Chapter2―episode30
アリスが事情を話し終えた後、ノアはバベルに向き直った。胸焼けするほど甘いと巷では評判のコーヒーバター味のキャンディをなめながら、彼はつと目を細めた。
「……まあこういうわけですので、こちらとしてはまず〈雪花の騎士団〉との接触を図ろうかと思っています。そのために、アシの着かなさそうな端末をひとつ流してくれませんか?」
しばらく呆けた顔でいたバベルは、ノアの言葉にはっと我に返った様子で頷いた。それから、はあ、と何とも言い難いため息をこぼしてすっかり冷めたコーヒーを飲んだ。
「……また知らんうちにとんでもねえスケールの話に首突っ込んでんなぁ、お前らは」
今度はノアがため息をつく番だった。
「僕としては、とてもご遠慮したいところだったんですけどね」
少年はそこでじろりとアリスを見る。事の発端を持ち込んだ彼女としては肩身が狭く、アリスは苦い笑みをぎこちなく浮かべるしかなかった。ノアはやれやれと軽く頭を振ると、今度はバベルをじろりと見た。
「まったく……毎度思いますが、クロムさんのあの性格はあなたの教育の賜物じゃないんですか」
対するバベルは全力で首を横に振った。
「いや、俺はそこまでしてねえって」
「……どうだか」
焦るバベルと鼻で笑ったノアの会話についていけずにアリスが首を傾げていると、察したノアがぼそりと驚きの補足をしてくれた。
「……言い忘れてましたけど、この人はクロムさんの育ての親ですよ」
「え?……えええええ!?」
アリスはつい大声を上げてしまった。その拍子に危うくコーヒーをぶちまけそうになる。たしかに、そう言われてみれば口調や纏う雰囲気がどことなくクロムと似ている。バベルはアリスの様子に頭をつるりとひと撫ですると大笑した。
「がっはっは!なあに、育ての親って言っても大層なこたしてねぇよ。昔、たまたまスリで失敗したところを拾って面倒見てただけで……っと、あんま本人のいねぇとこでする話でもねぇか」
昔語りを始める前に切り上げたバベルに、ノアは素っ気なく応える。彼はいつの間にやらカウンターの向こう側にいて、先ほどの端末を目で追えないくらいの速さで操作していた。
「いいんじゃないですか?別にそんなの気にする人でもないでしょう」
バベルはノアの言葉に何故かふっと苦笑を滲ませた。それから、すっかり空になったマグをカウンターの端に寄せながらまたつるりと頭を撫でた。
「はは……お前がそう言うってこたぁあいつは格好つけてやがるな。ったく、他のやつらにはいいカッコしたがるんだから困ったもんだ」
アリスとノアがそれぞれにバベルの言葉に首をひねったときだった。不意に開けっ放しだった店の戸口から声が上がった。
「あっ、ルカだー!」
全員がそちらを見れば、何人かの子供たちがわらわらと乱入してくるところだった。彼らは皆一様にルカの周りに群がると口々にお菓子をちょうだいと叫んだ。ルカはそのただ中でにこにこと笑い、ぴょこぴょこ飛び跳ねている子供たちを外へと誘導した。
「あはは、わかったよ!ほら、ここじゃ狭いから外においで!」
嵐のようにやってきた子供たちは全員その後についていく……かと思いきや、幾人かは子供たちに見つからないようにこそこそしていたノアを目敏く見つけて目を輝かせた。
「あー!ノアもいる!」
「ノア、飴くれよ!」
カウンターに手をついて熱い視線を受けているにもかかわらず、ノアは子供に対しても辛辣だった。
「はぁ?やるわけないだろ。これは僕の携行食だ。君たちにあげる義理はない」
筋金入りの甘党に袖にされても、子供たちはまったくめげなかった。それどころかますます飴を欲しがるようになり、ノアのどケチだの、インケンだの、彼らが持ちうる最大級の罵詈雑言をぶつけてくる。恐れ多いことに、ノアに向かってハゲろと誰かが言った声も聞こえた。例え子供だったとしてもアリスには怖くて言えそうにもない。
散々馬鹿にされたノアは、静かに青筋を立てながら傍らのバベルを睨み上げた。どういう教育をしているのか、と言外に言っているのがよくわかる目だった。。
「……バベルさん────」
「わ、悪ぃ悪ぃ、どっかから覚えてきちまうんだよ。だからそう睨むなって!」
バベルはノアが全部を言う前に顔の前で手を振った。その仕草がなんだかかわいらしくて、アリスはくすっと笑ってしまった。
子供たちの襲来をどうにかこうにか退けたノアがバベルと端末について詳しく詰めると言うので、アリスはそっとその場を離れた。実を言えばしばらく頑張って聞いていたのだが、残念ながら彼らの専門的な話は素人にはまったく理解ができなかった。
ロトくらい機械に達者だったら良かったと思いながら店の外に出ると、ちょうど戸口の傍にしゃがんでいた女の子がぱっと顔を上げた。その拍子に、彼女の編み込んだ金髪がふわりと揺れる。何かの部品の欠片と思われる金属片を手に、地面をガリガリと削っているところだった。
