第4話 動き出す刻

「た、...うた、三郎太」

鈴の音のような綺麗な声が呼んでいる...。

幸太はぼんやりそんな事を思いながら、ゆっくりと瞼を開いた。

なんだか長い夢を見ていた気がする。

目に飛び込んで来た天井は、懐かしい茅葺きの屋根。

寝ぼけた頭で開かれた窓の外を見た。


「まだ寝ているの‍?お寝坊さんね」

朝日を浴びて、花束を抱えた奥様の笑顔が逆光で良く見えない。

「ほら、早く起きなさい。みんな、待ってるわよ」

奥様の声に口を開きかけた時

「あ、やっと起きた!」

心配した顔で幸太を見下ろす遙の顔が幸太の瞳に写る。

「‍?」

幸太は疑問の視線を遙に向けた。

(此処は...‍?若様のお屋敷‍?)

今の状況が掴めない幸太がゆっくり身体を起こす。

その瞬間、ふわりと遙が抱き着いてきた。

(えっ‍?)

幸太が驚いて固まっていると

「心配したんだから!三日三晩、意識が戻らないから」

遙が幸太の存在を確かめるようにきつく抱き締めて来る。

震えている手が、どれだけ幸太を心配してくれていたかを物語っていた。

遙が幸太をゆっくりと現実に引き戻してくれる。

(そうだ...僕は幸太だ。野田幸太)

自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。

幸太は心配してくれた遙の気持ちが嬉しくて、そっと遙を抱き締めようと背中に手を回した。

(過去は関係無い。今の僕が好きなのは、目の前に居る遙先輩なんだから...)

溢れ出す気持ちに胸が熱くなる。

そっと、柔らかい遙の髪の毛にキスしようと顔を近づけた瞬間

「あ!幸太!」

と言いながら遙が顔を上げた。

『ガツン!』

鈍い音が鳴る。

遙の頭に、しこたま顎をぶつける。

「痛っ!」

「ぐっ!」

遙は頭を押さえ、幸太は顎を押さえて倒れ込む。

「幸太!痛いじゃないか!」

「えぇっ!僕のせいですか‍?」

いつものように言い合い、2人はくすりと微笑む。

「でも、意識が戻って良かったよ」

遙は立ち上がり、笑顔を浮かべる。

幸太は遙の笑顔を見る度、この笑顔を守りたいと思う。

冬夜に出会い、冬夜を好きになってから、遙はいつも悲しそうな切なそうな顔をしている。

ふと、幸太は冬夜が呟いた言葉を思い出す。


『俺は、誰も愛せない』


哀しそうな、何処か全てを諦めたような顔で言っていた。

冬夜が来て間も無くの頃、資料を纏めていて終電を逃した幸太が事務所に泊まった時がある。

黙々と作業するだけなのも気まずく

「冬夜さんって、冬生まれなんですか‍?」

共通の話題などある訳も無く、何となくした質問だった。

冬夜は写真のデータを確認しながら

「12月」

とだけ答える。

また沈黙になってしまい、

「余程、冬夜さんのご両親は嬉しかったんですね~。

赤ちゃんが生まれた夜を名前にするなんて。何か、ロマンチックですよね~」

必死に絞り出した言葉に、冬夜の動きが止まる。

「僕なんか、人を幸せに出来る子に育って欲しいって幸太なんですよ。

平凡ですよね~。

僕も冬夜さんみたいな格好いい名前だったら、イケメンになれたのかなぁ~」

空笑いを浮かべて呟いた。

すると冬夜はデータを見ていた視線を幸太に送ると

「お前、遙から何も聞いてないのか‍?」

と言うと、胸ポケットから煙草を出した。

「え‍?何をです‍?」

疑問の視線を投げると、冬夜は溜息を一つ着いてタバコに火を付けた。

「あ!此処は禁煙ですよ!」

叫んだ幸太に、冬夜は窓を開けて煙を外に吐き出しながら

「俺、両親を知らないんだわ」

ぽつりと呟いた。

「俺の名前は、冬の夜に拾われた子供だから『冬夜』

名字の日下部は俺を発見した警官からもらったんだよ。」

開け放たれた窓の外から、『パァーッ』っとクラクションの音が響く。

「何でも、湖で投身自殺したカップルの子供らしい。不倫の成れの果てらしい」

表情一つ変えず話す冬夜に、幸太が悲しくなった。

「ごめんなさい!

