12月29日

【12月29日】マチュピチュの村とクスコの夜

 ここ1週間で最もゆっくりとした午前中だった。喉の渇きで目を覚まして、ホテルのレストランでコーヒーとフルーツをもらって、また部屋に戻って二度寝した。チェックアウトして、マチュピチュ村をぶらぶらと散歩する。


 見事に坂道だらけの町だ。長崎といい勝負。巨岩が剥き出しの崖がオブジェに造り替えられていた。崖そのものにインカ風のタッチで彫刻が施されている。ごく最近彫られたものらしい。征服者をかたどった作品は、高く長い鼻が天狗のようだった。


 小さな民芸品店で、ラピスラズリを嵌め込んだ銀細工のピアスを買った。モチーフは「チャカナ」、あるいはインカ十字と呼ばれるものだ。世界を意味するとか、南十字星をかたどっているとかと伝わっている。


 観光客向けのホテルやレストラン、おみやげ屋のエリアを離れると、学校があって雑貨屋があって住宅地があって、吠えない犬たちが思い思いに寝っ転がっていた。男たちは荷車で重たげな荷物を運んでいる。飛び交う言葉はスペイン語ではなく、ケチュア語だ。


 不釣り合いなほど高級そうなコースの昼食をいただいた後、ビスタドーム号でオリャンタイタンボ駅を目指す。外を眺めつつ、疲れたら居眠りしようと思っていたら、おもしろい出し物が用意されていた。


 アップテンポなフォルクローレが流れてきた。車両の後ろのほうでどよめきが起こったから振り返ると、なまはげみたいに恐ろしげな仮面ときらきらしい虹色の衣装を身に付けた何者かが、列車の通路で軽快に踊っている。足に付いた鈴がしゃらしゃらと鳴る。


 ディアブラーダ、つまり「悪魔の踊り」という民族舞踊だそうだ。ペルーやボリビアのアンデス地域に伝わる踊りで、スペイン人侵略者を表すとも、宣教師が説いた地獄の様相を表すともいわれている。


 と、上記の説明は車内放送でも流れたのだが、仮面の踊りが強烈すぎて、その場では吹っ飛んでしまった。誰かが言い出した「アンデスなまはげ」という名称で呼んでいた。なまはげ、見たことないのだけれど。


 アンデスなまはげは乗客の数人を踊りに誘った。「生贄だ」と、はやし立てられながら何人かが躍ったが、残念ながら私たちのツアーからは誰も立たなかった。手拍子をして笑って、楽しかった。


 1人で十分にぎやかなアンデスなまはげのパフォーマンスが一段落すると、次はアルパカ製品のファッションショーだった。ドリンクとスナックの給仕をしてくれた鉄道員の男女がモデルとして、列車の通路をランウェイに見立てて歩く。


 美人な女性鉄道員は、給仕のときに掛けていた眼鏡を外し、自信ありげな足取りでランウェイを歩いた。ポンチョやストールはすべて数とおりの着こなしができる仕様で、彼女はポイントごとに足を止めて仕様を変え、女性客の歓声と拍手を誘う。


 後輩とおぼしき男性鉄道員がまた、女性客には大人気だった。銀縁の眼鏡を掛けた端正な顔立ちに、はにかんだ笑みを浮かべている。ランウェイの途中でポーズを決め、拍手が起こるたび、恥ずかしそうにチラリと下を向く。


 はにかみは、アンデスの民の気質なのかもしれない。宿泊したホテルのスタッフは、慣れない日本語で声を掛けてくれながら、恥ずかしげな表情を見せた。ピアスを買った民芸品店の店番の少年も、照れくさそうな顔をしていた。


 日本人のおばちゃんたちに大人気の男性鉄道員は、アルパカの毛のセーターをぺたぺたさわられながら、最後までずっと照れた顔をしていた。アンデスなまはげが手拍子をあおるファッションショーは、盛り上がりつつもなごやかで、すごくいい空気だった。


 オリャンタイタンボでバスに乗り替えて、本日宿泊するクスコへ移動する。約2時間の旅だ。すでに標高2000メートル超の高地で体を慣らしているため、3400メートルのクスコまで登っても、高山病を発症しないらしい。


 いくつかの集落を通りながら、山を拓いた畑の間を通って、バスは走る。2車線の道路、一面のトウモロコシ畑、尾根沿いに伸びる電線、はるか高い場所にある段々畑、放牧された牛の群れ。町の灯は、炎の色に似た橙色をしている。


