加奈 卅と一夜の短篇第9回
白川津 中々
第1話
彼の部屋に入るのははじめてだった。
付き合って二年が経つ。その間、私の部屋で過ごすことはあったのだがなぜかその逆はなかった。常々招いてほしいと言ってははぐらかされ続けていたのだがようやく今日、彼が「分かった」と承諾してくれたのである。
「何もないところだけど」
そう言って開けられた玄関の先は清潔感のある簡素な作りの部屋であった。導かれるままリビングのソファへと座り、出されたお茶を啜る。BGM代わりに点けられたテレビからは芸能人の不倫がどうの行方不明者がなんだのテロがどうなっただのと、相変わらず良くないニュースばかりが流れていた。世の中は不幸に塗れているなと思いながら、私は彼と紡がれる細やかな幸福を改めて感じた。
「案外綺麗なんだね」
私がそう言うと彼は「片付けたんだよ」と爽やかな笑顔を返した。その笑顔は魅力的な反面、一種の恐怖心を覚えるものだった。
入社こそ同じだったが彼は随分と要領がよく、すぐに頭角を現し社員一同から一目置かれていた。それは当然やっかみや妬みの対象となり、彼を慕う人間と同じくらいに敵対視する者もいた。しかし彼はそんな事まったく意に介さず、時折行われる妨害工作や足の引っ張りも容易くはねのけるのである。今、私が見ている微笑みを浮かべながら。
他愛ない会話を交わすことしばらく。男女が共存する場の空気は必然色を帯び、艶やかな吐息が交差するようになる。甘い唇を交わす二人。秘事が始まる前の沈黙はチャペルの鐘よりもよく響いた。二人の心音が重なる瞬間。ゆっくりと、心と体の距離が近付いていく……
「まって」
私はキスまでで留め、彼を制した。
「先にシャワー浴びてきて」
関係を持つのは無論初めてではない。ただ、いつまで経っても始める前の緊張に慣れることができず、私はいつも一つ、間の抜けた時を置くようにしていた。彼は「分かった」と、やはり笑顔で返し一人シャワー室へと向かっていった。
一人彼の部屋で待つ事となる。居心地が悪い。私はどうにも落ち着かず立って歩いて座って立ってを繰り返した。心音が高く早く脈打つ。血流が加速していく感覚。逆上せ上がっている実感が、より気をはやらせる。
いけないと思い、私はテレビを消して深呼吸をした。静寂が、脳を静める。身体は少しずつ冷めていく。芯だけ熱を持ったまま、情熱を、持ったまま。
そんな中ふと気付いた。静かな狭い部屋に、私の呼吸音以外のか細い静音がする事に。それは襖で仕切られた、隣の部屋から聞こえていた。私は犬か猫でも飼っているのかと思い、いけないと思いつつも襖を引く。すると、何もない伽藍堂の和室があった。さらにその奥にある納戸から微かに、だが確かに物音が響いており。私はそっと、戸を開けた。
手足の切断された女が、猿轡をされた状態で転がっていた。
その女のものであろう四肢が、壁に掛けられている。そして、その女の顔は、先ほど行方不明者としてテレビに流されていたそれと同じであった。名は確か、前橋 加奈……
腰が抜けそうになるもなんとか踏みとどまり私は振り返り逃げようとした。しかし、背後にはいつの間にか彼が、あの微笑を浮かべ立っていたのだった……
加奈 卅と一夜の短篇第9回 白川津 中々 @taka1212384
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