何も知らずに格好いいとか、ロマンチックとか...無責任な事を言って」

深々と頭を下げた幸太に

「別に謝らなくて良い。女を口説く時には、なかなか役に立つ」

小さく笑う冬夜の横顔が何処か悲しげに見えたのは、幸太の気のせいでは無いと思う。

「だからかな。俺さ、昔から物や人に執着しなくてな。

よく大人達から、可愛げ無いって言われたよ。

そんな俺を引き取り、カメラを教えてくれた人が居た。

俺はカメラの魅力の虜になった。師匠の事も、親父のように慕ってた...でもな」

冬夜はそこまで話すと、灰皿代わりの空き缶にタバコを押し込み

「その師匠も事故で亡くなった。俺が関わる人間は、その他にもみんな不幸になっていった。だから俺には、人を愛する資格が無いんだよ」

そう呟いた。

幸太がこの話を聞いて、冬夜がいつも諦めたように乾いた瞳をしている原因が分かったような気がした。

いつも人に一線を引き、一定の距離を保っている。

その意味が、やっと理解出来た気がした。

ぼんやりと冬夜の事を思い出し、当の本人が居ない事に気付いた。


「あれ‍?冬夜さんは‍?」

キョロキョロと辺りを見回しても、冬夜の姿が見えない。

「あぁ...。多分、写真を撮りに行ったんだろう」

遙は答えるとお茶を入れ始めた。

(冬夜さんは...心配してくれなかったんだ...。又、足手纏いって言われちゃうな)

しゅんっと幸太が落ち込んでいると

「安心したんだろうな。

冬夜、幸太を連れて来なきゃ良かったって落ち込んでたから...。はい、お茶」

遙がそっとお茶を差し出す。

「えっ‍?」

幸太が驚くと

「自分はやっぱり、不幸しか招かないって...。ほとんど寝てないんじゃないかな‍?」

遙はそう言って微笑んだ。

「あいつはそういう奴だからね」

遙の言葉に背中を押されるように、幸太は布団から飛び起きる。

着ていた浴衣を脱ぎ、自分の洋服に身を包むと家を飛び出す。

何故か、道は身体が知っていた。

そして何故だか冬夜が居る場所も分かっていた。

寝ていた家から10分位歩いた場所に湖はあった。

湖の畔に、真っ赤な桜の木が鎮座している。

本当に血を吸い取ったような、真紅の桜。

その木の下でカメラを抱えて眠る冬夜の姿が見えた。

幸太が思わず笑みを浮かべて歩み寄ろうと踏み出した瞬間、冬夜の目の前にこの世のものとは思えない程に美しい美貌を持った人物が立っていた。

眠る冬夜の頬に触れ、まるでキスをするかのように顔を近付けるその人物に近付こうとした幸太の足元で『パキ』っと枝が音を立てた。

その時、ゆっくりとその人物が振り向いた。

幸太はあまりの恐ろしさに息を呑む。

その人物の頭には、2本の角が出ている。

その美貌は血が通っていないかのような、まるで深海の底のように静かで冷たい。

ゾッとして後退る幸太を見て、鬼は小さく笑う。

「何だ、お前か...」

何処か懐かしいような声が聞こえる。

「お前も帰って来たのか」

鬼が優しい声色で呟き、幸太にゆっくりと微笑む。

威圧などされていないのに、身震いが止まらない。

何故、冬夜はこんな状況で寝ていたられるのかと幸太は疑問に思いながら後退る。

その様子を見て、鬼が一瞬悲しそうに笑った。

「何だ...人は転生すると、変わってしまうのだな」

寂しそうに呟き、鬼が天を仰いだ

「1000年...1000年も待った。やっと自由になれるのだ。

それを邪魔するなら、例えお前でも許さぬ。心しておけ」

ゆっくり幸太を見つめ、鬼はそう言い残して霧のように消えてしまった。

幸太は慌てて冬夜に近付き、頬に触れた。

(温かい...)

