終わる夕暮れに、幼馴染みの二人が思いを通わせる。

〈誰かに校閲・しっかりとした感想をもらいたい人向けコンテスト〉参加作品としてレビューします。


〈まず通常レビューとして〉
 幼馴染み二人の、ある夏のひとときから始まるこの物語は、最初、不安とともに進んでいく。読んでいて感じる、そこはかとない不安感。違和感。しかし流れるような文章に身を任せて、先を読み進めると――

 物語の大転換とともに、それらがある種の伏線であったことに気付かされるだろう。そうして驚きがもたらされたら、あとは哀しい下り坂を、少しずつ、少しずつ下っていく――二人の恋がささやかに結実した瞬間、物語の幕は閉ざされる。閉ざされてしまうのだ。降りるのではなくて。

 衝撃的な短編小説だ。あまり多くは書けない。それは、触れてはならない作品の秘密に触れてしまうからだ。それがなんなのかは、どうかあなた自身の目で体験していただきたい。



 ……「コバルト短編小説新人賞・もう一歩」という懐かしい文字列に誘われて読み始めた本作。自分も一度同じ場所に連なったことがあったなぁ、などと当時を懐かしく思います。いえ自分は隔月刊誌だった二十年も前の話なんですけれども。


                                                                                                                                                                                          
〈以後本格的に、ネタバレもありで〉
※この改行と空白はレビュー一覧にネタバレ言及が載るのを避けるためです。
                                                                                             
 本作の序盤は最初に簡単な状況・情景から入り、以後しばらくは語り手である一人称主体の夕輝による独白を主とした地の文が続く。この構成により、ネタバレ的な「誰もいない街」を描写することを巧みに避けた。真っ直ぐな上り坂という単純な地形も、『どんな情景なのか最低限度の情報は提示』した上で、読者にそれをあまり意識させない(簡単な情景なので一度イメージしたらあまり気にかけない)ことに一役買っており、ネタバレ要素を隠すことに成功している。意図していたのならお見事だ。欲を言えば、もう少しだけ、細かなところでもいいので風景風物の描写があると、なお良かったかもしれない。例えば、風に吹かれて舞うビニール袋程度のことでも。

 そして、この独白主体のパートが二人の関係性を読者に説明する役割にもなっており、単にネタバレ隠しの無意味な引き延ばしにもしていない。読者の目はますます、情景よりも目の前の二人に集中していき、ネタバレ要素が隠される。この構成も巧みだと感じた。

 また前述したように、序盤は後にネタバレ後にひっくり返すために描かれた描写がある。そのため、初見ではどうしても違和感が拭えないのだが、それでも読む手を止めさせない基本の文章力は優れていたと思う。

 総じて序盤はよく書けていて、細かい部分にまで目をやらないと、粗のようなものは発見できない。――と書くからには、やはり見つけられるものはある。

 例えば『多分この時の俺は、まだ何もわかっていなかったのだと思う』という地の文の夕輝の述懐。ここでの『多分』は「おそらく」と類義で、断定はできないがおおむねその通りであろう、という推測の意味だ。『まだ何もわかっていなかった』は断定である。最後の『だと思う』は、この言い回しだと推測になる。推測に断定に推測、という言葉の流れになり、「いや、実際のところどうなの、分かってんの? 分かってないの?」と、意味が通りにくい悪文になってしまっている。最低限、推測はひとつに絞らねばならないだろう。
 それ以上に、この一文、実はまるごと削除してしまっても、前後の一連の文章は意味が通じるのだ。むしろ、上述の混乱した文意がなくなりすっきりするほどだ。つまり入れる必要のない文章なのだ。
 雰囲気的に、回想シーンではこのような言い回しをするものだ、という「慣れ」で書いてしまってはいないだろうか。慎重に筆を運ばねばならない中で、ちょっとした油断があったのではないかと邪推できる部分だった。
 なおどうしてもこうした言い回しが必要であれば、『この時の俺は、まだ何もわかっていなかったのだ』と前後を切り落とす形が無難ではないだろうか。実際、この時の彼に、「現在」を予測することは不可能だったはずだから。



 中盤となる学校内の場面は、青春もの、恋愛・ラブコメものとしての積み重ねの部分、と言えるだろうか。「二人には別れが待っている」という前提のもと、学校生活を懐かしむような描写と、二人の恋心の描写が差し挟まれる。序盤でもすでに、二人の間にそういった感情がすでにあること、しかしお互いに素直に口に出してはいないこと、などは示されており、その延長として教室の「告白追求」のシーンは利いている。
 またここにも伏線と呼べるものが散りばめられており、作者の心配りが行き届いていることがうかがえる。

