49「アウトロー・レクイエム」

 ――そしてひとつの戦いが終結した。


 野獣のような肉の塊がひとつ。


 新宿ダンジョン最下層の床で伸びていたのは黒瀬であった。


 紅たちは驚愕に両目を見開きその場に凍りついていた。

 駆け寄ることができない。治療は許されない。


 なぜならば、冷たいに床で寝転がる黒瀬がそれだけはと完全に目で拒否していた。


 終盤の戦いは黒瀬にとって有利に展開していた。


 が、もつれ合ってどろどろに溶け合うような攻防を行っていた両者は、僅差でキメラと化した桑原に勝敗が上がったのだ。


 息ができない。

 黒瀬は気分がよかった。


 生まれてこの方、ここまで全力を振り絞ってやり合ったことなどタダの一度もなかった。


 全身は掘削機で揉み込まれたボロ雑巾のようにくたくたになっている。


 頭上のシルエットが左右にふらついている。

 桑原もまた限界を超えていたのだ。


 それがクリスタル・トリガーの反則的な力であるというともりはない。互いに限界一杯までやったのだ。いうべきこともやるべきことも、黒瀬の中にはもう残っていなかった。


 やれよ、と唇を震わせようとしたとき、それは起こった。


 なんら前兆もなく立っていたはずの桑原から嗚咽のようなものが漏れ出していたのだ。


 ――おい、嘘だろう。


 勝ったのは、おまえだ。おまえなのに。


 黒瀬がもう動かないはずの身体を無理やり起こしかけたとき、桑原が耳をつんざくような甲高い、それは汽笛にも似た咆哮をダンジョン狭しと放った。


 わんわんと、反響した音で耳が、鼓膜が、いや、黒瀬の全身がたわんだり引き攣ったりしていくような錯覚が現れた。


「く、くわばら。桑原ぁ!」


 仰向けからようやくうつ伏せになったとき、崩壊ははじまった。


 桑原は両手で自分の頭を抑えながら、瘧にかかったように全身を細かく震わせている。


 皮膚という皮膚、皮という皮、外殻という外殻、キメラ化した桑原を構成する要素が凄まじい勢いで剥落していく。


 黒瀬は焦げたような激しい臭気で鼻面を殴り飛ばされ顔を痙攣させた。


 まさしく「壊れる」という言葉が相応しい形で桑原の身体は崩落した。


 砂のようにサラサラになった細胞の屑へと倒れ込んでゆく。


 黒瀬はコマ送りのように見えた桑原の動きを網膜に焼きつけていた。


「桑原」


 黒瀬をはるかに超えていた異形の巨人の姿はなかった。黒い砂粒の中に倒れている桑原は、黒瀬が見知っていたあの貧弱な青年のものでしかなかった。


 呆然としたまま立ち上がり、そのまま砂の中へとよろよろと膝を突く。黒瀬は無手であるはずの桑原が握っていた白いものに気づき視線を落とした。


 ――それは、この状況にはあまりにも不釣り合いな、古ぼけた貝殻を繋ぎ合わせた素朴な首飾りであった。







 上総は暴風の中にいた。


 無論、グランバジルオーネが作り出した魔力の風である。


 際限のない凶暴な魔力で構成された竜巻は、駅周辺のありとあらゆるものを巻き込んで天へ天へと跳ね上げていた。


 新宿西口ロータリー下で客待ちをしていたはずのタクシーや、配送のために留められていたトラックが高々と舞っている。


 そして、上総が立っている場所も地上ではない。

 そうやって流れされていた車両の屋根だ。


 時間はない。

 考える暇もためらう暇もない。


 上総は臍下丹田に力を溜めると大きく息を吐き出しながら跳躍した。


 聖剣ロムスティンを天に掲げた。


 いつ、いかなるときも最後に頼れるのは自分ではなく、この剣であった。


 剣の鋭さが、刃の切れ味が、強靭さが、しなう柔軟さが、魔力を伝達する素直さが、そして迷いを断ち切って進めと告げてくれる、その美しさが――。


 目を見る。

 万物とは。


 存在しはじめた際に、もう崩壊がはじまっている。

 唇から鋭く息を吐き出す。


 身体中の毛穴という毛穴から火を噴き出しそうなほど熱い。


