ふたりぼっちの星の家

ここのえ九護

ふたりぼっちの星の家




「――――ようやくみつけた」




 咳き込みながら、分厚い防護服越しに届きもしない額をぬぐう。服の下は壊れかけの空調のせいで汗だくだ。

 石のように固くなった腰を伸ばし、ゆっくりと周囲を見回す。灰色の空の下、崩れて原形をとどめない建物と、地肌が剥き出しになった地表。正しく人類滅亡後の世界といったところか。


「だいぶ手間取っちまった」


 地面に投げ捨てられた廃材と、いくつかのチューブが生えた小型のジェネレーターを担ぎ上げ、車体の左半分がひしゃげた車の荷台に押し込むと、運転席に乗り込みハンドルを握る。古い車だが、自動運転式ならとっくにガラクタだっただろう。ハンドルのありがたみに感謝しつつ、俺は拠点の一つへと車を走らせる。


 遠くに無数の朽ち果てた高層ビルが枯れ木のように林立しているのが見えた。緑の木々なんてものが完全に失われている以上、そんなものでも目の保養にはなる――。

 俺はそのままハンドルを握っていない左手首に目をやる。鈍い銀色の円の中で、赤い針が左端ギリギリの位置をカタカタと指し示し、防護服内の気圧がダダ漏れになっていることがわかる。この車と一緒で、この服もただの気休めだ。実際、どれだけ効果があるのやら……。




 地球上から人類が消え去って二年――まあ、正確には消え去ったのかどうかも定かじゃないが……少なくとも俺は、この二年間で俺以外の人間にお目にかかったことはないし、話したことも――ない。




 ――人類が体験した最初で最後の星間戦争。その余波は、地球の大気をどうしようもないほど汚染してしまった。それこそ、人体に有害というだけなら両の手の指じゃ数え切れないほどの有害物質がうようよと漂っている。最近、咳が止まらなくなる発作が酷いのもそのせいだろう。




 おそらく、俺の命もそう長くない――。




 ○  ○  ○




 ――いまから思えば、アレは俺たち人類にとってのパンドラの箱だったんだろう。

 SF小説の世界ではとうに使い古された話。そしてとっくの昔にあらゆる手段でその存在を否定された星――。



 太陽系には、太陽のちょうど裏側に、発見されていない地球と瓜二つの星がある。



 もう一つの地球――俗に言う『セカンドアース』が見つかったのは、俺がまだガキの頃。うすぼんやりとした記憶の中で、世間が大騒ぎになっていたのだけはなんとなく覚えている。


 聞いた話では、セカンドアースが長いこと見つからなかったのはダークエネルギーやミラーマターのせいらしいが……そもそもそんなことはどうでもいいことだったし、何よりそれを理解するほどの知識が俺にはなかった。


 それよりも重要なことは、この星が本当に地球と瓜二つだったってことだ。

 水があって空気がある。星の姿は青く、俺がその星の映像を初めて見たときも、正直どっちが地球なのか、すぐにはわからないほどだった。




 そして、セカンドアースが地球に瓜二つだったのは姿形だけじゃない。




 そこには俺たちと同じ人類が住んでいた。ついでに言えば、そいつらの文明も、技術レベルも、当時の地球とほとんど一緒だった。




 結果、何が起こったか――。




 二つの星の代表は、初めは吐き捨てるような絵空事を並び立ててはいたものの、すぐに化けの皮が剥がれて争いを始めた。

 一発数兆もするミサイルを相手の星めがけて打ち上げ、隕石を押し出し、月を削り取った。おかげで科学技術は大層進歩したが、代わりに星の人口は減りに減った。




 星間戦争開始から二十年。




 気付けば、いつの間にか地球上の人類は俺一人になっていた――。




 ○  ○  ○




「ただいま」


 俺は錆だらけの薄い板を横滑りさせ、いまにも崩れ落ちそうな建物の中へと重い足取りで入っていく。


「とりあえずこれで準備は出来た。あとは飛び立つだけだ」


 独り言を続けるが、別に俺の頭がおかしくなったわけじゃない。ただ、俺の会話には返答があるまで少し時間がかかる。俺が先に発言して、相手からの返事を待つのがなじみのやりとりになっていた。