 それでも、気になるところはあるもので、『この前、一組の西野さんに告白されたって本当?』の『この前』とはいつのことだろうか、という疑問が、ネタバレ以後になって生まれることになる。
 現実的には彼らは、直近の3カ月間をシェルター内で過ごしていたのであり、『この前』という言葉が示す時間の範囲は3カ月の中に(通常は)含まれるだろう。さすがにシェルターに入る前のことは『この前』ではなく『何月ごろ』などと表現するはずである。
 では西野という女の子は、その極限状態にあって一人の男子に告白する行為を選んだのだろうか?
 あまりリアリスティックに考えず、少女小説としてそういうこと(例えば、生きられるかどうか分からない中で最後に気持ちを伝えることを選んだ)にしてもいいのだが、だとしたら、その点もネタバレ以後に回収する配慮があって良かったと思う。
 さらにはこの告白は「噂」になっていたそうで、であれば、シェルター内には同世代、同級生たちによるコミュニティがあったことを想像させる(さすがに大人達がこの話題を噂にするとは思えない)。これについての言及がまったくなかったことにも、世界観として残念に思わないではなかった。



〈以降、完全にネタバレ〉

 そして物語は『私達、あと四時間で死んじゃうなんてさ』の一言とともに大転換を迎える。
 この転換のきっかけとなった出来事を、ヨーロッパにおける紛争としたことや、直接的な『終末』の原因が兵器によるものであるとしたことについては、「別に悪いわけではないのだが、なぜ戦争なのだろう」という感慨を抱いた。「原因不明の新種の奇病」や、もっとファンタジックな理由での終局を理由に設定しなかったのは何故だろうという疑問である。
 誰かに責任のあることだ、という構図を作りたかったのだろうか。あるいは現実世界とあくまで地続きで、地に足の付いた世界観を構築したかったのだろうか。読者対象を考えても、コバルト読者層にピンと来る要素とは思いにくかった。
(評者は男性かつその方面に多少知識はある)

 しかしいずれにせよ、戦争を原因とし、現実世界と作品世界が遊離しなかったことで、『現実的に考えておかしなこと』が気になる原因になってしまった。すなわち、描かれている背景事情があまりリアルではないのである。もちろん小説でのことなので、過剰にリアリティを求める必要はないのだが、「そこが気になる」という事実はどうしても消せなかった。
 あまりリアルを感じないのは、特に次のような点だ。

・シェルターとは何に対してのシェルターなのか。どれくらいの広さ大きさで、何人くらいが、どのように避難生活をしていたのか。
・米軍の生物兵器というが、ガスか、病原菌か、ウィルスか。
・米軍の兵器といからには在日米軍基地から洩れたのだろうが、だとすると、影響は日本国内に限るのであり、『他の国はきっと、もうとっくに』という状況は考えにくい(海を渡ってくるということだと、別の物語が発生してしまう)。
・そうした生化学兵器が数カ月にもわたって、大気中で影響力を持つことは通常考えられない(雨で流されるため)。

 こうした辺り、作者自身も「どう書けばいいのかよく分からない」状態だったのではないだろうかと邪推するところである。何故なら、シェルター内部の様子に関しては一切の描写がなく、せいぜいが『薄暗い道を通ってやっと広い場所に出た』程度で、情景はゼロ。中にいる二人が、他の住人を犠牲にすることなく外に出るためには二重隔壁によるクリーンルームがなくてはならないが、そういう構造も理解して書いているだろうか?

 情報を『ここに来てからの数日でかき集めた』というが、誰からどのようにしてなのかも書かれない。分からないなりに書こうとした形跡さえなく、完全に無視している状態であろう。しかも中盤で示したように、『噂』がある以上シェルターにはコミュニティがあったはずなのに。

 主役二人以外の人間が、ネタバレ以後でも透明で存在感がないことに強い違和感を覚える。ネタバレ以前と違い、そこに実際に彼らがいるはずなのに、いるように描かれなかったことへの違和感や、空疎さである。

 なまじに現実的な「生物兵器」という設定を使ったために、背景が完全に無視された空疎さ、言い換えると「現実を無視した作り物くささ、ご都合ぶり」が、現実的な設定とバッティングを起こし、違和感をさらに強めていると思う。ここまでが丁寧に綴られていた分、ここへ来てのこの空疎さとの落差が激しく、シラけてしまったというのが正直なところだ。それ故に、なおさら「別に悪いわけではないのだが、なぜ戦争なのだろう」と強く思われるのである。この感慨は「惜しいな、勿体ない」という感覚に近い。
 厳密な考証は必要ないが、現実にあるものを描くのであれば、少しでいいのでこうした点について言及が欲しかったところだ。ほんの少しでいいので(枚数制限的にも文字数が苦しいのは理解出来るし)。

 そして回想シーンの最後、『ただ透花を一人ぼっちにしたくない。それは昔から変わらない、単純であどけない動機』という夕輝の述懐は、序盤の、恥ずかしさから一人で帰るようになったという辺りの述懐との矛盾を感じるところである。




