「プロローグ」

第40話 来世

 まずい、非っ常にまずい! これは間に会わない可能性が俄かに浮上していますよ? 俺の脚は確かに速いけれど、これはまずい状況ですよ?

――いや、確かに寝過ごした! それは認める。でも所詮、たかだか二十分寝過ごしただけだ! 元々、少し早めにケイタイのアラームをセットしておいたから、実質は十数分寝過ごしただけ。全く問題ナッシング。

 問題はその後だ、その後! ……やっぱり、入学式は気合いを入れていきたいじゃん? だから朝ごはんをガツガツ食べたワケよ。でもそれがいけなかった、お腹が痛くなってウンコ止まらないんだもん! ……ていうかお母さんよ、朝からハンバーグはやっぱりキツいんじゃないですか? 「高校生活頑張れ」っていう気持ちは十分分かるけど、あんなホットケーキみたいにでかいハンバーグはアメリカ人でも恨み事を言いたくなるぜ? 「ゴッドよ、こんなにビッグなハンブァーグは、ファットなミーにもヘヴィーです!」

――しっかし、このローファーってのは走りづらくて敵わない! あの、トイレの詰まりを直す、先っぽにゴムの丸いのが付いた棒? あれを使った時みたいに、カッポンカッポン浮いて邪魔くさい! 「黒井の足は、便器ではありません」

 あぁ、こういう危機的な状況の時って、面白ワードがたくさん浮かんでくる。またヘンな事考えてニヤニヤ走っていたら菊池先生に、「黒井、気持ち悪い!」なんて怒鳴られるかな? 

 ていうか、倉方駅から高校までこんなに距離があったっけなぁ? この住宅街を貫く上り坂……何だか妙に長くない? しかも遅刻しそうな時に出会う上り坂って最高に魅力的だ! 「ゴッドよ、ランがファストなミーにも、このノボーリ坂はヘヴィーです!」

 

「シンちゃん、おーいシンちゃん!」


 誰だ、俺の名前を後ろから呼ぶヤツは? しかも、「シンちゃん」なんてヨウヘイみたいに呼びやがって。……面倒くさいし無視でもしとこう。


「シンちゃん、俺だよ! ヨウヘイだよ!」


「――ってヨウヘイかぃ!」

 俺は立ち止って振り返った。

「おまたせシンちゃん」

 ヨウヘイが自転車に跨り、息を切らしながら笑っている。

「熊沢ヨウヘイ、ただいま戦地より帰還致しました!」

 ヨウヘイは戦地から内地に戻った日本兵の様に敬礼している。ていうか、ヨウヘイも倉方高校の制服を着ている。

「ヨウヘイ、何で……。北海道に――」

「だから、何度も電話で言ってるじゃん! 手術は成功したし、高校はシンちゃんと同じ倉方高校に通うって! 入学式で会おうって!」

 そうだった……ウンコ事件で頭が混乱して忘れていた。中二の頃、難病の治療の為に北海道の病院に入院したヨウヘイ。ヨウヘイは奇跡的に難病を克服して、まさに昨日――むしろ今日の深夜だな、東京に戻って来た。そんで、今日から俺と同じ倉方高校に通うんだった。ていうか、昨日も電話で話したし。「入学式で感動の再会を果たそう」って!

 俺はニヤニヤ笑いながらヨウヘイの肩を殴ってやった。

「そうかヨウヘイ! 入学式を待ち切れずに、ノボーリ坂の下から俺に会いに来たってワケだな?」

 馬鹿野郎が……いきなり現れやがって……眼頭が熱くなるじゃないか。

「何だよ、『ノボーリ坂』って!」

 ヨウヘイはゲラゲラ笑った。

「クダーリ坂ときたら? ノボーリ坂だろ?」

 俺もワケの分からない事を言って笑った。……何だよ、オイ、愉しい高校生活になりそうだぜ。俺は陸上部に入って、そんでヨウヘイとも仲良くやっていくんだ。倉方高校陸上部は強豪チームじゃないけれど、ヨウヘイもマネージャーとして入部する予定だからそれで良いんだ。……そうだよな、菊池先生?

