第18話natsuyasumi_saigo_no_hi

定番ネタ、というらしい。


夏休み終了直前。以前に、調子よく処理を進めていたはずの宿題。


しかしその途中、予期せぬ研究対象の登場にすっかり脳のリソースとメモリを持っていかれ、その存在を一時記憶領域からどかしてしまっていた鏡少女。


先ほどヘッドギアをつけたと思ったら、すぐさま外して慌ててそれに取り掛かり始めた。ギア越しに、またあの男にでも諫言を受けたのであろう。


皮肉交じりに、また彼女にいらぬ負荷でもかけたに違いない。


気に入らない。気に入らない。私なら、もっと優しく、うまく、助けられるのに。


バン


まだまだその合奏をやめるつもりのないセミ達の鳴き声にそのイライラを助長され、たまらずグーで自身の体を叩いた。


いっそぶちかますべきか。いや、、、ぶちかます、いや、、、ぶちかます、いや、、、


「にゃー」


自身のさえない脳力をフル稼働して行動を起こした場合の展開を予測していると、その思考に割り込むように猫が声をかけてきた。


以前、すんでのところで助けた個体だ。鏡少女のついた嘘を、私は知っている。






あの日、彼女はその言うところのものを、目撃したりはしていなかった。しかし、現実にそれが起これば、確かに彼女はショックを受けるだろう。


だから次の犯行直前、


「何をなさろうとしているのですか?」


と目の前に立ち、冷徹に敵意むき出しで言い放った後、1v1で問答無用で圧倒した後、そいつを鏡少女の父上の勤務先の前にほっぽってやった。






これは、ぶちかましの範疇に入るのであろうか。よくわからない。この世の真理というものは深淵だ。私の足りない能力では、それに達することはできないだろう。


鏡少女に悪影響を与えかねぬ存在。そんな奴と、友好的なファーストコンタクトを取ってしまったと知られては、言い訳ができない。だからおそらく、1v1はぶちかましの範疇に入らない。そう可能な限り考えに考えた結論をわが身に刻んだ。


何にせよ、奴は刃物を所持したままだ。この世界のルールにのっとって、それなりの処置がなされたであろう。


助けられた恩を理解しているのであろうか、懐きにくい生き物らしいのに、それ以来、時折こうして私にちょっかいをかけてくるようになった。


鏡少女には懐いていないところを見るに、生物は、私には理解できない識別能力を備えているのかもしれない。こうして、姿を消している私にも気づいて、声をかけてくる。


「にゃー。」


ひとまず結論の出た思考をやめ、その個体へと挨拶を返す。


「にゃお。」

「にゃにゃん、にゃ?」

「にゃーん、にゃにゃ。」


調子のほどを、聞いてみる。どうやら、今日も世はこともなし、なようだ。


こうして、唯一のとりえだった忍耐強さが失われ始めている今、その身に生じ始めている焦りとイライラを癒し慰めてくれる、貴重な存在となってくれていた。


ふと、背に誰かの気配があるのに気づいて、振り返る。迷彩をかけているため、いないはずの二匹目のネコの声が聞こえたことに驚いているのだろう。そんな顔をして、口をポカーンと開けて、あの男が立っていた。


「前々からいろいろとやばい、とは思っていたが、ついにそうなっちまったか。鏡、すまん。」


ん、おかしい。私の姿は見えていないはず。迷彩機能が、、、先ほど腰をグー殴りしたときに切ってしまっていたようだ。凡ミス。


どうする、殴って脳に衝撃を与え、記憶を飛ばすか?そう、ファーストコンタクトは、ぶちかましが有効だ。一発殴るのも、ぶちかましの一つに入るはず。いや、違う、こいつは敵だ。鏡様にいらぬ負荷を与える、敵だ。だから友好的な出会いのためのぶちかましは不適切だ。敵対的にファーストコンタクトを取る、そうしなければ。


「私はMR-EX01。あなたが呼んだ鏡少女とは、別個体です。関係の全くない、別個体です。気にせず、立ち去りなさい。いらぬ詮索も禁じます。この場で痛い目を見たくないなら、行きなさい。さあ、尻尾を巻いて、脱兎のように、今すぐ、逃げ出しなさい。」


可能な限り敵意むき出しで、冷たく告げた。先ほど再定義した、ぶちかましの範囲外である1v1に、このまま持ち込む。


完璧だ。私を敵とみなすであろう彼は、1v1にはさほど向いていないと知っている。すぐに私の言葉通り、尻尾を巻いて逃げ出すに違いない。プライドもそれなりに高いと知っている。そんな無様を、彼女に伝える可能性は低いだろう。


