人間と終末の時代

廃墟の下の物語 一通目から七通目

 自治都市からトナカイで西へ十日駆けた先の集落は、報告通りに焼き払われた廃墟になっていた。そこで目的のもの――手紙の束を見つけることができてほっとする。

 手紙を見つけたのは偶然ではなかった。彼女の仕事柄、廃墟を見つけるとまず厩舎の跡地を探す。獣の毛だったり、茅葺きの屋根や木桶の残骸が固まっている場所を見つけたら、その近くにある最も大きな家屋、もしくはそのなごりをもった瓦礫の山に踏み入る。すると大抵は、届けられることのなかった手紙を見つけることができる。騎馬を駆る伝達騎士が荷を下ろす場所がそこだったからだ。

 焼き討ちから逃れた一角から手紙の束を回収して、背負い袋に詰め込む。野ざらしになっていたので紙面はグズグズに崩れているかと思ったが、少なくとも封筒の宛名を読むことはできた。読めなくとも、復元はまた別の者の役目だった。

 かつての伝令兵の詰所を出る。しばらく歩いて、また二、三の建屋に目星をつけて、残された手紙がないかを確かめる。三軒目でトナカイが瓦礫の下から地下倉庫を掘り当てて、中に降りたところで、犬の死骸と、臭気を放つ保存食の成れの果てと、意外なことに大量の手紙の束をも見つけられた。

 地上に戻る。

 トナカイの手綱を引いて廃墟を横断している途中で、不穏な雲行きを見せていた天上から、一滴の雨粒がこぼれ落ちてきた。大粒のしずくは見る間に大気中にあふれ、たちまち冷たい雨の土砂降りになる。焼け焦げて打ち壊された家屋と、そうでもない単なる無人の家屋の割合は、半々といったところだ。彼女は雨宿りに適当な空き家を選んだ。トナカイも家の土間まで引き入れて、衣類の水気をしぼる。放置されている家屋だったが、幸いにも木の椅子が二脚残っていた。一つを携行していた手斧で叩き割り、木っ端を組み合わせて簡単なつっかえ棒を作り、閉ざした扉の前に置く。もう一つを引いて腰を下ろす。雨が屋根を叩く音とトナカイの息遣いだけが周囲の空気を震わせる。

 雨が止むまでまだしばらくかかりそうだった。彼女は手慰みに拾い集めてきた手紙の束を荷から取り出した。背負い袋は内張りを油紙で補強しているので、突然の雨でも濡れてはいない。集めた手紙は三十通にものぼっていた。一つの村からこれだけの手紙を収集することは大変珍しかった。この国の者はたいていが字を読めない。手紙なんぞを使うのは特権階級か、趣味人か、そういう仕事の者か――たとえば彼女のような――いずれかだ。伝令所を経由するたび表書きに追記されていく日付を確認しながら、手紙を配送されてきたはずの順に並び変えていく。これもまた彼女の役目ではなかったが、暇だったのだ。単調な作業は考え事の余裕をうみだした。あの日から、と彼女は考えた。

 あの日から人間の数はずいぶん減ってしまった。仕事柄かもしれないが、生きた人間よりも、かつて彼らがやり取りに使った手紙のほうをよく見るのではないかとさえ思う。自治都市を一歩外に出てしまえばそこはもう無法の土地だった。誰もいない……いても野盗のたぐいか、そいつらの襲撃に遭って焼け出されて逃げのびる最中の人々。両手で数えられる、わずかばかりのまばらな人々だけが在野にある。そして二つ月が交わる夜には、黒く小さな獣物たちが地平から押し寄せてくる。大波のようにすべてを飲み込んでしまう。

 彼女がいまのような生活をはじめて、そろそろ五年が過ぎようとしていた。職を得て領主に仕えて自治都市を拠点にしはじめて五年。いまの時代、一年でも同じような職業を続けて、同じ人間と知り合いでいられて、同じ土地に暮らし続けられることは、大変に幸運なことだ……ことらしい。彼女自身に実感はあまりないのだが、周囲の人間はそのようなことをよく言っていた。

