北緯34度35分45秒 東経138度13分33秒

笛吹ヒサコ

北緯34度35分45秒 東経138度13分33秒

 あの頃の俺は、なぜ大人たちが希望に目を輝かせているのか、理解できなかった。

 いや、今でも理解していない。これからも理解することはないだろう。


『お父さん、本当に大丈夫なの?』


『ああ! 世界には、無限の可能性が広がっているんだぞ』


 ちっぽけな船の上で、何度そんなやり取りをしただろう。

 顔も忘れた父の他にも、なぜ見知らぬ世界が大丈夫なのかと尋ねて回った。だが、みんな父と同じような答えばかり。今なら、あの船のリーダーだった父の答え以上のものを、期待するほうが間違っていたとわかる。


(じゃあ、どうして、誰も帰ってこないの?)


 胸の中にずっとある不安は、口にすることすらはばかられた。


 大人たちの根拠のない希望が、たまらなく嫌だった。


『おい! 陸が見えたぞ!!』


 大人たちの根拠のない希望が、たまらなく怖かった。





 ピピピッピピピッ……。


 無機質なアラームが、俺を夢から引き上げる。

 いまだにあんな夢を見るのかと、ため息をついてアラームを止める。


 それだけだ。

 それだけで、俺はうっとしい過去を振り払える。

 その程度のものでしかない。


「おっはようございまぁす!」


 俺はもう、どんずまりのあの島にも、ちっぽけな船にもいない。


 北緯34度35分45秒 東経138度13分33秒の灯台。


 それが俺の居場所だ。




 ■■■


 オーバーテクノロジーダウン。


 22世紀前半に始まったとされる人工知能の暴走。

 まったくもって本末転倒なことに、人類は自らが生み出した機械達によって滅亡の危機に晒された。

 当時、医療用ナノマシンが世界中に普及されていた。機械に体調管理を全てまかせようというつもりだったらしい。

 とんでもないことだ。

 すべてのナノマシンを管理していた人工知能の、たった1つのバグから始まる暴走。それが、ナノマシンに人々を殺させた。

 

