シンクロニシティ・ハルシネイション

畳屋 嘉祥

シンクロニシティ・ハルシネイション





 どうやらこの仕事は、気付かせることが命題のようだ。




 ◇




 取材と銘打ち彼らに話を聞いて曰く、アイドルというものは他者に夢を見せるのが本分であるらしい。


 具体的にどのような夢か、と彼らに問うたら小一時間ほどアイドル論を語り聞かされたのだが、その内容については些か以上に語り手の主観と偏見が注がれていたため、仔細は割愛させていただく。

 さて、長々しい彼らの語りを私なりに咀嚼した結果、アイドルという存在が見せる夢は一種の『物語』である、という結論に達した。


 はつらつとした笑顔を浮かべ、黄色い愛嬌を振りまき、歌とダンスでファンを魅了する。

 一般的なアイドル像といえばそういったものであろうが、彼ら――つまりはアイドルファン――からしてみれば、そのようなものは些事であるのだ。


 容姿の良し悪し、歌唱力の有無、楽曲やパフォーマンスの完成度。

 これらは、不特定多数がそのアイドルに関心を持つための間口の広さには深く関わるものの、一度ファンとなった人間からしてみれば然して重要なものではない。

 理屈は明快である。表現は悪くなるが、惚れた目にはあばたもえくぼということだ。熱狂とは全面的な肯定に他ならない。

 ここでそもそも、という話になる。そも彼らがアイドルに惹き付けられた理由は何なのか。


「どれだけ下手でも、一生懸命全力でパフォーマンスするみーりゃんのスタンスに心打たれた」とはA氏(フリーター・二十一歳)の証言。

「ライブをやるたびにぐんぐん進化していくあゆたそには感動させられっぱなし」とはB氏(営業職・三十七歳)の証言。

「見るたび、会うたびにみんな成長している。まるで娘を見ている気分です。私未婚ですけど」とはC氏(自営業・五十歳)の証言。


 注目すべきはスタンス、進化、成長という言葉である。

 つまり彼らは表面的な魅力――容姿や歌唱力、パフォーマンス力――でアイドルたちを評価しているのではない。

 どちらかといえば内面、人格にかかわる部分。つまりは『人間性キャラクター』に惹かれているのだ。 

 さらに言えば、その人間性キャラクターを持ったアイドルがどのような道を歩むのか、という『成長過程ストーリー』にこそ意味を見出している。


 つまるところ彼らは、そのアイドルらの今一つな容姿と未熟なパフォーマンスに熱狂しているのではなく。

 彼女たちのパフォーマンスや言葉から滲む人間性、成長過程――つまりは『物語』に胸を打たれているのだ。


『解説に感謝。職業としてのアイドルは歌唱・ダンスに加えて個々人のパーソナリティ・経歴に価値を付随し顧客へ提供しているものと理解』


 ああ、念のため。これは私の個人的バイアスを経た結論だということをお忘れなく。


『注釈に忠告。当初より我々の要求はヒトの視点・思考を仲介した情報の提供である』


 それもそうか。というより、私風情が君たちに客観性を説くのは些か傲慢というものだな。釈迦に説法、孔子に悟道。


『謙遜に反論。我々は接続対象:佐藤太郎を、平均値以上の客観性を有する個体と認識している』


 これはこれは。百年もヒトを学べばそういった言葉も覚えるのか。まあ、世事として受け取っておこう。


『韜晦に反論。情報に基づく事実である』


 ……なかなか頑固なんだな、君たち。


 頭に響く無機質な声とのやりとりをそこそこに、車内から吐き出される人ごみに揉まれながら、ホームへと降り立つ。

 ライブイベントへの期待を口々に語る声が雑踏とともに渦巻いている。期待感に溢れている、というところか。

 ふと見れば、ホームの電光ボードにアイドルたちの踊る姿が映し出されており。


「みんな! 今日は私たちのライブに来てくれて、どうもありがとう!」と、スピーカーを介して響くアイドルの声。


「……随分と、凝った仕掛けを作るものだ」


『工夫に関心。ディティールにまで波及する稀有な例と認識』


 それだけだということだろう。同じヒトとして、私も驚かされるばかりだ。

 などと詮無い感想を精神内で言い合いつつ、人の流れのままにエスカレーターへと歩を進める。

 定刻通りに発車を告げるアナウンスが、雑踏に負けじとホームへ響いた。




 ◇



 

