薔薇紅の片恋

山本 風碧

薔薇紅の片戀

「ごめん、私、あんたとはつきあえないわ」


 その言葉を聞いた瞬間だった。私が、大好きだった姉のことを大嫌いになったのは。


 *


「あれー? お隣さん、お引越しかなあ」


 姉の雪子ゆきこが窓の外を眺めてぽつり、呟いた。


「ほんとだ」


 私もつられて姉の視線を追った。

 新しい家が立ち並ぶ中、ぽつんと佇む古びた一軒家。周りが世代交代すると同時に建て替えを行っていく中、昔のままの姿を保っている和風な外見の家だった。庭も立派で、季節の移り変わりに合わせて花が咲く。先日まではミモザが満開。今はモクレンの蕾が綻びかけていた。

 そんな隣家は、住人のおばあちゃんが半年前に亡くなってからしばらく空き家だったのだ。昔はおばあちゃんの息子家族が里帰りをしていたけれど、ここ数年はぱたりと訪れがなくなっていた。

 子供が部活や受験で忙しくなるに連れ、親戚つきあいも減っていく。今度高校二年になる私にも覚えのある事だから、そんなものかと納得していた。

 だけど、家自体がまったくの赤の他人のものになってしまうのであれば寂しいなと思った。思い出までが消えてしまいそうで。


『ユキちゃん、ベニちゃん、遊ぼ!』


 耳の中を幼い声がこだまする。私達姉妹の名は母が好きだったという童話『ゆきしろとばらべに』からとったそうだ。だから私、紅子こうこの愛称は『べに』。そう呼ぶのは、姉と、二人の双子の男の子だった。だけど、今では姉だけ。男の子たちは会わなくなって久しいのだ。

 あれから三年は会ってない……。面影を追おうとすると胸がチクリと痛んだ。

 私が感傷に浸っているうちに、姉は話を聞きに飛び出していってしまったらしい。先ほどまでそこに居た姉の姿が、隣家の門まで移動していた。何が起こっているか見に行ったらしいが、それだけで終わらず、引越し業者さんを捕まえて話を聞いている。

 二つ年上の姉の行動力にはいつも頭が下がる。姉の辞書には遠慮という言葉が載っていないに違いない。気後れして先送りをする私はいつも足して二で割れればいいのにと思っていた。


「べにー、きいてきいて!」


 姉が興奮した様子で階段を駆け上って来た。


「どうしたの?」

「お隣さん、あの春樹と夏樹らしいよ!」


 私の呼吸は一瞬止まった。


「はるちゃんと、なっちゃん?」


 それは先ほどまで眼裏を占領していた二人の男の子の名。昔の呼び名がからからの喉に張り付きながら零れる。


「懐かしいよねえ、何年ぶりかな?」


 はにかんだ、嬉しそうな笑顔は本物だろうか。本当に? だって、お姉ちゃんは――


「……どうして」


 姉は目を瞬かせたあと、私の欲しかったのとは違う答えをくれた。


「おばさんがいたから聞いたんだけど、春樹が今年こっちの大学進んだんだって。で、夏樹もこっちの大学受けるから、二人で住むらしいよ」


 姉が名を口にする度に、ぎゅっと心臓を掴まれたような心地になる。どうしてお姉ちゃんは、そんなに平気そうな顔をしているの?


「あいつって頭よかったらしい。そんな素振り見せなかったくせに」


 悔しそうな姉の口からは、東京の有名大学の名前が出て来た。ベッドタウンであるこの辺りでは、東京まで通う人は多いのだ。二人と同級生である姉も同じく東京の女子大に通うことになっている。はるちゃんほど有名大学ではないけれど、そこそこ名の通ったお嬢様学校だ。


「え、じゃあなっちゃんは? 大学受験? でも――」


 双子なのに。

 春と夏の境目に、日をまたいで生まれた双子は、兄が春、弟が夏と名付けられたという。

 嫌な予感に眉をひそめていると、それは的中してしまった。


「夏樹は、予備校だよ。東京の予備校通うって」

「あー……」


 つまり一人だけ受験に失敗して浪人生という事。その気まずさに私は胸が痛み、口を閉ざす。

 比べられるよね。双子だと、余計に。

 心の中で一人ごちていると、


「夏樹は相変わらずだよね。夏休みの宿題とか最終日に泣きながらやってるタイプだもん。さぼるから結果出せないんだよ」


 姉は重苦しさを吹き飛ばすようにからからと笑う。

 それ、なっちゃんの前では絶対言わないでよ? 気にしてないようで気にしてるから絶対だよ?

