あめふらし
ツヨシ
本編
雨が降らない。
島の生活では死活問題だ。
島には湖などなく、もちろんダムもない。
小さな島に大きな川も、あるはずもない。
ただこの地方は、日本でも比較的降水量が多い地域で、少しばかりの水不足は時たまあるが、島に三ヶ所ある貯水池が完全に干上がったことは一度もなかった。
しかし今年はどうだ。
貯水池は全て限りなく空に近い状態となっている。
長年住む老人でさえ「経験した事がない」と語るほどに雨が降らないのだ。
生活用水も重要であるが、それ以上に問題なのが農作物だ。
平地の少ない島であるゆえ、山を切り開いて棚田にし、米を育てている。
この島では漁業で生計をたてている人もいるが、農業従事者のほうが断然多い。
土地がよくていい米が育ち、市場での評判もよく、一般の米と比べると市場価値も高い。
その米が収穫前なのに全滅寸前まで追い込まれている。
ほとんどの米が、あとしばらく雨が降らなければアウトになってしまうのだ。
現時点でも発育に問題があるが、品質が多少劣るのと全くの無とでは、雲泥の差がある。
「どうしたもんかのう」
町長の小木田は先ほどから同じ言葉を繰り返していた。
農業を営む者を中心にして公民館にがん首そろえて対策会議を開いたのだが、誰からも具体的な案は提出されず、額を集めて「困った困った」となげいているばかりの状況だ。
「どうしたもんかのう」
小木田が何十回目の「どうしたもんかのう」をつぶやいた時、玄関の戸がどんどんと叩かれた。
「どなたですか?」
小木田が声をかけると、引き戸が開けられて男が一人入ってきた。
その場にいた全員があっけにとられてしまったと言う男の姿と言えば、幅の広い紅白の縦縞柄のワイシャツを着て、同じく極太な紅白の縦縞入りのズボンをはいていた。
男を見た人は、派手なピエロを連想するものが多かったと言う。
小木田も最初、周りの人たちと同様に服だけを見ていたが、そのうちに気を取り直して男の顔も見るようになった。
基本的には鼻筋のとおった端正な顔立ちだが、目はキツネのように細くつりあがっている。
背は高くて痩せ型。胸板は薄く、
肩幅もせまい。
きゃしゃな女性を連想させる体つきである。
農業従事者から見れば、頼りないことおびただしい存在だ。
年齢は二十台半ば、と言ったところか。
「あのう、どちら様でしょうか?」
十分すぎるほど見るだけ見たあとで、ようやく小木田が口を開いた。
男が答える。
「名前なんてどうでもいいでしょ。あんた達が困っているから、僕がこんな離島くんだりまでやって来たんだよ」
身長だけはある成人男子だが、その甲高い声と幼いしゃべり方は、小学生そのものであった。
「困っているから来た、だって?」
小木田も一瞬で敬語を使うのをやめていた。
それほどまでに威厳とか威圧感とか知性といったものを、その肉声から感じとることが出来なかったのだ。
「そうそう、雨が降らなくて困っているよねえ。だから僕が降らせてあげるよ」
一同目を丸くして、お互いの顔を見た。
かまわずピエロもどきが続ける。
「なんたって僕はあめふらしだからねえ、今回は」
小木田は笑いをこらえるのに必死だった。
集まった人の中には、すでにくすくす笑い始めている人もいる。
「あめふらし、だってえ?」
「そうだよ、今回は」
小木田には男の言う「今回は」の意味はわからなかったが、とりあえず聞いてみた。
「どうやって雨を降らす?」
すると男はポケットから何かを取り出した。
木製の木の棒のようなもの。
よく見ると、いくつも丸い穴が開いている。
――笛?
その思いに反応したのか男が言った。
「魔法の笛だよ。この笛を吹けば、雨が降るんだよ。」
もう限界だった。
見るからに奇妙な男がやってきて、子供みたいな声でとぼけた事を言っているのだ。
小木田は遠慮なく大きな声で笑い出した。
それをきっかけに、その場にいる数十人全員が一斉に笑い始めた。
男は口をとがらせて明らかにふてくされていたが、めげずに言った。
「腹立つなあ、こいつら。本当だよ。なんなら今、吹いてみようか」
「ああ、勝手にやってくれ」
男は笛を両手で持ち、横にして端のほうを口に当てた。
が、再びはなすと言った。
「おっと、大事な事を忘れていたよ。小木田さん、雨を降らせたら、僕の言う事を聞いてくれるかい?」
小木田は初対面のこの男が何故自分の名前を知っているのかと疑念を抱いたが、それは一旦胸にしまい込み、男に聞いた。
「なんだ。言ってみろ」
「雨を降らせたら小木田さんのお嬢ちゃんを、僕のお嫁さんにしてくれないかい」
小木田から笑いが消えた。
――美々子を嫁に?
