夢桜、渦中で微笑む君

本陣忠人

夢桜、渦中で微笑む君

 あれから数年経った今でも、鮮明に思い出せる君の姿がある。

 それはまるで――朽ちる事の無い永久不滅の固定されたデータを想起する位に、本当にいつまでも明瞭で――どうやっても間違え様の無い苦さを伴った傷痕に似た記憶。


 その舞台は確実に、チートや無双が厚顔無恥に乱舞する異世界では無く――普通に現代日本で、登壇した登場人物は多くとも数人だったはずだからハーレムなんかとは程遠い。

 過ぎ去った背景は忖度気味に控除しても――現在よりも若くて青い僕達は――例年通りの姿を演じ、咲き誇る桜並木のトンネルを歩いていた。

 

 そう言えば知ってるかい?

 本当に何気なく、僕は君に話しかけた。


「桜の花びらの落ちる速度って、秒速五センチメートルらしいんだ」


 僕の開いた聞き齧りの豆知識――具体的には最近見た映画からインスパイアされた雑学発言。

 その浅慮さを見抜いた訳でも無いだろうけれど、それでも言葉をすぐさま否定し、不確定の上を踊る君は実に惑わしい表情。


「秒速五センチメートル? そんな訳ないよ。見てよこの景色。落下速度はもっと遅くて、下手をしたら永遠だよ?」

「そうかな? 僕には等しく、ほんと一瞬の出来事に見えるけど…」


 常に僕の一歩分先を歩く君。

 それに伴い開いた距離ディスタンスは一メートル弱。


「分かってないなあ…」


 そんなことも無いだろう。

 僕の些細な反論を即座に阻止した君は、重力に反するみたいな桜吹雪の中を舞うように歩行したんだ。


「桜――いや、それに限らず、全ての草花が散るって事象は私達人間には一瞬の、儚い夢に見えるけどね…」


 その花にとっては永遠に続く螺旋に等しいんだよ?


 相変わらず分かりそうで良くわからない聡明な恋人の意見に返せる解答は、如何にも凡人めいた味気ない苦笑い。


 そんな曖昧な態度を許さない利発で快活な君の性質。

 いつもであれば些細で微笑ましい口論に発展したかも知れない。

 僕の素朴な反論を君がつぶさに潰していく。ありふれた風景。見慣れた光景。


 でも、その日は違った結果が舞い落ちる。


「やっぱり。君は


 淋しさを湛え空虚に笑う彼女を見たのは初めてのことで、僕にとっては最期だった。


 なぜなら君は一週間後に僕の家から出ていったから。

 その際に最愛の人の告げた別れの言葉は今尚僕を縛り、傷付け、苦しめる。


「実は最初から分かってた。私と君は交わらないってコトくらい知ってたんだ。私達の歩く道は果てしなくどこまでも平行線だって」


 でもねと彼女は泣きながら続ける。


「それでも期待した。楽観的に祈った。希望的観測に基づいた甘い愛に浸っていたかった」


 さようなら。


 簡潔にそう言い残して僕の前から去った。既にその顔を流れる雨は止んでいた。

 余りにも唐突な流転に着いていけない。何が何だか分からない。途方や落胆に沈む毎日の始まりだ。


 けれど、そんな僕の焦燥や混乱、行き場が無くやり場の無い感情に沈んだ過去だってもう三年も前の出来事で。


 歳を重ねる毎に月日の波が穏やかに早くなる。

 傷はちっとも癒えないのに砂ばかりが零れる理不尽設計の不可逆的な砂時計。


 そして背負った重荷に関係無く、現在の僕も過去と同様にあの桜並木を歩いている。

 あの日と変わらずピンクの雪がスノウドームの様に離散する遊歩道をゆっくりと進む。


 今日を生きる僕にとっての目的地である小さなカフェ。

 不意打ち気味の突然に、店内に君の姿を見つけた。

 少し遠いが間違いない。僕は君を間違えたりはしない。


 あの日、君と向かうはずだった煉瓦造りの温かい場所。

 堪らず足を止め、店内には入らずに懐かしい顔を遠巻きに眺める。


 胸の奥に鈍く響いた痛みは幻影肢の類であればいい。


 声を掛けるべきか?

 僕の浅薄な逡巡を遮るのは三年経っても君の仕事だ。


 君の姿を確認したあと、遅れて目に入ったのは君と同じテーブルに座る男と幼児。

 絶望的な距離を感じる硝子に隔てられた場所から暖かい幸福を垣間見る。


 身振り手振りを交え大袈裟に話す男性とそれに笑う僕の知らない女性。

 その笑顔に見覚えが無い事実が心の中の柔らかい鐘楼を打つ。


 そう、三年あれば十分だ。

 

 何もおかしくない。ありふれたことだ。良くあることなんだ。

 道理も筋も通った普遍的な現象。


 幾重にも重なり、乱雑に歪む視界に割って入る無遠慮で風流とは程遠い桜の花。

 はらはら頼りなく落ちる速度がもどかしい。


 そこで悟る。


 なるほど、君の言うとおり、一瞬では無く永遠だ。

 生命の落花がこれほど遠く長いものとは知らなかった。


 永遠にも感じる刹那が僕の意識を無数に分割し切り取る。


 言葉にすれば実に陳腐でありきたりで、ともすれば笑ってしまう程にありふれたものだけれど、我が身に降りかかればそれは一大事である。


 同時に深淵の真相に到達する。

 僕の至らなさが、かつての――君をこんなにもどうしようもない気持ちにさせていたのだろうか?


 身を持って感じる三年越しの解答提示。遣る瀬無い現実に直面した。


 過去に犯した大罪。遅まきながらも流石に少し、唇を噛む。

 この絶望的な距離を伴った擦れ違いは、どうしようもない傷と痛みを伴うものだから。


 通り過ぎたハズのほろ苦い過去と現実に挟まれ立ち竦む僕を切り裂いた言葉。我に還る。



「自分なあ…頭に桜を載っけ過ぎちゃう? 鈍くさいゆうか、何かもうほんまおもろいなあ」


 二つ年下、関西出身の小柄な彼女はケラケラ軽快に笑う。

 しっかりしいやと頭に付いた花弁を手で払ってくれる。


 またしても君の言うとおり。僕と君は果てしない平行線だった訳だ。

 僕が交わったのは君では無く、横にいるである。


 あの日の君とは違い、僕の横を同じ歩幅で共に歩く妻。

 そしてその中に宿る新しい生命。


 身重だと言うことを忘れさせる程にいつも通り、無駄に世話を焼きたがる女性が払い損なった残り香――鼻の頭に乗った桃色の花弁を摘む。


「本当に、一から十まで言うとおりなんだろうな」


 手の届かない無慈悲な青さを感じる風に呷られ重力に逆らう細やかな因子を開放し、そんな益体も無いことを考えた。

 

 風に乗り、舞い上がる欠片に頼り無く載せたのは何なのだろう?

 僕がそれに込めた儚き祈りは誰の為のものだろう?


 きっとそれは今まさに隆盛を誇り、色とりどりの鮮やかな光に満ちた桜花の中で無邪気に笑う――紛れもない『××』の為の幸福なんだ。

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