 出来の良い兄に出来の悪い弟。どこかの姉妹にそっくりだと私は小さく溜息を吐いた。


 *


 その日の夕方、家のチャイムが鳴り響くと、私の胸は破裂せんばかりに高鳴った。二人が引越しの挨拶に来ると聞いていたのだ。


「こんばんはー! あ、おばさん、お久しぶりですっ」


 これはどちらの声だろうか。声も似ていたと思い出す。溌剌とした発言はなんとなく――


「ああ夏樹君、大きくなって! 男前になったわねえ!」

「おばさんは相変わらず若いっすねえ」

「ホント、相変わらずお上手だわあ――あ、春樹君も大きくなって。イケメンになったねえ。モテるでしょ」

「いえ、そんな」


 聞こえたのは控えめな返答。どくんと胸が鳴る。


「ゆきー、こうこ! ほら、春樹君と夏樹君、隣に住むんですって!」


 姉が下に降りたのを確認し、たっぷり三つ深呼吸をしてから、私は階段を降りた。姉の顔を見て彼がどんな反応をするのかを知るのが一番怖かったのだ。

 視界に現れた人影に私は目を見張る。

 二人は、玄関が狭く見えるほどに大きくなっていた。天井から吊り下がった照明に頭をぶつけるんじゃないかと心配するほどに背は高くなっていたし、肩幅も広くなっていた。

 先に降りた姉の背中の向こうに懐かしい顔が二つ。眼鏡を掛けた青年に自然と目が行ってしまう。


「ユキか? おまえ、相変わらず派手だな」

「夏樹、あんた、相変わらず一言多いわね。急でびっくりしちゃったよ。連絡くらいしなよ」

「急に決まったんだよ。それに母さんがここの電話番号忘れちゃって――」


 よくしゃべるのは眼鏡じゃない方、なっちゃんだ。彼は日に焼けていて、体格がいい。眼鏡をかけた方は色素が薄く、そのせいで少し華奢に見えた。二卵性のせいか正反対の二人。顔立ちは似ているけれど、どちらがどちらかなんて、性格が滲み出た外見からすぐにわかってしまう。

 ふ、と眼鏡の下にあった薄い唇が開く。はっと目を見張る私の耳には低く、穏やかな声が染み込んだ。


「そこにいるの、べに? 大きくなったな」


 姉の影から引きずり出された私は必死で笑顔を浮かべる。だけど、綺麗に笑えている自信なんて全くなかった。

 二人の視線を受け止めきれずに、隣を見上げる。でも眩しい姉の笑顔にすぐに顔を伏せる。

 お姉ちゃんはあんな嬉しそうに笑えてるのに。――だから、あの人はお姉ちゃんが好きなのに。


 *


 二人の兄弟が、私たちの生活に染み込んでくるのはある意味当然の事だった。世話好きの母は当然のように食事の面倒を見たがったし、はるちゃんはともかく、なっちゃんは姉と同じく遠慮という言葉が辞書に載っていないタイプだったからだ。私はなっちゃんの強引さというか、もっと言ってしまえば図々しさが昔からちょっと苦手だった。


 昔よくやった『ゆきしろとばらべに』ごっこの時もそうだった。

 自分たちの名前になぞらえた物語を私も姉も好んで、おままごとのようによく遊んだのだが、なっちゃんは『俺がおうじさま!』と言ってしまう男の子だった。

 だけど私の中でははるちゃんが熊に変えられてしまった王子様だった。

 物語の結末では熊が悪い小人を倒して人間の姿を取り戻し、王子様だった彼は、熊の姿の自分に優しくしてくれた姉妹の姉ゆきしろと結婚する。そして余り物の妹ばらべには、なぜだか王子様の弟と結婚する事となるのだ。