 くそ重い防護服を脱ぎ捨て、薄汚れた布で汗を拭く。ここで作業を開始してもうすぐ一年。ようやくなんとかなりそうだ。


「待ってろよ……いよいよお前の顔をこの目で――」

『――おかえり~、どうだった? 目当てのもの、見つかったぁ?』


 煤にまみれた顔で目の前のデカブツを見上げる俺にかけられる、ノイズ混じりの女の声。こいつが、さっきまでの俺の話し相手。若干軽薄そうな、気怠げな声。

 以前の俺ならうんざりしていそうな手合いだが、いまの俺は、今日もこいつと話せたことに大きく安堵していた。


「ああ、いま聞こえた。まだ元気そうだな」

『へぇ~。準備できたんだ。良かったじゃん! アタシの方はさぁ、超レアな缶詰みつけたんだぁ、フルーツのやつ!』


 相変わらずかみ合わないまま進む会話。だがこれももう慣れっこだ。彼女もそうだろう。


『なぁに? そんなにアタシの顔が見たいの? アタシのこと、そんなに好き?』


 俺はすぐには答えず、部屋の奥からいくつかの缶詰とパック入りのビスケットを取り出す。缶詰を開け、冷えたまま中身をすすり、缶詰に入っていたトマトをビスケットに塗りつけて口に運ぶ。


「……少なくとも、ミサイルに乗ってそっちに行く気になる位には」


 冷え切った酸味が口の中に広がる。それと同時に、俺は彼女の質問にあっさりと答えた。


『最近は大丈夫だけどさぁ、なるべく早めに来たほうがいいかもよ? アタシが先に死んでたらギャグじゃん?』

「それは俺も同じだ」


 缶詰の底に残った汁をすくい取りながら、俺は俺の目の前に据え付けられた通信端末に向かって話しかけていた。この声の主はここにはいない。とんでもなく遠い場所にいる。どのくらい遠いかと言えば、地球の太陽周回軌道の半分の距離……ってところか。


『キャー! それって告白ってヤツ? ねぇねぇ!? でもアタシィ、まだ会ったこともない人とおつきあいとか出来ないかも~!』


 聞いてるだけで頭が痛くなってくるこの声の主――。

 彼女の名はヤシロ・ナナリというらしい。らしいというのは、俺も彼女から聞いただけで、それが本当かどうかはわからないからだ。当然ながら、面と向かって彼女と会ったこともない。


 星間戦争当時、俺は宇宙空間を超えて敵対者の星を攻撃することが可能なミサイル製造のエンジニアをやっていた。激化する星間戦争で人類が劣勢になり、終いには俺以外の全員が死んだ後、絶望した俺は自死すら考え、荒れ果てた廃墟を彷徨うはめになった。

 そんな俺を救ってくれたのが、突然のナナリからの通信だった。なんたって、俺以外の人類は全滅したと思っていたんだから。


 だが、そのとき俺が最も驚いたのはナナリの居場所だった。

 話を聞くに、彼女はセカンドアースから地球に通信を送っていて、しかもどうやら、セカンドアースにもナナリ以外の人類はもう誰一人として生き残っていないらしい。


『ミサイルに乗って来るのはいいけどさぁ、そのせいで二人ともどかーんってなったりして! そうなったらギャグだよねぇ~!』

「洒落になってねえ……そうならないようにしてる」


 それ以来、この荒廃した世界で毎日のように話しているうち、俺はすっかり彼女に好意を抱くようになっていた。そして当然の流れとして、俺は彼女に会いたくなった。それも生半可な熱意じゃなく『絶対、必ず会いたい』ほどに。


 当然、初めは無茶な願いかとも思った。だが、廃墟になった街で『あるモノ』を見つけた時、その願いは現実味を帯びてきた。

 それから俺はセカンドアースへと辿り着くための準備を本格的に進め、そのためだけに残された時間を使うようになった。


『あのさぁ。あんたってホンットに物好きだよねぇ。アタシとカレシカノジョでもないのにそんなことまでしてさ。普通だったらストーカーじゃん?』

「――そこはまあ、気にするな」




 こんなことを言ってはいるが、彼女は俺がセカンドアースに向かうことを止めようとはしない。

 空になった缶詰をガラクタの山に放り投げると、俺は立ち上がって背後へと向き直る。それこそ俺が見つけた『あるモノ』。

 そこには巨大な、一発の垂直発射式のミサイルが備え付けられていた。


「こいつに俺が乗れるスペースをくっつけて打ち上げる。軌道修正なんかは元々組み込まれたシステムを使えば勝手にそっちに着くはずだ。問題は、お前のいる場所の近くに落ちれるかってことだが、そこは考えてある。多分うまくいくはずだ」

『ま、まあ。アタシは別に、あんたが来ても来なくても、どっちでもいいかなってカンジだけどぉ……』


 俺は目の前のミサイルに歩み寄ると、そのまま手を添えてその冷たい感触を確認する。元はセカンドアースを攻撃するために作られた、惑星爆撃用のミサイルだ。当然、ミサイルに俺が乗るスペースなんか用意されちゃいない、そこは後付けになる。


