Chapter2-episode 31

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 目を覚ましたとき、あたりは既に真っ暗だった。ゆっくり身を起こせば、そこはベッドではなく無骨で何のかわいげもない手術台の上に寝かされていたことがわかった。ルカにとっては、その状況について今更驚くこともなかった。

 ここはバベルの店の奥、作業台の上だ。メンテナンスを受けるときはいつも、ここに寝かされる。ここにいるときだけは、ルカはただの物言わぬ金属の塊に戻った。

「……目が覚めましたか、ルカさん」

 ふと不機嫌そうな声が響いた。そちらに目を向ければ、傍らの椅子には白髪の少年が足を組んで腰掛けていた。

「ノア……」

 名前を呼んだ声は、元通りに戻っていた。そして、倒れる直前のことを鮮明に思い出す。

「……そっか、オレ……」

 自らの手に視線を落としてぽつりと呟いたルカに、少年はちらりとその表情を見てから言った。

「覚えているなら何よりです。……まあ、まずは僕よりもあの人と話したほうがいいと思いますけど」

 ノアは操作していた端末を仕舞うと特に何の感情もない声音で続ける。薄闇の中で、彼の青紫色の瞳が静かに煌めいて見えた。

「泣いてましたよ、アリスさん。まあいきなり人が倒れれば驚くのも無理はないでしょうけれど。とりわけ、あの人はそういうのに慣れてなさそうですしね」

 ルカは、自分のことでアリスを泣かせたという事実に何も言うことができなかった。ノアは打ちひしがれた様子の青年にひとつため息をついた。

「……だから早く言っておけと言ったんですよ。こうなる前にね」

 たっぷりの沈黙のあと、ルカは彼らしくもなく弱々しく呟いた。

「……どうしてか知らないけど、アリスに知られるのが怖かったんだ」

 続けた声は、柄にもなく震えていた。

「────オレが、本当は人間じゃなくてアンドロイドだってこと」

 機械の自分の声が震えるなんて人間みたいで、場違いなほどに滑稽に思えた。おかしくていつものように笑い飛ばしたかったのに、今日は何故か上手くいかなかった。

 ノアは仄暗い部屋の中でそんなルカの顔をじっと見た。それから、密やかに言った。

「……本来なら、機械のあなたが恐怖という感情を覚えたことに対して祝福のひとつでも言うべきなのかもしれませんけど」

 少年はそこで椅子から立ち上がった。そして、つとルカの目を見た。逸らせない鋭さと強さのある瞳だった。

「今、それは他人と真っ正面から向きあうことへの逃げの口実にしかなりませんよ」

 ルカは押し黙った。ノアはいつも正しくて迷わない。そのいっそ冷徹なまでの真っ直ぐさが、今はただただ羨ましくて眩しく見えた。

「あぁ、クロムさんたちには連絡しておきました。僕からは以上です。……それじゃあ、あとは好きにしてください、アリスさん」

 ルカはノアの言葉に仰天した。そして、続けて物陰から現れたアリスの顔を見て何も言えなくなる。暗い部屋でもわかるくらい、彼女の目は涙で濡れていた。

「はじめからこの部屋にいましたよ。今回ばかりは気づかなかったあなたの負けですね、ルカさん」

 部屋を出ていく間際に言ったノアの言葉が、やけに大きく響いた。


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