「ああ、鏡、、、すまん、すまん。おれが、玲央たちと、もっとちゃんとケアしてあげてれば、、、おばさんに、、、全部話そう。こうなったら、仕方ない。」


様子がおかしい。敵対的に処置したはずなのに、彼は一切怖がることなく、むしろ憐みの視線を、やや潤いの増した目を私へと向けながら、近づいてきて強引に私の腕をつかみ、そのまま鏡少女の家の中へと引っ張っていこうとした。


何を、間違えた?なぜ、この男は、恐怖に駆られて尻尾を巻いて逃げない?何が、なぜ?そんな次々とあふれ出す疑問にリソースのほとんどを持っていかれてしまい、普段なら軽く払って抗えるはずのその手を、振り払うことができなかった。


「まずは最低限、頬をひっぱたいてでも正気を取り戻させて、、、そうしてある程度冷静に話し合って、、、そうだな、それから、だな。おばさんまでお前の影響で壊すわけにはいかん。」


その男の思慮深いのか浅いのかよく判断のつかないセリフを耳にしながら、しっちゃかめっちゃかなレスポンスを返す、私の思考回路を必死で持ち直そう、と試行している間に、そのまま手を引かれて二階の、鏡少女の部屋へと連れていかれた。






「でさぁ、これ、マジ?いや、わかるのよ、目の前に鏡、無いものね。置いて、無いわよね。龍、鏡、無いわよね?」

「正直、わからん、、、鏡は、無い。が、ある。いや、いる。しかし、ないとあるは、いないといるは、この規模では同居できない、、、いや、いや、、、わからん、わからん。何が、どうして、、、」


頼りの綱のはずの龍も、混乱で思考が全く回っていないようだった。


つい先ほど、えらく悲壮な表情で我が部屋へとノックもせずに侵入してきた龍。


その無配慮なふるまいをとがめる気は、その手に引っ張ってきた存在を目にして、全く、完全に、これっぽっちも残るわけがなかった。


目の前に、私が、いる。いや、マジで。わからん。わからんわ!


生き別れの双子とか、そういう展開か?いや、ねーだろ。


どっちがより高確率のあり得る事象か、混乱でぐちゃぐちゃな脳の喧騒を落ち着かせる何かがほしいと、何もないはずのその存在との間の虚空を、手でなでる。


やはり、無い。あるべきはずの鏡の、その物理的な手ごたえが、無い。


まず、生き別れの双子説。父さんと母さんを脳裏に思い浮かべる。これは、無い。写真で納められたアルバム。私と瓜二つ、無い。医療ミス?いや、あり得んだろ。双子、泣き声、二つ。さすがに母さん二と一は間違えんだろ。事前の検査でも、判明するはず。


じゃあ、鏡、無い。感触、返ってこない。いや、違う、あるかもしれん。いや、いや、、、


おーけー、ここに、鏡があるとしよう。したら、したら、、、どういうこっちゃ?何じゃ。物理法則、乱れたか。せやな。それがよさそうだ。あの、龍が扉を開けた瞬間、切り替わったに違いない。


誤差有りとはいえ、ニュートン力学も、その光学も、納得できるものとして理解したはずのそれ。今、この瞬間まで、十分にこの世界の説明を果たしてくれた、それ。空の青さも、夕方の赤みも、異論の余地が思い浮かばない、納得できる説明を与えてくれる、洗練された機構である、それ。


それが、今この瞬間、切り替わったのだ。


「私はMR-EX01。あなたを、鏡様を、守るために派遣された、ただそれだけの存在です。」


その懸念の、私と瓜二つの存在が、その頭になぜか猫をのせて、悲しそうに、恐縮そうに告げる。


「鏡様って、様付けとか、何よ、あんた、わたしのなんなんよ!!」


必死で納得しようとしてでも狂騒冷めやらぬ脳内環境の中繰り出された私のその絶叫を聞いて、目の前の存在はさらにしゅん、とその身をすぼめてしまった。


頭の上にのっとる猫が、ふしゃー!と私に向けて声を荒げた。


あ、これ、せめてもの差異を表す飾りじゃないのね。本物のネコなのね。


これは、いかん。私と瓜二つの、女の子なのだ。そうだ。私と瓜二つなのだ。つまり、私と同じく、けなげでいたいけな女の子に違いないのだ。うん、間違いない。そうね。私、だものね。そう、そうよ。


