「義博が死んだの、仕事中だったんだ。事故で。あっけなかった。それを知らせてくれたのも真理子で、真っ青な顔で会いに来たのを覚えてる」

 ――アダム、どうしよう。ヒロ死んじゃった。

「俺たちは、メディエータ同士結構仲良くて。義博はどっちかといえば、デシメータ向きの歩く聖水みたいな奴だったんだけど、シフが同じだったから、シフの理念に賛同してた。義博が死んでからしばらくして、ヒロがまだいるって真理子が言い出して、それで幽霊になってるのを知った。その、生前の能力のせいで、ちょっと特殊な霊体になっちゃったんだよ」

 あの後、アダムが場を閉じた宣言とともに、周囲の寒さは徐々に和らいでいったし、視界も開けた。倒れている真理子を抱きかかえて拾ったタクシーの中で、アダムはぽつりぽつりとそんな話をしてくれた。

「俺も最初はなんでだろって、でもさ、よくある話だろ?この世に未練がなくなったら自然とその時がくるだろうって思って、軽い気持ちで仲介したんだ。けど、デシメータの除霊対象になることくらい、予想もついてた。俺も真理子も。五年もとどまってるなんて、普通じゃないよな。ただの霊体なのに」

「デシメータ……」

 あの場を離れる時も、ぴくりともしなかった黒いトレンチコート。

「あの人、大丈夫だと思うんだけど。もうヒロはいないから、たとえ意識があったとしてもあれ以上俺たちに害は加えないと思うし、第一会いたくないじゃん!?二度と顔も見たくないわ!マジで撃たれるかと思った。物騒すぎるだろ。上に告げ口されないといいけどな~~されたら告げ口し返そう」

「ちょ……」

 冗談、といって笑って見せたが、先ほど無理に展開した後遺症で、彼はまだとても寒いはずだった。笑顔が引きつっている。存在を今更思い出して、コートのポケットに入れていたカイロを彼の手に握らせる。もう手袋はしていなかった。

「ありがとう」

「いいえ。……アダム、あの、東雲さんは……」

「意識が戻ったら、ちゃんと話すよ。昨日、逃げ回ってたんだろうな。きっと」

 事務所へ戻って、しばらく寝かせよう、と言って意見が一致した。まだ気を失ったままの真理子は、私の肩に頭をもたれさせて座らせていて、そのかたく閉じた瞼の縁から一筋涙が流れたのを、私は見て見ぬふりをしていた。


「で?」

「でって言われてもね」

 月一くらいで定期的に行っている楓との週末ランチ会の今回のセレクトは、先月オープンしたばかりのパンケーキカフェでバナナチョコレートメイプルパンケーキのドリンクセット(コーヒーにした)だった。ランチというよりはほとんどデザートのそれだ。

「で、恋敵は恋敵じゃなかったんでしょ!?機密事項多すぎて話の内容よくわかんないけど、結局園子は告白したわけ?」

「してないっていうか……だから……好きとかじゃない」

「デートしてるのに!?」

「デートじゃないし」

「ごめん。訂正するわ。一緒にご飯食べに行く仲なのに?」

「ご飯くらい別に誰とでも食べるしさ」

「園子…………」

「ごめん。やっぱ楓の考えてるような楽しい展開にはならないかも。多分向こうはそう思ってないもん」

「園子ぉぉ…………」

 フォークとナイフを握りしめてがっくりうなだれている友人を見ながら苦笑した。多分、そういう展開にはならない。というか、正直なところ、ちょっと揺さぶられたくらいであれだけ動揺して滑稽な立ち回りを演じた自分が恥ずかしくてしょうがなかった。

 そういうキャラじゃないし。

 思い返すと、まるで本当に自分がアダムを好きみたいだった。

 いや、そういう風に考えたことないし。

 自由意志、自由意志……と心の中で唱えていると、メールを着信して携帯が鳴る。アダムからだった。

『今日の夜、空いてたら飯行かない?』

 特に断る理由もなかったので、大丈夫、と打って返信する。いや、特に断る理由もないからこれでいいはずなのだ。返信した後、メールの内容に続きがあったことに気づく。

『真理子から術の件聞いたけど、そのことで今日話したい』

 目に入った瞬間、何故全文を読まずに返事してしまったのか本気で自分を呪った。

「園子?どうしたの?」

「……穴があったら……入りたいと思ってたところ……」

「……園子ってかっこいいのにたまにおっちょこちょいだよね。そういうギャップがいいんだけど」

「ぜんっぜんうれしくない……」

 いいじゃん!イケメンからのお誘いでしょ!?深く考えずにさ行ってきなよ~また報告待ってる!と呑気に送り出してくれた友人のおかげで多少の心構えはできたものの、内心では一体何を言われるのか気が気ではなかった。自惚れるなとか?期待するなとか?それとも、そこまで踏み込んだ会話すらしないだろうか。