小木田美々子。
小木田の自慢の娘。
うちの娘は誰よりもかわいいと小木田は思っていた。
でもそれは、親の欲目だとは言い切れない。
彼女は町民の誰もが認める美少女だ。
小木田とは種が違うのではないかと、半ば本気で噂になるほどに。
こんな小さな島によくぞあれだけの逸材が、と評判で、島民のほとんどが美々子ちゃんはいずれアイドルか女優になると本気で考えていた。
ただ問題があった。
いきなり現れた見知らぬ男に愛娘を嫁にやることもおおいに問題ではあるが、それ以上の難題が一つある。
なにせ美々子ちゃんは、まだは七歳なのだから。
法律上も倫理上も問題だらけだ。
父親なら目をむいて激怒するところだが、今の小木田には男のこっけいさの方が勝っていた。
小木田は言った。
「いいだろう。雨を降らせたら娘はくれてやる。降らせるもんなら降らせてみろ」
ピエロが無表情で言った。
「小木田さんはああ言っているけど、みんなはどう思う?」
その場の全員が反応した。
「何言ってる。さっさと雨を降らせろ」
「そうだ、そうだ」
「とっとと降らせろ」
「早くしろ」
雨降らせの大合唱の中、男は笛をゆっくりと口に当てた。
そして吹いた。
流れてくるのは、やけに陽気な旋律。
聞く者をさげすんでいるのではないかとも思えるような、ふざけた音調の曲だった。
――ふん、このバカ。いったい何やってんだか。
小木田がそう思っていると、笛とは別の音が聞こえてきた。
その音が何であるかはすぐに気づいたが、小木田の心はそれを拒絶した。
集まった島民達にも同様に聞こえてくる。
否定したくても否定することはできない。
なぜならはっきりとした雨音が聞こえてきたのだから。
男が思わず後ずさりするような笑いを浮かべた。
「この雨はあと三日くらい降るね。だから言っただろう。今回はあめふらしだってね。小木田さん、約束だから娘さんを僕にちょうだいね」
ずっと雨音を聞いていた小木田が我にかえると言った。
「ふざけるな! たまたまだ。笛なんかで雨が降るか。こんなんじゃ娘はやれん。帰ってくれ。それともなにか、この雨は僕が降らせましたとか言う証拠でもあるのか。あるなら出してみろ。明確な証拠がなければ、きさまなんかに娘はやれん!」
周りの男達もそれに賛同する。
「そうだ、そうだ」
「証拠を出せ、証拠を」
「美々子ちゃんをおまえなんかにやれるか」
「このロリコンめ」
「帰れ、帰れ」
男は目を丸くし、口を開けて何かを言おうとしているがうまく言葉にならず、金魚のように口をぱくぱくさせるだけだった。
そしてそのままずるずると後ずさりをして、あいている入り口から外に出た。
が、外に出ると男の顔からおびえの色は消え、豹変した。
「せっかく雨を降らせてやったというのに、約束をやぶるなんて。きさまらよくも僕をだましてくれたな!」
あんな細いからだからよくもあれほどの大声がだせるものだと感じるくらいの、激しくて重い恫喝。
それは公民館にいた人を一人残らず静かにささるほどの音量と迫力があった。
それに男の目。
もともとつりあがっていたそれはさらにつりあがり、獲物を狙う大型の肉食獣を連想させ、とても人間の目とは思えないものとなっていた。
「このおとしまえは、なにがなんでもつけてやるからな。覚えとけよ!」
そう言うとくるりと背を向け、全力でその場を後にした。
「……」
「……」
「……」
小木田が町長らしく最初に口を開いた。
「とにかく、雨は本格的に降り出したようだ。今年の米で特級米はもう無理だが、それでも枯れてしまうよりはましだ。明日から農作業を再開させないとな。今日のところはこれで終わりにしよう。外はもう暗い。みんな気をつけて帰るように」
島民達はうなずき、いつもならわいわい雑談しながら移動するところを全員が無言で外に出て、そのまま家路についた。あとには小木田独りが残された。
――それにしても。
小木田は考えていた。
――あの男は一体何者なんだ? 本当にあの男が雨を降らせたのか。それに、おとしまえをつけるとか言っていたな。なにをどうやって、おとしまえをつけるつもりなんだ?
