イマドキのヴァンパイアには事情があるようです

雛柚木

第一章

必然的な出会い

 私は、森の中をさまよっていた。

 辺りは薄暗く、どこまでも木々が続いているように感じる。


 ……まるで樹海。


 見えない出口を探しながら暫く歩き、ふと立ち止まる。

 私は、どうしてこんなところを歩いているのだろうか?


 ……何も覚えていない。


 いつから歩いているのか。

 どれくらいの時間や距離を歩いているのか。


 ……解らない。


 しかし、不思議と疲れを感じていない。

 目の前に現れた、大きな切り株。まるでお伽の世界。

 私は、その切り株に腰を下ろした。

 一息吐いたところで、ふと、今の服装が視界に入った。


 ……黒いドレス。


 飾り気の無い、とてもシンプルな作り。

 これも知らない。

 着た事がない。こんなドレス、私は持っていない。

 一体、何が起きているのか……。


「おやおや、夢の迷い人とは珍しい」


 背後から聞こえた、低く柔らかい、あでやかな声。

 唐突な声掛けに、私は恐る恐る振り返った。

 そこには、黒いタキシードに黒いハット帽を被った青年が立っている。

 長い金色の髪は、薄暗いこの森の中で、微かなまばゆさを放っている様に見えた。

 そして、思わず見惚れてしまいそうな、あかい瞳。

「初めまして。私はハノンと申します」

「はじめ、まして……」

 先程と同様の低く優しいトーンで丁寧に挨拶をされ、返事をした。たったそれだけだというのに、表情も声色もガチガチに強張ってしまっている。

 甘い低音は、とても心地好い。しかし、それ以上に恐怖を感じさせる何かが、この男にはある。


 ……鮮血を思わせる紅が、私を見つめている。


「……あの、何か……?」

 恐怖に生唾を飲み込み、私は精一杯問い掛けた。

 渇いた喉の粘膜が貼り付いて、痛い。

「それは、貴女が一番よく解っていらっしゃるはず」

「え……?」

 わからない。私は、何も解らない。

 恐怖と戸惑いに言葉を詰まらせた、その時だった。


「ハノン、意地悪はやめろ」


 空から現れたのは、背に大きな黒い翼を広げた青年。


 ……黒い、翼?


 一度、その翼を羽ばたかせて地に降り立った。

 ハット帽は被っていないが、それ以外はハノンという男同様の服装をしている。

 髪型は白銀のショート。その髪もまた、微かに眩い光を放っている。

 鮮やかな瑠璃色の瞳は、鋭い視線となって向けられた。


 まるで対照的な二人。しかし、どちらも背が高くて綺麗な顔をしている。

 見惚れるように眺めていると、二人は私の目の前で言い合うように話し始めた。


「ツェルニー、私に意地悪とは、随分ではありませんか?」

「貴様は意地悪だ。あの娘が自分で解るわけがないだろう」

「さぁ、それはどうでしょうね」

「深層心理を覗いて呼び掛け、相手が無意識のうちに、ここへ連れ込んだ。それが貴様の手口だ。その上で白々しく声を掛けて……意地悪な事この上ない」


 ……深層心理? 連れ込んだ?


