5月

僕たちのサークルは三ヶ月に一度、研究発表会がある。サークルメンバー内でペアを組み、特に競い合うことは無く、他人の研究へ対する理解や、ペアワークの発展という最もな目的を掲げ、行われている。が、実際はこうでもしないと暇でサークルが廃れてしまうからだ。

この時期はみな、自分たちの発表原稿や資料作りに耽っている。

「竹高さんは何の発表をするんですか?」

ひょこっと顔を覗かせる彼女に驚き、僕は背をそらした。

「ふむふむ…日本書紀ですか」

「あ、いやその…」

僕は慌てて原稿を隠した、がひょい、と彼女に取り上げられてしまった。

「いや、あのまだ。そんな考えてなくて、だからこれから…」

「実は私も神道についてやろうかな、って。竹高さん、私と一緒にやりません?」

「僕全然…………え?」

「私達ペア組みましょう!」

「え、えええ、いやいや」

僕はもう口から言葉を紡げなくなっていた。な、何が起こっているんだ?

「いやですか…?」

「とんでもない!!」

僕は立ち上がって力んだ声を出していたらしい。周りの視線と円山の咳き込みで僕は我に返り、力なく椅子に座った。

「じゃあ…決まりですね!ここじゃ静かで話しずらいので、空き講の時間にでもどこかで話しましょ」

「あ、うん………」

僕は完全に心ここに在らずの状態で空き講を伝えたがその日は二人の時間が合わず3日後、サークル活動を早く切り上げて近くのカフェで会議を行うことにした。


* * *


いや、旨い話があったもんだ。新歓の時の中村に対する嫉妬は消え、心に余裕が生まれた僕はこの状況を認識すると中村に言ってやりたくなった。…ワルクオモウナヨ……。

恋愛に疎すぎる僕だが、中村が石田さんのことを好きなのはそんな僕でも見て取れた。それを知っていてペアを組んだ僕はとんだ悪性だが、僕にだって彼女に対する恋心はあるのだ。…これは、恋なんだろうか。

彼女は心做しか弾んだ調子で僕の少し前を歩いていた。

「今から行くお店、カフェなのにご飯も美味しいって聞いてて、前からたのしみだったんです」

「そうなんですか…」

「あっ、いやいやもちろん会議もちゃんとしますからね!お食事会じゃないですもんね!」

あたふたする彼女が可愛かった、何となくまた、胸がちょっと締め付けられたような気もした。

今度は僕がカフェのドアを開けた。彼女はすみません、と小さく謝って中へ入った。

店員が駆け寄ってきた。「二名様でしょうか?」僕はなんだか嬉しくて大きく頷いてしまった。我ながら変人だ。

案内されたのは店の奥側で、少し大きめなアンティークの机に大きなはだか電球がオシャレな雰囲気のある席だった。

彼女が上着を脱ぐと楽しそうにメニューをめくった。わぁ、美味しそう。んんー。と小さく悶えてる彼女に僕は見とれていた。

「可愛いなぁ」

「へ…?」

彼女のきょとんとした顔に僕は自分が口にした言葉がどんなものであったか即座に読み取った。僕は何をやってるんだ。これじゃあただのきもい先輩になってしまう。これから三ヶ月ペアを組むというのに僕は…

「あ!これですか!ゴマゴマくん」

彼女はケータイにつけていたアザラシのキーホルダーを取り外し僕に、はい、と手渡した。

「可愛いですよねゴマゴマくん!しかもぷにぷにしてて…!」

僕は手の上に乗せられたゴマゴマくんというものを軽く握った。その感触が僕の緊張をほぐしていった。

「って!私こんな年になってキーホルダーつけて子供っぽいですよねごめんなさい」

手をわたわたさせる彼女に、今度は噛み締めて言った。

「いや、可愛いよ。いいと思う」

「そ、うですかね?」

笑う彼女につられて僕も笑った。

あぁ、すごいな。この子は。

こんな僕に対しても、一つも面倒な顔を見せず、笑ってくれる。楽しませてくれる。好きだな。もっと一緒にいたいな。どうしよう。

僕はまだ、飲み物さえ頼んでいないのにそんな事を考え始めていた。


僕たちはその日を境に、会議と称し、いろいろな場所へご飯を食べに行った。

最初の緊張もどこへやら、僕は彼女に対して気を遣うことなく笑うことが出来ていた。また、彼女も同じことを言ってくれた。僕は浮かれていた。彼女と過ごす時間が増えていくこと、共通の趣味があること、好きな作家が一緒だったこと。僕にとっては十分な価値観の一致があった。僕は彼女に夢中で、好きでどうしようもなかった。一つ一つが楽しくて嬉しかった。


* * *


図書館は僕にとって研究室が開くまでの楽園だった。中村もまた、空き講があるとよくここに来ていて、僕らは暇つぶしに離れの机に向かい合って座り駄弁っていた。今日も、中村が「よぉ」と声をかけ僕の目の前に座った。

しかし、中村はどこかそわそわしていた。普段はしない世間話を僕に投げかけ、その上中村は曖昧な返事した。その後しばらく沈黙があり、それを破ったのもまた中村はだった。

「栞ちゃんと、ペアなんだ?」

栞ちゃん。

久しく聞いたその言葉に背筋がピンと張った。

「まぁ、うん………なんかそういう流れに」

「へぇ…そうか」

「うん」

気まずい。中村の気持ちを知っていた僕は死んだって、石田さんから誘われたなんて言えなかった。適当に流すのがこの場では最善策に思えた。

「頑張れよ」

痛い。皮肉にも、応援にも聞こえるその言葉は僕にちくり、と刺さった。僕は何となく顔を上げられず、ノートに参考文書を書き写しながら

「あぁ…うん頑張るよ」と言った。

非力な僕にはそれがその時にできた精一杯の返事だった。

また沈黙が僕らを襲った。耐え切れなくなったのは中村の方だった。中村は静かに椅子をたつと「また来るわ、てかまた放課後な」といい残して図書館を出て行った。

中村は僕の気持ちに気づいているのだろうか。頑張れ、とは何なんだろう。

僕は機械のように分厚い神道学の本のページをめくった。そして無機質にめくり続け、最後のページに辿り着くと僕はペンを置いた。

僕は、どうするべきなんだろう。


* * *



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東の方向 式 和巳 @sleeping_____a

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