 だが、20年前に比べれば、星間航行技術は遙かに進歩した。このミサイルだって、少し弄れば長大な宇宙の旅に耐えられるだけの推力と居住性を獲得できるはずだ。


『――盛り上がってるところ悪いんだけど……間に合うかな? なんか、やっぱりアタシってば、そんなに長生きできないかも――』


 不意に、不安げな声を出すナナリ。


「間に合わせる」そう言おうとした俺も、苦しげに咳き込む吐息を必死で隠し、ただひたすらに強い口調で、ナナリと自分を励ますようにもう一度そう言った――。




 ○  ○  ○




 その瞬間が訪れたとき、俺の胸に去来したのは達成感や感動ではなかった。


 側面に備えられた窓から、離れていく灰色の大地と、赤く干上がった海が見えた。


 俺が星間弾道ミサイルに乗り込んで地球を離れたその瞬間。


 地球上から、最後の人類が消えたその瞬間――。


 ああ、人類は本当に馬鹿なことをしたな。とても美しかった一つの星を、自分たちが生まれた母なる星を、自らの手で滅ぼしたんだなと言う実感が、改めて俺の胸にこみ上げてきた。


 思えば、俺はミサイルなんか作りたくなかった。本当は、地球と火星を行き来する星間旅客機を作るはずだった。内定も出てた。




 どうして、こんなことになったんだか――。




 ――だが、いまはそんな感傷に浸っている場合でもない。宇宙服の中で浮き上がる自分の流した涙に苦笑いを浮かべると、俺はすぐさまミサイルの軌道確認に入る。

 大筋の道のりはオートで問題ないはずだが、いつどこにエラーが隠れているかもわからない。ここまできて、しくじるわけにはいかなかった。


 煌々と光り輝く太陽を左手側に受け、ミサイルは地球の太陽周回軌道とは反対に向けて進路をとる。太陽の横をすり抜けて直進する軌道より、この方が遙かに早くセカンドアースに着くことが出来る。

 俺は震える手でパネルを操作し、ゆっくりとセカンドアースへの進路を取った――。




 ○  ○  ○



 

 ――地球軌道離脱直前、長い戦争で積もり積もったデブリ帯を突破する。冷や汗をかく俺に、ナナリが声をかける。

『ねぇねぇねぇ、アンタがこっちに来たらさ、何しよっか?』

「……買い物でもするか?」


 ――セカンドアースへの長い旅、その最中、僅かだが軌道がずれた。必死に修正を試みる俺に、ナナリから声がかかる。

『ねぇねぇ、もし私がとんでもないブスだったら、アンタどうするの? ミサイルで帰っちゃう? そしたらウケるんだけど!』

「……別に、気にしない」


 ――シュウシュウと嫌な音を立てて船室から空気が漏れている。このままじゃ死ぬ。そんな時、不意にナナリからの通信が入る。

『んと……あとどれくらいで着きそう?』

「……あと二ヶ月」


 ――最近咳が酷い。あの空気漏れはヤバかった。いま生きてるのが不思議なくらいだ。だがそれよりも気がかりなのは、最近ナナリからの声がどんどんか細く、弱くなっていることだ。

『ねぇ…………あと、どれくらいで着きそう……?』

「……あと十日」

 俺は答える。あと十日でつく。だから、だからそれまで――。


『あのさ……アタシ……――』

「……おい?」




 ○  ○  ○




 ――着いた。


 俺は、辿り着いた。


 不時着に成功し、斜めに大地へと突き刺さったミサイルを背に、俺はゆっくりとあたりを見回す。


 荒涼とした大地。暗く広がる空。廃墟と化した町並み。

 驚いた――本当に地球と瓜二つだ。


 驚きつつも、俺はミサイルの中に戻って周囲の地形と通信帯域の確認を行う。持ち込んだ受信機は着陸の衝撃で壊れかけだが、なんとか稼働してる――。


「頼む。生きててくれよ――」


 俺は心の中で祈りながら、この一年と少し、何度も何度も送受信を繰り返したナナリとの通信の発信地へと向かった――。




 ○  ○  ○




 そこは、あまりにも小さな部屋だった。




 崩れた廃材が積み重なったような瓦礫の山。その隙間に備えられた入り口は、見つけるのにも苦労するほど。中は人が三人入れるかどうか。天井は低く、瓦礫の山から僅かに覗くシステム端末が、かすかな光を発していた――。




「……悪い。遅くなった」




 その部屋の中。俺は既に冷たくなった一人の少女を抱いてそう呟いた。


 年の頃は十代半ばほどだろうか。茶色かかった髪に、そばかす。

 そして傷つき、ボロボロになった指先――。




(アタシの方はさぁ、超レアな缶詰みつけたんだぁ、フルーツのやつ!)