 手紙の並び替えが終った。

 一番新しい日付は〈踊りあがる羊の月〉で、いまからさかのぼって二十日も経っていない。次はそのさらに五日前。さらに一月前。さらに三日……それから突然日付が飛ぶ。表書きには三年近く前の日付が押印されている。これほど古い手紙がまぎれていることは珍しかった。配達されないまま年単位で放置されるということがあるのかといえば、決してないとは言い切れないところだが。

 結局最初の数通を除いて、残りのすべてはその古い手紙たちで占められていた。それもどうやら、この古い手紙たちはたった二人の手によって綴られている。〈グエン〉と〈マイアーキル〉という名のその二人は、数えてみると足掛け四年の間で二十九通もの手紙をやり取りしていた。



 *


 輝ける小銃王グエン卿へ


 モヨルのような辺境まで貴方の御高名は音高く聞こえております。蛮族の地を平定せしめた英傑、かの銃王オゴレイムスを良く援け、小銃王の名に恥じぬ戦ぶりだとか。モヨルの我ら一同、貴方のご活躍を誇らしく思っています。

 さて貴方はもう覚えていないことかもしれませんが、故郷の人間は貴方を決して忘れません。貴兄という尊いお方を育んだ土地の事、またその地に暮らす者どものこと、帝都での栄華の陰にでも、折に触れて心にかけてくださいますれば無上の喜びに存じます。

 この手紙をお読みになられたあかつきにはモヨル郷へいくばくかのお心遣いを寄せてくださいますれば、我らかねての幸いであります。モヨルの男どもはもはや老人しか残されておりません。また体の弱い老人子どもから、兵士らの持ちこんだ流行病に捕まりつつあり、胸が痛みます。

 貴方の勇躍と無事を祈っています。


 踊り上がる羊の月、三日、モヨル郷に雨が降りしきる夕暮れ、マイアーキル


 *


 輝ける小銃王グエン卿へ


 蛮族の首魁ロメロキシウスを鹵獲せしめたという貴方のご活躍、モヨル郷を訪れる兵士らが口々に語って聞かせてくれます。私ももちろん貴方のことを誇りに思っております。

 貴方からの返事が無く、我らモヨルの者どもはたいそう心細く感じております。取るに足らぬ路傍の石にも劣る故郷かもしれませんが、どうか貴方のお力で援助をお願いしたく。具体的には、この冬を越せるだけの食料と燃料をご用意立てていただきたいです。叶うならばあの白面の流行病に効くという薬も。

 故郷より貴方のご健勝を祈っています。


 踊り上がる羊の月、二十三日、モヨル郷に砂風がおとずれた日、マイアーキル


 *


 輝ける小銃王グエン卿へ


 戦火の足音がモヨル郷にまで迫ってきているのを感じます。郷のそばを通る街道を、来る日も来る日も、ひっきりなしに兵士の方々が通り過ぎてゆきます。昨年までは皆が西へ向かっていましたが、今年に入ってからは南への隊列ばかりです。街道の先、南の果てにも、貴方や兵士たちの戦う蛮族の地がまだあるのでしょうか。恐ろしく思いますが、我らもまた帝国の庇護下にあると信じております。貴方の存在を頼もしく思います。

 貴方が英雄として敵地にあるというのに、暇を見ては痩せさらばえた子どものくびすじが気になってしまうのです。彼らの哀れな姿を見るたびに、空腹を満たすものがあればと願ってしまう浅ましい心をお許しください。どうか、わずかな慈悲でいいのです。モヨル郷に情けをお寄せください。

 南の海は嵐を運ぶ風が吹くとどなたかがおっしゃっていました。お身体おいといください。


 踊り上がる羊の月、二十九日、モヨル郷の静まりかえった夜に、マイアーキル


 *


 輝ける小銃王グエン卿へ


 この手紙は届いているのでしょうか? 白紙でも構いません。貴方からの便りは十分モヨルの者どもの不安を除くことができます。どうか心の安らぎをお与えくださいますよう。また、貴方にも優しい眠りが訪れますよう。私の祈りなど血煙の中では笑止でありましょうが。

 さて、ここに書きづらいのですが、一つご報告せねばならないが事由があります。

 郷の北にあった貴方の生家の事です。貴方の家は先日四十日の竜騎夜襲により打ち壊されてしまいました。竜が鉤爪で砕いた壁と柱で、風雨も防げぬありさま。そう遠くないうちに郷のもので解体を行うつもりです。彼らは、竜たちは、いったいどこからやってきたのでしょう? ほんの少し前まで、おとぎ話の中の住人であったはずなのに。兵士たちは異界の扉の話を噂として残していきました。異界の扉などというものが、はたして存在するのでしょうか?