『解説を追加。概念として近似するのは反射ノイズである』


 ではやはり、君たちが原因という理解でいいのか。


『否定は不可。ただし意図的な干渉ではないと弁明。生命活動、生体反射に近似する活動である』


 なるほど、つまりコントロールは出来ないと。それは困ったものだ。


『影響に謝罪』


 今更だ。私は気にしていない。他はどう思っているか分からないが。


『敵意が多数。我々が諸悪の根源であるとの認識が現在における全接続対象の九十六・〇二八パーセントを占める』


 気の毒だな。事実そうなのだから仕方がないが。そして、敵意を抱きながらも君たちと『付き合い』を続けなければならないというのもまた事実。致し方のない、ね。


『影響に謝罪。我々はヒトとの友好を望む』


 さて、それをヒトの一個体に過ぎない私に言われても困るな。こちらとしては引き続き対話に努力してくれ、としか言えないわけだが。


『提言に感謝。我々はヒトとの友好を望む』


 ……などと、事実確認をしつつ脳内で会話を交わす。期待に胸膨らませる観客たちのざわめきが、少しうらやましくもあった。

 残念ながら、今日は仕事だ。ライブを楽しむためにこの席に座っているわけではない。本来なら胸躍るのであろう開始までの待ち時間も、私からしてみれば暇でしかない。

 そんな中の時間つぶしに、精神での対話はうってつけだった。

 私もまだまだ新参である。基本的なことの確認は必要であった。情報の共有はコミュニケーションの基本であるからして。

 薄く照明の灯った中、やや後方右寄りの座席にて、幕の下りたステージをぼうっと見つめながら、見えない『彼ら』との会話に耽る。……すると。


『変化を確認。イベントの開始と推測』


 照明が落ち、やや耳障りなブザーが鳴り響く。どよめきの中、前口上のアナウンスが会場内に流れ始めた。




 ◇




 それは歓声というよりも爆音に近かった。全力の叫びが数千人分も重なるのだから、当然のことか。

 大音響で響く支離滅裂な歌詞とポップなメロディ。音程が取れているかどうかは原曲を知らないので分からないが、少なくとも上手くは聞こえない。

 パフォーマンスの様子は良く見えなかった。距離の関係もあるが、周囲が総立ちで騒ぎ倒す中、一人座席に座っていればステージの様子など分かるはずもなく。


『想像を超越。ヒトの所有し得る熱意に驚愕を禁じえない』


 同感だな。私にも理解の及ばない領域だ。理屈は分かっていても共感は出来ない。


『非常に関心。未だ我々はヒトを理解するには程遠いと再認識』


 百万年単位でヒトと接してきたヒト、私たち自身が理解できないんだ。そう簡単なことではないだろうさ。

 ……それはそうと、手筈通りならばそろそろ『応援』が来るはずだが。

 と、考えを巡らせたからかどうかはわからないが。その瞬間に変化は起こる。 


 ――――メロディが、ぴたりと止まった。


 一瞬の驚き。歓声がどよめきへと。何が起きた、機材トラブルか。戸惑いが波のように広がっていく。

 きっかけとしては、それで十分だった。


『助力に感謝』


 全くだ。姿は見えないが感謝は必要だな。後で連絡しておこう。


