猫営業

@tomaju

ある日の仕事

営業先の会社に猫がいた。

社長曰く猫も従業員の一人らしい。


猫は商談の途中ちょくちょくやって来てはニャーニャーと何かを要求する。


わりと大事な商談だったけど僕たちは彼が来るたびにそれをストップせざるをえなかった。


社長は社長で赤ちゃん言葉で猫と交渉しなければならなかったし、僕は僕でそんな社長のプライドを傷付けまいとドキマギとあらぬ方向に目を向けなきゃならなかったからだ。


社長の度重なるキャットフードによる接待で猫の餌皿が満杯になった頃、猫語を理解できない社長(もっとも僕達人間の大半は猫語を理解できないのだが)に代わって僕が猫と交渉することになった。


僕は猫と一緒に暮らしており彼らとの交渉に秀でているので、すぐに彼が水を飲みたいのだと気がついた。


「すみません。彼、水を飲みたいんだと思います。」


社長はまるで水墨画の松の木のように立派な眉根をあげて猫に尋ねた。


「ジョンくんはおみずがのみたいの?」


猫は一言ニャーと鳴いただけだったけど、社長も彼の意を汲んですぐに立ち上がり叫んだ。


「おーい、ジョンに水をやってくれ!」


社長の声を聞いた事務の女性は、呆れ顔で猫を抱き上げると給湯室へと去っていった。


「さて、打ち合わせを止めてしまって申し訳ない。私は子供がいないから猫を見るとどうも気が緩んでしまいまして。」


社長ははにかみながら謝辞を述べると僕に商談を続けるよう促した。


「いえ、お気になさらず。私も家に猫がいるので気持ちはとても分かります。」


そういって僕はスマホの待受にしてる愛猫のトラを社長に見せたあと、商談を続けようとした。


しかし、社長は僕からスマートフォンを引ったくって猫に夢中になってしまった。


心の中でクソと呟いて仕方なく僕は再び商談を猫の話に切り替えたのだった。


それから打ち合わせに取っていた40分間は我が家のトラが如何に利口かという話に半分、それから社長が猫という生き物が如何に人間社会の平穏に役立っているかという話に半分を費やして、終わってしまった。


帰り際に社長は、

「また来てください。今度は是非御社の製品についてお聞かせ下さい。ええ、もちろん猫抜きでですよ。」と言って肩をすくめた。


僕も社長を真似て肩をすくめ、

「今日は貴重なお話を、お聞かせいただきありがとうございました。猫の話も大変興味深かったです。」と言った。

言ったあとになって、これは皮肉に聞こえてしまうかもと後悔したけど、社長がニコニコしてたのでそのまま帰路に着いたのだった。


今日も案件取れなかったなとションボリしながら会社の敷地を出ると、ジョンがいた。


「なんだお前、慰めに来てくれたのかい?」


僕がそういって顎を撫でるとジョンは僕のズボンにすりすり頭を押し付けた。


なんだか落ち込んだ気持ちがどうでも良くなった僕は、ジョンに別れを告げて今度こそ帰路に着いたのだった。


会社に帰ってからはボスの小言を聞いたり、猫の話を抜いた結果殆ど白紙に近い状態になった営業報告を作成したりと散々だったけど、社長が僕宛に「今日は猫の話をできて本当に良かった。サンキュー。また来てくれ。」といった旨の電話を(もちろん実際にはもう少しだけフォーマルな話し方だったけど)会社にしてくれたので幾らか救われた。  


家に帰るとトラが僕を出迎えに来てくれたけど僕の手の臭いを嗅ぐなり、まるで夫の浮気の証拠を押さえた妻みたいな態度で僕に背を向けたので、僕はまるで妻に浮気の現場を押さえられた夫みたいな態度で彼のご機嫌取りに時間を割かなければならなかった。

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