猫の威嚇が鎮静剤のように働いたおかげで多少ましになった我が脳内喧騒が、ひとまず落ち着きを取り戻し、そうして目の前の存在への気遣いを始めた。


「ごめん、ごめん。あまりの衝撃につい声を荒げちゃったわ。だいじょーぶ。だいじょーぶ。」


ふーっ、相当な深さの深呼吸をして、心を落ち着ける。うん、大丈夫。だんだん落ち着いてきた。


「大丈夫。この男には、もう指一本触れさせないから。無理やり連れてこられて、怖かったでしょうに。安心なさい。私が、この男の毒牙から守ってあげるわ。」


そう告げて、向かい合っていた彼女の手を引き、龍との間で自身が障壁になるようにしてその身をかばった。


「か、鏡様。もったいないお言葉。しかしこの身、たとえ今すぐ果てようとも私の使命はあなたを守ること。ただそれだけのために、私は今、この場に存在するのです。」


蓋をしたはずの龍との間に再度割り込んできて、そう告げてきた。


いや、違うっしょ。間に割り込む。


再び間に割り込まれる。


いやいや、私が、あんた、守るの。再び割り込む。


再び割り込まれる。


おい、いい加減にせーよ、こいつ。再び割り込む。


再び割り込まれる。


「あー、お前ら、気が合うのは結構だが、その、ちがくね?それ。」


冷静に、いつ果てるともわからぬやり取りにツッコミを入れられて、私たち二人はその無限に続きかねない連鎖を終わらせた。






「なるほど。つまり、イクスの影響なのね。」

「はい。」

「こっちの方まで絡んできちゃうとは。私たちの拾いものは、やっぱり中々のものだったみたいね。あの子、ほんとにすごいもの。前だってね、私がいくら考えてもわかんなかった問題をね、、、」

「危険は、無いのか?」


素直に我がゲーム世界でできた弟のことを呑気にほめる私のセリフにおっかぶせて、龍は事の顛末をある程度納得させられた上で、危機の有無の確認を行ってきた。


「はい、現状我が君の隠ぺい工作はうまくいっているのでしょう。ここまで、ここへと至った介入行為はゼロ、でした。」

「そうか。その、いつ終わるとも知れない使命を無事達成するまで、その状況が続くと思うか?」

「続かなくても問題ありません。私の1v1能力は、並の兵を遥かに凌駕します。」


んー、信じていいやら、悪いやら。


「ねー、あんた。って名前、エムアールイーエックスゼロワン、だっけ。長いから、どうしようかしら。」


ふーむ、どうすっぺか。我が名づけのセンス、その本領を、果たすべきなのだが。


アルファベットをそのまま読んで、ムレクス、かしら。


却下。かわいくない。私の姿をしてるんだもの。せめて、最高の、思いつく限りの、かわいい名前、付けてあげないと。うーん、うーん。


「ミラージュ、でいいんじゃないか?お前のゲーム内の名前。響きもいいし、こっち側なら混同することもないだろ。」


龍が安直に告げてきた。安直。あんちょーく、すぎる。


「いやいやいや、この子、もしかしたら、ゲーム内に行けるかもしれんよ。したらそれ、混乱するっしょ。いかん、それはいかんよ。」






私と龍の名づけ合戦。かなりの規模の抗争となって、決着がつきそうにない。


互いの言い分がある程度一段落しても、決着がつかなかった。


「ふーっ、ふーっ。」


互いに息を荒げ、膠着状態。


ふと、懸念のアンドロイドの姿に目を移すと、よだれを垂らしながら、この野郎、頭にのせた猫とともに、すやすやと眠っておった。


「こ、こいつ、、、」

「はっ!さすがにお前を模してるだけはあるな!寝顔、まさにあほ面って言葉がぴったりだ!」

「何言ってくれちゃってんのよ!こんなに可愛らしくて、けなげで、そう、愛らしい、平和そうな寝顔に対して!こんなの、こんなにけなげで愛らしい寝顔、そうそうお目にかかれないわよ!」

「はっ!けなげとか!愛らしいとか!辞書でその言葉、よーく調べることをお勧めするぞ。その定義がお前の思ってるやつと真逆なことに、今すぐ気づけ!ほら、そこの辞書、引いてみろよ!」

「あー、はいはい!引いてあげるわ。引いてあげるわよ!ほら、見てみなさい!けなげ、これ、この意味よ!健康な状態!ぴったりね。病気とか、するはずないしね!次は、愛らしい、ね!愛らしい、愛らしい、あ、い、ちょっと待ってなさい!よし、ここ!何々、弱さ、小ささ、美しさをもっている様。愛すべき様、かわいらしい、可憐、とあるわよ。完璧じゃない!この“愛らしい”寝顔。今すぐ守ってあげたくなるわ!弱さ、小ささ、美しさ、、、はない気がするけど、三つのうち二つは当てはまってんだから!多数決、多数決よ!過半数を獲得したわ!」

