雪おこしの夜に 学校司書の不思議旅3

美木間

第1話

 その日は、日没の少し前から雪が降り始めた。

 部活も早仕舞い、顧問の先生方も定時あがり、日直の先生と副校長がいるだけで、職員室は閑散としていた。こんな日に残っているとあまりいい顔はされないが、時計を見やると、年休を一時間とるには少しもったいない時間帯だった。放課後を子どもたちが有意義に過せるようにと、学校司書の勤務時間は教員より長く設定されていた。最も、こんな天気では、利用者は皆無だ。バスの時刻表を確認して、年末に向けてのデスクワークを進めておくことにした。

 二階南の職員室から、四階北の図書室までが、いつになく長く感じられる。雪の連れてくるひんやりとした空気が、昼間のにぎやかな気配を消し去っている。微かに漂うのは、廊下の隅に転がる体育館シューズの履き古したゴムのにおい。夜間部はないので、部活がないとなると、校舎を静けさが支配する。

「世界の果て。ワールズエンド」

 赴任して最初に言葉を交わした生徒のつぶやき。どこかできいたことのあるような言葉だったが、静けさだけが取り柄の閑散とした当時の図書室を、見事に言い表していた。


 節電のために図書室の電灯は、カウンターのある端だけにしている。パソコンの画面とにらめっこして、今月の貸出冊数や人数やらを集計していく。ひと通り作業を済ませ、窓の外を見ると、雨交じりだった雪が、粉雪に変わっていた。

「つもるかな」

 つぶやいて、思わず身震いする。教室二つ半ほどある図書室は、暖房があまりきかない。エアコンの暖かい空気が、書架に当たって、天井に逃げていってしまうのだ。勤務時間を過ぎたので、ポットからお湯を注いで紅茶を飲んだ。温まる。雪が街路樹に積もっていく。


「最初は、霜柱が立つんじゃ、それから氷が張って、雪おこしが鳴ると、大雪がくるんじゃ」

 雪の積もった日には、父の故郷穴馬の冬の話が始まる。

「雪おこし?雪を起こして連れてくるの?」

「そうじゃな、そういう意味じゃったかな」

「雪おこしが鳴るって、雪雲を運んでくる北風の音のこと?」

「いや、雷じゃ」

「雷?冬に?」

「そうじゃ、昼も夜中も、いつでも光って鳴るんじゃよ。それが、どえらい稲光がして、がらがらがらーって鳴るんじゃ。そんでな、雪おこしが鳴ると、雪荒れ七日というてな、大雪になるんじゃよ。雪の雲は、どんよりした灰色でな、低くて厚くて。そんな雲が、白鳥の方からもくもくと山を越えて、穴馬に降りてくるんじゃ」

 父は、ひと呼吸おいて、お茶をすすった。

「じじってわかるじゃろか。わしのおやじじゃ。じじはな、雪おこしで、命拾いしたんじゃ」


 父の父―じじは、村の診療所の助手をしていた。人の死を常に見ていたからか、「あの世なんてありゃせん。死んでしまえば、そもそっきりきのこっぱじゃ」と、豪語していたらしい。「ばち当たりじゃ」しっかりもののわりには迷信深いじじのかか、父の言うところのばばは、そんなじじを呆れながらも心配していたらしい。

 それは、冬の最初の雪が降り積もった頃のことだった。診療所から家までは二里ほどで、じじはかんじきを履いて、雪に沈まないように、ひょいひょいと通いなれた道を家へ向かって進んでいた。ところが、振り返っても診療所の灯が見えなくなった頃から、足が重くなってきた。雪道の二里は、歩くのにも力を使う。さっきまで晴れ渡っていた星空を、いつのまにか雲が覆っていた。月明りも星明りの道しるべもない雪の夜道は、感覚を狂わせる。