 席を立ち、戸惑う観客の間をすり抜けていく。幾度か誰かに肩をぶつけたが、当然のことながら難癖を付けてくる人間などいない。

 客席通路に出て、まっすぐステージへと歩いていく。舞台の上では、バックミュージックのないままアカペラで歌を歌い始めた三人の少女。

 歌の名前は知らない。彼女らのグループ名も分からない。それは全くもって当然の事実であり。


 すごい、やっぱり最高だ、との声。音響トラブルにもめげずにパフォーマンスを続ける彼女らにファンは歓喜し歓声を上げる。

 そんな彼らを尻目に、私はステージ前にたどり着いた。監視のスタッフの横をするりと通り、舞台脇の階段へと歩を進める。 

 誰も気づかない。誰も止めはしない。それは全くもって当然の事実で、故に。


「――――な、なんなんですか貴方!?」


 その声に誰より不意を打たれたのは、何を隠そう私自身であった。




 ◇




 ライブが止まる。ステージが止まる。観客が止まる。全てが一瞬のうちに凍り付く。

 これには私も戸惑いを隠しきれない。『接続』されてから今日まで、大概のことには驚かないつもりでいたのだが。

 動いているのは私と、もう一人。……不安げな顔でステージにたたずむ、黒髪の少女。


『認識の凍結。あるいは現状の拒否。起こり得ない事象に対して情報処理を行うためにSHの時間軸が一旦停止していると推定』


 起こり得ない事象……待て、何故彼女自身がそれを認識できる。


『仮説を提言。対象は接続の前段階と推定。対話及び交渉の必要性が浮上』


 これは……厄介な事になった。つまりは何か、私が目の前の少女に対して全てを説明し、納得させる必要があると?


『質問を肯定。重要な責務と認識する。交渉失敗はSHの暴走を招く危険性あり』


 ……なんともはや。SH単体を無力化すればいいだけと思っていたのだが。

 新参の私がそのような大役を仰せつかるとは。全くもって気が進まない。

 気が進まないが……これも致し方のないことか。ある意味、こういった事態が仕事の本分、本質だということなのだろう。

 静けさの中、スポットライトに照らされたステージへと、一歩踏み出す。


 どうやらこの仕事は、気付かせることが命題のようだ。




 ◆




 追いかけていたものに、なりたかったものに、手が届いた。


 叶いっこないって思ったけど、それでもどうしたって諦めきれなくて。

 ダメもとで事務所のオーディションを受けたら、なんの偶然か合格しちゃって。

 受かったんだから必死で頑張らなきゃって思って、気合い入れなおして。


 ……同期の子たちと顔を合わせて一発目に、自信がなくなった。

 だってみんな可愛くて、きれいで、元気いっぱいでキラキラしてたから。

 とてもじゃないけど、敵わない。どこにでもいる普通の子が、こんな子たちと並べるわけないって思って。

 それに、歌も踊りも経験がなかったから、レッスンにだってまともに付いていけなかった。


 泣いた回数は、一回や二回じゃきかない。何度も何度も折れそうになった。

 レッスンについていけないから、毎日毎日居残りで練習して。毎日毎日へとへとで。

 喉が痛めばダンスレッスン。体が痛めばボイストレーニング。休んでる暇なんかちっともなかった。

 

