Chapter2 ― episode28
翌日。
アリスが待合室に向かうと、そこには既に先客がいた。ノアは彼女がやってきても視線すら合わせず、ソファに腰かけて端末をいじっていた。端末で何かのゲームをやっているようで、画面をタップする速さが尋常ではないのもまた話しかけにくさに拍車を掛けていた。アリスはやはり彼との距離感が掴めないまま、何となくその場に突っ立っていることとなった。
「……おはようございます……」
しばらくの沈黙を挟んで、静けさに耐えかねたアリスはおそるおそる挨拶をしてみた。勇気を出したそれも、ノアは鮮やかに無視する。……かと思いきや、今日の彼は珍しくアリスの言葉に応えてくれた。
「おはようございます。……先に言っておきますが」
ノアはそこで端末を閉じると、真正面からアリスを見上げた。
「戦闘面に関しては僕に何かを期待しないでくださいね。見ての通り僕はそういうの苦手なので。もし敵襲されても、僕は真っ先に逃げますからそのつもりで」
少年は一気にそう話したが、アリスの顔を見て苦い顔をした。
「……なんでちょっと意外そうな顔するんですか?僕が素直に認めたことがそんなに予想外でしたか?」
対するアリスは、思わず自分の顔に手をやった。顔に出さないようにしていたつもりだったのだが、思いの外出ていたらしい。この負けん気の強そうな少年が自分のできないことを素直に認めたのが、アリスには心底意外だったのだ。
ノアはため息をついて、今にも言い訳しそうな彼女に言った。
「……繕わなくても結構ですよ。いくら僕でも苦手分野くらいあります」
しかし、ここで終わらないのがノアだった。彼はとんとんと指先で自分のこめかみを叩くと不敵に笑った。
「まあ、そのぶん僕は頭と技術で勝負しますから。そちらでなら、援護してあげてもいいですよ」
アリスはその言葉に呆気にとられた。何と迷いのない言葉だろうか。
「……ノアさんは、自信家ですね」
思わずこぼれたアリスの言葉にも、ノアは自信満々な表情で一笑に付した。
「僕が持てる武器は頭くらいですし。自分の長所くらい自信がなくてどうするんですか」
彼はそう言うと、提げていたウェストポーチから飴玉をひとつ取り出すと口に放り込んだ。それから、再び端末を動かし始める。言うだけのことは言ったということらしい。
いっそ傲慢にさえ見えるその態度を〈ワンダーランド〉の皆が目をつむっているのも、きっとその自信が嘘ではないとわかっているからなのだろう。アリスには、自分で誇れるほどのその強さがひどく眩しかった。
再び落ちた沈黙は、しかしすぐに破られることとなった。不意に落ち着きがなくなったノアが、ぼそぼそと付けたすように口を開いたからだ。
「……あと……僕に敬称はいりません。丁寧に話さなくたっていいです」
アリスが目を丸くしてノアを見ると、彼は居心地悪そうに指先で首から下がったヘッドフォンのコードをいじる。それから何故か睨みつける勢いでアリスを見た彼は、怒ったようにまくし立てた。
「あ、あなたのほうが歳が上でしょう?なら、余計な気遣いは嫌いなんです!!」
「えっと……それじゃあ、ノアくん?でいいかな……?」
言葉の強さそのままに、ふいっとそっぽを向いた少年に面食らったアリスだったが、顔色をうかがうように呼んだ名前に彼がちょっと嬉しそうな顔をしたのは見逃さなかった。どうやらこのつれない態度は照れ隠しらしいとわかり、アリスはなんだか目の前の少年が急にかわいらしく見えた。まるでまだよその人に慣れていない猫のようだ、とは口が裂けても言えないが。
「おはよう!二人とも!」
ルカがやってきたのは、そのときだった。昨日ラッピングを手伝ったお菓子がたくさん詰まった紙袋を抱えて現れたルカに、ノアは呆れた声を上げた。
「……またそれ持ってくんですか?」
ルカはいつもの陽気な笑顔で頷いた。ノアのつっけんどんな態度も、彼の前では通用しないようだ。
「うん、そうだよ。皆にあげるんだ!あっ、もしかしてノア食べたかった?」
その瞬間、ノアはがたん、と立ち上がった。そしてはっと我に返って顔を真っ赤にした。どうやら図星だったようだ。
「ちっ………違いますよ!!」
アリスもルカも微笑ましい顔をしているのが気に食わないノアは、その場で地団駄を踏む。ルカはまあまあと彼をなだめながら紙袋からお菓子の包みを一個手渡した。……いや、厳密に言えば結構強引だったので押しつけたといったほうが正しいかもしれないが。
「なっ……ル、ルカさん!!子供扱いはやめてくださいって!!」
「いいのいいの、余計につくったしね」
わしわしとノアの頭を撫でた後、ルカはアリスに向き直ってにっこりと笑った。
「さあ行こうか、アリス!」
「え、ええと……」
「人の話は最後まできいてくださいよ!!」
どこまでもマイペースなルカに、ノアの怒声が響いたことは言うまでもない。
こうしてどうにか〈ミネッタ・フランチェスカ〉を出発することとなった三人は、目的の店があるという区画まで格安運賃のエアビークルを使うことにした。いくつかのルートを周回しており、〈ゼルトザーム〉では馴染みの交通機関のひとつである。人々の生活の足として欠かせないのは何処も一緒なのだなとアリスは思った。
〈ミネッタ・フランチェスカ〉を出て十分ほど歩くと、屋台と雑居ビルが立ち並ぶ視界に突然鉄骨がむき出しの背の低い鉄塔が現れた。それはビルの非常階段だけがその場にあるような奇妙なつくりをしており、その屋上にはまばらに人の姿が見える。あれがエアビークルに乗るためのターミナルだ。ターミナルは各所でデザインが違うため、全所制覇したり撮影に凝ったりする一部の根強いファンがいると専らの噂である。
しかし、アリスの目の前にあるこのターミナルはどう見てもデザインを考えた訳ではなさそうな錆があちこちに浮いていた。途中で階段の板を踏み抜いたりしないか心配になるレベルである。
「ね、ねえ、このターミナル大丈夫?倒れたりしない?なんかところどころ赤錆びてるんだけど……」
「そんなわけないじゃないですか。さっさと行きますよ」
顔を引きつらせるアリスの横を、ノアが鼻で笑って上っていく。アリスはとっさにルカを仰ぐが、彼もまたにっこり笑って彼女を置いて行ってしまう。彼女は少しの間この出来の悪いアトラクションのような造形のターミナルを睨みあげていたのだが、最後にはとんてんかん、とまばらな靴音が遠くなる怖さのほうが勝った。アリスはどうにでもなれ、と自分に言い聞かせて大きく息を吸い、最初の一段に足をかけた。
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