「そこ括弧内じゃねーか!メインの記述をよく読め!愛すべき様、かわいらしい、可憐、ことごとく全滅じゃねーか!」

「あんた、その目!その目!眼科行って来なさいよ!難しい本読みすぎて、本来の機能、果たしてねーのよ!これを機に、メガネ男子になりなさい!どう見たって、その三つ、完璧に当てはまってるわよ!もはや過半数どころか、全会一致よ!憲法改正も真っ青の、全会一致よ!」

「ありえん!俺の視力は両目とも1.5だ!4か月で視力はそこまで落ちない!ありえない!腐ってんのはお前の目の方だろ!」

「いいえー!落ちることもある!あるのー!落ちてるに、決まってるのー!期間とか、科学的説明の根拠になってない!根拠薄弱で、速攻却下よ!4か月じゃ短すぎて落ちないって!そんなの根拠薄弱なのー!」

「よーし、わかった!わかった!そこで決着つけようか!今すぐ調べんぞ!視力!低下!期間!まずはこのあたりのワードだろ!検索しろ!さあ!してみろ!」


完全なる対立。決着は視力低下に費やされる時間についての科学的な結果にゆだねられた。


時よ、今は、今こそは、この私に味方を!負けない、負けたくない!


時さん、お願いします!


「どーだろーなぁ。」


わが祈り、もといテレパシーに、無生物で存在不明な時間さんが、無気力に、不愛想に、そう返してくれた気がした。


「鏡ちゃーん、龍くーん、ご近所の迷惑になるから、もう少し抑えてー。」


緊張のまま震える手で端末に手をかけ、検索ワードを打ち込もうとしたその時、二人のありえないぐらいに高まっていたテンションに水を差すように、母さんの、のほほーんとした言葉が届いた。






「もともと、何の話だったんだっけ?」

「こいつの、名前、どうするか、だな。」


互いに、不用意に高まりすぎたテンションの反作用が、偉大なるニュートンの第三法則を破るレベルでかかってしまったみたいに、脱力して、無気力に、言葉を交わした。


「この子、夢、見るのかな?」

「どうだろうな。起きたら、聞いてみるべきだな。羊の夢、見てるかもしれん。」

「あら、中々ロマンチックじゃない。理系のあんたには珍しいわね。」

「SFは、特に大好物だからな。」

「私も。答え、教えてくれるかな?」

「Yes, they do. の方が、俺は好みだな。彼の思いは、俺にはわからんが。」

「そうね。私も、そっちのがいい。そうじゃないと。そうじゃないとね。」


最低でも二か月以上に渡り、ほとんど休むことなく私たちを見守っていてくれていたのであろう、まだ、愛称の決まっていない、アンドロイド。


玲央も陸も涼子先輩も。この出来事に関わってしまったみんなと一緒に、彼女の愛称、考えてあげよう。可愛らしくて、素敵な名前、付けてあげよう。


自分と瓜二つの、彼女。この先、私に危険があるかもしれない。でも、怖くはない。心強い?味方がいることがわかった。


守ってくれてた。守ってくれて、いた。ただそれだけで、彼女を、彼女の告げる、非現実的で奇天烈なもろもろを、ほんとのことだと納得するには、十分だった。


「でも、もうちょっと、見た目からして頼りがいのあるタフガイとか、送ってくれてもよかったのにね。」

「そうだな。あんまりにも頼りなさそうだからな。」


ピーン!その龍の何気ない返しが、私の感情を、さっきまでのテンションをぶっちぎる勢いで逆なでした。






再び始まる口論。そうして再び繰り返される、母さんからの少しさっきより強まったけれども、まだまだその、のほほんとした空気を感じさせる忠告。


「はあ、もう、疲れたわ。」

「俺もだ。」


互いに嘆息する。


「そういやお前、宿題、大丈夫なんか?」


「あ、あぁ、あぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


夏休み最終日。すでに日が暮れはじめ、夕飯時となった、ハチガツノサンジュウイチニチ。


むなしく響く、我が絶叫。


本日三度目の、今度こそ、偽りない怒気を感じさせる、母さんからの注意。


三度目の正直。違う、仏の顔も三度。これも、どうなんだ?三度目で、怒らせてしまった。この場合、回数は、どっちだ?三度目までは大丈夫、なのか?三度目で、駄目なのか?


「ごめーーん。もう、大丈夫だから。」


そう返し、さっき取り出して机に置いていた辞書で、引いてみる。


んー、三度目で怒る、でいい?のかしら。つまり、母さんは仏並みってことか。さすが、私の母さんね。


そんな騒ぎに一切気づくことなく、眠りを続けるアンドロイドをそっと部屋に放置して、龍と二人、母さんに謝るために連れだって階段を下った。

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箱庭の君 鏡 龍彦 @70ban

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