ペルー旅行記

馳月基矢

12月25日

【12月25日】首都リマのクリスマス

 ペルーという国は、どこか謎めいて奥ゆかしく、美しくて魅力的だ。


 ナスカの地上絵、マチュピチュ遺跡、失われたインカ帝国、アンデス山脈やチチカカ湖、色鮮やかなポンチョと山高帽を身に付けた山岳の民。


 冬の休暇をどこで過ごすかとプランを並べられて、都会の買い物にも海辺のバカンスにも興味が湧かない私が選んだのは、神秘に満ちた国ペルーを5泊6日で回る弾丸ツアーだった。


 ペルーは日本の約3.5倍の面積を持ち、3000万人ほどが暮らす国だ。南米大陸の西岸に面し、南北に長い形をしている。南半球にあるから、季節は日本と逆だ。


 首都リマは海岸地域に位置している。緑豊かな町だが、年間を通して雨はきわめて少ない。豊富な水は、アンデス山脈を源とする川と地下水脈によってまかなわれている。


 早朝にリマ国際空港に降り立つと、夏に入ったばかりの気候はカラリと乾き、日差しが強かった。暑い。現地の観光ガイドの男性と合流し、ワゴン車でホテルまで送ってもらう。車は左ハンドルで、車線は右だ。日本車も多く、特にニッサンが目立つ。


 ガイドの彼は、メスティーソと呼ばれる混血人種だ。メスティーソとは、東アジア人と同じ黄色人種であるアンデスの民と、16世紀に南米大陸に上陸したスペイン人のミックスである。ペルーでは国民の大半がメスティーソだという。


 メスティーソでもアンデスの血が濃い男性の顔立ちが、私は何となく好きだ。父方の家系がそういう顔立ちだからだと思う。空港に降り立ってから、ガイドの彼を始め、父や伯父たちに顔立ちのシルエットがよく似た人をたくさん見ている。


 車は一般道を離れ、海岸線沿いのハイウェイに乗った。砂浜のビーチには、サーフィンに興じる人々が点々と見える。太平洋から寄せる波は高く、砂を掻き混ぜるから、水は濁っている。透明度は長崎港くらいだろうか。私の故郷、五島列島のほうがずっときれいだ。


 緩い弧を描く海岸線越しに、リマの中心地のうち新市街と呼ばれるエリアを見晴らす。薄い雲がいくつか浮かんだ晴れ空の下、景色はかすんでいる。土埃ではなく、霧だ。もう少し日が高くなれば綺麗に晴れると、ガイドが説明した。


 車内の会話は英語だったが、ペルーの公用語はスペイン語だ。事前に受け取ったツアーの要項によると、同行するガイドは日本語で説明してくれるとのことだった。日本人ではなく日系人だろうかと想像している。


 普段は1時間ほどかかるという空港から新市街までの行程は、クリスマスの祝日で日曜の早朝のため、25分程度だった。ホテルに荷物を預け、軽く日焼け止めを塗って、町の散策に繰り出す。


 帽子を忘れたのは失敗だったと、大通りを歩き出してすぐに痛感した。街路樹のフェニックスやアコウなど、暑い地方の植物が落とす影の下でも、日差しがとにかくきつい。


 高校時代にホームステイをしたオーストラリアのケアンズを思い出した。ケアンズは海に面した亜熱帯の町だ。雨季と乾季があり、私が滞在した8月は乾季だった。強い色をした花が咲き乱れる12月で乾季のリマは、ケアンズと少し似ている。


 公園を突っ切ろうとしたら、スカイブルーの制服を着た警備員のおじいさんに声を掛けられた。


「ハポンか、コリアか?」


 スペイン語でjの発音はhになるから、ハポンとはJaponであり、日本のことだ。「ハポン」と答えると、満面の笑みで「Bienvenidosようこそ」と繰り返し、握手してくれた。犬の散歩中のおばさんまで巻き込んで、握手大会になった。


 公園はクリスマス仕様に飾られていた。中でも目を引いたのは、ツリーでもサンタの置物でもトナカイ型のライトでもなく、イエス生誕のシーンを再現した人形のモチーフだった。