 ――男の俺でも日々の糧を探すのは一苦労どころの話ではなかった。瓦礫をどけ、崩れた建物を歩いて回るのは、さぞ辛かっただろう。

 そして、彼女が力尽きたのは本当に、本当につい先ほどのように見えた。日常的に交わしてた彼女との軽口。その軽口の裏で、一体どれだけの苦労が――。


 俺は、かすかに震える俺の手を、そっと彼女の手に添えた。


 彼女の周囲には、飲みかけの水が入ったボトルと乾いたパン――。


 その様子に、ナナリが最後まで生きることを決して諦めていなかったことが俺には一目でわかった――。




 ――彼女を一人で死なせたくなかった。




 今までの通信で、お互いに長く生きられないことは良くわかっていた。




 愛したいわけでも、愛されたいわけでもなかった。




 彼女が死ぬときに、側にいてやりたかった。

 俺が死ぬときに、側にいて欲しかった。




 俺も彼女も、ただ寂しかっただけだ。




 俺は石のように固く、冷たくなった彼女の亡骸を抱きしめ、涙を流し、嗚咽した。

 冷たくなった彼女を、少しでも暖めようとするように――。


 だが、ナナリの亡骸を抱いて泣く俺の全身にも衝撃が走る。


 発作だ。


 激しい痙攣と咳に激痛。そして、喀血。これはまずい。息が出来ない。

 震える手でナナリを床に横たえると、俺はそのまま仰向けに倒れ込み、膝を抱えてのたうち回る。ここまでか。できれば、もう少し安らかに死にたかったが――。




 まあ、俺は一人じゃない――か。




『――ちょっと! アンタ遅すぎ。おかげで先に死んじゃったじゃない!』

 



 ――っ!?




 発作に苦しむ俺の耳に、聞き慣れた軽い調子の声が届いた。

 その声は、この一年間ずっと聞いてきた彼女の、ナナリの声……。


「な、なり……?」

『そうよ! それよりアンタ大丈夫? アンタも死にそうじゃん?』

「どこ、から……」


 霞む視界の端、ナナリの声がする方に目を向けると、そこには瓦礫に埋まった先ほどのシステム端末――。


『そうそう。いまのアタシはその中。アンタが間に合わなそうだったから、この中に意識だけ移して待ってたの』

「なっ!? そんなことが、できるのか?」


 突然わけのわからないことを言い出すナナリに、俺は発作の痛みすら忘れて声を上げた。


『さあ? アタシもよくわかんないけどぉ、そういうものなんだって』


 相変わらずの軽さ。だが、いまの俺は落胆からの喜びに満ちあふれていた。思わず笑みすら浮かべて目を見開く。


『ほら……アンタももう死にそうなんでしょ? そこにある変なのつけて』

「それだけで……いいのか?」


 俺は半信半疑のまま、地面を芋虫のように這いつくばると、すぐ側にある端末から伸びるゴーグルへと手を伸ばす。


『おっけ~! あとはアンタが死ぬだけ。がんばって死んでね!』

「はは、は……頑張るよ」


 ゴーグルを装着すると、視界は真っ暗だった。

 いや、かすかに光の粒のようなものが見える、気がした。


 その光は、漆黒の宇宙を飛ぶ、いくつもの流れ星のように俺には見えた。


「よかった、のか? 俺みたいな、ストーカーを誘って――」


 言って、目を閉じる。息が静かになっていくのが自分でもわかった。

 さっきまで早鐘を打っていた心臓の鼓動が、確実に、少しずつ弱くなっていくのを感じた。


『まだそんなこと気にしてたのぉ? いいじゃん、一人より二人のほうが楽しいって!』




 ナナリのその言葉が、俺の体の芯まで澄み通っていく――。



 もう、それ以外は何も聞こえなかった。




「――ああ、そうだな」




 そう答えたはず。

 定かではない――。




 俺の意識はそこで途絶え、次に目を覚ましたときは彼女の家の中だった。




 まばゆく輝く光の世界――。




 笑みを浮かべ、片手を振って俺に呼びかけるナナリの姿――。

 俺はつられて笑みを浮かべると、彼女と同じように、大きく手を振って応えた――。




 ○  ○  ○




 ある日滅びた二つの星。

 生物は死に絶え、文明は瓦解した。




 そんな、滅びた世界の片隅――。



 

 かばい合うように隣り合った二つの亡骸と、静かに重なり合った二人の掌――。




 そしてその亡骸の隣、小さな瓦礫の狭間。

 静かに稼働し続ける一台のシステム端末。




 うすぼんやりとした明かりを放つそれは、いまは暖かな、二人の家――。


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