 回想を経て屋上に戻り、物語はラストシーンを迎える。ここはおおむねよく書けていると思う。ただ校閲的に、『穏やかなる自殺を遂げた町』という一文でひっかかりが。『穏やかなる自殺』というが、人々が死に、消え去ったのは外部からの生化学兵器によるものなので、『自殺』という表現は当てはまらないはずである。

 一度「死にたくない」と感情を爆発させ、触れ合いによって落ち着きを取り戻し、オーラスへ向かう流れも良かった。そこで二人の中で感情の整理がつくことによって、本当のラストシーンを、読者の側としても静かに迎えることが可能になった。構成面、「書くものの順序」が良く出来ていると言えるだろう。

 ただ、そのことと関連し、視点人物である夕輝が、ほぼ全編を通して「超然としている」ことについては指摘せざるを得ない。最後の透花の感情爆発でも、彼はまったく動じることなく、彼女を宥めることに全力を尽くす。

 彼もまた、死ぬ運命にあるのに。

 彼女のことだけを考え、彼女を第一に考えるからこその態度だろうか? それだとしたら、彼の最後の告白は『ちょっと好き』という程度で終わるだろうか。

 この場面はよく書けており、よく構成されているが故に、かえって彼の、生死を意に介さない超然とした態度が目立ってしまう結果となっていた。透花が言い出した今日の死出の旅路に、付いていくとあとから言い出した方なのに、彼の方は物語が始まる以前から死の恐怖を克服し運命を受け入れ、なにも心が動かなくなっているかのように思われたのだ。

 そう考えると、彼が実は、一人の人間として存在する以上に、「この物語を、このように進めこのように終わらせるために必要な装置」だったのではないかという気持ちが浮かんでくる。もちろん小説のキャラクターにはそのような「装置」の側面が必ずあるものだが、それが読者に伝わってしまっては興醒めというものである。
 ただしこの指摘は、全体の平均点がすでに高いからこそ生まれる指摘であるとも記しておかなくてはならないだろう。『もう一歩』から最後の一歩を進めるための条件、そのひとつであるのかもしれない。



 こうして物語は美しく閉じたわけだが、その中には二つの軸があったように思う。
 第一に、二人の恋物語としての軸。
 第二に、世界の終末としての軸(ネタバレ要素の部分)。
 本作では、ネタバレ要素の衝撃力が大きくなっているため、終末世界としての軸の方が印象が強くなってしまったといえる。結末に感じる美しさも、実は「死=二人の世界の終わり」という美しさであり、恋物語のそれは弱い。
 何故なら、二人の関係性にあまり変化がないからだ。二人は最初から、言わずもがなで恋仲であった。最後の告白が「ちょっと好き」という程度だったのもそのためだ。二人とも、実は分かっていたのだ。
 だから恋物語としての本作は、実はほとんど進展がない。本作での「恋の結実」とは、「その再確認」でしかなかったのだ。
 結末の美しさの中に感じる翳りは、その辺りが原因なのではないかと思う。その結末は恋物語としての結末ではなく、死という世界と人生の結末だったからだ。ここに、恋物語として、終末の美しさに拮抗する力強さを持った結末があれば、より心に残るラストシーンとなっただろうと悔やまれる次第である。



 なお、コバルトという応募媒体を考えれば、男子側を一人称の主体に選んだことが、ややマイナスに働いただろうとは思う。しかしネタバレ要素を考えれば、透花を主体にすることは出来なかったはずだとも思うのである。一人称で書けば、内心にどうしても触れる。この作品内で、透花が一度も「夕輝を死出の旅路の道連れにしたこと」について思いを馳せなかったはずはない。さすがにここを隠して本作を描ききるのは、どんな作者でも困難だろう(不可能とは言わないが困難は伴う)。



 以上で批評を終わりますが、懐かしいコバルトの文字に煽られて、ちょっとやり過ぎましたすみません。長いな……長すぎたな……基本、本当に「もう一歩」のところまで来てるんだなたいしたものだ、という好印象は書き終わった今でも変わっていないことは、申し添えておきます。








 最後に、どうしてもちょっと気になるという文章のこと。

 読点が少なめで、やや一本調子な文章になっていないだろうか。本来の読点は意味が通りやすくするための記号に過ぎないが、現実的には、「間」や「ブレス(息継ぎ)」のように機能していると思われる。もう少し読点をつけて、読む際のリズム感を導き出すと、さらに読みやすくなると思う。

 意識してかそうでないか分からないが、擬態語が連発する部分があった。適宜改行で引用すると以下のような場面だ。

>俺はぼそりと反論して透花に向き直る。
>透花は一瞬きょとんとした表情で俺を見つめ返したが、
>やがてその口元をふわりと解いた。

 さらにこの直前には『むっと唇を尖らせる』という表現もあり、別の場面では『ぴょこぴょこ』というのもあった。終盤にも擬態語がいくつかある。
 擬態語を使うこと自体はいいのだが、さすがに引用した部分のような狭い範囲で連発するのは、かえって読みづらくなりそうにも思う。

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