 それでもなんとかやっていけたのは、たぶん二人のおかげで。

 一緒に頑張っていこ、って。みーちゃんがいつも励ましてくれたから元気が出たし。

 上手くなったじゃん、って。あゆちゃんがたまに褒めてくれたからやる気も出たし。

 わたしは二人に支えられて、なんとか立ってるんだなって。情けなく思う時もあったけど。

 だからこそついていかなくちゃって、応えなきゃダメだって、思って。


 だからその日は、そんな毎日の辛さとか頑張りが、報われたんだって思った。

 デビューが決まったって。みーちゃんとあゆちゃんと私、三人組のユニットで。

 その日は三人で泣いて喜んだのを覚えてる。ありがとう、頑張っていこうねって、言い合ったのを覚えてる。

 トップ目指そうねって、誓い合ったこと、今でも覚えてる。


 デビューしてからも、平坦な道ってわけじゃなかった。

 宣伝のチラシを自分たちで配って路上ライブ。最初はだれも立ち止まってくれなかった。

 ライブハウスでのイベントに参加させてもらった時も、全然お客さんを盛り上げられなかった。


 それでもあきらめずに、三人でずっと頑張ってきて。

 ファンの人たちも少しずつ増えていって。地方のイベントにも呼んでもらえるようになって。

 初めてお手紙をもらった時は泣きそうになった。「頑張って」の一言がこんなに力になるなんて思わなかった。

 そうやって、いろんな人に支えてもらいながら、わたしたちは頑張って、頑張って、頑張って。


 ――――やっと、こんなに大きな会場でライブさせてもらえるようになった。

 そう思ったのに、これは、なに? どういうこと、なの。


「恨むならば世界のどこかにいる彼らを恨んでくれ」


 スーツ姿の男の人。眼鏡の奥の二つの目は、とても冷たいように感じられた。

 冷たい人に決まってる。酷い人に決まってる。だって、だって――――


「全ては、幻覚に過ぎない」


 ――――こんなひどいことを、言うのだから。




 ◆




 発端からあれこれと説明すると長くなるので割愛しよう。

 まず端的に、今現在地球上に存在する人類は一切の例外無く、とある精神存在にされている。


 彼らは今から百年ほど前に地球上へ漂着し、我々人類へ向けて浸食を開始した。

 彼らの目的はひとつ。地球上に住まう高度な精神を持つ存在――つまりは人類――を理解することだ。


 彼らに敵意はない。純然たる精神存在である彼らには、ただ私たちを理解したいという思いがあるだけだ。

 浸食という言葉も便宜上用いているだけであって、その行為自体には何ら異常を引き起こす要素はない。

 しかしながら、浸食による副次的効果。これは人類にとって悪影響を与えるものであった。


 ヒトの集合無意識、というものは知っているだろうか? ……分からなければ精神の核、とでも言い換えよう。

 彼らは、ヒト一人ひとりが持つその精神の核へと端末を植え付け、その端末を介して精神情動を解析――つまり人類を理解しようとした。


 その過程において、急激かつ大きな精神情動――例えば妄想や幻覚などを彼らが受信した場合、その幻覚に起因する一種のノイズが発生することが判明したのだ。

 一人の過剰な精神情動により発生したノイズは、彼らを介して別の端末――つまり別の他者へと伝播してしまう。

 ……ここまで言えば察しは付くだろうか。


 。それが、彼らの浸食活動による副次作用であったのだ。




 ◆




「それらを総称して私たちは共時性幻覚Synchronicity Hallucination、と呼んでいる。

 ここまでは理解してもらえただろうか」

 

 意味が分からない。言葉を飲み込めない。わからない。わからない。


は、君の妄想・幻覚が他者に伝播した結果に過ぎない。繰り返すが、これは全て幻だ」


 話の内容がうまくかみ砕けない。言っていることに理解が及ばない。わからない。わからない。


「本当の君は、この会場を埋め得るほどの人気アイドルではないのだろう。いや、もしくはそれ以前に――――」


「――――やめて!」


 口から出た言葉は、自分でも驚くほどに逼迫していて、甲高かった。

 わからない。わからない。意味が分からない。理解できない。この男の人は何を言っているのか。

 頭を抱えてうずくまる。脳の奥がずきずきと痛む気がした。……それはまるで何かが、わたしの頭の中でうごめいているみたいで。


「わからない、わからない、わからないわからない知らない理解できない呑み込めない理解できないわからないわからない」


 知らない間に口が動く。勝手に言葉を吐いていく。

 

