俺の部屋

ツヨシ

本編

いったい、どれくらい寝ていたのだろう。


久しぶりに目が覚めた。


まわりからなにかごぞごぞと音が、響いてくる。


この音が俺の眠りを妨げたのだ。


小さいが、人が歩き回っているような音だ。それは止むことなく続いていた。


――誰かいるのだろうか?


俺は顔を上げて、音のするほうを見た。


カーテンが開いていた。


窓越しにはっきりと満月が見える。


そして窓から入ってくる月明かりは、その音の主の姿を捉えるのに十分な明るさがあった。


人がいる。二人だ。


一人は男、一人は女。


男は、その全身が筋肉のかたまりといった様相で、十分に鍛え上げた体をしていた。


身長も二メートル近くは、ありそうだ。


問答無用で、パワーにものを言わせるタイプに見える。


女のほうは逆に小柄で、その身長は百五十センチに少したりないくらいか。


貧弱ともいえる、枯れ木のようにやせた体である。


二人は無言で部屋中を調べまわっている。


イギリス製の机の引き出しを開け、次にデンマーク製のクローゼットの中を物色している。


――こいつらどろぼうだな。


俺は考えた。


この部屋がこのホテルの中で一番高い部屋だから、何か金目のものがあるとふんだに違いないのだ。


俺が見ていることに気づかないままに、部屋中の家具や引き出し、はては机やソファーの下まで調べている。


もともと広い部屋の上に、家具類も高級な外国製のものばかり十点以上ある。


だから全部調べるのに、思ったよりも時間がかっているのだろう。


それにしても静かでそつのない動きだ。


しかしまだ何も見つけてはいないようだ。あたりまえだ。


俺は金目のものはおろか、何一つ荷物を持ってない。


この部屋にあるのは俺の体一つだけで、他には何もないのだから。


俺は薄ら笑いを浮かべていたが、ふとあることに気がついた。


やつらどうやってこの部屋に入ってきたのだろう。


ここは三十五階だ。


窓から侵入するのは、まず不可能だ。


おまけに窓はしまったままで、破られた形跡がない。


部屋に漂う空気の中にも、冷えきった夜気は、少しもまじってはいないようだ。


そうなると入り口しかないが、その鍵は複雑な電子ロックになっている。


鍵がなければ素人はもちろんのこと、プロでもそう簡単に破れるものではない。


今目の前にいる二人が超一流の技を持つとは、とても思えない。


――だとすれば、何処からだ?