 自分が妹だったからだろうか。その結末に納得いかなかった事を覚えている。

 だって、ばらべにだって熊の王子様と同じだけの時を過ごした。

 結婚なら彼としたかったに決まっているじゃないか。なんで突然ぽっと出て来た見ず知らずの弟と結婚しなければならないのだろうか。

 幼かった私はお姉ちゃんばっかりずるいと、泣いて姉を詰った。

 私より少しだけ大人だった姉は、ばらべにと王子様が結婚するように物語を書き換えてくれたけれど、現実までは書き換えられなかった。

 隣家の二階には、夜遅いというのにまだ電気が点いていた。私はそれを見上げて唇を噛みしめる。


 王子様は、やっぱりゆきしろが好きだった。ばらべにはどうしたって失恋する運命なのだ。


 *


「こうこ、あんた、これお隣に持って行ってあげて」


 母の世話焼きはいつもの事。食べ盛りの男兄弟が餓えないようにと、週に何度かは食事に呼んだり、お裾分けをしたりする。母はお世話になったおばあちゃんに恩返しする時だと張り切っているのだ。


「逆に迷惑にならない、これ」

「放っておいたらインスタント食品ばっかり食べちゃうのよ、あの頃の男の子は」


 幻想ではないだろうかと思いつつ持っていったら、歓迎されて通された隣家の食卓にはカップラーメンが二つ仲良く並んでいた。


「どうしても億劫でね。実家で手伝いとかしていたらもっと違ったんだろうけど」


 鍋を受け取りつつはるちゃんが苦笑いをする。微かな笑みに胸が跳ねる。


「学校遠いから通学に時間かかるし、しょうがないよ」

「一時間くらい普通だよ。家賃が要らないから助かってる」

「……それだけ?」


 私の問いの意味がわかったのだろうか。はるちゃんは眼鏡を外すと、苦笑した。


「やっぱべにには隠せないな」

「まだ、お姉ちゃんの事、好きなの?」


 はるちゃんは小さく溜息を吐くと、少しだけ頬を赤らめた。


「振られたのに、しつこいよなあ。たぶんユキもそう思ってる。あいつ目が笑ってなかったし。夏樹には普通だけど俺には冷たいし」


 否定してあげられない。だから諦めてと、のど元まで出かかっている。

 はるちゃんは中三のときに姉に告白した。そして玉砕して、以降この家にやって来なくなった。

 苦すぎる思い出だろうに、それでも越してくるのは、家賃が要らないという利点以外にあるのは予想できた。だってここ、大学に通うにはやはりちょっと不便だから。

 それほどまでに? そう思った時、「でも」と私の口からは残酷な言葉が零れていた。


「お姉ちゃん、彼氏、いるって言ってた」


 はるちゃんは息を呑んだ。


「そっか」


 直後無理に作った笑顔は、泣き顔にも見えた。

 ぎしり、という音にふと顔を上げると、ちょうど二階から降りてきたのだろうか、なっちゃんが部屋の入り口にそっと立っていた。いつも溌剌としている彼の顔は、今はどんよりと曇っていて、私は今の発言がなっちゃんの心にも刺さったのだとがっかりする。

 そっか。なっちゃんにとっても私はおまけなんだ。

 

 逃げるように家に帰って部屋に籠る。一人になったら私の胸は急にばくばくと音を立てだした。

 嘘吐いちゃった。

 姉は一年前に彼と別れて、それっきり。

 どうしてそんなすぐにばれる嘘を吐いてしまったんだろう。

 だけどしょうがない。しょうがないじゃない。お姉ちゃんははるちゃんを好きじゃない。彼氏がいようといまいと、はるちゃんはまた振られちゃうんだから。



 *



 残酷な嘘が横たわったまま、二つの家の交流は続く。そして、夏休みに差し掛かった頃、受験勉強に腐り切ったなっちゃんが遊びに行きたいと言い出した。


「部活が終わったらすぐ受験勉強突入してさ、遊ぶ暇無かったんだよ。今年こそ遊べると思ってたのにさー」


 なっちゃんは高校で野球部に入っていた。本人曰く、ギリギリまで活動したあげくに浪人したらしいけれど、同じく受験を切り抜けて来た姉は、言い訳だときっぱり。内弁慶の姉からは、気の置けない人相手だと時折痛いくらいの言葉が出ることがある。そんな時私はいつもヒヤヒヤするのだ。


「だって、春樹も剣道部でしょ。私だって弓道部に所属してたし。夏の大会は皆あるから、条件は変わらない。あとは本人のやる気でしょ。遊んでたらまた来年も同じことになるわよ」