「……あれ?ねーちゃんだぁれ?」
アリスは少し警戒感のある彼女の前に同じようにしゃがみ込むと、安心させるように努めて笑った。
「私はアリス。ルカやノアのところにお世話になっているの」
ふぅん、と相槌を打った女の子に、アリスはにっこりと笑みを深めた。
「それより、ねえあなた。かわいい髪ね!自分でやったの?」
少女はアリスの言葉に面食らったようで、少しの間目を丸くしたあともごもごと応えた。
「う……うん」
「すごい!手が器用なのね!」
「そんなことないよ。髪、ちょっと邪魔だっただけで……」
アリスと視線を合わせないまま、彼女は答える。どうやらあまり人と話すのが得意ではなさそうだった。アリスは彼女のペースに合わせてぽつぽつと他愛ない話をした。好きな食べもの、日頃何をしているのか……話していくうちに、女の子の表情も少しずつほぐれていった。
その様子に、アリスはふとひとりの少年のことを思いだしていた。彼も、たしかこの子くらいの年齢だった。パティスリーで偶然出会ったあの黒髪の男の子は、今どこでどうしているのだろう。できるなら、もう一度会って問わなければならない。
────あなたはいったい誰なのかと。
「あっ、メル!こんなとこにいた!これお前の分だぞ!」
そのとき、ぱたぱたと駆けてくる足音があった。見れば、ルカと男の子がこちらにやってくるところであり、男の子のほうはお菓子の包みをふたつてにしていた。それを、どうやら名をメルというらしい女の子に投げて寄越すと、彼女はじんわりと笑った。
「……ありがと」
「よし、そんじゃあ一緒に食おうぜ!」
男の子はにかっと笑うと、何処かへまた駆け出していく。女の子──メルもそれまで握っていた金属片を投げ出すと、立ち上がってアリスをじっと見た。緑がかった青い瞳が、日の光の下で宝石のように見えた。
「……あのさ、ねーちゃん、またここに来てくれる?また……お話ししてくれる?」
アリスはすぐに頷いた。
「もちろん!約束する!」
メルはその日一番の素敵な笑顔でへへっと笑うと、男の子がいなくなった方向へと駆け出していった。
「またね、ねーちゃん!ルカもありがと!」
ルカも笑顔で手を振って見送る。それから、すっかり空になった紙袋を畳むと、アリスを振り返った。
「メルがあんなふうに笑うのは初めて見たよ。アリスはやっぱりすごいね!」
「すごくはないよ。ちょっとお話ししてただけだもの」
「オレからすれば十分すごいよ!」
彼はそこできょろきょろと周りを見渡した。その動きに合わせて片編み込みの髪がぴょこんと動くのがなんだかかわいいとアリスは思った。
「そういえば……ノアは?」
「中でバベルさんとお話し中。専門的すぎて私にはついていけなかったわ」
ルカはそっか!と相槌を打って、ふと押し黙った。遠くのほうに大きな工場でもあるのだろうか、ごうんごうんと機械が動く音が地鳴りのように響いて聞こえる。アリスはいつもなら何か話してくれるルカが押し黙ったことに一抹の不安を覚えた。
「……ルカ、どうしたの?なんか口数が少ないけど……どこか悪いの?」
立ち上がり、彼の傍に歩み寄ってその顔を覗き込むと、ルカは少しの間黙り込んだ。それから、意を決したように口を開いた。
「……ねえ、アリス。あのね、聞いて」
努めていつもどおり話そうとしているその表情が、アリスにはどうしてか今にも泣き出しそうな顔に見えた。
けれども、きっと彼が大事な話をしようとしていることは容易にわかった。空になった紙袋を持った手には力が入り、小さく震えていたから。
「実はオレ、まだちゃんと君に言えてないこと、が、………あッ、テ────」
不意に、彼の声に歪なノイズが混じったのはそのときだった。金属をひっかいたようなそれに、ルカは自分の口をとっさに覆った。
「あ、アレ……こンなトキに、ナンデ……」
「ルカ……?」
金属をひっかいたような、チューニングのあっていない通信機器のような音に、アリスはようやく彼の異変に気がついた。思わず手を伸ばせば、ルカの身体が傾いだ。
彼の心臓からは、モーターの回る音がした。
「ルカ……!?」
体重を支えきれずに一緒に地面にへたり込む。ルカの声はどんどん不快な金属音と混ざり合い、判別がつかないほどになっていた。
「ゴメン、ネ、アリス……バベルを、呼ん、デ……驚カセて、ゴメ……ン……」
ルカの意識がそこで途切れる。アリスの声に気がついたらしいバベルとノアが店から飛び出してくるのが視界の隅に見える。しかし、アリスはただ、ルカの名前を呼ぶことしかできなかった。
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