 ギクシャクしたまま落ち合って、けれどアダムはいつもと変わらないどうでもいいような他愛ない会話をずっと続けていて、私もそれにいつもみたいに相槌を打って、ご飯を食べて、さあ帰ろうと車に乗って、助手席でシートベルトを締めようとして。

「あのさ。話なんだけど」

「はい」

 来た。

「真理子が言うには、そんなつもりはなかったらしいんだけど」

「はい」

「めっちゃ俺のことディスってたってほんと?」

「へ?」

「人の心がないみたいなこと言っちゃったって言ってた。溝が深くて?人とわかりあえない……?なんか、基準が違うとか。仮面かぶってるとか?あいつの話、要領得なくて」

 言われてみれば確かにそんなことを言っていたのだが、ニュアンスがかなり捻じ曲がっている気がする。

「とにかく、一般人に術かけるのは論外ってこってり絞っといたから、またクロエに謝りに来るとは思うんだけど。なんかその、内容が」

「違う」

 言わなければいけないと思った。今、言わなければ。

「違う。あなたのことを、私じゃわかりっこないって言われたの。護衛だけしてればいいんだって。生きてる世界が違うって。あなたが、優しいのは……」

「クロエ?」

「……あなたのうわべしか見えてないからだって。……ごめんなさい」

 そうだった。

 胸の奥に棘のように刺さったのは、自由意志でもなんでもない。生きてる文脈が違う、と彼女は言ったのだ。メディエータだから。一般人だから?私には、何も見えないから。同じものを見て、共感して、一緒に分かち合うことなどできないのだと、言われた気がしたからだ。そこには壊しがたい壁があって、それは、のぼることもできないほど高かった。あまりにも違う世界に生きている。

 こんなにすぐ隣にいるのに。同じ言葉を喋るのに。

 気づいたら、視界がぼやけていた。慌てて下を向いた。涙がこぼれても、化粧が落ちないように。

「クロエ」

「うん」

「俺さ、クロエのこと、すごく信頼してるよ」

「うん」

「真面目だし、冷静だし、凄腕だし。俺なんかにもったいないなって、いつも思ってるよ。尊敬してるし、うらやましい。俺には見えないものが見えてる人なんだって。いつもまっすぐ前向いててさ。だから、俺に見えないものを、クロエが見せてくれたら、クロエに見えないものを俺が見せて、そしたら、全部カバーできると思わない?」

 どうしてアダムの言葉はこんなにあたたかいのだろう?

「不安とか、悩みとか、なんでも言っていいのに。抱えすぎ」

 俺って頼りない?と続けてそう言って、アダムは苦笑した。

「いや……」

「いつもありがとう」

 その言葉を聞いて、胸の内でわだかまっていたものが、ゆるやかに瓦解していく。ぱちん、と何かが弾けるような音がする。アダムは、本当は手袋も、合図も無くったって、力が使えるのかもしれない。膝の上に、ぱたぱたと涙が落ちて、スカートを濡らした。本当に、彼はなんでも仲介できるのかも。

「わたしこそ、ありがとう」

 なんとか振り絞って、そう言ってアダムを見たら、ちょっとびっくりした顔をして、それから微笑んで頷いた。

 過去の傷を共有しなくても、同じものを美しいと感じて、気持ちを言葉にして、そうしてうまくやっていける気がする。

 間もなく降り始めたみぞれ混じりの雪を見て、アダムは、せっかくだから、どこか喫茶店でも入らない?奢るし、と言った。

「いいけど……あと、一個聞いてもいい?東雲さんとは行かないの?カフェとか」

「え?真理子?あいつさ……女性ってそんなものかなって思ってたけどさ、飯行ったら全部俺に払わすから行かない。遠慮っていう二文字が一切見当たらないよな、義博が生きてた頃はめちゃくちゃ面倒見てくれて本当助かったけど、私生活で絶対一緒に居たくない。てか、クロエとしか行かないよ。最近」

「え」

「休みの日、家にいるって言ってたから、迷惑じゃないかなって思ってたけど。待たせると悪いから出る準備してから連絡してた。もしかして気を遣わせてたりする?」

「いや、あの、ぜんぜん……」

「なら良かった。結構楽しみにしてるんだけど、嫌だったら断って」

 なんで、確かめずにいられないのかって、それは、そういう性分だからなのだ。突き詰めて、いい結果になったことなんか、一度もなかったけど。

「嫌じゃない」

 返事の代わりに少しだけスピードが速くなった。

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メディエータ Ⅲ 有智子 @7_ank

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