おいしくないコーヒーの飲み方
@kuronekoya
空に近い週末
週末にひとりでゆっくり過ごすのは久しぶり。
小売業に従事する身としては、土日は稼ぎ時。
冠婚葬祭でもないと休みの申請はしないし、周囲からもそういうタイプの人と思われているので基本的に週末は仕事。
友人たちの結婚式に呼ばれることも久しくなくなり、独身の友人とたまに一緒に遊ぶのもだいぶ前から約束してシフトの調整をしないと休みもままならない。
そんな日常だけれど特に不満はない。
けれどたまたま他のスタッフの都合で休みを入れ替えたりしているうちに、急に今日の休みが決まったのが昨日のこと。
両親は朝から出かけているし、妹は私より随分先に嫁いで行ってしまったから今現在この家にいるのは私ひとりきり。
洗濯や部屋の掃除を終えてもまだ昼前だ。
平日の休みに慣れきっているから、わざわざ週末の人混みの中にひとりで買い物に出る気にもなれず、リビングから椅子を一脚、サンルームという名の事実上の物干し台に出して洗濯物と一緒に陽の光を浴びてみた。
こうしてぼんやり過ごしてみると、疲れが溜まっているのをしみじみ感じるお年頃。
ちょっと高台になっている、かつては新興住宅地だった街の中腹にある我が家からは、ちょうど市街地が見下ろせる。
あのへんに彼のアパートがあったな、なんて昔のことを思い出して、もうずいぶん前のことなのに、いまだにひきずっている自分に少し呆れる。
ため息をひとつついて、キッチンに下りていく。
小ぶりのやかんをコンロにかけて、お気に入りのマグカップを用意する。
コーヒーミルをゴミ箱の上でトントンと叩いて、静電気でミルに張り付いて残っていたコーヒー豆の粉を落とす。
冷凍庫からタッパーウェアに入れておいたコーヒー豆を出して、ざっくり目分量で15g分くらいを取り出してすぐまた冷凍庫に戻す。
(よくひとり分10gって本とかに書いてるけど、僕はそれじゃあ少ないと思うんですよ)
彼の言葉を思い出しながらゆっくりとミルのハンドルを回す。
そういう彼は一度に20gくらい使っていたけど、それはさすがに私には濃すぎたから15g。
でも15g使ってもマグカップで飲むなら、結局ひとり分10gの濃さとあまり変わらないな、なんて思いながらコリコリ回す。
そうそう、今のうちにドリッパーを用意しなくちゃ。
彼が使っていたのと同じ円錐形のドリッパー。
今日は両親はいないから、小さい方を用意。
ペーパーフィルターの接着部分を折り曲げて、ドリッパーにセット。
(プロの人でも意見が分かれてるんですけど、僕はフィルターは先に濡らしておく派なんです)
彼のささいなこだわり。
私もまたひと手間よけいにかかるのに、彼と同じことを今でもしている。
そろそろフィルターの残りが少なくなってきた。
このタイプのフィルターを売っている店は少ないから、今度あの店に豆を買いに行く時には、フィルターも忘れずに買わなくちゃ。
お湯が湧く。
マグカップにお湯を注いで温めておきながら、やかんはもう少しだけ弱火でコンロにかけたまま。
東京の水はおいしくないと聞くけれど、この街では水道水をそのまま飲んでも嫌な臭いなどしたことはない。
けれど、なんとなく彼の流儀をまねて、以来ずっとそのままだ。
私はあれから何も変わっていない。
あの頃だってちっとも自分のことは大人だなんて思っていなかったけれど、今でもあれからぜんぜん成長していない。
おっと、忘れていた。
コンロの火を止めて、ドリッパーに挽きたてのコーヒー豆を入れて、トントンと軽く叩いて表面を平らにならす。
やかんのふたを取って湯気に手のひらをあててみる。
(お湯の温度は85度が最適。それで、こうやって手のひらを湯気にあててみて、ギリギリ我慢できるかできないかくらいがちょうどそのくらいの温度なんだってさ)
私は彼より熱いのも冷たいのも苦手だったから、いつも彼の言う「最適」よりもぬるめになった。
だから最近は我慢できないくらい熱くてもOKってことにしている。
あれ? もしかして、私も少しは変わったのかな。
マグカップの上に直接ドリッパーを乗せて、やかんからポタポタっとお湯を垂らす。
彼が使っていたコーヒー専用のポットに比べると、このやかんは使い勝手が悪い。
狙ったところに思うようにお湯が落ちていってくれない。
もうずいぶん使っているけれど、いまだにコツがつかめない。
とはいえ週に一度使うかどうか程度のものだから、彼が使っていたような高いポットを買うのも躊躇ってしまって、結局そのまま使い続けている。
やっぱり私は少しも前に進んでいないのかな。
蒸らし時間はおよそ30秒。
もう一度やかんを弱火にかけて、物思いに耽る間もなく30秒なんてあっという間に経ってしまう。
さっきお湯を落としたところにもう一度ポタポタと。
ふわっと肌理の粗い泡が立つ。
コーヒーのよい香りが一緒に湧き上がってくる。
この瞬間が好きだ。
この香りと一緒にいつも彼の笑顔を思い出す。
泡が盛り上がってきたところに更にお湯を注いでゆく。
ゆっくりと、ゆっくりと。
フィルターに直接お湯がかからないように。
一度にお湯がたくさん飛び出さないように。
この、ほんの1、2分の時間だけは無心になれる。
ドリッパーを持ち上げてみると、落ちてくるコーヒーの色は薄いオレンジがかった色になっている。
ちょうどドリップをやめるタイミング。
(これ以上はもったいないように思えても、出がらしの味しかしなくなるからね)
適当な受け皿がなかったから、朝食の後まだ洗っていなかった茶碗の上にドリッパーを乗せてしまう。
今日のコーヒーは上手くできたんじゃないかな?
彼にも味見してもらいたいな。
コーヒーと一緒に、リビングの菓子盆に残っていたクッキーを持ってサンルームに戻る。
よく晴れた空を見上げながら思い出す。
大学卒業とともにこの街を離れた、アルバイトだった彼。
全国チェーンとは言っても、現地採用の契約社員で年上の私。
付いていくという選択はできなかった。
遠距離の上にこの仕事では休みだってすれ違う。
お姉さんぶって笑顔で送り出す以外にどうしようもなかったはず。
それは何度考えても、いつも同じ結論にたどり着いてしまうこと。
この週末、彼は都会でどう過ごしているのだろう。
この空のずっと向うに彼の住む
そう思うと、いつもより空が近く感じる。
でも……今日のコーヒーは上手くできたと思ったけれど、いつもより苦い気がした。
fin
おいしくないコーヒーの飲み方 @kuronekoya
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