 芝生の広場の一角に小さな馬小屋が作られ、赤ん坊のイエスが母マリアと父ヨゼフ、天使と賢者、馬や羊や驢馬たちに見守られている。馬小屋の屋根が茅葺きで、フェニックスの木の皮が床に敷かれているのが、何だかペルーっぽい。


 同じ馬小屋のモチーフは、旅の間、あちこちで見掛けることになる。カトリック教徒が全国民の90%を占めるペルーでは、こうした人形を飾るのがクリスマスの慣習らしい。12月頭から1月15日まで、町はクリスマスの装いだという。


 キリスト教国では、クリスマスは祝日だ。店は軒並み閉まっていた。観光客向けとおぼしきカフェレストランが辛うじて営業中なのを見付けて、そこで朝食を取った。


 素材がいいのか、シンプルなサンドウィッチがおいしい。付け合わせのポテトはほくほくして、フレンチフライが苦手な私が珍しく、おいしいと感じた。コーヒーは濃く、すっきりとした苦味が強くて、香ばしい。渋くも酸っぱくもないのが口に合う。


 歴史系の博物館に行ってみようと思っていたが、残念ながら、クリスマスには開いていない様子だ。当てがなくなったので、ひたすら歩いて散策するだけにした。ホテルのある新市街から観光名所の旧市街まで、およそ7キロの道のりだ。


 見事に車がいない大通りは、子どもたちにとって、ローラースケートや自転車の格好の練習場所になっていた。ローラースケートも自転車もクリスマスプレゼントだろう。私も小学生のころ、朝起きたら枕元にローラースケートがあって、大喜びした経験がある。


 夜間の長時間フライトから休憩なしで炎天下での散歩とあって、さすがにくたびれた。適当な露店で飲み物を買って、芝生の公園に立ち寄り、木陰の下で座り込む。居心地がよかったので、そのまま芝生の上に引っ繰り返って、しばらく昼寝をした。


 気を取り直して、大きなサッカー場のそばをかすめて、ようやく旧市街に到着。旧市街には、スペインによる植民地時代からの街並みがそのまま残されている。


 16世紀前半、ペルーに到達したスペイン人は、インカ帝国領の侵略を開始した。リマはインカ帝国にとって辺境の一都市に過ぎなかったが、海に面したロケーションはスペイン人にとって重要だった。リマはペルー支配の拠点とされ、首都として今に至る。


 ペルーを始め、南米の国に古くからある大きな町の造りは、よく似通っているらしい。町の中心にアルマス広場があり、その周辺に、かつての支配者の居宅やカトリックの教会がある。


 アルマスとは、スペイン語で「武器」を意味する。町の中心の広場は軍隊を集合させる場所、訓練させる場所だったのだと、その名が如実に伝えている。広場を見晴らすヨーロッパ風のコロニアル建築は、ごてごてとして威圧的だ。息苦しさを覚えた。


 16世紀、南米で強大な勢力を誇ったインカ帝国が少数のスペイン人の前に呆気なく敗れた理由は、具体的には明らかにされていない。どれほどの軍勢がぶつかったのか、おおよその数字すら記録が残らない。


 スペイン人は鉄砲や大砲、弩など、破壊力のある火器を持っていた。馬による機動力もあった。単純な軍事力の差でスペイン人が原始的なインカ帝国軍を圧倒したのだ、とする説が一般的にまかり通っている。


 私は敢えて、「文化と価値観の違い」こそがスペイン人のペルー侵略を成功させた、と言いたい。


 インカ帝国に車輪や文字が存在しなかったというのは有名な事実だろう。もう一つ、現代では非常に重要なものが存在しなかった。貨幣である。


 貨幣が存在しない代わりに、物々交換や労働力の提供などによる「等価交換」がおこなわれていた。等価交換を成し得ないほどの弱者、つまり病人や身体障害者は社会全体で守るというのが、インカ帝国の常識だった。福祉が当然のものとして発展した国だったのだ。