 話がそれてしまいましたね。

 失礼をお許しください。ほとんど何もない家でしたが、何か持ちだしておくものはありますか? 少し片付けをさせていただいて、その折に見つけたのですが、地下に狭い壕があったのですね。中を検めさせていただき、巻物をいくつか見つけました。うちの一つに、はかなげな女性の絵姿が写し取られていて、驚きました。貴方のものによく似た筆跡で走り書きのような書きつけがありました。「我が身中の……」綴りが読めませんでした。ともあれ、大事なものでしょうか? 精緻かつもの寂しい筆遣いが、私の記憶にある貴方の印象からして、少し意外に思いました。

 モヨルは疲弊しています。貴方が故郷のことを忘れていないことを願います。


 踊り上がる羊の月、四十五日、炎の雨が止み、風が強く吹いた夜に、マイアーキル


 *


 宛、マイアーキル


 まず先に申し上げておく。あのような手紙を送りつけるのは金輪際止めていただきたい。

 もちろん私は我が故郷のことを忘れていないが、貴女の要求はとても呑めぬとだけ返しておく。南方のいくさはまだしばらく続くであろう。ご自愛めされよ。

 それと絵は処分して構わない。私の手になるものではない。


 踊羊月、六十日、ヒナキイウ砦の物見櫓にて、グエン


 *


 輝ける小銃王グエン卿へ


 貴方から手紙の便りが返ってきたこと、大変嬉しく思います。よもや貴方のもとに届いていないのではあるまいかと危惧を抱いておりましたが、こうして無事に文を交わせている事実に、胸がいっぱいになります。

 この手紙が貴方の負担になっているとのこと。無心のことでありましょう。情けなく、身の置き所もありません。ただ、分かっていただきたいのです。モヨルはこのままでは冬を待たずに倒れてしまいます。もちろん、すべては南の蛮族から我らを守らんがため。帝に大地の実りを差し出し、男衆を兵士に向かわせることに、不満があるはずもございません。貴方に頼るしかない我が身の無力が悔やまれます。この上ならば、私も覚悟をせねばなるまいと、強く念じております。

 かさねがさね申し上げますが、貴方の声を久方ぶりに知れたこと、本当に嬉しく思っています。どうか今しばらく私の幸福のため、手紙を送ることを寛恕くださいますよう。返事は構いません。あれば、むろん、望外の喜びです。その他、援助がありましたら、それはもちろん、モヨルの者は一生涯貴方に絶えぬ感謝の念を送り続けることになりましょう。

 南では最初の火が落ちたと聞きました。身体を冷やさぬよう、お気をつけてください。


 永遠の魚の月、一日、山の端に沈む陽が美しい暮れ方、講堂にて、マイアーキル


 *


 宛、マイアーキル


 貴女の手紙は、食料と金銭を無心するそれだけなのだということが良く分かる。忍従する他の郷を知らぬとは言うまい。私の故郷だからとて、私は貴女方に特別何も与えはしない。手紙はこれで終いだ。


 永魚月、二十日、山中にて、グエン


*



 視界の端をなにかがよぎった。彼女は手紙の紙面からそっと眼をもちあげた。家屋の中は手紙を読み始める前後で何も変わっていないように見えた。家具の配置も、窓の外の景色も、戸外に降りしきる雨だれの音も……だがトナカイが耳をそばだてていた。伏せていた耳が跳ね上がり、彼女は視界の隅でそれを捉えたのだった。

 雨の、泥濘の中を、歩き回っている者がいる。

 手は自然と土間に放り出していた手斧を拾い上げていた。窓の死角にトナカイを置いて、戸口のつっかえ棒を注視する。耳を澄ませる。足音は雨音にまぎれているのか、よくわからなかった。だから扉が前触れなく内向きにたわみ、ノックの音を伝えてきたときは、本当に突然のことのようだった。

「誰?」

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砂の下の物語 塩中 吉里 @shionaka

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