とエティさんにそう投げかけた。
私はカナの肩を持って引き離し、彼女の目線になるよう膝を折ってその泣き腫らしたエメラルドグリーンの瞳をじっと見つめた。
「私もね、居ないの。両親」
「……え」
私は瞼を閉じて気持ちを整理すると再びカナの目を見た。
「だからね、その辛い気持ち分かる。だから、今はそれ以上のことは言わなくていいの。他人に上手く頼れないのも分かるから、今はいいのよ」
「あ、りが……う、えぐっ、うわあああん!」
カナは涙を堪えられずボロボロと涙を零して泣きじゃくり、私の胸に顔を埋めた。
私はその金色の髪を優しく撫でてすがりつく少女を抱きしめた。
トントンとエティさんが私の肩を指でつついて来たのでそちらを向く。
「私ちょっと教会に顔だしてくるけど、落ち着くまでここに居ていいからね」
そう言って裏口から出て行く際に私の頭を優しく撫でた。
しばらくして礼拝堂から清らかで透き通った歌声が聞こえてくる。
それは死者に捧げる鎮魂歌ではなく。
それは神を讃える讃美歌ではなく。
この町、この世界で歌われる民謡。
一人の少女が寒空の下で、孤独に死んでいく。そういう民謡。
その歌は美しく鋒鋩のような鋭さを持っていて、私の身体を真ん中から貫く様に冷やしていく。
ああ、違う。
私を貫いているんじゃない。
私の胸に抱かれた彼女の事を貫いているんだ。
町娘《モブ》 米米米ン(まいまいまいん) @8910maimai
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