 ヨウヘイが腕時計を見て驚いた顔をした。

「シンちゃん、こうしている場合じゃない! 入学式まで三十分切ったぞ!」

「マジか! よっしゃ、走ろう!」

 俺は両腕をブンブン振って走り出した。

「シンちゃん!」

 ヨウヘイが後ろから俺を呼ぶ。

「何だよ!」

「俺、もう走れない。だからシンちゃん自転車運転して! 二ケツで行こう!」

「何だってぇ?」

「いいだろ? 昔、よく二ケツして遊んだじゃん?」

 ヨウヘイ、何をニヤニヤ笑いながら俺を見ているんだよ? このノボーリ坂はまだ百メートルは続くんだぜ? いくらお前の頼みだとはいえ、自転車を二人乗りするなんて、そんな事――


「よし、ヨウヘイ! 後ろに乗れ!」


 俺はヨウヘイのママチャリに跨った。――何て憎めない勇者なんだ俺は! まぁ、ヨウヘイはまだ体力が戻っていなくてキツイんだろう。いいですよ、私が馬になりますよ!

 ヨウヘイも後ろの荷台に跨った。

「よし、シンちゃん風になれ!」

「ビュービュービュー! ――ってうるせぇんだよ!」

 ヨウヘイはゲラゲラ笑った。

 俺は立ち漕ぎをしてペダルを踏み込んだ。でも、後ろにヨウヘイを乗せているから全然進まない! 一人で走った方がよっぽど速い。……でも、何だか悪くない気分だ。俺はグイグイと自転車のペダルを踏み込んでいった。


「ていうか、ヨウヘイは何でこんな時間にここにいるんだよ?」

 俺は息を弾ませながらヨウヘイに尋ねた。

「寝過ごした! ケイタイのアラームが鳴らなかった!」

「はっはっは! 全く、間の抜けた僕ちゃんだこと」

 俺はカラカラと笑った。とりあえずウンコ事件の事は黙っておこう。

「そんな事より、シンちゃん……知ってる?」

「何を?」

「……菊池先生さぁ、一度ガッコウ辞めようとしたらしいよ?」

「……いつ? 俺達が生徒だった時?」

「俺達が中二の時だよ。田舎のお袋さんが認知症になって、その面倒を見る為にね」

「田舎って岩手だったよな? でも辞めなかったじゃん? 俺は卒業まで面倒見てもらったぜ? 今だって、中に先生いるし」

「ラッキーな事に東京の施設に空きがあって、そこにお袋さんは入れたらしい」

 そうか、そうだったのか。……もし、菊池先生が俺の前から消えていたら、俺は一体どうなっていたのかな? 陸上を続けていたのかな?

「俺も全く知らなかったんだけどね! 昨日、ハッシーがメールで……うわ!」

 ヨウヘイがバランスを崩して荷台から落ちそうになった。

「危ないよバカチンが! 君が倒れたら僕の方まで転ぶでしょ!」

 その時、犬がワンワン吠えながら自転車の前に飛び出して来た! 

「一難去ってこのバカチン!」

 俺はバランスを崩し自転車ごと転倒した。

「痛ったぁ……。何だ、何だ、獣が何か用か!」

 俺は立ち上がってきょろきょろと辺りを見回した。ヨウヘイはしゃがみこんで膝をさすっている。

 すると目の前にさっきの犬が現れワンワンと吠えたてる。――パグだ! ヘンな顔をした小型犬、パグだ!