 技術的な先進国で、医療後進国の日本は、ナノマシンを未導入の数少ない国の1つだったから、難を逃れられるかにみえた。

 しかし、ナノマシン管理サーバーから始まった人工知能の暴走は、ひも付けされたいたたの人工知能まで狂わせた。

 日常生活のほとんどを、自動化された機械に依存していた人類は、さらなる恐怖と混乱に襲われた。


 唯一、東京湾の南で完成間近だった海上都市ホウライだけが、安全だった。


 ホウライへの移住だけでも、相当な血が流されたというが、それも1世紀半も前の話だ。


 オーバーテクノロジーダウンと名付けられた未曾有の危機以降、人々は手に余る技術を捨てた。


 つまり、発展することを諦めたのだ。

 未来への希望を捨て去ったのだ。




『こんな小さな島に閉じこもっている必要はない。無限の希望が広がる外の世界へ飛び出そうじゃないか!』


「だから、僕はこの船に乗っているんだよなぁ」


 僕はリーダーの言葉を脳内で反芻して、自分に言い聞かせる。


 いまいち、無限の希望とか理解できない。


 ようやくなんとも思わなくなった湿っぽい臭いの中に、ふんわりと大好きな匂いが混ざった。


「ツナグ、起きなさい。もうすぐ、接岸よ」


「はぁい」


 どんなに汗に、海水に汚れようとも、姉さんの匂いは大好きだ。それは、あの灰色の島でこき使われていた頃から変わらない。

 すぐに去ってしまった匂いの主を追いかけなくては。

 どんなに休息をとっても疲れが抜けきらなくなった体に、俺は鞭打ってボロ布から這い出した。


 汗や湿度、海水などで顔にへばりつく髪を、気休めにしかならないと知りながらもかき上げる。


「やっとかぁ」


 長かった。

 本当に、長かった。

 自殺行為とあざ笑われた無謀な船旅が、ようやく終わる。


 船の揺れに抗う気力もなく、フラフラと身を任せるように甲板へ上る。


 油断したわけではないが、ギラつく太陽の眩しさに顔をしかめた。


 船首の方に集まった人の中に、姉さんがいた。隣には姉さんの恋人で、この船に乗る1団のリーダー、リョウさんがいる。


 喜びの声を上げる仲間たちに混ざっても、僕はただただ涙をながすことしかできなかった。

 それは、きっと感動したからだろう。安心したからだろう。


 ……そうであってほしい。


 胸の中に巣食う不安なんて、見たくもない。



 僕を合わせて18人が乗る船は、岸壁にゆっくりと近づいていく。

 この船は、昼間は太陽光、夜は海風を動力としているから、日が高いうちに接岸できるのはとても運がいいとしか言えなかった。


 しかし、なんだろう? この港は……。


 僕たちのような船が接岸するのに、最適な岸壁。岸壁には係留柱まである。

 人の姿はもちろん、犬猫一匹見当たらない海を囲む岸壁の向こうには、真っ白な四角い建物が見える。僕らが入ってきた海側の1辺を除く3辺を窓のない白い倉庫のような建物が囲っている。


 まるで、そう、白い棺のようで、不気味で仕方ない。


 いやいや、考えすぎだ。

 他の船の姿は見えないが、たまたまそういうタイミングだっただけのことだ。きっと……。


「10月4日13時23分。あの未来のない、希望のない島を出て、ちょうど2週間。我らが祖国の大地を踏みしめることができる。希望だけを糧に、協力し合った日々を……」


 リョウさんの話を、みんな熱心に聞いている。


 リーダーのリョウさんは、面長の顔に優しそうなタレ目が印象的な好青年だ。実際、優しい人だ。

 恋人の弟の僕にもいろいろとよくしてくれる。


 隠し切れない疲労よりも、希望に目を輝かせているリョウさんの隣で、彼に熱い視線を送っているのが、僕の大好きな姉さんのユウ。

 

 この無謀な船旅の途中で、姉さんは背中まであった髪を切ってしまった。

 3つ年上の姉さんは、幼いころ家を出て行ったまま帰らなかった両親の代わりに僕を育ててくれた。ノロマで、頭も悪い僕を、見捨てずに育ててくれた。

 大好きな姉さんが、希望の船団の一員であるリョウさんを恋人だとボロボロの我が家に連れてきた時は、本当に驚いた。

 リョウさんは本当にいい人だった。

 彼の、いや希望の船団の考え方は、頭の悪い僕にはよくわからない。でも、僕はリョウさんは尊敬している。


 ぼんやりとリョウさんの小難しい話を聞きながら、僕はそっと岬の上の灯台を見上げる。


 3日ほど前だったろうか。

 僕が、見張りの時に、灯りを見つけたのは。

 灯台の灯りだと気がつかずに見つめていた僕を、たまたま起きてきた姉さんに叱られたっけ。


 僕らをこの人気のない港へ導いた灯台。

 ここから見上げると、ちょうど逆光になって黒い影にしか見えない。のっぺりと、突起もくぼみもない灯台は、僕らを拒絶しているようだ。


 気のせいだ。


 仲間たちが拍手し始めて、僕も慌てて手を叩いた。どうやら、リョウさんの話が終わったらしい。


 リョウさんを先頭に、仲間たちが船室や船倉に戻っていく。


 しまった。大事な指示を聞き逃したらしい。


「君、君!」


「え?」


 1人取り残された僕は、耳を疑った。それから、目を疑った。


「そう、君だよ」


 さっきまで誰もいなかったはずの岸壁の上に、人がいた。

 30歳くらいだろうか。よく日に焼けた男が、僕を手招きしていた。

 手招きされるままに、僕は船べりから身を乗り出す。

 彼の足元には、茶色い犬が大人しく座っている。


「俺はヒロ。んで、こいつは相棒のデイジー。よろしくな。ホウライからやって来た人たちを、歓迎する仕事をしているんだけど……。リーダーの人、連れて来てくれる?」


 ヒロと名乗った男は、白い歯を見せて笑う。無精髭が目立つけど、うらやましいくらい健康そうな体だ。カーキ色のツナギも、着古されているが頻繁に洗濯されているのがよく分かる。


 かつて、日本と呼ばれていた国。僕らの祖先の国で出会った、最初の人間だった。


 慌ててリョウさんを呼びに行こうとしたが、その必要はなかった。


「ああ! あんたが、リーダーか?」


「あ、はい! あの、もしかして……」


 ヒロさんは、僕の肩越しにリョウさんを見つけて、興奮したリョウさんは、僕を押しのけるようにして船べりから身を乗り出した。


 笑っ……た?