「いいや、君は気付いている。自分の思い通りに世界が進んでいたことに」


「……思い、通り?」


 何もわからない、わからないけれど――――その言葉だけははっきりと理解できて。頭が真っ白になるほどの、怒りを覚えた。


「思い通り!? ふざけないでよ! わたしたちがどれだけ頑張って、つらい思いしてここまで来たと……!」


「それもまた君の望んだ通りの道のりだった。……そうだとも、アイドルには『物語』が必要だ」


 その言葉に、心がぐらりと揺さぶられる。なんで、違うのに。……否定が、出来ない。


「売れているアイドルは皆大なり小なり苦労を負っている。そしてそれを強みに変えている。

 そのことを君はよく承知しているのだろう。だからこそ妄想にした、幻覚にした」


「違う、違うの! だってわたしは、ほんとうに――」


「トップアイドルの何たるか。君はそれを客観的に知っている。造詣が深いのだろうな、恐れ入る。

 わざわざ自分に対して苦難を与える妄想を展開するのだから、その熱意も本物なのだろう。だが――――」


 ――――それ以外は? 疑問の壁に突き当たった時、わたしの心はぴたりと止まる。

 ああ、この人の言葉を否定できない自分がいるのは確かだった。

 そうだ、どこか頭の片隅で、わたしは気づいていたのかもしれない。

 妄想、幻。整いすぎたストーリーライン。音響が故障してもアカペラで歌う? ああ、よくあるアイドルの感動話じゃないか。

 そうなのかもしれない。いや、そうなんだろう。認めたときに、なにかがどこかで折れる音がして。


 これは幻。これは妄想。認めなきゃいけない、けれど。けれど――――



「じゃあ、なの?」



 妄想と現実の境界。当然の疑問が、浮かび上がる。――――それを口にした瞬間、不安と恐怖が一気に押し寄せてきて。


「ねえ、がわたしの妄想!? このライブは嘘、人気も嘘、それはわかるし認める! だけど、なら! !?

 境目はどこ!? 曲は、アルバムは、ユニットは!? もしかして初めから――――」


「それは分からない。分からないが……確かめることは可能だ」


 咄嗟に縋りついたわたしに対してその人が吐いた言葉は、ある種の救いであって。

 ――――同時に、とてもとても辛い、責苦でもあった。


「妄想し得ないものは幻覚として生み出せない。同時に、知識は妄想の枷になる。故に、君には決してものがある」


「生み出せない、もの……?」


「君はトップアイドルを理解している。楽曲やユニット名に戦略や意味が込められていることも理解している。

 だからこそ。……どういうものに人気が集まるのかを知っているからこそ、人気足りうるものをことが出来ない。生半可ではトップ足りえないと君自身が知っているからだ。

 その上で。――――先ほど歌っていた曲。もう一度歌ってはくれないか」


 それなら簡単だ、と口を開こうとして、わたしは絶句する。

 。歌詞が、メロディが、ちっとも頭に浮かんでこない。なんで? さっきまで歌ってたのに。


「なら、曲のタイトルは」


 続けざまに聞かれて、答えようとして……何も言葉が出ないことに愕然とする。

 どう、なってるの? さっきまでステージで歌ってたのに、曲名すら出てこないなんて。


「他の曲は。タイトルでも歌詞でも何でもいい。アルバム名でも構わない。一つでも答えられるだろうか」


 なぜ、なぜ? 頭の中に疑問符が飛び交う。ひとつも、ただの一つも出てこないのは、どうして?

 何曲もあったはず。アルバムだって何枚か出てるはず……? なんでわたし、そんなあやふやな言葉を使って……。

 待って、嘘、嘘、こんなに……ここまで、嘘なの? 妄想なの?


「ユニットの名前は」


 言えない。出て、来ない。すらりと出て当たり前のことが、何一つ。

 隣にいるみーちゃんとあゆちゃんと、三人で頑張ってきたはず、なのに。

 ……そんな大切なユニットの名前が、思い出せない、なんて。


「いや、いや……」


 聞きたくない、信じたくない。ここまで、こんなにも嘘だったの? 全部が全部私の妄想? 幻覚?

 いやだ、いや、いや、もういや。何も信じたくない、受け入れたくない。


「貰ったファンレターの内容は」


 聞かないで、もう聞かないで。


「出演した他のイベントの内容は」


 わかったから。全部嘘だって。だからもう、もう――――喋るな。

 

「その二人――――ッ」


 言葉が止まる。湿り気のある音が響いた。少しして、ぽた、ぽたと何かのしずくが落ちる音。

 目の前の光景に、目を疑った。……目の前に立つ、スーツ姿の男の人。

 ――――彼の喉に、見えない『何か』が、突き刺さっていた。

 