 上総は竜巻の根源――目を狙って飛燕のように舞い降りた。


 あらゆるものには核がある。


 聖剣ロムスティンはグランバジルオーネが作り出し、そして自身でさえ把握していないだろう核の目にするりとすべり込んだ。


 決して力任せではなく、まるで剣の鞘であったかのように切っ先から埋没していく。


 傍から見れば上総は自暴自棄に陥った挙句、なにをどうしていいかわからなくなってうず巻きの中心部に飛び込んでいったとしか思えないだろう。


 果たせるかな。上総の目算通りに聖剣はグランバジルオーネの作り出した魔術をものの見事に打ち破った。


 ぱぁん


 と高らかな音が鳴って竜巻は飛散した。


 上総は流れ着いた立て看板のわずかな足場を蹴って大きく飛翔した。


 ぐるぐると身体を丸めて回転しながらグランバジルオーネへと落下する。聖剣の切っ先は高速回転して一条の鋭い光となった。


「は――!」


 まったくもって油断していたのだろう。グランバジルオーネは右腕をすぱりと斬り落とされながらも、ありえない反射神経で魔術の水流を撃ち出した。


 上総は小田急百貨店の看板に両足で着地すると笑みを浮かべた。


 その表情に恐怖を覚えたのだろうか。グランバジルオーネは残った左腕を高々と上げて周囲の水という水を収斂させて、虚空に巨大な水の竜を形成した。膨大な魔力と殺意が水の竜に込められている。地上の水が一瞬にして引いて、近場の道に記されていた「都道414号線」の文字が浮き上がった。


 ここが勝負の賭けどきである――。


 上総は素早く地上に降りるとグランバジルオーネに背を見せて、すぐ隣のビルを駆けあがった。


 淡いチョコレート色のタイルをまるで重力などないかのようにひた走ってゆく。最上階付近にあるロゴの部分まで到達すると、身体を捻って壁を蹴った。


 グランバジルオーネが水竜を解き放った。ドラゴンの形をした濁流が轟々と唸りを上げて上総に襲いかかる。


 瞬間、上総と水竜が触れ合ったとき、世界が真っ白に変化した。


 上総がカミナリタガメからドロップした電核――。


 最後の最後で恐ろしいほど効果的に威力を発揮した。


 手に持ってかざした雷の元は激しく放電すると竜を伝ってグランバジルオーネを、ほんの刹那、怯ませることに成功した。


 だが、それで十分。それだけの時間が上総に必殺のモーションを取らせる猶予を与えた。


「聖剣技――疾風神雷」


 体内に貯えた神の雷を解き放ちながら上総の身体はぐるぐると回転し出した。


 光の矢となった上総は真っ直ぐグランバジルオーネに向かって飛びかかる。


 両手に握り締めた聖剣ロムスティンによる必殺の諸手突きだ。


 グランバジルオーネが使役していた水の竜は粉々に砕け散った。


 わずか瞬きの間である。上総はグランバジルオーネの背後で聖剣を構えたまま立っていた。


 驟雨が細かくなって上総を叩いた。


 ぐらりとグランバジルオーネの身体が傾いてゆっくりと倒れてゆく。


 上総の手には激しく輝くダンジョンコアがきつく握り締められていた。


「新宿ダンジョン、攻略だ」


 宙に放られたダンジョンコアにぴしりと亀裂が入り、輝きが失われた。


 グランバジルオーネの身体が真っ青な飛沫となって消える。


 重たげな曇天の間からあたたかな陽光が差し、新宿駅を照らし出していた。






 新宿の街が落ち着きを取り戻してから数日――。


 上総は秋葉原にあるメイド喫茶『グリモワールキングダム』に足を運んでいた。


 しとしとと雨が降りしきる夜である。


 ビルの軒先で安っぽいコンビニ傘を差している姿は、とても先日起こった新宿駅の事件を解決した英雄とは思えなかった。せいぜい、仕事帰りにメイド喫茶に寄って疲れを癒そうとするうらぶれたサラリーマンにしか見えない。しばらくそうやっていると地下の階段からカツカツと音を鳴らす靴音が聞こえてくる。上総が顔を上げると、クリスに連れられるようにして現れた兎島りんの姿があった。