 抵抗もせずに押しのけられた僕を、ヒロさんが笑ったような気がした。

 バカにしたような笑い方じゃない。

 ただただ、静かに……そう、憐れむような、同情するような、そんな笑い方だった。


 でも、それはほんの一瞬のことで、すぐにリョウさんや姉さんたちとヒロさんは挨拶を交わしている。


 気のせいだったかもしれない。

 でも、すっかり蚊帳の外に追い出された僕は、ヒロさんに得体のしれない何かを見たような気がする。


「ツナグ、いつまでボケっとしてるの? 早く行くわよ」


「あっ……はい」


 本当に僕はできの悪い弟だ。

 姉さんをよくいらだたせる。


 あの島を出れば、少しは変われるかと期待していたけど、なんのことはなかった。僕は、ノロマで、頭の悪い、できの悪い弟のままだった。


 リョウさんは、ヒロさんとすっかり仲良くなったようだ。

 初対面の人ともう親しく話をしている。やっぱりリョウさんは、すごい人だ。

 僕も、ああいう人になりたかった。


 数少ない荷物を取りに戻ろうとすると、姉さんに呆れた顔をした。


「なにやってるの、ツナグ。ヒロさんの話、聞いてなかったの?」


「え?」


 姉さんは呆れきった顔で、船を降りていく仲間たちを指差す。その中には、リョウさんもいる。


「荷物はあとにすればいいって。先に休んでって」


「あ、そうなんだ。ごめん、姉さん」


 本当に僕は、自分が大嫌いだ。




 ヒロさんも、ホウライ出身らしい。幼いころ、父と一緒に来たと誰かと話しているのを聞いた。


 あれから、僕はヒロさんと直接話すことはなかった。

 常にリョウさんが隣にいて、その隣には姉さんがいた。


 港から見えた窓のない白い建物1つ。

 ヒロさんが歓迎の館と呼ぶ、その建物に僕らは招待された。

 人間はヒロさん以外誰もいない。この建物の向こうに、他の人達がいると言っていた。


 なんだろう? この不安は。

 リョウさんも、姉さんもみんなヒロさんを信頼しているのに……。

 僕は、そのことがたまらなく不安だ。

 上手く言えないけど、とにかく不安なんだ。


『着替えは、こちらです』


 一本調子の声が、低い位置から聞こえてくる。声のした方を見ると、確かに白い衣服が用意されていた。


 この歓迎の館に、人間はヒロさんだけだ。そのかわり、すべてが機械が管理している。


 歓迎の館の中は、白く清潔だった。

 僕ら18人、ひとりひとりに個室が用意されていた。

 その個室の1つで、僕は一本調子の声に誘導されるままシャワーを浴びた。

 汚れや汗と一緒に、僕の嫌なところも全部洗い流せたらいいのに。

 数カ月ぶり、いや、数年ぶりのバスルームは、今までバスルームと呼んでいたカビ臭い部屋とは全然違った。

 人生で初めて、本物のバスルームを使ったと言ってもいいかもしれない。

 体を拭く必要なく、ほんの数秒の温風で体を乾かした僕は、困惑していた。


「あ、あの、僕の服は?」


『処分しました』


「え?」


 困ったことがあったら、なんでも声に出してみるといいとヒロさんが言っていた。だから、脱ぎ捨てた服の行方を尋ねたら、さらに困惑することになった。


『清潔な着替えがこちらにありますので、問題ありません』


 一本調子の声に、なんて言えばいいのだろう。

 僕は、白い服に着替えながらため息をついた。


 確かに、汚れてボロボロの服だった。愛着があったわけでもない。

 ただ、勝手に捨てるというのは、どうかと思う。


 歓迎の館は、すべてが真っ白だ。

 綺麗なはずの白。

 薄汚れたホウライにはない白。


 しかし、僕はその白が不吉なものに思えてしかたない。


 白いシーツのベッドに横になって見上げる天井も白い。

 電球は、ここでは必要ないらしい。