「ひっ――――」


 悲鳴にすらならなかった。初めて見る大量の血に思考が白く染まる。

 ワイシャツとネクタイとジャケットと、とにかく全てを染めている真っ赤な液体。だらだらと、止めどなく流れている。

 このままじゃ死んじゃう。助けないと。そう思うけれど同時に、彼を助けたら聞きたくないことまで聞かなきゃならないと思って。

 足が、動かなかった。手も口も動かない。黙ったままに彼が血を流し続けるところを、わたしは見つめていて。だから。


「…………手荒な、ことだ」


 信じられなかった。なぜ彼は言葉を発することが出来るのか。わたしは

 ――――その自分自身の思考が、とても恐ろしくて。ああ、わたしは、わたしは。

 妄想で、幻覚で、他の人を巻き込んで、それを分かってて、それでも巻き込み続けて。なんて、なんて、最悪。

 

「あと、一つだけ、聞きたい」


 荒い息で、血を吐きながら、彼はわたしへと問いを投げようとする。

 もういい、もういいの。わかったから、わたしが全部悪かったから。全部、全部わたしの妄想だから。もう追い込まないで、追い詰めないで――――


「――――隣の二人のことは、わからないのか」


 聞かれて、それだけは分かったから。忘れるはずなんてなかったから。すぐに答える。


「みーちゃんとあゆちゃん……高瀬みのりちゃんと名波歩美ちゃん。わたしのいちばんの友達で、いつもわたし支えてくれた大切な二人」


 言ってから気付く。そう、そうだ。みーちゃんとあゆちゃんのこと、わたしちゃんと覚えてる。

 喋ったこと、遊んだこと、一緒にレッスンしたこと。みーちゃんがレッスンシューズ忘れてトレーナーさんに怒られたこと。あゆちゃんに遅くまでステップの練習付き合ってもらったこと。