ホッと溜息を着くと、冬夜がピクリと瞼を揺らしゆっくり目を開けた。

「野田?」

ポツリと呟き、幸太が自分の頬に触れているのに気付いて眉間に皺を寄せる。

「お前...俺に気があったのか‍?」

真顔で言われ、幸太が状況を把握する。

慌てて触れていた手を放すと

「ちっ、ちちちちち違いますよ!死んでるのかと思って、触っただけです!」

そう言って冬夜から離れる。

「なんだよ~、お前。俺の事、好きだった訳‍?」

冬夜はからかうように笑いながら、幸太の肩に腕を回して顔を近付けて来る。

(わぁ~、近い近い!)

幸太は動揺しながら、必死に顔を逸らす。

視界に入る冬夜の整った顔立ちに、幸太は思わず嫉妬した。

(男の僕が見ても、本当に整った顔をしてるもんな~...冬夜さん。

きっと僕も、女性だったら惹かれずにはいられない...)

ぼんやりそんな事を思って悲しくなった。

幸太は生まれつき童顔で、幼く見られるのもさることながら、顔立ちが中性的な事から同級生に「女男」ってからかわれていたのを思い出す。

せめて身体だけでも鍛えようとあれこれやってはみたものの、思った効果が得られずに諦めたのだ。

そんな事を考えていたら、段々悲しくなって来た。

落ち込み始めた幸太の顔を覗き込むと、冬夜が「プッ」と吹き出す。

その様子に腹が立ち

「な!何が可笑しいんですか!」

怒って立ち上がると、冬夜が幸太の額に軽くデコピンした。

「痛っ!」

びっくりして叫ぶと

「お前ってさ、本当に赤くなったり青くなったり...。」

クックックッと喉で笑う冬夜に、幸太は頬を膨らませる。

「冬夜さんはすぐ僕を馬鹿にするんだから!」

怒って呟いた幸太に、冬夜は笑いながら

「悪い、悪い。嫌さ、俺は羨ましいよ。

そうやって表情が顔に出るって、良いと思うけどな」

涙を拭って答えた。

「そんな事言って、本当は馬鹿にしてる癖に!」

冬夜の言葉に幸太が反論すると、冬夜は少し遠い目をして

「俺みたいに分かりにくいと、たくさん誤解されちまうんだよ。

だから、本当にお前が羨ましいけどな...」

そう呟いた。

完璧だと思っていた人にも、コンプレックスがあるんだとぼんやり幸太が考えて居ると、『カサッ』と物音が聞こえて振り向く。

「‍?どうした‍?」

幸太の反応に、冬夜が不思議そうな顔をする。

「嫌...今、誰か居たような気がするんですけど...」

音のした方に視線を投げる幸太に、冬夜が

「気のせいじゃないのか‍?」

と言いながら、ゆっくりと立ち上がる。

「さて、そろそろ帰るか。遙1人、残して来たんだろう‍?」

冬夜はそう言って歩き出した。

幸太は音のした方をもう一度見ると

「そうかなぁ~‍?」

と呟き首を傾げると、スタスタと歩いている冬夜の背中を追いかけるために走り出す。

「あ、待って下さいよ~!」

走って追いかける幸太に、冬夜は1度立ち止まると

「おせ~よ!」

と笑いながら答えて再び歩き出した。


この時の2人は、まだ気付かなかった。

ゆっくりと、しかし確実に1000年前に封印された筈の時間が動き始めた事を...。


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水鏡 湖村史生 @Komura-1104

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