 天井そのものが照明の役割を果たしているらしい。そう、食事の席でヒロさんが話してなかったら、気が付かないくらい自然な明るさだ。


「リョウさんも、姉さんも、みんな、ヒロさんのこと信頼しているみたいだし……」


 こんな根拠のない不安なんて、相談できるわけがない。

 みんな疲れているんだ。あまり役に立てなかった、出来そこないの僕だって疲れているんだ。

 ヒロさんのいうように、しっかり休むことが優先だろう。


 情けない僕は、もう二十歳だ。

 少しずつ、姉さんに頼らずに生きていけるようになりたい。いや、ならなくてはいけない。


「…………はぁ、ほんとうに情けない」


 お腹の虫まで、マヌケな音を立てる。


 ヒロさんが好きなだけ食べて欲しいと言ってくれた料理に、あまり手を付けられなかった自分が、情けない。

 お腹が空いていなかったわけじゃない。

 体調が悪かったわけじゃない。


 美味しそうな暖かい料理がずらりと並んでいる光景に、怖気づいてしまっただけだ。

 たかが料理だったのに。


 情けない。


 空腹には慣れきっている。

 このまま、無理やり寝ることだってできる。


 でも、ここは妙に落ち着かなくて、僕は部屋の外に出た。


 とりあえず、食事をとった食堂と思われる部屋に、自然と足が向いた。

 もしかしたら、なにか食べるものが残っているかもしれない。


 食事の後、解散した僕らは、明日の朝までゆっくり休息するようにリョウさんたちに言われた。


 白い廊下を歩きながら、僕は今は夜であっているのか不安になった。


 窓のない、両側に等間隔に個室のドアがある白い廊下は、終わりが無いかもしれない。

 気のせいだ。


 しばらく白い廊下を進むと、曲がり角に出た。この先が食堂だったはずだ。


「……それで、いつになったら、ユウはあの穀潰しを捨てるんだい?」


 心臓が止まるかと思った。


「ぅん? ……あー、ツナグね。しぶとさだけは、一人前だったわね」


 姉さんとリョウさんがいる。


 聞いてはいけないことを聞いてしまったような。でも、聞かなかったことにはできないことを、聞いてしまったような気がする。


「まぁいいさ。まだ、危険がないとはいえないしな」


「でしょう? 役に立つかもしれないわ」


 どうしてそんなことができたのか、わからない。

 僕は呼吸をすることも忘れて、そっと食堂を覗きこんですぐに目をそらして隠れた。


 恋人同士だから、なんの問題もない光景だった。

 ほとんど服を脱ぎ捨てた姉さんとリョウさんは、あの料理が並んでいたテーブルの上で絡み合っていた。


 恋人同士なんだから……。

 そう、言い聞かせてみるけど、心臓が張り裂けそうだ。

 呼吸を再開したけど、いつまでたっても苦しい。


 そんな情けない僕の耳は、熱を帯びる姉さんたちの会話をまだ聴き続けている。


 ああ、そうか。僕は、生け贄みたいなものだったんだ。

 見ず知らずの何が待ち構えているのかわからない土地の、都合のいい偵察役だったんだ。


 そうだよね。そうだよね。


 そうじゃなかったら、できの悪い僕があの船にのることなんて出来なかったから。


 情けなくて、涙もこぼれない。

 かといって、この場を離れることもできずに立ち尽くしている。


 でも、大好きな姉さんの口から、僕のことを嫌いだとか聞きたくなかった。


「あ、ツナグくんだっけ? ちょうどいいところにいた」


「っ!」


 いつからいたのだろう。ヒロさんが、デイジーと一緒に立っていた。

 ヒロさんの声がきっと聞こえたのだろう。食堂の方から、慌ただしい物音がした。


 もしかしたら、僕が姉さんたちの会話を聞いていたことがバレたかもしれない。いや、確実にバレたはずだ。

