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「―― エド君」



「!」


 妙に大きく聞こえてきた声に、僕は驚いた。


「な、何、チェリー」


 フラームに夢中になっていたはずのチェリーが、いつの間にか僕の鼻先15cmくらいまで近付いてきていた。

 心配そうな目で、若干下から目線になるようかがんで僕を見つめる。

 大きくてまん丸の瞳が、僕の瞳にも映りこむ。

 ち、近い。


「な、何?」

「ホームシック、でしょうか」

「えっ」


 ふむ、と軽く頷いて、静かに立ち上がる。


「何と無くですが、エド君の事が分かるようになった気がします。エド君、今例のシュレイド君の事を考えていましたね? シュレイド君の事を話す時や考える時、エド君は僅かに優しい目つきになり、更に、若干下から目線で話します。違いますか?」

「えっ」


 違いますか、と聞かれても、自分ではそんなの見る事もできないよ?!


「人間観察において右に出る者のいないチェリーの観察結果だ。間違い無いだろうな」

「同感」


 ホランの淹れたブラックコーヒーを飲みながら、クロアさんまで頷く。思い当たる節があるようで、言葉はとてもハッキリしていた。しかもフラームまで肯定する。

 シュレイドの事について、考えたり話したりする時、か。

 シュレイドは優しいし、他の人よりも気を遣わずに話せるから、色々と気を抜いてしまうのが原因かもしれない。それに、僕にしか見せないけど、本当、私生活はだらしないから!

 いくらプリンが好きだからって、いや、むしろプリンが好きなら、食べ終わった器くらい自分で片付けて洗ってくれると助かるのに!

 あぁ、もう。いつもタイミングを逃して叱れなかったけど、今となって悔しさがこみ上げてきた!


「……あ、あれ、エド君?」


 たとえばあの時も、あぁ、あの時だって……。


「エド。おい、エド。……聞こえていないらしい」


 そうそう、そういえば僕の事を、あっ、あんな事も……。


「シェリー? クルルが遊んで欲しそうだよ」

「クゥ! ……クックー」

「うん。……ダメみたいだね」


 あんな事、こんな事、ブツブツブツブツ……。

 あ。そうだ。


「あ、あの、エドく」



「シュレイドの怠け癖をどうにかする方法が無いものだろうか?!」



 僕はベッドから立ち上がると、大声を張り上げる。


「ひゃあぃ?!」

「……あ、ごめん」


 僕の不意の大声に驚き、チェリーがまだ中身のある食器を落としてしまった。それを見事にキャッチしたクロアさんは、静かに溜め息をつくと、僕の隣へ置く。

 フカッとしたかけブトンが、トレイの形に合わせて沈み込んだ。


「ど、どうしました、急に」

「あ、いや。その。フラームって、見ているとどうしてもシュレイドが重なって見えちゃって。そういえばシュレイドも、誰も見ていない所ではかなり怠け癖の激しい人間だったなぁ、と」

「なるほど」


 頷いてくれたのはホランだった。このメンバーの中で最もフラームに関する苦労が絶えないのは、他でも無くホランなのだ。プリンの件で先程も悩まされていたホランである。シュレイドの話をすればおそらく、僕と最も話が合う人かもしれない。

 当のフラームはゆっくり食事を進めていて、僕の大声も届いていない様子。対してチェリーは怯えた様子で無表情を徹底しているクロアさんの白衣の、まくった袖を掴んでいるし。

 悪い事をしたかな。


「こ、コホン。つまり、ホームシックと」

「えっ。いや、そうじゃなくて!」


 シュレイドには会いたいけど、僕は絶対非歓迎ムードの帝国に、わざわざ帰ろうとは決して思わない。これはホームシックと言わないだろう。

「ただ、その。シュレイドって、僕がいなかったら朝起きられないかもしれないし、プリンを食べ過ぎるかもしれないし、訓練相手……は困らないだろうけど、普段アイツが日常的に話そうとする人っていなかったから、休日は暇で暇でしょうがないかもしれないし」


「要するに、ホームシックですね」


 チェリーの界隈ではホームシックらしい。


「……帰りたい、ですか?」


 ……。


 チェリーは、これ以上無いくらいに優しい、柔らかな微笑を浮かべた。

 こう言っては失礼だけど、背丈が同じで1つ年上だと言われてもピンと来なかったのに、その時、本当に年上なのだと、自覚した。

 まるで、血の繋がった家族に聞かれているような。優しい感覚。

 どれだけ厳しく叱られていても感じる、心の奥底から溢れる優しさ。


 ……。


 帰りたいか?