 みーちゃんはいっつも明るくてキラキラしてるけど、たまに落ち込むことがあって。そんなときは一緒にカフェに行ったりして慰めてあげたり。

 あゆちゃんは自信家で努力家だけど頑張りすぎることが多くって。無茶をして怪我したりしたときはみーちゃんと一緒に怒ったりして。

 全部全部、はっきりと思い出せる。だったら、二人は。


「人格を、人となりを、癖を、思い出を。明確に思い出せるなら、それは妄想などでは有り得ない。

 ヒトがヒトを創ることなど不可能だからだ。……それだけは、自信を持つといい。そして」


 彼は言う。わたしの幸せな妄想を全部全部壊した彼が、少しだけ笑って。


「真実が隣の二人だけでは、不足だろうか」


 ――――そんなわけない! 私は、精いっぱいの大声でそう叫んだ。




 ◇




 結果として彼女の共時性幻覚は、彼女自身の手によって破壊された。

 これにて仕事は終了である。スマートフォンにて手早く報告書を書き終えた私は、宿泊先であるビジネスホテルの一室にて息を吐く。

 喉に負った怪我については問題ない。あれは所詮妄想の産物なのだ。彼女が共時性幻覚を解けば、何事もなかったこととなる。

 ……まあ、あのまま血を流し続けていれば結果的に死んではいたのだが。妄想における死は、精神の死に繋がってしまう。

 ただ、馬鹿正直に死にはしなかっただろう。私とてのだから。

 椅子の背もたれに体を預け、自販機で購入した缶コーヒーの栓を開ける。かしゅ、と聞き慣れた音が響いた。


『顛末の報告。我々は新たな接続対象:鴫美沙都を認識。同時に接続対象:鴫美沙都の『本部』への輸送を確認。端末を介し接続対象:鴫美沙都へ感謝と歓迎を述べた』


 接続。つまりは彼らの存在を認識し、共時性幻覚を制御できるようになったということだ。ひとまずは安心、と言えるだろう。

 ……で、何故それを今私に言うのだろうか、君たちは。然程に興味はないのだが。


『見解の相違。我々は接続対象:佐藤太郎が接続対象:鴫美沙都へ関心を寄せていると認識している』


 関心というと妙な意味合いを含んでくる。やめてもらいたい。

 まあ、新たな同僚を歓迎したい気持ちはあるから、そう言った意味での興味は向いているが。


『発言に異議。接続対象:佐藤太郎が接続対象:鴫美沙都へ寄せている関心は、一般に好意と呼ぶべき感情と認識している』


 ……君たちはどうしてそう、ヒトが触れてほしくない場所に易々と触れるのだろうな。


『非礼に謝罪。我々はヒトの感情の機微を学習し切れているとは言い難い』


 だろうな。今そのことをひしひしと痛感したよ。……好意というより、単に羨ましいだけなんだろう。


『理解が困難。説明の補足を要求する』


 図々しいことだ。だから君たちは接続者の九割以上から嫌われるのではないのか?

 ……君たちを、共時性幻覚というものを知ってから、私には全てのものが信じられなくなった。

 あらゆる存在に疑義が生じるからだ。――――今見ている光景が誰かの妄想でないという確証が何処にあるのか。

 家族は、友人は、同僚は本当に存在しているのか。誰かが生み出した虚像ではないのか。


『発言に異議。接続対象:佐藤太郎の発言を参照。

「人格を、人となりを、癖を、思い出を。明確に思い出せるなら、それは妄想などでは有り得ない。

 ヒトがヒトを創ることなど不可能だからだ」』


 それは私が少なくとも現段階において、そのような精巧な共時性幻覚を見たことがないからに過ぎない。

 常識は覆される。絶対はあり得ない。故に、可能性は決して捨てることなど出来ない。

 ……自分で語っていて笑えてくるな。あれだけ偉そうな説教を垂れておいて、自分は何にも確証を持ててはいないのだから。


『発言に異議。現在接続対象:佐藤太郎の周辺においてSHの発生は確認できない』


 そんな君たちの言葉すらも幻覚だとすれば?


『…………否定は不可』


 そう、つまりはそういうことだ。誰にもわからない。君たちにも、私たちにも。

 だからこそ私は彼女が羨ましい。……絶対の何かを、不壊の何かを、彼女は確信を持って掴めたのだから。


『発言に異議。接続対象:鴫美沙都のその認識が幻覚である仮定は――――』


 必要ない。なぜなら彼女はそう心の底から信じているからだ。

 私とは違う。目に映る全てを疑い、もしかしたらと怯えて日々を過ごす私とは違うのだ。

 真実とは一義的なものではない。そうであると強く信じているならば、それはその人間にとっての真実足り得る。

 ……いや、真実とは、元来そういう性質のものなのだろう。少なくとも私はそう考える。 


『解説に感謝。我々は我々の無知を恥じ入る。未だヒトへの理解は程遠いと再認識』


 そうか、それは良かった。ならばそろそろ対話を打ち切らせてもらおうか。

 語りたくないことまでさんざん語らされて、私は少々疲れたよ。


『最後に質問。許可を求める』


 いいだろう。ただし手短に頼むよ。


『価値の問題。接続対象:佐藤太郎にとり、真実と呼ぶべき概念は存在せず、全てが不確定な存在であるとするならば』


 ならば?


『事象の仮定。接続対象:佐藤太郎にとっての真実と呼ぶべき概念が発見された場合、それは何物にも代用不可の価値が付随するものと愚考する』


 ――――。


『僭越な激励。不快を承知で述べる。幸運を』


 ……そして、約束のとおりに対話が終わる。一度呼びかけてみるが、返事は無く。

 冷めかけた缶コーヒーを煽れば、香りよりも苦みが強く舌に残った。少々、会話を楽しみすぎたようだ。

 どうやらこの仕事は、気付かせることが命題のようで。

 ――――ならば、私自身を気付かせるのもまた、私の仕事であるようだ。

 不味くなったコーヒーを一気に飲み干し、テーブルに置いたスマートフォンに手を掛ける。

 報告書を書いたはいいものの、本部へ送信するのを忘れていた。


 ……仕事は、まだ山積みのようだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シンクロニシティ・ハルシネイション 畳屋 嘉祥 @Tatamiya_kasyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