 姉さんもリョウさんも、僕なんかよりもずっと頭がいいんだから。


 ヒロさんは僕が冷や汗をかいていることにも気がつかないまま、話し始める。


「君たちのリーダーを探してたんだけど、見つからないから君でもいいや。明日、午前8時。迎えが来るってさ。まぁ、明日の朝、あらためて伝えるけどね」


「は、はい」


 僕が首を縦に振ると、ヒロさんはまた、笑った。

 初めてあった時とは違う。

 冷笑。とても冷ややかな笑顔だった。憐れみも、同情も、そこにはなかった。ただただ、ゾッとするくらい冷たい笑顔だった。


「じゃあ、おやすみ。俺は、灯台でやることあるから。また明日な」


「お、おやすみなさい」


 もしかしたら、最初にあった時も同じ笑顔だったかもしれない。

 ヒロさんと、デイジーの後ろ姿を見つめながら、僕はどうしようもないくらい不吉な予感を抱いていた。


 きっとあの笑顔は、僕が姉さんたちに相談できないだろうと、わかっていたのかもしれない。


 食堂で、姉さんたちがどんな姿でいるのか、興味ない。


 というか、僕は自分に与えられた個室に戻ってくるのが精一杯だった。


 沈みこんだベッドの中で、ふとデイジーと呼んでいた犬は全く吠えていないなとどうでもいいことが頭をよぎった。




 ■■■


 タバコに火をつける。

 あの島の連中からしたら、すげぇ贅沢らしい。


「明日は18体出荷。ま、半年ぶりの出荷だし、上出来じゃね?」


 北緯34度35分45秒 東経138度13分33秒の俺の居場所の中でも、お気に入りのソファーでタバコを吸う。最高だ。


「上出来かどうかは、わたしが判断することではない」


「あいかわらず、手厳しいねぇ」


 足元の相棒がそっけないのはいつものこと。いや、最近はこれでも愛想がよくなったほうだ。最初の頃だったら、間違いなくスルーだ。


 タバコの煙をゆっくり吐き出して、俺はモニターをつけた。


 黒いソファーとガラスのローテーブルしかなった部屋中に、複数の大小さまざまなウィンドウが浮かび上がった。


「女神さまに、連中を1晩じゃなくて、3日くらい歓迎の館に滞在させるようにお願いしてくれね?」


 空中のウィンドウを目線や、手を振って入れ替えていく。

 すでに夢の中の連中もいるが、大半は興奮で寝つけずにいる。


「効率が悪すぎる。人間の査定に1晩かけることにも、やめるべきだという意見もあるのだぞ。それを、延ばすメリットはなんだ?」


「んー? 面白いから」


 声だけ聞けば、キリリとした美女なのにもったいない。

 一度ガラスの灰皿に灰を落として、足元の相棒の頭をなでてやる。


「連中は、そろいもそろってマヌケだ。けどな、1体じゃなんの面白みもない連中が、そろうと面白いじゃん」


 例えばと、2つ前に右上の方に送ったウィンドウを呼び戻す。

 眠れないからと腕立て伏せにはげむ、中年のオッサンが映っている。


「こいつ。いかつい顔オッサン。いかにも脳筋。んで、十中八九、童貞」


 左横にあったうウィンドウを横に並べる。

 まだ10代の発育途中の女子が丸くなって眠っている。


「そのオッサンに、無邪気な顔して懐いている少女。男の下心を知らないって怖いよなぁ。つか、これは少女も悪い。あんな顔でくっつかれたら、俺でもやばいっつーの」


 2つのウィンドウを仲良く背後に放り投げて、後ろに隠れていたウィンドウを拡大する。

 何度も寝返りをうつ女。


「こいつはバカ女。男を手玉に取ってる気になってるけど、実はそうでもない。……つか、食堂で見せつけてんじゃねーよっと」


 バカ女を押しのけるように、狭いベッドで男女が熱く絡み合っているウィンドウを持ってくる。


「リョウとか言ったけ? ただのハーレム野郎。こいつは、性病もチェックしたほうがいいんじゃね?」