 なっちゃんは「一日くらいいいじゃん。ユキは手厳しいよな」と弱る。

 姉の正論は時折鋭すぎる。自分が言われているわけでもないのに、世の中出来る人ばかりじゃないのよ、と叫び出したくなる。


「でも野球部って大変そう。やっぱり甲子園目指してたんでしょ?」


 私が話題逸らしに問うと、「弱小野球部だったからなあ、県予選初戦敗退」と頷きつつも苦笑い。


「じゃあ、夏休み、ほぼ丸々あったんじゃない」


 呆れる姉が蒸し返す。だけどこれ以上は許せないと私は思った。


「でも……がんばっても結果がでない事、あると思うし」


 努力していないなんて、誰が決めるの。結果だけを見て決められるの。

 姉が目をパチパチとしばたたかせる。


「どしたの、べに……」


 勝手になっちゃんに感情移入していた事に気づくと、かっと頬が染まった。

 沈黙が重く、いたたまれなくて泣きそうになった。だがその時、


「ま、でも、ユキサマの言う通りかな。俺の頑張りが足りませんでした! だけど、息抜きも必要です! どうかこの通りです、ご一緒して下さいませ!」


 となっちゃんがおどけて手を合わせて誤摩化す。静かに成り行きを見守っていたはるちゃんも、


「ま、一日くらいはいいんじゃない? 頼むよ、男二人ってのもつまんないし」


 と優しくその場を丸めてくれる。どこか申し訳なさそうな顔をしたはるちゃんの顔が、私の瞼に焼き付いた。


 *


 数日後、私たちが向かったのは日本最大級のテーマパーク。だけど、はるちゃんもなっちゃんも一回も行った事が無いそうだ。近いのに、と不思議に思ったけれど、ご両親が人ごみが苦手らしく、連れて行ってもらった事が無いと愚痴っていた。


「こういうメルヘンチックなのって男子は嫌いじゃないの?」


 姉は首を傾げつつも、頭の上には耳のついたヘアバンドが載っているし、首からはポップコーンホルダーがぶら下がっている。家から一時間もかからずに行けるとあって、姉は年に何度もこの場所を訪れるベテランさんだ。

 夏休みは平日であっても混雑具合は変わらない。家族連れなども多く、仕事を休んで来ているのかなと見渡した。

 ふと目の端がちかちかするのを感じ、立ち止まってこめかみを押さえる。


「べに、ゆっくりしてたらはぐれるよー」


 焦った姉が私の手を握ると同時に、もう一つの手が掴まれてぎょっとした。見るとなっちゃんが私の手首を掴んでいた。


「あ、俺も、はぐれると思って……」


 なっちゃんは気まずそうにしながらも手を離さない。衝撃と、彼の手の大きさにどくどくと胸が鳴る。


「べに、ちっちゃいし。見失いそう」


 はるちゃんが苦笑いをして私たちを見ていて、思わず振り払うようになっちゃんから手を取り戻した。きっと顔が真っ赤になってる。意識してるって誤解される。隠したくて私が俯くと、姉がなっちゃんに文句を言った。


「こらー! 気安くべにに触らない! 初心なんだからね!」

「へいへい、すみませんねー」


 なっちゃんは気にした様子も無くへらへらしている。その様子があんまりに軽いので私は腹が立ってくる。お願いだから、はるちゃんの前で、私を動揺させないで。

 ぐらぐらと視界が揺れる。必死で堪えている涙のせいかと思ったけれど、


「べに、乗り物酔い?」


 はるちゃんに言われて原因に気がついた。はるちゃんは私をベンチに座らせると、自分は飲み物を買いに自動販売機へと走る。


「これ飲んで、ちょっと休もう」


 眼鏡の向こうで優しく微笑まれて、胸の奥の想いが膨れる。好きだ。私、やっぱりはるちゃんのこういうところが好きだ。


「え、乗り物酔い? 嘘、まだ少ししか乗ってない」


 姉となっちゃんが目を剥く。


「お前らが元気良すぎなの。べにって昔から、よく車酔いしてただろ」

「よく覚えてるねえ……ごめん、べに。じゃあ、次は揺れないやつに乗ろうね」


 私は申し訳なさに小さくなる。

 姉だけがテーマパークの達人なのにはそういうわけがあったのだ。昔、こうやって乗り物酔いに苦しんで、それ以降、テーマパークを苦手としていた。治ったと思っていたけれど、違ったらしい。


「大丈夫、一人で休んでるから、みんなは楽しんで」


 迷惑はかけたくない。せっかく来たんだから、楽しんでいって欲しい。特にはるちゃんとなっちゃんは初めてなんだから。祈るように三人を見つめていると、


「じゃ、交代で乗ろうか。どうせ二人掛けだろうし」


 はるちゃんの優しい提案に、張りつめた空気が解ける。次に乗る予定のアトラクションを見上げると、ちょうどレールのてっぺんから車両が落ちてくるところだった。あれに誰が乗る? 一瞬の逡巡のあと、