 無言のまま向かい合う。クリスは気を遣って声のそれほど届かない階段下へと降りていった。


「久しぶりね」

「ああ、随分と疲れているみたいだな」


「別に。あたしはどうってことないわ。けど、母さんが、ね」


 上総が心配するのも無理はない。化粧を濃い目にしているのだろうが、りんはあきらかにはじめて会ったときよりも精彩に欠け、声もどこか力がなかった。 


 りんの兄である桑原洋治の死亡通告は機関が手をまわして行政から正式に通達がいったのだろう。上総はクリスからそれとなくりんの様子を窺っていたのだが、紅とともに今回起こった新宿事件の後処理や公開査問を受け続けており、さらには行動まで著しく制限を受けていた。


 桑原洋治の遺体はクリスタル・トリガーの変質を解明すべく表向きは献体として、ほぼ無理やりといっていいほど供出されたが、事実はただのサンプルである。遺骨もない葬儀は形だけなのであろう。それを阻止できるほど影響力のない上総は自分が腹立たしかった。


「で、今日はなに? 悪いけど、あたしは気分がすぐれないからすぐにでも上がるけど」


 上総は話術に長けているわけでもなければ思春期の少女を惹きつけるダンディな魅力もなかった。


 無造作に突き出された白っぽい破片をりんが受け取ったとき、上総は進んで行ったくせに思わず目を背けそうになった。


 少女は手のひらに乗せられたそれを目にすると、口元をわずかに開けてぶるりと全身を震わせた。


 あ、あ、あ、と。


 途切れ途切れの言葉が激しい嗚咽に代わるのはそう時間はかからなかった。


 黒瀬が桑原から最後に受け取った貝殻の首飾りはときが経つにつれて崩壊の速度を速め、もはや元がなにか判別できない状態に陥っていた。


「これ、お兄ちゃんと、いっしょに海に行ったとき……」


 りんは大きな瞳からぼろぼろと涙を流しながら、あたしが、と小さくつぶやいた。泣き声を聞きつけたクリスが素早く舞い戻ってりんの肩を抱きかかえて顔を歪ませた。上総が無言でうなずくと、申し訳なさそうな感じで店に戻ってゆく。


 クリスタル・トリガーで破壊された人間はひとりとして戻らなかった。それくらいグランバジルオーネが作り出した秘薬の力は現代でも人の手に余るのだ。


 ――俺はなにもできなかった。


 上総にできるのは、やはり剣を振るって敵を倒すという対処療法のみである。酷く後手で、喉を掻きむしりたくなるような激しい掻痒感だけが残った。


「上総……」 


 自分を呼ぶ野太い声に顔を上げると歩道のそばに黒尽くめの巨漢が立っていた。黒瀬は真新しい包帯で額と頭を縛りながらうっそりと立っていた。上総は無理やりに笑みを浮かべるとビニール傘を開いて弱々しく顔を振った。


「ヤな役目を押しつけちまったな。どうも、ヤクザもんは門前払いでよ」


「すみません、リュウさん」


 黒瀬は分厚い手のひらを振って胸ポケットからタバコを取り出すと、ゴツいオイルライターで火をつけた。


「リュウでいいぜ、兄弟」


 唇の端でタバコを咥えながらぷらぷらと揺らしている。


 この男にはそれがやけに似合い、酷くうらやましくなった。


 上総は黒瀬からタバコを受け取ると見様見真似で咥えて火をつけた。


 強く吸いつけると強烈な煙が肺にすべり込み激しく咳き込んだ。


「――コイツはキツイな、リュウよう」


 黒瀬はやわらかな光を目に宿すと上総の肩に腕を回し、強引に歩き出した。


「今晩はとことんつき合えや、な?」


 黒瀬が盃を傾ける手真似をする。

 とことんアナクロだな、と逆に感心した。


 上総は困ったように笑うと手にしたタバコをもう一度咥え、そぼ降る雨の中紫煙をくゆらせた。


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東京ダンジョンマスター〜社畜勇者(28)は休めない〜 三島千廣 @mkshimachihiro

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