 さっさと視界から外して、仰向けに眠っているだけの彼のウィンドウを持ってきた。


「シスコン。ただのシスコン。お姉ちゃんが大好きだからって、お姉ちゃんも自分のことが好きだって、話がよすぎるんだよ。妄想だっつーの」


 タバコを灰皿に押し付けて、一斉にウィンドウを全部閉じた。


「みんな、1体じゃ、どうしようもないマヌケだ。けど、さっきのシスコンくんみたいにからかうには、複数いたほうが面白い」


「そんな理由で、彼に話しかけたのか?」


「おう」


 本当は違うが、相棒に言ったところで理解できないだろう。


「だが、人間の感情のサンプルを取得するには、効率がいいかもしれない。アマテラスに提案する」


 アマテラスってのは、神様の名前だったとか……。それが、ここじゃ極東エリアの統括人工知能だってんだから、笑っちまうよな。人間の女神様が、なぁ……。


「サンキュー、デイジー。愛してるぜ」


 ワシャワシャと相棒の頭をなでてやるが、反応はない。

 やれやれ、あいたわらず可愛げのない相棒だ。




 ■■■


 翌朝。

 僕は苦しくなるほどの不安を抱えながら、起きた。

 朝と言っても、一本調子の声がそう起こしてくれただけだ。


「朝食も、食堂で食べるの?」


『いいえ。お望みでしたら、こちらで召し上がってもらっても構いません』


「じゃあ、お願い」


 姉さんとリョウさんと、顔を合わせたくなかった。

 迎えが来たら、嫌でも顔を合わせることになるだろうけど……。


 もう一度、白い服に着替え終わる頃、朝食を乗せたワゴンがやってきた。


 グリーンサラダに目玉焼き、バターたっぷりの厚切りトースト。


 あの島じゃ、考えられないような素晴らしい朝食。朝食が、美味しそうに思えないのは、きっとこの不安のせい。


 姉さんたちに、ちゃんと言うべきか。


 ヒロさんは、信用してはいけない気がすると。


 いや、きっと呆れられるだけだ。

 もしかしたら、昨夜話していたみたいに、捨てられるかもしれない。


 美味しいはずの朝食は、やっぱり美味しくなかった。




 結局、僕は誰にも相談できないまま、ヒロさんの言っていた時間を迎えようとしていた。


「まだ少し時間あるけど、集合場所に行ってもいいかな?」


『ただ今の時間は、午前7時32分54秒。問題ありません。ご案内しましょうか?』


「お願い」


 多分、僕はこの一本調子の声に慣れるまで、そうとう時間がかかるだろうな。

 昨夜から個室を1歩も出てない。

 声だけしかしないのに、どうやって案内するだろうか。と疑問に思っていたら、目の前に緑の矢印がぼんやりと浮かび上がった。


『矢印の方へお進みください』


 空中浮かび上がった半透明の矢印の方へ、おそるおそる足を踏み出す。

 荷物は船においてきたし、衣類も処分された。手ぶらで行動したことなんてないから、それだけで不安になる。


 どうやら、港とは反対側の外に案内されたようだ。

 外と言っても、空が見えるから外といっただけ。一本調子の声が待つように言った場所は、目の前に白い壁が左右に続いている。地面というより床も白い。


「なんだかなぁ」


 嫌いな色はと質問されたら、真っ先に白と応えるだろうな。

 雲1つない青空が、やけに新鮮だ。


 まだ誰も来ていない。


 白い壁に切り取られた青空を見上げているうちに、あの灯台の一部が見えた。


 ヒロさんは、灯台にいると言っていた。年に1度はあの灯台に導かれたホウライの船が、やってくると言っていた。

 不意にヒロさんの冷たい笑顔が脳裏をよぎる。

 押し殺していた不安で、胸が爆ぜそうになる。


 僕らはどこに行くのか?

 僕らを歓迎してくれた見返りを要求するのか?

 僕らの荷物はいつどこで受け取るのか?