 じじは、足を止めて腕組をした。

「こりゃ、だしかんな」

 そうつぶやいた時だった。

 なにかきな臭いものが鼻の奥を突いた。

 と、閃光が天を貫いた。

 闇夜から真昼間へ一瞬の転換。

 稲光に雪闇の広野が照らされ、村はずれの集落のばばの実家が見えた。

 閃きの後に、どーん、っと轟く雷鳴。

 それきり、辺りは再びしーんと深い闇に包まれ静まり返った。

 

 じじは、今見た家の方角を見失わないうちにと、力を振り絞って歩き出した。そして、ばばの実家でカンテラを借りて、吹雪く前にと家路を急いだ。

 ようやくの思いでたどり着き、じじが家の戸を開けると、ばばが炙ったばかりの餅花を持って立っていた。とちの実を突いたり、梅紫蘇の汁で染めた餅を、小さくちぎって麦わらの枝に刺した餅花は、囲炉裏で炙ると美味い。

 差し出された餅花に思わずかぶりついて、その香ばしさにじじは、ようやく人心地ついた。


 ばばが、じじからカンテラを受け取りながらつぶやいた。

「雪おこしじゃったな」

「そうじゃ。雪おこしじゃ」

 ばばは、カンテラの脇に彫られた屋号を見ながら

「こりゃ、雪荒れ来る前に返しに行ってこなならんな」

 と、じじにきくとでもなく、ぼそぼそと言った。

「ぬしが呼んだか」

「なんのことじゃ」

「雪おこしじゃ」

「そんなもん、呼べるかいな」

 ばばが笑った。

「ばちが当たったんじゃろ」

「そんなもん、当たるかいな」


「じじとばばは、顔を見合わせて笑っとったげな」

 父は、田舎のクラスメイトから送られてきたとち餅に、ざらめ砂糖をふりかけて、ひと口かじった。

「穴馬の味じゃ」

 父は、うれしそうに笑った。


 外を見やると、分刻みで舞い散る雪が増えてきている。山奥の豪雪地帯の父の故郷とは比べものにならないが、この降り具合だと、いずれ電車が止まるかもしれない。都心は、雨、風、雪に、意外にもろい。のんきに紅茶など飲んでいて、帰りそびれたらかなわない。


 と、扉を引く音と「間に合ったー」とうれしそうな声がした。

 蛍光灯のスイッチに伸びた手が止まる。

 以前より卒業生の来なくなった放課後。

 顔を見せないのは元気な証拠。

 それでも、時折、こうして勤務時間終了間際に駆けこんでくる姿に、心がゆるむ。


「息切らしてるじゃない、大丈夫?」

「これから学校、だから、時間あんまなくて」

 夜間部に進学した子だ。昼間バイトをして、それから登校しているという。

「ほっとするんだ、これが」

 蛍光灯を指さしてにっこりした。

「冬はさ、すぐに暗くなっちゃうから、通る時に灯りがついてると、ほっとする」

 リストウォーマーからのぞく指先が少しひびわれている。

「顔出そうと思ってたんだけど、忙しくてさ」


 常連だった子ならではのすまなそうな様子に、察してしまう。

 部活の後輩の指導でもないのに、卒業した学校に足を運ぶのは気がひける。

 そういうものだろう。

 でも、それを気にしてしまう繊細さが、その子のよさなのだ。


「それに、あんまりここ来るとさ、居心地よくて、学校行くのだるくなっちゃうような気がして。今日は、もう明日から冬休みだから、いいかなって」

 まくしたてるように一気にしゃべると、回転式書架のラインナップに目を通していく。自分がリクエストした本のよれ具合に貸出回数の多さを見て取ると、満足そうにうなずく。

 ひと通り点検し終えると、

「じゃ、いってきます」

 と、元気に手をふって走り去っていった。


 滞在時間は10分足らず。

 あっ気にとられて慌てて廊下に出て、階段を駆け降りる背中に声をかけた。


「よいお年を」


 振り向かずに手を降り去っていく後ろ姿にかけた言葉が、雪明りで照らされた階段の踊り場に、漂っている。

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