「じゃ、最初は俺がべにと待ってるから、ハルはユキと絶叫してこいよ」


 なっちゃんがどすんと私の隣に座る。意外な申し出に私は気分の悪さを一瞬忘れた。

 何となくだけれど、その申し出はなっちゃんには似合わない気がしたのだ。むしろ、そういうのははるちゃんに似合う言葉で。


「絶叫系、なっちゃん好きなんじゃないの?」


 違和感が私に尋ねさせる。なっちゃんは顔をしかめた。


「男がぎゃーとか叫ぶのはさすがに恥ずかしい。だから、クールぶってるハルに任せる。俺は見学して、穏やかなやつに余裕の顔で乗る」

「悪趣味だなあ」


 はるちゃんはそう言いながらもどこか嬉しそうに姉を見た。


「……行く?」


 姉は心配そうに私の顔を見る。一瞬ためらったあと私が首を縦に振ると、誘惑には勝てなかったのか姉は頷いた。私はしばらく手の中のペットボトルを弄んで彼らを見送った。さっきのはるちゃんの顔を見て、私は知ってしまっていた。兄弟の行動がどこかちぐはぐなその理由に。


「なっちゃん、はるちゃんに頼まれた?」


 隣でなっちゃんがびくりと顔を強ばらせた。


「なっちゃんって、昔から一度やると決めたら倒れるまで練習するタイプだよね。毎日遅くまで部屋の電気ついているし、多分受験勉強に息抜きとか求めないと思うんだ」


 私は立ち上がると、列の最後に並ぶ二人の背中を見つめた。

 はるちゃんが赤い顔をしている。


「だから、はるちゃんに、頼まれたんでしょ。今日のこと」


 姉がびっくりした顔をしている。

 何を話しているのか、聞こえないのに聞こえてくるような気がした。

 姉が踵を返して走り出す。はるちゃんがそれを追いかける。私があとを追うと、なっちゃんも後ろから付いて来た。アトラクションの建物と建物の間。人気の無い木陰で姉は立ち止まる。私はすぐ近くの木陰に身を潜める。


「ついて来ないで。大昔に駄目って言ったよね?」

「駄目な理由、結局聞けてないし。それに彼氏なんて本当はいないんだろう? べにに嘘まで言わせるなんて、ずるいよね」

「私はそんな事――……」


 姉が困惑顔をする。嘘が発覚しそうになった私は、息が出来なくなる。

 絶体絶命だ――息を詰めて見守っていると、姉はなぜか「そうよ」と開き直った。「そのくらい嫌なんだから、もうしつこくしないで。終わった事だと思ったから、こうやって近所づきあいしてるのに、そっちの方が随分ずるい。っていうか、気持ちが残ってるくせに隣に引っ越してくるなんて、神経疑うわ」


「諦めきれなかったんだよ、だからこっちの大学受験したし……今日だって夏樹とダブルデートまで仕組んだ」

「……それ、どれだけひどい事してるかわかってる?」


 姉の声が一気に尖る。だけどはるちゃんは全然怯まない。姉の非難も全部ひっくるめて受け止める覚悟が見えた。


「わかってる」

「わかってないよね。あんたがそういうずるくてひどいクズだから、私はあんたとはつきあえないって言ってるの!」

「だけど、こうでもしないと、ユキは俺を避けるだけだ。知らないとでも思ってる? ユキは俺の事好きだったろ」

「思い上がってんじゃないわよ!」

「だけど、べにが俺の事が好きだから断った。違う? そして、今もそうだ」

「…………!」


 姉が言葉に詰まるのを見て、私は目の前が真っ暗になる。


「俺は、ユキのそういう妹想いなところが好きだ。だからこそ、そんな理由じゃ、諦めきれないんだよ!」


 あの優しくて穏やかなはるちゃんが激している。初めて見るそんな顔。それから、姉とのやり取りで見せた、ずるさ。

 あの誠実なはるちゃんが、卑怯な手を使ってでも手に入れたいのだ。気が付いたらもう駄目だと思った。


「お姉ちゃん」


 私は二人の前に一歩進む。姉は飛び上がるくらいに驚いて私を振り返る。その顔は恐怖で強ばっていた。私は、知っていた。姉がそのくらいの事、やってのけるくらいには優しくて、残酷だって。ゆきしろとばらべにのお話を私のために改変してしまうくらいに。――だから、私はお姉ちゃんが大好きだけど、大嫌いなのだ。


