一つずつ文字を読んでいるというより、その場面が勝手に目に浮かんでくるようです。
まるで映画、いいえ、アニメを見ているような気がします。
意味不明に繰り返されるセリフ(と名前が面白いキャラクターら)、ツンデレの女主人公、痛烈な色彩(白と黒の対比)、苦しみと安心感に重ねられ嗅ぐと解放されるような、匂い(シンナー)。
一言で、
軽すぎたり、重すぎたりすると、
悲しいです。
「おそらく今も生きていて、同じ空をみているのだろうと思う――。
それが、黒シリーズの旋回するこの街の空と同じかどうかはわからないが。」
こんな風に、中二病みたいな描写が、第9話以後の、闇で黒シリーズの世界に、嵐の前の静けさのような暗示を与えました。
そして、文章の書き方が全く変わりました。
それは、思春期の未熟ささえ許されない残酷な世界です。
しかもこの現実には醜い社会だと、読みながら思っていました。
それでも先生のような小説が存在だからこそ、泥沼から這い上がろうとして足掻く読み手として私は癒されています。
壊れなければ生きていけない危うさや脆さを見つめる作品で心臓が締め付けられそうだった。そういった締め付けにどこか覚えがあるような気がして、話題の『分人主義』に近いのかと思って読み直したら、どちらかというと一遍上人の思想に近いのかなと感じたけど、よくわからない。けれどそのわからなさや不可解さは切ないけれどどことなく懐かしくて、その儚さもまた心地いい。声にならない悲鳴をあげては怯えていたかつての少年少女から、現代の暗部という暴力に日々晒され続けている少年少女への物語。この作品は徐々に陰鬱な詩情に満たされていくけれど、踊り狂うような展開にどこか救いを感じる。無駄に明るい作品よりも、陰鬱な詩情に励まされる人は少なからずいる。少年少女のイノセンスは孤独を知った魂に宿り、その魂に共鳴する響きこそが青春のもたらすグッドネスなのだろう。思うようにいかない現実に直面するときに訪れる『絶望』、そしてその『絶望』を生き抜くために必要とされる『物語』。小説を書くということに対する書き手の真摯な姿勢が、とても好感が持てて、完結が待たれます。