 バスの中ではほとんどみんな眠っていたようだが、私はずっと起きて、外を眺めていた。私は、五島列島という不便な田舎で育った。クスコ近郊に海はないが、現代っぽさと古めかしさの交じり具合が似ているせいか、窓の外を流れる景色に親しみを覚える。


 例えば私が医師免許を持っていたら、こうした地域の病院で働くプロジェクトに志願したかもしれない。文献メインの歴史学ではなく、考古学や比較文化人類学を専攻していたら、調査地域に住み着いてしまったかもしれない。


 何で私は日本人なのかなあとか、日本人としての私は何を持っているのかなあとか、豊かな国って何なのかなあとか、脈絡もなく、ぼんやり考えた。答えは出ない。どんなに研究を進めても、何十本の小説を書いても、きっと一生、きちんとした答えには到達できない。


 クスコの町に着いて、レストランに向かう前に少し買い物の時間があった。


 私と同世代と言える1980年代生まれのメンバーの間で、LlamaリャーマというTシャツブランドがちょっとしたブームになっていた。マチュピチュ村で見付けてバカ受けし、クスコでも見付けてテンションが上がった。


 一見すると、PumaプーマのTシャツである。が、よく見ると、Llamaである。両前脚を掲げたシルエットも、大型ネコ科動物ではなく、明らかにリャマである。


 LlamaブランドのTシャツには、レッドブルならぬレッドリャマやら、コカの葉を模したコカ・コーラやら、アディダスに見えるアルパカスやら、さまざまな品ぞろえがあった。いちいち笑い転げていたら酸欠に陥りかけた。クスコの空気はやっぱり薄い。


 夕食のレストランは、クスコに着いた日の昼食でも訪れた店だった。私たちが入店したとき、フォルクローレのバンドは『タイタニック』のテーマを演奏していた。ペルーの楽器はずるい。どんな曲にも似合う。


 ビュッフェ形式だったので、日本で見掛けないものばかりを選んで皿に載せた。珍しい種類のイモだらけになった。大粒のトウモロコシにしても、各種ピーマン類にしても、どこにでもありそうでここにしかない畑の恵みが、全部おいしい。


 ピスコサワーというカクテルがサービスされた。ピスコとは、葡萄の蒸留酒だ。40度前後の度数があって、よくカクテルにされるらしい。ペルー人はビール党だが、フルーツ系のカクテルも人気があるという。


 フォルクローレバンドはジョン・レノンの『イマジン』を演奏し、伝統音楽を1曲挟んで、なんと『キャンディキャンディ』を演奏した。次いで、ビートルズの『オブラディ・オブラダ』。


 アップテンポな曲でホールのテンションが上がったところで、民族舞踊のショーが2曲。色鮮やかな衣装と、速いリズムの6拍子は、日本人の感覚から大きくかけ離れている。音も振り付けも、ひとつひとつが物珍しい。


 おおよそ食事が終わったころ、またしても、あのアンデスなまはげが登場した。4人のダンサーのうち1人と目が合った、気がした。おどろおどろしい仮面越しだから確信はなかったけれど、勘違いではなかった。彼は踊りながら近づいてきた。手を引っ張られる。


 行け行け、と、はやし立てられた。ツアーのメンバーはずっと年上の人が多いし、私の世代より若いのはシャイな高校生か小学校低学年の女の子。行くしかないか、と腹をくくって席を立った。


 傍から見ていた印象より、ステップが速い。1拍の間に、小刻みに2度跳ねる。あっという間に息が上がった。上半身に複雑な動きはなく、なまはげに手を取られてリードされていればどうにかなる。


 だんだんコツを呑み込んで、それらしく動けるようになる。楽しい。なまはげの仮面も見慣れてきた。仮面の向こう側にいる誰かさんにスペイン語で何か言われたけれど、誉め言葉だったのだろうか。


 踊っていたのは、さほど長い時間ではなかった。それでも、かなりくたびれた。繰り返すが、クスコは標高3400メートルにあって酸素が薄い。高地トレーニングってこういうことか、と実感した。食後のコカ茶がおいしかった。


 レストランを後にして、ホテルにチェックイン。翌朝の出発は7時半と告げられ、常識的な時間だったことにホッとする。いや、十分早いけれど。


 ペルー旅行も、残すところあと1日。あっという間で濃密な時間が流れている。そういえば、南十字星ってどれだろう? ほぼ真上にオリオン座がある。それ以外は、よくわからない。

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