第二話 猫は常に気まぐれに行動するわけではない。 二
「いや、これは大変失礼しました。貴方がそれほどまでに彼女の才能を買っているとは思わなかったもので」
エルロイは、今度は僅かに慌てた様子で謝罪する。話の内容は相変わらず微妙に失礼だったが、謝罪する姿は直前までの妙な反発を感じさせないものだった。
少なくとも、彼が族長に対して素直に敬意を払っていることが分かる。微妙な失礼さは、ただ「私の実力を知りたくて少々いたずらをしかけている」ということらしい。
そのことに気がついて、私は顔が赤くなってしまった。相手の言葉や仕草に乗せられて、素の自分を曝け出してしまった。
――まったく、私は未熟者だ。
任務であれば自分の心を押し殺して何時間でも「無」になることが出来る。にもかかわらず、普段の生活だと無礼侮辱の類には即座に反応してしまうとは、まだまだ心の修行が足りない。
目の端に微笑むゴシュの横顔が見える。それで私の心は僅かに高鳴った。
――それにしても、さっきの「私から手合わせ願いたい」というのは本心だろうか。
私も出来ればそうしたかった。
勝てるとは微塵も思っていなかったが、戦ってみたかった。
全ての力を振り絞って相手にぶつかってゆくことが久しく出来なくなっていたから、なおのことである。競技会ですら生温くて仕方がない。
「それで、ビルヌーイはキャスターリエンをどうしようというのかね」
族長の穏やかな声で、私は我に帰る。
――そうだった、その話の最中だった。
エルロイは苦笑しながら言った。
「どうにもこうにも、そんな力が実際にキャスターリエンに存在するのであれば、なんとしてもその行使を阻止しなければなりません」
ニーアの視界の端にある族長の目が、細くなる。ゴシュは重く沈んだ声で言った。
「……ビルヌーイお得意の武力介入かね」
それに対してエルロイは、なんでもないことのように軽く答える。
「その通りですよ」
しばし、沈黙がその場を支配した。
椅子に座っているゴシュと、その隣に立つ私。
その前に立っているエルロイ。その後方には最初の挨拶で「アイリス」と名乗って以降、ずっと黙っている従者がいる。
部屋の入口付近には、私の従者であるカシュマが真面目な顔で立っていた。
全員が――エルロイの無口な従者ですら、今までの話を反芻してその内容を吟味しているように感じる。
暫くすると、族長が息を吐いてから言った。
「はあっ……しかしながら、確たる証拠もないままに他種族に攻撃を仕掛けるというのは、五種族協定に反する」
その返しは想定済みだったのだろう。エルロイは口の端で小さく笑いながら答えた。
「既にジェイコフの同意は取り付けております」
「なんと!」
今日初めて族長が驚きの声を上げる。それも無理はなかった。
五種族協定というのは、過去何度も繰り返された種族間抗争の末、五十年ほど前に世界の破滅を回避すべく結ばれたものである。
合理的な理由のない先制攻撃を厳しく禁じたもので、違反すると他の四種族が連携して対処することになることから、締結後、これまでのところ表立っての戦闘は行われていなかった。
武闘派二種族はその性格上、日頃から一触即発の関係にあったから、「協定違反をどちらが先に犯すか」というのが巷の噂になっている。その彼らが手を組んだというのだ。
族長の顔が横目でも分かるほどに曇る。
それに対してエルロイの顔は依然として明るい。彼は話を続けた。
「もちろん、だからといってビルヌーイが戦争を望んでいるわけではありません。ジェイコフとの事前同意はただの安全保障です」
「……相互不可侵条約かね」
「ご明察」
二人の会話の内容については、私にも何となく理解できた。今回の件について、ジェイコフは見なかったことにするということなのだろう。
それにしても、長年反目してしていたビルヌーイとジェイコフが秘密協定を締結するとは私も考えていなかった。
それほど、ビルヌーイとジェイコフが今回のキャスターリエンの件を重要視していることの表れだったが、その点について私は今ひとつ理解できていなかった。
――武闘派二種族が揃って脅威と感じるものなのか?
私が首を傾げていると、エルロイはすまし顔でこう続けた。
「それに大規模な戦闘行動を必要とするわけではございません。あくまでも真偽を見定めるための隠密行動が先ですから、ジルゴニアからはニーア様のお力をお借りできれば十分です」
「な?」
「む!」
急に自分の名前を呼ばれて焦った私の声と、重い族長の声が重なる。族長が顔を上げて言った。
「隠密裏に事の真偽を探り、真ならばその根源をその場で破壊する――そういうことだな」
「さすがは先々代」
迷い猫往還記(ストレイキャッツ・インタラクティブ) 阿井上夫 @Aiueo
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