 帝国には、帰りたくない。

 きっと、シュレイドに会う前に『周囲の圧力』に負けてしまう。

 だから。


「帰りたくは、無い・・・・」


 静かに腰を降ろしつつ、僕はそう告げた。家族を知らなくて、チェリーから目を逸らしながら。その優しさを、無意識に拒絶しながら。

 帰りたくは、無い。

 何度でも言う。僕は、あの帝国内では価値の無い人間で、誰も歓迎なんてしてくれない!

 ………………で、も。


「……でも」

「でも?」



「―― ……シュレイドには、会いたい」



「そう、ですか」


 ぎゅっ。

 ……?

 視界が、真っ暗。

 顔に、何か柔らかい物が当たっている。

 ……この、音は……。

 一定のリズムで、僅かに聞こえてくる音……。



 僕は、チェリーに抱かれていた。



「生きていれば、会えます。エド君は生きています。シュレイド君が、死んでいると思いますか?」

「そ、そんなわけっ」


 そんな訳が無い!

 シュレイドは、僕のクラスでも群を抜いて成績優秀だった! それに加えて体力テストから持久走から、もう競い事で負ける所は殆ど見た事が無い!

 あるとしても、彼が珍しく休憩時間にトイレに行き忘れたからだったし。

 もっとも、それは僕にアドバイスをしている間に休憩時間が終わってしまったからなのだけれど。

 実践訓練で彼がトップじゃなかった事なんて無かった。

 他の人とチームを組んで、そのチームごとに試合をするっていう実技授業でも、誰と組んでも負けてしまう僕と組んでも負けなかったほどだ。

 シュレイドが、死ぬ?

 そんなのありえない!



「なら、会えます」



 ……っ。


「だから、別の事を考えましょう。帝国は普段の行動ではなく、いかに実戦で使えるのかで人を判断すると聞きましたから。ならば、今エド君が考えるべき事は、シュレイド君の事じゃないと思います」


 ……。

 帝国は、何よりも実力主義。魔法に優れているから、手足が無くても生かされている軍人がいるほどに。いかにその人間が使えるか。それで判断する。

 ある意味で、男女差別も、障がい者の差別も無い、そんな国。

 しかし、利用価値が無ければ即座に切り捨てる、非情な国。

 そんな中、シュレイドは明らかに、使える側の人間だ。

 僕と違って、何があっても守られるはずである。


「僕が、今、考える事……」

「簡単です。シュレイド君と会うために、生きる事です」

「生きる……」


 およそ5日前には、それと真逆の状況だった。生死の境をさまよっていたのだから。

 死ぬ前に何を考えるべきか。そればかり。

 今は、生きるために何をすれば良いのか。どうすれば生きて行けるのか。


「答えを出すのはゆっくりで良いです。ちゃんと答えを出すまでは、FLCにいても良いですから。それとも、いっそ此処に入っちゃいますか?」


 FLC……。僕を助けてくれた場所。僕を生かしてくれた場所。

 チェリーはゆっくりと、僕から手を離す。白く、細く。小さくて、柔らかな、……シュレイドみたいに、温かな手を、離した。

 ねぇ、チェリー。

 もしかしたら、僕はもう、とっくの昔に答えを決めていたのかもしれない。

 ただ、それを考える余裕が無くて、自覚できなかっただけ。


「チェリー。ゆっくりじゃなくても良いよね」

「勿論です。でも、急ぎすぎもダメですよ! ちゃんと答えは吟味してからじゃないと」

「いや、絶対大丈夫だよ」

「はい?」


 僕は生活班が一生懸命掃除しているのだろう、綺麗な石造りの床に正座して、チェリーを眺め見た。

 それから深呼吸をして、こう言った。




「―― 僕を、FLCに入れてくれませんか?」

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名の無い色の星空へ PeaXe @peaxe-wing

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