考えていた俺の目が、女のところで止まった。


デンマーク製のクローゼットを再び調べ始めた女の棟のところについているロゴマークに、見覚えがあった。


それはこのホテルのロゴマークだ。


――ああなるほど。女のほうがこのホテルに雇われているのだな。


このホテルで働いている女が、おそらく偶然この部屋の鍵を見つけた。


ずっとチェックインのままになっている、ホテルで一番高級な部屋。


そして支配人が密かに保管していたその部屋の鍵。


その部屋には何か秘密がある。


誰か特別な人間が宿泊している。


その人間はかなりの大物で、よって金目のものをたくさん持っている。


そう考えたに違いない。


俺は声を出すことなく笑いながら、二人を見ていた。


何もないことに気がついたのだろう、二人は何かを訴えるようにお互いの顔を見た。


そして男がいまいましそうに舌打ちをすると、女が力なく床を見つめた。


そしてこの部屋を出ようとして、俺のほうに体を向けた。


自分たちを見ている俺に気がついたのは、二人ともほぼ同時だった。


俺はベッドからゆっくりと上半身を起こすと、二人を正面から見た。


男はやけにでかい鼻に、唇の薄い大きな口、短く借り上げた髪、そして細く切れ長の眼で俺を見ていた。


その眼には、常人なら思わずすくんでしまうほどの怖いものが、そこには宿っていた。


女のほうは体と同じく貧相な顔つきだった。


小さなつりあがった目に薄い眉、上を向いた小さな鼻に、やわらかさを感じさせない口元。


そしてやけに青白い顔に、乱れた髪の毛がすだれのように垂れ下がっていた。


――なんてつまらんやつらだ。


俺がそう思っていると、不意に男が動いた。


巨体のわりには、すばやい動きだ。


入り口のほうに移動すると、壁に立てかけてあった何かをつかんだ。


それは金属バットだった。


自分たちの存在をこの部屋の主に気がつかれた時のために、あらかじめ用意してあったのだろう。


男は金属バットを肩越しに大きく振りかぶると、俺に向かって突進し、思いっきり横殴りに振り回した。


硬い金属の凶器が俺の左側頭部を遠慮のかけらもなく捉えた。


大きな音とともに、俺はベッドの下に吹っ飛ばされた。


「殺ったの」


「ああ、殺ったさ」


「どうするの」


「ずらかろう」


男がそう言った後、入り口のほうに動き始めた二人の動きが止まった。


俺がむくりと起き上がったからだ。


俺は二人を見た。


二人ともあまりのことに、完全にその動きは止まってしまっていた。


俺はニヤリと笑った。


「いい振りだ。野球なら場外ホームランってとこかな」


聞いた男ははじかれたように金属バットを振り上げると、うめきとも叫びともつかない声を発しながら俺に向かってきた。


そしてすでに不自然な角度に傾いている俺の頭をめがけて、金属バットを振り下ろした。


全体重を乗せた一撃は、もののみごとに俺の頭を直撃した。俺は再び倒れた。


「今度こそ、殺ったのね」


「……ああ、殺ったさ。これで生きていたら、奴は……」


しかし俺は生きていた。


再び起き上がり、男を見た。


男は全身を小刻みに震わせていた。その口の奥で歯がガチガチと音をたてている。


――腰を抜かさないだけでも、たいしたもんだ。


俺はそう思いながら右手で男の左肩を、そしてもう一方の手で男の頭を上からつかんだ。


人間の目ではついていけないスピードでだ。


男は一瞬なにが起こったのかが理解できずに、きょとんとした顔で俺を見ていた。


俺はかまわず男の頭をその胴体からひきちぎった。


男の首から血があふれ出した。


そしてその血を俺に浴びせながら、男は床にどたりと倒れこんだ。


男は片付いた。次は女だ。


見ると女は逃げようとはしているが、腰が抜けているため思うように前に進めず、両の手で必死にフローリングの床をがりがり掻いていた。


俺は女の背後から近づくと、その背に手を差し込んだ。


俺の手は女の背中を、そして腹を突き破った。


俺は、俺の手に串刺しにされながらまだ力なくもがいている女を持ち上げ、床に叩きつけ、その頭を踏みつけた。


頭がザクロのように割れて、女はようやく静かになった。


俺は受話器を取り上げるとフロントにかけた。


「3501号室だ。余計な荷物を二つ表に出しておくから、とっとと片付けといてくれ」


それだけ言うと受話器を置き、二人の体を部屋の外に放り出した。


やっと静かになった。


これでゆっくり寝られるというものだ。


でも自分の体がどうなっているのか気になった俺は、急ぎ洗面所に行き鏡を見た。


「ほーっ、これはひどいなあ」


鏡に映る自分の姿を見て、俺は思わずつぶやいた。


やはり首の骨が折れている。


俺の首は首を曲げているというより、体から垂れ下がっている、と言ったほうがいい状態である。


首の皮膚と筋肉が、半分以上ぶち切れているのだ。


折れた首の骨が上と下からにゅっと飛び出している。


残りの肉で吊り下げられた俺の頭はちょうど右胸の上にあり、あごより脳天のほうが下になっていた。


それにおそらく二度目の攻撃によるものだろう、左耳の上のところがばくりと割れ、その割れ目の奥から白い脳みそがちらちらのぞいている。


――あの時頭が割れたような気がしたのは、気のせいじゃなかったんだな。


首の裂け目と頭の割れ目には血が流れた跡があるが、今は止まっていた。


首を動かそうにも骨が折れているため、まるで動かない。


俺の視界は傾いたままだ。


今の俺の目に映る風景は、立っている時のものより、逆立ちした時のそれのほうがはるかに近い。


頭をつかんでまっすぐにしても、すぐに落ちてしまう。


何度やっても同じだった。


――チッ! めんどくせえなあ。


俺は自分の頭を体から引きちぎると、洗面所を出た。


そして自分の頭をベッドの脇の小さなテーブルの上に押し付けた。


首のない自分の体が目の前に見える。


視界は傾いてはいない。


――やっぱり景色はまっすぐ見えるほうが、気持ちがいいな。


俺の体はベッドのほうへ行き、そのまま横になった。




どれくらい寝てたのだろう。


数ヶ月か、数年か。


俺は考えた。


でもどんなことはどうでもいい。


これで再び眠りにつくことができる。


表のゴミはホテル側が片付けてくれるだろう。


日本でもトップクラスの一流ホテルだ。


世間体を気にして、表沙汰にならないようにうまく処理するだろう。


この前の時もそうだったし、その前もそうだった。


俺をやっつけることも、ここから追い出すことも不可能だということを、やつらはいやというほど知っている。


これで一安心だ。


静かに眠りにつくことにしよう。


この部屋で。


この俺だけの部屋で。


ここは俺の部屋だ。


俺だけの聖域だ。


たとえどんな存在であろうと、ここに入り込むことは、この俺が絶対に許さない。


でも当分はそんなことはないだろう。


俺はそう考えながら、いつしか深い眠りについた。

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