「うるさいな、菊池先生かお前は! 向こう行け!」


「ケンジちゃん、やめなさい! そんなに吠えちゃダメでしょ!」


 飼い主だろうか? 色褪せたピンク色のワンピースを着たオバさんがパグを抱き抱えた。

「……すいません。リードが外れてしまって……」

 ワンピースのオバサンは血色が悪く髪の毛も乱れ、まるで幽霊みたいだ。身体もだいぶ痩せている。パグのケンジちゃんは頭の線が切れてでもいるかの様に吠えまくっている。

「……本当に何て謝罪をしたら良いのか……。今日も空に、例の『UFO』が見えるかなと思って……倉方城址公園に行ってみようと……」

 オバサンはじっと俺の顔を見つめる。見た目も言動も怖い。「UFO」って……。

 オバさんは何かを思い出した様に眼球をギョロリとさせた。

「……申し遅れました。私の名前は滝山。滝山――」

 するとヨウヘイが俺の袖を引っ張りながらオバさんの前に立った。

「オ、オバさん、僕達は別に怪我もしていませんから! かえってご面倒をおかけしてすいませんでした! では、これで――」

 ヨウヘイはオバさんに頭を下げると、俺の手を引っ張ってノボーリ坂を駆け出した。

「……おい、ヨウヘイ! 自転車は――」

「壊れている!」

「だからって、あのままにしておいちゃ――」

「気にしない! 拾った自転車だから大丈夫!」

 この男……さすがに俺の幼馴染だけある。「大丈夫」の意味が全く分からない。

「シンちゃん、入学式まで二十分を切った! さすがにまずい!」

 ヨウヘイは我先にとノボーリ坂を駆け出した。

「待て、卑怯者!」

 俺もヨウヘイの後を追いかけて駆け出した。

「……シンちゃん、あのオバさんも言っていたけれど、例の『UFO』の話しって本当かな?」

「えぇ? 『ウフォ』がどうした?」

「読み方違うから! 『ユーフォー』! ニュース全く見ていないだろ? 最近、東京の色々な場所にUFOが現れるんだよ! 白い二人の宇宙人が乗っているらしい!」

「そんなバカな? 一体、何をしに東京へ?」

「宇宙人は誰かを探している風な様子なんだって! どっかの中学生は言われたらしいよ? 『間違エタ。君デハ ナイ』って……」

 ヨウヘイは立ち止った。両手を膝に着いて荒く息をしている。

「……大丈夫か? ていうか、車で来たら良かったのに。オバちゃんに乗せて来てもらえば良かったじゃん?」

「……母さんもそう言った。でも、それじゃあ意味がない……。俺は自分の足で来たかったんだ……」

 俺はいつもの様に冗談が返せなくなった。ヨウヘイはずっと寝たきりだったからな。

「よし、ヨウヘイ! 俺が後ろから押してやる!」

「うわ、バカ! 怖いよ!」

 俺はヨウヘイのケツを両手で押して走った。

 

 俺は息を切らすヨウヘイを励ましながらノボーリ坂を駆け上がった。すると交差点が見えてきた。

「ヨウヘイ、あそこまで行けば後は平坦だ! 左に曲がったらもう倉方高校だ!」

 俺とヨウヘイは交差点の真ん中に倒れ込んだ。

「見ろヨウヘイ、あれに控えるのが三年間お世話になる倉方高校だ!」

 俺はすぐ向こうに見える倉方高校の白い校舎を指差した。校庭には桜の木が何本も見える。全て満開に咲いている。

「これから三年間か。……まぁ、シンちゃんは三年以上お世話になると思うけどね!」

「八年はお世話になろうと思ってる。卒業する頃、俺はトゥエンティーフォー!」

「ていうかシンちゃん、意味なく英語で言うのやめてくれ!」

 俺とヨウヘイは交差点の真ん中に座り込んだまま声を上げて笑った。

 やわらかな風が吹く。どこからか飛ばされて来た桜の花びらが空を舞う。桜……何で、桜って散ってしまうのかな? ずっと、いつまでも散らずに咲いていたら良いのに。――ってガラにもない事を考えちまった。


「ちょっとぉ、どいてどいて!」


 どこからか女の大きな声が聞こえてきた。

「シンちゃん、あれ!」

 ヨウヘイが立ち上がってノボーリ坂のさらに上を指差した。自転車に乗った女の子が猛スピードで下ってくる。倉方高校の生徒だろうか? 女の子は制服を着ている。

「危ないからどいて!」

 女の子はパンツを丸出しにして叫ぶ。自転車は真っすぐに俺の方に向かって来る。

「ブレーキ!」

 俺は立ち上がって女の子に叫んだ。

「ダメ、ほとんど効かないの!」

「そしたら横に滑らせろ! ザザザザって!」

 俺は右腕をブンブン横に振った。

「やってみる!」

 女の子は自転車の前輪を少し右に向けた。

「止まれえええ!」

 女の子は叫んだ。

 するとブレーキが効いたのか自転車の前輪がロックし、路面に黒い跡を付けながら後輪が横滑りしてきた。

「受け止めて!」

 自転車の女の子が叫ぶと、自転車の後ろの荷台から別の女の子が飛んできた。――もう一人女の子がいた! 制服を着た倉方高校生らしき女の子! 女の子達も俺達の様に二人乗りをしていたんだ!

「わ、わ、わ!」

 荷台から飛んで来た女の子が俺の頭上に降ってくる。まるで天から下りて来た様だ!

「シンちゃん、受け止めろ!」

 ヨウヘイが叫ぶ。

 俺は女の子の身体を両手で受け止めると、そのまま後ろにひっくり返った。

「痛たたた……」

 俺は仰向けにひっくり返ったまま眼を開けた。ほんの一瞬、気を失っていた様だ。……ん? 何かが、俺の胸を圧迫する。――女の子だ。荷台から飛んで来た女の子の頭が胸の上にある。

「お、おい大丈夫?」

 俺は女の子の肩を揺さぶった。

「……ん、ん?」

 女の子は顔を上げた。――俺は心臓が止まりそうになった。こんなに可愛い子、今までに見た事がない……。潤んだ様に輝いた大きな瞳、筋の通った高い鼻、微笑を湛えた様な薄い唇、肩にかかった艶やかな黒髪、微かに漂う甘い香り……。そんな天女の様な美少女が俺の顔を見上げている。