小木田は自分でも気がつかないうちに本気で心配していた。
それほどまでに男の怒りは、異様な狂気と威圧感があったのだ。
雨は本格的な雨量となり、男の言ったとおり数日間続いた。
稲はもう大丈夫。
少し降りすぎたくらいだ。
やがて収穫もとどこおりなく終わり、農民達はいつもよりも少な目の収入を得た。
その後は一ヶ月あまり晴天の日が続いたが、もう米は棚田にないので問題なし。
島の貯水池も一度満杯になったので、これもしばらくはもつだろう。
そんな折に、季節外れの台風が突然やってきた。
ここ数年では最大級の勢力を持ち、おまけにこの小さな島を図ったように直撃しそうだ。
小木田は町長になって初めて、島民に避難勧告を出した。
海に近く平地に住む者は、高台にある建物に避難せよ、と。
とはいってもこの島で高台にあり人々が非難できそうな建造物と言えば、公民館一つしかない。
台風の直撃は午後十時の予定だが、その数時間前には公民館は人であふれていた。
「とりあえず台風が過ぎるまでは、ここで待機しましょう」
小木田に言われなくても、みなそうするつもりだ。
朝まで待っていれば、そのうちに台風は過ぎ去ってしまうことだろう。
雨風は激しさを増してゆく。
もうすぐ午後十時だ。
誰も口をきく者はいない。
大自然の猛威を、ただ静かにやり過ごそうとしていた。
その時である。
入り口の扉が激しく叩かれた。
――えっ? 今になってやって来る人がいるのか?
小木田が扉に駆け寄り開けようとした時、観音開きの戸が左右に大きく開かれた。
その中央に立つ男。
間違いなく自称あめふらしの男だ。
小木田がすぐに反応した。
「なにしに来た!」
それを聞いて男が言った。
「前に言ったでしょ。おとしまえをつけに来たんだよ」
小木田が言い返す。
「おとしまえをつける? どうやって」
男はそれを聞くと小さく笑い、懐から笛を取り出した。
「ある時はあめふらし。またある時は、てなことはさておき。実は僕の笛は、なんでも呼び寄せる事ができるんだよ。この前は笛で雨を呼んだ。で、今度は全然別のものを呼ぶね。どうしてもおとしまえをつけたいもんでね」
男は公民館中に響く大声でそう言った後、まるで独り言のように小さくつぶやいた。
「この嵐なら、船で島から逃げ出すなんてことは、到底できないだろうし」
男は笛をつきだして島民達に見せると、
口に当てて吹きはじめた。
そこから流れ出るのは暗く寂しい旋律。
その場の空気を変え、聞く者の心を奈落のそこまで突き落とすような、救いようのない悲哀の洪水のごときメロディ。
聞きたくもないのに、公民館にいる全員が思わず聞き入ってしまうほどの絶望に満ち満ちた響き。
不意に男が笛を吹くのをやめた。
「呼んだよ」
と言うと振り返って外を指差した。
そこには何かがいた。
その時稲光が走り、外のものを照らし出す。
「えっ、去年死んだうちのじいちゃん?」
誰かが言った。
「死んだ息子がいる」
別の誰かが言った。
再び稲光が走る。
小木田は見た。
外に立ち並ぶ青白い顔の人の群れ。
それは公民館の前の広場だけではなく、その先の道路、さらにその先の棚田まで人であふれかえっていた。
その人の数は、この島の全島民の数をはるかに凌駕する。
男は笑い出したかと思うとすぐに笑うのをやめ、今までにない真顔で言った。
「この島で死んだ人達、ざっと数百年分の死者を笛で呼び寄せたよ。こんな小さな島でも数百年分となれば、けっこうな数になるんだね。で、一つ言っておくけど、あいつら久しぶりに身体を手に入れたものだから、ものすごく減っているんだよ。お腹がね」
と言った後、にまり、と笑った。
終
あめふらし ツヨシ @kunkunkonkon
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