 ヒロさんに直接尋ねるしかない。

 あの人に直接なにかを尋ねるには、そうとう勇気がいる。

 でも、ヒロさんしか答えを知らないんだ。


 はぐらかすなら後ろ暗いことがあるんだから、姉さんやリョウさんに言えばいい。


 昨夜の2人の会話を聞いたあとでは、それすらも勇気がいる。


 だから、どうかヒロさんが善人でありますように。


 灯台に向かって進んだものの、白い壁は海まで続いていた。

 これでは灯台にたどり着けない。

 でも、歓迎の館側には、海と壁の間に細い通路がある。この先は僕らの船があるはず。


「荷物の無事だけでも、確かめなきゃ……」


 その細い通路の海側には、転落防止柵なんてなかった。油断したら、海風に足を取られて海に落ちてしまう。


 きっと、姉さんやリョウさんたちが、疲れきっていなかったら、あんな風にヒロさんを信用したりはしなかったはずだ。

 僕はノロマで、穀潰しだけど、少しくらいは役に立ちたい。


 役に立ちたい。

 そう、それだけで、不安から目をそらして前に進むことができた。


 通路の端まで来ると、港の方から荒々しい物音と、人の気配がした。

 そんな! ヒロさんは、ここの人間は自分1人だけだと言っていたじゃないか。

 誰かいる。それも大勢。

 まだ姿を見たわけでも、声を聞いたわけでもないけど、僕はそう確信している。


 昨夜、食堂をのぞいたように、おそるおそるのぞき込むと、悪夢のような光景があった。


 見たこともない巨大な機械が、僕らの船を釣り上げていた。

 釣り上げられた船を、別の機械がバラバラに壊していた。

 壊されて岸壁に山積みにされた残骸を、白い服を着た人たちが歓迎の館とは別の白い建物に運んでいた。


 船が壊されているだけでも、悪夢であって欲しかった。

 でも、一番恐ろしかったのは、30人くらいの白い服の人たちだった。


 白い服の大人の男女は、全員髪の毛がなかった。剃りあげたのかどうかは分からないが、女の人まで髪の毛がないなんて、異常だ。

 それに、それに、人形のように無表情だった。

 体型に不釣り合いな大きな残骸を運んでいても、嫌そうなキツそうな表情すらしない。

 もしかしたら、オーバーテクノロジーダウン以前に造られていたというアンドロイドという物かもしれない。

 いや、やっぱりあれは人間だ。


 白い服。

 もしかして、今僕が白い服を着せられているのは、あの人たちのようになるということかもしれない。


 いそいで姉さんたちに教えなきゃ。

 それから、逃げなきゃ。船は壊されているけど、きっと何か方法があるはずだ。


「……に報告するなよ。俺がちゃんと捕まえてやるから。18体、ちゃんと出荷してやるって」


「10分だけ、アマテラスへの報告を待とう」


 ヒロさんと犬が歓迎の館から出てきた。

 犬が喋っている?


 いや、そんなことはどうでもいいじゃないか。

 18体、出荷……。

 その不可解な単語は、充分すぎるくらい、まずい状況だと教えてくれた。


 急がなきゃ。


「はい。捕まえた」


 ヒロさんの声を聞きながら、僕は目の前が真っ暗になった。




■■■


 正直、ガッカリだ。

 気絶させたやつを、白服どもに運ばれていくのを眺めながら、俺はめずらしく感傷に浸っている。


 船の上で、不安そうにしてたお前を見た時、少しだけ親近感を覚えてたんだぜ。

 俺と同じかもしれないって、な。

 けど、ただのシスコン野郎だった。


 北緯34度35分45秒 東経138度13分33秒の俺の居場所には、昔、古い灯台があったらしい。今の灯台は、オーバーテクノロジーダウン以降に建てられたってデイジーから聞いた。


 この灯台に導かれてやってきたホウライの連中は、俺の親父たちのように根拠のない希望に目を輝かせていやがる。全員だ。

 あのどんずまりの島から逃げ出してきた臆病者、卑怯者のくせにな。


 あの島の外は、希望あふれる外側の世界じゃない。

 例えるなら、そう、機械という名のコインの表と裏。

 機械を支配下に置くために、発展という未来を失った海上都市ホウライ。

 機械に支配された島の外。


 どっちにも、希望なんてありゃしないんだ。


 ここで生きていきたけりゃ、記憶も自我も失って、白服のように生きる人形になる。

 それか、俺みたいに自分から機械の手先になるかだ。


「どうかした? ヒロ。バイタルが乱れているぞ」


「なんでもねぇよ。腹が減っただけだ」


 デイジーこと、D-G07が俺を見上げてくる。

 まったく、口うるさい監視だ。


 ツナグとか言ったか。

 俺は、お前に何を期待してたんだろうな。

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北緯34度35分45秒 東経138度13分33秒 笛吹ヒサコ @rosemary_h

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