 スペイン人と初めて出会ったインカの民は、病的に白い肌をして言葉もろくにしゃべれない「弱者」を守らなければ、と思ったのではないか。「弱者」は食べ物や黄金をほしがった。それらを「弱者」に分け与えるのは、インカ帝国では当然の成り行きだった。


 インカ帝国の等価交換や社会福祉を知ろうともせず、むしろそこに付け込んで、スペイン人は皇帝を人質に取り、火器を振るって民を脅し、急速な支配を成し遂げた。宮殿や宗教施設を破壊してヨーロッパ式の大聖堂や教会を作り、カトリックをペルー全土に布教した。


 スペイン人による植民地支配の歴史が残る街並みを眺めながら、ファミレスのようなレストランで昼食を取った。トウモロコシのスープとローストチキンと飲み物のコンボがお得だよ、とポップが出ていた。


「これください」


 英語で注文してみたが、返ってきたのはスペイン語。理解不能だ。店員とお互いに苦笑いしながら、身振り手振りと日本語とスペイン語でやり取りをして、注文を完了する。頼んだとおりのものが運ばれてきたときは、親指を立てて笑い合った。


 祝日でも開いているファミレスだから味に期待はしていなかったが、素朴な味付けのスープも、コリアンダーと黒胡椒が効いたチキンも、主食としてのポテトもおいしかった。ペルーの料理は美味だと聞いていたとおりだ。


 旧市街を一回りして、クリスマスに営業している店が非常に少ないことを実感した。なぜか靴屋だけは開いていて、売り尽くしセールをしていた。ゲーセンも開いていたからのぞいたら、日本で古くなったレースゲームや音楽ゲームが置いてあった。


 旧市街と新市街を結ぶ新しい路線バス、メトロポリターノでホテルの近くに戻った。メトロポリターノを利用する観光客は多くないのかもしれない。車内で親切な男性が声を掛けてくれた。


「どこまで乗っていくの?」


 たぶんそんな感じのことを訊かれたが、彼の英語は片言でスペイン語訛りだし、私はスペイン語がわからないとあって、会話が成立しなかった。地図を見せて「このへん」と日本語で言うと、降りるべきバス停の読み方を教えてもらえた。


 無事にホテルに着いてチェックインし、シャワーを浴びる。思った以上に日焼けがひどくて、愕然とした。ヤバい、しみになる。帽子や日焼け止めを買うべく、海辺に建つ高級ショッピングモール、年中無休のラルコマルまで足を伸ばすことにした。


 ホテル周辺は、ちょっとしたセレブが住むエリアだ。家々の庭にはクリスマスのイルミネーションが施されている。光るついでに音楽が鳴るものも多い。


 海辺に出ると、遊歩道を有する芝生の公園が道沿いに伸びている。デートをするカップルが情熱的で、目のやり場に困る。


 ほしかったのは、観光客らしく「Peru」などと書いてある帽子だったが、ラルコマルにはおみやげ屋はなかった。登山系スポーツブランドの帽子を買った。配色が気に入ったから、よしとする。


 夕食も、ラルコマルにて。ペルーの物価に照らせばお高い店だが、祝日に営業してくれているだけでありがたい。サラダとパエリヤとビーフステーキをシェアして食べた。文句なしでおいしかった。


 日焼け止めはラルコマルに売っていなかったので、ホテル近辺をうろついて、小さなドラッグストアを見付けてそこで買った。「Inkafarma」という系列店で、直訳したら「インカ薬局」といった名前だ。


 1日歩き回って出会ったペルーの人々の「親切だけど押し付けがましくない」距離感は、私にとってちょうどよかった。はにかみつつも、本当は愛想がいい。店員は逐一まとわり付いてこないが、レジでの物腰は柔らかい。


 ホテルの内装はシンプルで清潔だ。顔を洗いながら、やっぱり水が少しごわごわすると感じた。アンデス山脈の水質なんだろうか。空気も乾いているし、日焼けしてしまった。保湿に気を付けなければ、と思った。

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