「は、はじめまして」

 俺はなぜか挨拶をした。

「あ、はじめまして……」

 女の子も俺と同じ様に挨拶をした。

「あの、黒井シンです」

 俺は女の子の眼を見つめたまま、なぜか自己紹介をした。

 すると女の子はクスっと笑った。


「黒須ルカです」


 黒須ルカ……。どこかで聞いた事がある様な名前だな……。

「ナイスな名前だ!」

 俺は恥ずかしくなってきたので反対におちゃらけた。

「黒井君も、ナイスだよ」

 ルカという子は俺の顔を見ながら笑った。俺も声を出して笑った。……なぜだろう、ルカの事は昔から知っている様な気がする。そんなワケないのに。

「ルカ、大丈夫?」

 もう一人の女の子がルカの身体を抱き起こした。……何だよ、今、いい感じだったのに。

 俺はよろよろと立ち上がった。――おっと、なるほど! なかなかケツが痛むぜ。これは暫く走れそうにない。

「ありがと、あなたのおかげで助かった!」

 自転車を運転していた女の子が笑顔でお礼を言ってきた。良く日焼けしたショートカットの女の子。倉方高校の制服を着ている。女の子はルカとは違い少し童顔だけれど、眼も大きく可愛らしい顔をしている。――思いっきり鼻の頭をスリ剥いているけれど。

「あなた達、倉方高校の生徒?」

「あぁ、一年。もしかして君達も?」

「そうよ、私達二人も新入生!」

 女の子は屈託のない表情で笑った。

「私達ね、この上の倉方城址公園でUFOを探していたのよ。でも、見つかりゃしないのよね。そうしたらこんな時間になっちゃって……慌てて自転車で下って来たの! そうしたら今度はこんな事になっちゃって!」

 女の子は自転車を指差してカラカラと笑った。ルカは恥ずかしそうにして笑っている。

「お、おいみんな、まずいぞ!」

 突然、ヨウヘイが叫んだ。慌てた様子で自分の腕時計を指差している。

「入学式まで十分を切ったぞ! 急ごう!」

 ヨウヘイは倉方高校に向けて走り出した。

「ヤバ!」

 女の子もヨウヘイの後を追って走り出した。

「ちょっと……自転車はどうするの!」

 ルカが女の子の背中に向かって叫んだ。

「帰りに取りに来る! どうせ壊れているでしょ!」

 女の子は振り返りもせずに走って行く。

「さぁ、俺達も行こう! しょっぱなから遅刻はキツイし!」

 俺はルカの手を握って走り出した。――俺とルカは、めっちゃ自然に手を繋いだ。

「……黒須さんは何組?」

「私? 私もあの子も三組」

「……本当に? 俺と、あのヨウヘイって男も三組だよ!」

「本当に?」

――何という展開! 俺はこの子と同じクラスだ!

 すると、二十メートル程前方を走る女の子がびっくりした様に振り返った。

「あなた達も三組なんだ! じゃあ四人はクラスメートね!」

「――ていうか、地獄耳だな君! 聞こえるか、普通?」

 俺が女の子にツッコむとルカが噴き出す様にして笑った。

「ちょっとルカ、汚いぃ! 唾が顔にかかったぁ!」

 女の子は手で顔を拭く真似をしながら顔をしかめた。

「そんなワケない! そんな所まで私の唾は届かない!」

 ルカは口を尖らせてむくれた。

「ひどいよね、黒井君?」

 ルカは上目づかいで俺の顔を見た。俺は返事をする事が出来なかった。口を尖らせたルカが可愛過ぎたのだ。凄まじい破壊力、小さな国くらいなら吹き飛ばせる。

「あ、あれってもしかして!」

 ヨウヘイが倉方高校の方を指差した。

「UFOだ!」

 ヨウヘイと女の子が同時に叫んだ。

 俺とルカは二人の所へ駆け寄り、後ろから空を見上げた。……確かに、倉方高校の校舎の上空に白い光が浮かんでいて時折ジグザグに動く。

 すると突然、周囲が激しく光った。眼を開けていられない程の眩しさ!


「とうとう、我々は見つけました」

「あぁ、皆も幸せそうで良かった。さようならアナさん、またどこかで……」


 俺の脳裏に、言葉を喋る二匹の白い猫の姿がよぎった。――宇宙人だ! 猫型宇宙人の映像が頭の中に送られてきた!