「私、大丈夫だから。はるちゃんの事は好きだけど、だけど、お兄ちゃんみたいなものだから」


 そう言うのが精一杯。あとは必死で笑顔を見せると、なっちゃんを捕まえて「私、あれに乗りたい!」と手を引いた。

 逃げ出すようだと思ったけれど、私は、もしこれで二人が遠慮するようだったら二人のことが、そして自分の事が、許せなかった。

 私はもう、かばわれるだけの子供じゃないよ。

 二人から充分離れたあと、私は堪えきれずにぽろぽろと涙をこぼす。


「ったくさ――、ユキってお前の事わかってるようでわかってないな。遠慮されるのなんて、一番嫌いなのにな」


 なっちゃんにぐしゃぐしゃと頭を掻き回されて、私はその場にしゃがみ込む。


「あー……べに、それは勘弁」


 女の子を泣かせているように見えたのだろう。なっちゃんが周囲から白い目で見られている。大きな体でおろおろと腕を上げたり下げたり。心底参った様子のなっちゃんに、涙が止まる。涙目のままくすくすと笑っていると、なっちゃんが「泣くのか笑うのかどっちかにしろ――っていうか、もう泣くのやめろ」とふて腐れる。


「いいの。だってなっちゃんも共犯だから。ちょっとは困ったらいいんだもん」

「まぁ、共犯っちゃあ共犯か」


 含みのある言葉に首を傾げると、なっちゃんは私の手を掴んで立ち上がらせ、すたすたと歩き始める。

 そしてお子様向けのアトラクションを見つけると「ここなら大丈夫か」と列に並んだ。おとぎ話のキャラクター人形の間をボートで移動するものだった。

 中に居た王子様とお姫様がなぜか姉たちと重なって、やっぱり変わらなかった結末に、涙がまた飛び出した。すると、なっちゃんが言った。


「おまえ、さ。ゆきしろと王子様、ばらべにと王子様の弟がくっつくっていう展開が嫌だって泣いてただろ」


 まさに今考えていた事だったので、私はびっくりして言葉を無くす。


「よく考えろよ。王子様の弟は王子様だよ。ばらべにだって王子様捕まえてる」

「あ、そういえば」


 考えもしなかった。だって、王子様の弟としか絵本には書いていないのだから。

 だけど、やっぱりぽっと出には変わらなくって――と考えだしたとき、なっちゃんが意を決したように言った。


「それに、もしかしたら弟王子だって、ばらべにをずっと好きだったかもしれない」

「え、どういう意味?」


 私が尋ねると、なっちゃんは苦笑い。


「今日のダブルデート。俺は単なる協力者じゃねーよ。俺だって目当てがいたから話に乗った。じゃ無いと、ハルに差を開かれるのわかってて貴重な時間使って遊ぶかよ」


 俺はあいつを超えるつもりで浪人したんだからな――笑って意気込むなっちゃんの前で呆然とする。


「……は?」


 少し考えて、彼の目当てに辿り着く。じわじわと顔が赤らむのがわかって、慌てて俯いた。


「眼中に無いんだもんなあ。しかもハルの事まだ好きみたいだし……どうしたもんかってずっと悩んでた」

「え、でもなっちゃん、お姉ちゃんが好きかと思ってた」

「ユキ? あんだけ姉貴面されてどうやったら恋愛感情抱けるんだ。あいつはホントどうでもいいから――で、俺はやっぱり王子様にはなれない?」


 逃がさないとでも言うような強引さは不思議と不快じゃない。あの姉よりも私と言われて悪い気がするわけがない。だけど、目の前の体育会系の男の人を見ていると、どうしても笑いが出る。だって――


「なっちゃん、王子様ってガラじゃないよ……」

「やっぱだめか」


 だめじゃないよ、まだそういう気にならなないだけで。つい言いかけて現金な自分に呆れる。

 くるくる回る人形たちが笑いかける。陽気なマーチが急に聞こえ出して、心がふわふわと踊り始めた。

 なっちゃんのおかげで初恋の喪失の痛みが軽くなったのは確か。


 今はまだ恋じゃない。

 だけど、もしかしたらそうなるかもしれないという、暖かな予感が胸をよぎった。

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