Chapter2 ― episode29
エアビークルはほどなくしてやってきた。車内にはまばらに人が乗っているだけで、アリスたちは一番後ろの席に陣取った。すぐにドアは閉まり、一瞬大きく揺れた後、お世辞にも天井が高いとは言えない車体は宙を滑り出した。眼下をバイクやスクーターが駆けていくのが見える。さながら機械の回遊魚の群れに迷い込んだかのようだ。アリスたちを乗せたエアビークルは、ゆったりとした速度で空を飛んだ。
「あの……それで、バベルさんっていったいどんな人なの?」
アリスが二人に尋ねたのは、3つ目のターミナルを過ぎたときだった。このときにはほとんど人が降りてしまっていて、車内にはアリスたちと運転席のすぐ後ろを陣取り眠っている男性客以外の姿はなかった。
ノアはアリスの質問に面倒くさそうな顔をした。もう5本目になる棒付きキャンディの包装紙を剥ぎ取りながら、彼は言った。
「……面倒ですから説明は本人がいるところでしますと言ったはずですけど」
キャンディの甘いにおいが鼻先を掠める。彼が飴をなめながら丁寧に畳んだ包み紙には、ポップな字体で“チョコレートケーキ味”と書かれていた。
「バベルはね、修理屋なんだ!あちこちの鉄屑とか集めたり、壊れそうな機械の修理したりしてる!」
アリスの問いに答えてくれたのはルカのほうだった。彼は紙袋を優しい手つきで空いた席にのせると陽気に笑った。対するノアは、またルカが余計なことを言ったと言わんばかりに盛大なため息をついて、渋々補足説明をしてくれた。
「……僕たちもしばしばお世話になっている方です。型遅れの機械を捨てていく連中は多いですから、下層部ではそういうのから使える部品を抜き取ったり修理したりしながら有効利用しているんですよ」
下層部は所得水準が総じて低い。壊れたからといって機械自体を気軽に買い替えることは出来ないし、ここの住人は皆部品が摩耗して擦り切れるまで使う。だから修理屋という存在は、下層部ではとても生活に身近で欠かせない職業となっている。
ノアはそこで、キャンディを加えたまま小さく笑った。それは温かみのある笑顔には程遠く、嘲りのような冷えた笑みだった。
「まあ、あなたはそんな暮らし自体知らないでしょうけど」
アリスは少しの間黙った。それから、小さな声で答えた。脳裏では、最後まで勤勉に働いてくれていた三人のソムリエを思い出していた。〈ウィスタリア〉が爆破の直接の原因が彼らであるとしても、アリスにとっては彼らはクラウス同様大切な家族だった。
「……それなら、知ってるわ。うちのカフェもやってた。古い型のソムリエを修理して使っていたの」
どこか遠くを見るように寂しそうな笑みを浮かべて言った彼女を、ルカは少し心配そうに見た。ノアはそんなアリスの表情を気にする素振りもなく、意外そうに声を上げた。
「へえ……オーナーは理解のある方だったんですね」
「……古いものを大事に使う人だったから。それに、常連さんには機械に強い人もいたし、困ったときにはよく質問攻めにしてた」
アリスは言いながら、あの少し気が弱くて、でもとても心優しかった常連の青年を思った。ロトは今どうしているだろうか。きっと優しい彼のことだ、あんな事件が起きてしまって深く悲しんでいることは想像に難くなかった。また会えたらどんなにか嬉しいが、追われている身となった今は中間層部に戻れない。それに、迂闊に会って無関係の彼を巻き込むわけにはいかなかった。
その事実に、アリスは自分がとても遠いところに来てしまったのだということを改めて実感させられたのだった。
〈ミネッタ・フランチェスカ〉の最寄りのターミナルからエアビークルに乗ること6つめの停車駅で、三人は降車した。そこは工場区画のど真ん中で、目的の修理屋はターミナルからほど近い路地にあった。店というよりは小規模の工場のようで、建物の1階はガレージになっていた。
「バベル!こんにちは!」
ルカを先頭にして修理屋〈ブリューゲル〉を訪ねたとき、店の主人はちょうどエアバイクの修理をしているところだった。バベルは油まみれのつなぎを着ていて、ルカの声に振り返るとにかっと音が聞こえてきそうな良い笑顔を浮かべた。彼はスパナを片手に持ちながらこちらに近づいてきて、空いた手で顔と、ついでにつるりとした頭もタオルで拭いた。
「おう、なんだルカとノア坊じゃねえか。それに……おや、そっちの嬢ちゃんは誰だ?」
アリスはスキンヘッドに若干引きながらも、バベルの目を見て笑って見せた。
「えっと……初めまして。アリスといいます。今はちょっとした縁で〈ワンダーランド〉にお世話になっていて……」
どう説明したらいいのかわからなくて徐々に声が小さくなっていくアリスに代わって口を開いたのはノアだった。
「かいつまんでお話ししたいんですけど、いいですか?あと、頼みごともいくつか」
彼がぶっきらぼうな口調で言っても、バベルはちらとも怒る素振りはなかった。どうやら随分と慣れているらしい。彼はいいぜ、とだけ言うと、三人を店の中へと招き入れた。
店内はひどく手狭で、アリスには何に使うのかさっぱり検討もつかないような部品や、恐らく機械の調節に使われるのであろう油の類いの缶が所狭しと並べられていた。店主は三人に座るように促したが、結局座ったのはアリスだけだった。ノアは既に堂々と店のカウンターの奥にあった端末をいじくっていたし、ルカはどこか落ち着かなさそうにきょろきょろとガレージのほうを気にしていた。
「バベル、子供たちは?お菓子持ってきたんだけど……」
紙袋を抱えて尋ねたルカに、バベルはインスタントコーヒーを用意しながら答えた。ろくすっぽ手元を見ていないのが気になったが、アリスは黙っていることにした。
「ああ、あいつらなら裏のジャンク山で部品集めを頼んだ。行けばいると思うぜ」
「そっか!」
「ルカさん、子供たちのところに行くのはせめてバベルさんに経緯を話してからにしてくださいね」
ノアは端末をいじりながらも早速どこかへ行こうとしていたルカを見逃さない。彼は素直にはぁい、と返事をして壁に背を預けた。バベルは自分とアリスの分のコーヒーをつくったあと、それで、と口を開いた。
「嬢ちゃんはどういうワケありだい?俺ぁこう見えても〈ワンダーランド〉とは付き合いが長くてな、ちょっとやそっとじゃあ驚かねぇから安心しろ」
その言葉に、アリスはルカを見た。ルカはにっこり笑ってノアを見た。ノアは二人分の視線を受けて、ため息をついた。この馬鹿みたいな視線リレーは何だというのだ。たぶんアリスは本当に話して大丈夫なのかということを暗に訊きたかったのだろうが、生憎ルカは彼女の視線の意味をわかっていない。
「……大丈夫ですよ、バベルさんの言っていることは本当です。口が堅いことは僕もよく知ってます」
アリスはノアの一言にようやく安心したように頷くと、インスタントコーヒーに口をつけてから口を開いた。本当は死ぬほど苦かったのだが、厚意で淹れて貰った以上は飲まなければと思うところがアリスの真面目なところである。
「……あの、バベルさんは先日中間層部で起こった事件についてご存じですか?」
そして、アリスが全部を語るころにはバベルの口は開いて塞がらなくなっていて、彼女の味覚は麻痺して数倍苦いはずのコーヒーも飲めるようになっていた。
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