 眼もくらむ程の光は消えた。空に浮かぶ白い光も消えた。倉方高校の校舎が何事もなかった様に佇んでいる。

 俺達は暫く空を眺めていた。

「……皆にも、今の猫達が見えたよね?」

 女の子が空を眺めたまま呟いた。ルカとヨウヘイが「うん」と頷いた。

 ……皆にも猫型宇宙人の姿が見えていたんだ。ていうか、猫型宇宙人は俺達の事を探していたのかな? 何度も東京に現れたのは、俺達を探していたからかな?

 女の子がふらふらしながら振り返った。

「……ルカ、今の猫達が言った事って」

「うん」

 ルカは頷くと女の子の眼をじっと見つめた。

「……そんな、一体どうして?」

 女の子は不思議そうな顔をして再び空を見上げた。

「……どうしたの? あの猫達がどうしたの?」

 俺は女の子に尋ねた。

「……今の猫達ね、私の事を話していたの」

 俺は訝しく思いヨウヘイの顔を見た。ヨウヘイは肩をすくめた。

「どうしてそう思うの?」

 俺は女の子に尋ねた。すると、女の子はじっと俺の顔を見つめた。


「……だって、私の名前はアナ。私の名前は『神野カミノアナ』」


 神野アナ……。確かに、「さようなら、アナさん」って猫型宇宙人は言っていた。何でこの子の名前を呼んだのかな? もしや、このアナって子は宇宙人なのかな? いや、まさか、どう見たって普通の人間にしか見えない。猫をかぶる人間は知っているけれど、人間をかぶる猫なんて聞いた事がない。

 倉方高校からチャイムの音が聞こえてきた。


「ヤバ!」


 俺達四人は一斉に叫んだ。とうとう入学式が始まる時間になっちまった!

「皆、走ろう!」

 アナが先陣を切って走り出した。

「わあ、まずいまずい! こりゃ怒られるぞぉ!」

 ヨウヘイも慌ててアナの後を追って走って行った。ルカも二人を追って走り出した。

 俺はその場に立ち尽くした。三人の姿が遠ざかって行く……。

 俺の胸に不思議な思いが去来した。俺はどこかでアナとルカに会っている。それだけじゃない、俺は二人とめっちゃ親しかった。そんな事があり得ないのは分かっている。でも遠い遠い昔に別れたアナとルカに、俺は再び出会えた様な気持ちになっている。

 一陣の風が吹く。空に桜の花びらが舞う。まるで雪の様だ……。俺はこの情景を一度見た事がある様な気がする。アナとルカと俺でこの情景を……。「輪廻転生」という言葉が頭をよぎる。俺は何かを掴みかけた様な気がした。でも掴んだ何かはすぐに消えてしまった。


「シン君、早く!」


 ルカが俺の手を握って叫ぶ。……なぜここに? ……そうか、ルカは引き返して俺を呼びに来てくれたんだ。……そうだ、こんな所でうかうかしちゃいられない。とにかくルカと一緒に走って行かなきゃ。

 俺はルカに手を引かれて走り出した。

「ごめんごめん、シェイクスピアについて考えていたんだ」

「何それ? 冗談はいいから早く行こう!」

「行こう行こう! 『どんなに長い夜も、必ず明ける』!」

「ヘンな人、アナにそっくり!」

「君を受け止めてひっくり返ったせいで微妙にケツが痛い! しかし、それでも俺は走ろう!」

「あら、まるで私が重かったみたいね!」

 ルカは笑いながら俺の肩をつねった。


 俺の高校生活、何だか愉しくなりそうだ。俺はヨウヘイとアナ、そしてルカと三年間つるんでいく事になりそうだ。――いや、四人揃って不思議な経験をしたんだ。俺達は一生つるんでいく仲になるのかもしれない。俺の一生はいつまで続くのか分からないけれど、この出会いを大切にして生きていこう。

 アナとルカの正体は分からない。でも、そんな事はどうでもいい。俺はこの与えられた命を最大限に燃やして生きていくんだ。まだ俺の人生なんて始まったばかりだ。これからの長い人生、嫌な事もたくさん起きるかもしれない。それでも俺は精一杯、愉しく生きていこう。なぜだか分からないけれど、大いなる何かもそれを望んでいる様に思うから。

「おーい、待ってくれ!」

 俺はアナとヨウヘイに向かって手を振ると、今度はルカの手を引いて走り出した。

 アナが俺の方を振り返った。アナの表情は、初夏の青い木々の様にキラキラと輝いていた。


―完―

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私は十四歳の女の子アナ。でも三千年生きています。 天乃川シン @morioka777

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