「フフッ……貴方は私の事をよく解っていらっしゃる。それが私のやり方なんです。貴方にもやり方があるのと同じ。何も意地悪と称される理由など持ち合わせていませんよ」

「……」

「……」


 睨む瑠璃と、微笑む紅。

 私は、遠慮がちな視線を交互に向け、恐る恐る口を開いた。

「あの……」


「ん?」

「どうされました?」


 同時に向けられる紅い瞳と瑠璃の瞳。一瞬怖いと思ったが、それ以上に、二人の端整な顔にドキッとしてしまう。私は、自分を落ち着かせながら言葉を続ける。

「……すみません。ここは、どこですか?」

 私の問い掛けに、ツェルニーと呼ばれた男が、ほら見ろと言うようにハノンを睨む。対する男は知らん顔で肩を竦めている。

 その様子に溜め息を吐いたツェルニーが私の傍へと歩み寄り、説明をしてくれた。

「ここは、お前の世界から分岐し、平行して存在しているもう一つの世界。そうだな……パラレルと言うべきか」

「パラレル?」

「あぁ、そうだ。彼方の人間は気付いていないが、此方の世界からは呼び込む事が出来る」

「……」

 説明をして貰い、何となくは解るが、まだイマイチよく解らない。

「まぁ良い。とにかく、お前は元居た人間の世界から、この世界に来てしまったというわけだ」

 理解しきれていないうちに、話が進む。

「……どうして?」

 当然、口をつくのは疑問ばかり。

 しかし、相手は嫌な顔ひとつせず答えてくれる。

「こちらに来たいと、心の奥底で求めたからだ。……おい、ハノン。貴様が説明しろ」

「私がですか?」

 それまで我関せずと、自分の髪に手櫛を掛けていた相手が、不思議そうに視線を向ける。

「当然だ。貴様のせいだからな」

 フンと鼻を鳴らして私の傍から退き、此方へ来るよう指で示す。

「仕方ありませんね」

 そう答えて、私の元へ歩み寄る、金髪の男。

 座る私の隣に腰を下ろし、ハノンは口を開いた。

「私が、貴女の心に問い掛けました」

「問い掛ける……?」

「ええ。心の奥深く、貴女の世界に踏み込んで、此方の世界に来るよう仕向けました。貴女は、無意識に、自分でも気付かぬうちに、此方の世界に来てしまったのです」

 相手の説明から、いつからこの場所にいるのか解らなかったその理由が、何となく見えた気がした。

 しかし、相手のやり方が気に入らないのか、ツェルニーの表情が険しくなる。その様子を見て、参ったと言うように苦笑するハノン。

「ツェルニーは嫌がりますが、これが私の持つ能力なんです。この世界では、私たちが求める血を持つものを呼び込むというのが、私の役目ですから」

「……能力?」

「ええ。ツェルニーは空を飛び、敵の目を盗んで、獲物を連れ帰ることが出来る能力を持っています。彼、結構飛ぶの速いんですよ。」

 確かに、ツェルニーは翼を持っていて、ハノンは持っていない。役割があるのか、と納得した。

 しかし、私は何か重要な部分を忘れている。

「……」

 そうして考え、気が付いた。


 ……求める血を持つもの。


「おや? どうされました?」

 急に口を閉ざした私に、ハノンが問い掛ける。

 その様子に、ツェルニーも気付いて此方に視線を向けた。

「……。あの……」

 切り出した声は、震えてしまっている。

 何かの生け贄か、はたまた、啜られるのか……考えるだけで、おぞましい。

「あの……。お二人は……」


「ヴァンパイア……と、呼ばれていますよ」


 ハノンが、穏やかな笑みを浮かべて答えた。後者だった。

 しかし、ヴァンパイアと言われた事には自分でも不思議な程、驚かなかった。

 私は、血を啜られてしまうのか……。そこばかり考えてしまう。

「私の血……」

 不安が口から洩れる。傍に座った相手に啜られるのでは、と思うと怖くなり、慌てて立ち上がると、2、3歩後退るようにして距離をとる。

「おやおや、逃げるんですか? 無駄ですよ」

 相手も立ち上がり、離れた分だけ距離を詰める。

「こ、来ないでッ!」

 私は、悲鳴にも似た叫び声を上げながら、ハノンに背を向け走り出した。

 何としてでも、ここから逃げ出さなければ……。

 そればかり考えて走り続けていた。


 ……ヒュッ!


 何かが、物凄い速さで横を通り過ぎた。

 と思った瞬間に、目の前に立ちはだかる人物。

 先程まで背後に居たはずの、ハノンだ。

 両手を広げ、構えている。

 足にブレーキを掛けなくては……。

 しかし、全速力で走っていては、急に止まる事は出来ない。

 私は瞼を伏せた。


 ……ぶつかるッ!


 ――。


 体当たりをしたような衝撃はない。

 気付いたら、身体が宙に浮いている感覚。

 私は、ゆっくりと瞼を開いた。

 最初に捉えたのは、白銀の髪と端整な横顔。この男は、ツェルニーだ。

「悪い。ハノンは一見穏やかな紳士に見えるが、やり方が少々乱暴だ。ただ、悪気はない。取って食おうなどとは……」

「きゃああああッ!」

 相手が弁解をしている最中、私は悲鳴を上げた。

「飛んでる! 飛んでる!」

 漸く気付いた状況に、慌てふためく私。樹海よりも高く飛んでいる。これは怖い。怖すぎて、姫抱きをしてくれている相手の首に必死にしがみつきながら暴れるという、矛盾すら起こってしまう。

「おい、暴れるな。……落ちるぞ」

「っ……」

 落ちる? それは、もっと怖い。

 私の動きはピタリと止んだ。


 次第に、ゆっくりと下降していく。私が怖がらないよう、ゆっくりと。

 そうして地に戻ると、ハノンが近付いてくる。

 ツェルニーは、私を降ろしてから、木の上で翼を畳んで休んでいる。ということは、この男と二人きり。

 私は身構えた。

「安心して下さい」

 そう言われたが、なかなか簡単には安心出来ない。

「血を啜るのは、私ではありません」

 ほら、血を啜るのは……。

「……え?」

 またもや、疑問符が口をつく。

 理解出来ていない私にフッと笑う、金髪の男。

「私は血を啜りません。啜るのは、彼です」

 と言って、指差したのはツェルニーが休んでいる木。

「ちょ、ちょっと、待ってください……」

 私は、そこで口を挟んだ。色々と訊きたい事はあるが、取り敢えず、相手の説明で矛盾と思える部分について問い掛ける。

「私たちが求める血……って、言ってましたよね……?」

「ええ。私たちは、総称してヴァンパイアですから。ツェルニーが欲する血を持つものを、私が探して連れてくる。私は、血を啜らずとも生きていけます。ですが、求めていることに違いはありません」

 成る程。そういう事か。

「有翼種族は、血を啜らないと生きていけません。血の相性もあるので、なかなか探すのが難しいんです」

「死んじゃうんですか……?」

 相手の言葉に、不安げな眼差しを向ける私。すると、相手はゆっくり首を横に振った。

「いいえ。血を啜られても死にません」

 啜られても、大丈夫なんだ。ちょっと安心出来る。

 でも違う。今のは、そうじゃなくて……。

 それを訴えるため、私は、再度口を開いた。

「あの、ツェルニーさん……」

「ああ、そちらでしたか。そうなんです。血を啜らないと生きていけません。そのための本能として、人間の血の匂いを嗅ぐと、理性が脆くなります。……彼は、その本能を嫌っていますが……」

 そう説明してくれた相手の表情は、どこか寂しげだった。

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イマドキのヴァンパイアには事情があるようです 雛柚木 @nekomataneon

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