第3話 サンタ・コール



「いつからクリスマスが恋人の日になったんだ!」

 俺、城川一樹(二十一歳・大学生)は、強くそう主張したい。

 ほんと、なんとかしてほしい。普段なら見ないフリでスルーできるバカップルどもも、この日ばかりはやたらと目について仕方がない。イチャイチャするなら、俺の見えないところでやってくれ。


 だいたい、クリスマスってのは宗教行事なんだろう?

 信者でもないのに、便乗して騒ぐのはおかしい。どうしてもやりたいっていうなら、子ども限定のイベントにでもすればいいんだ。

 バレンタインと同様、商業主義にまんまとのせられやがって。まったく情けないね、どうにも日本人ってのは。


 暖房の効いた電車を降りると、冷たい風が俺を出迎えた。みぞれ混じりだった雨も、いよいよ本格的な雪になっていた。

 ……いや、だからホワイトクリスマスとか、俺には関係ないし。


 今夜は、大学の悪友たちととことん飲もうということになっている。

 もちろん参加者はみんな独り者。名目こそ忘年会だが、ようするに予定のない男どもで、やけ酒でも飲もうというわけだ。





「……おっと!」

 自動改札を出ると、何か重たいものが俺の腹を直撃した。

 下を向いて歩いていたから、何が起きたのかわからない。かなり重いものとぶつかったらしく、反動で尻もちまでついてしまった。


「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」

 OL風の女性が、そんな俺に手を伸ばしていた。

 どうやら、その肩にさげているカバンが俺の腹を直撃したらしい。いったい何が入っているのか、カバンはパンパンに膨らんでいる。


「いや、大丈夫っすよ……」

 衝撃はあったが、痛みはほとんどない。

 暇を持て余して、無駄鍛えた腹筋のおかげだろう。

 しかし、相手が若い女性というだけで、怒る気がさっぱり起きない俺。

 なんつーか、節操ねえなあ。


「あの、立てますか?」

「ああ、余裕っすよ」

 笑顔を浮かべて、さっと立ちあがる。


 それから差し出されていた手に気づき、思わず下品な後悔をして、そんな自分に空しくなった。

 こんなんで、女の手を握ったことにはなんねーって。


 年齢は、俺よりも少し年上だろう。

 紺色のスーツに、後ろでまとめた黒い髪と真面目そうなメガネ。いかにも事務職のOLですって感じの地味な格好だ。

 別に美人ってわけじゃないけど、仕事はできそう。

 恋より仕事を選びます、みたいな?


 あ、もしかしてこれってチャンスなのか!?

 これがキッカケで、恋がはじまったりするのか!?


「あの、お怪我はありませんか?」

「いえ、鍛えてるから平気ですよ」

「お強いんですね」

「いやあ、それほどでも」

「あの、おわびに……お茶でもいかがですか?」

「え?」

「私、せっかくのクリスマスだっていうのに一人ぼっちで……寂しかったんです」

 ってな感じで!


「あの、本当にすみませんでした。それじゃ、私、急ぎますので!」

「……あ、はい」

 俺が現実こっちに戻ってくると、女性はそう言ってぺこりと頭を下げて、大急ぎで改札の向こうへと駆けて行った。


 ま、そりゃそうだよな。

 わかっていたさ。

 世の中、そんなに甘くはないってな。

 でもさ、夢くらい見たっていいだろ。 

 減るもんじゃないんだし。





 居酒屋を出る。

 仕送りで生きのびている俺たちに、朝まで飲み明かすほどの経済的余裕なんてない。きっちり二時間、騒ぎに騒いだあと、俺たちは店の前で肩を組み「クリスマスがなんだーっ」と叫んで解散した。


 このあと俺の部屋で飲みなおそうと誘ってみたが、みんなは明日にでも実家へ帰る予定らしく、あっさりと断られてしまった。おまけに、おまえも実家帰れば、みたいなことまで言われてしまった。余計なお世話だ。


 まったくノリが悪いっていうか、冷たい奴らだよ。

 イブの夜をひとりで過ごす俺の身にもなれっての。


 電車で帰るのは、俺ひとり。

 みんなとは店の前で別れて、雪の降る町を歩き出す。


 寒いし、雪は降ってるし、みんなつきあい悪りぃーし。

 部屋に帰るのも面倒だ、漫画喫茶かネットカフェで夜を明かそうか。

 いや、その金で酒を買って家で飲みなおそう。


 気を取り直して、ほろ酔い気分で駅へ向かう。

 ところがその途中で、またしても俺は心にダメージを負うハメになった。

 ふと顔をあげると、前を歩くのは仲良く傘を並べて楽しげに話す男女。

 しかもその横顔、どう見ても中学生にしか見えない。


 せっかく忘れてたのに。

 あー、むしゃくしゃする!

 だいたい中学生がデートとか、百年早いっつーの!

 早足で彼らを追い越し、俺は心の中で思いつくかぎりの悪態あくたいを並べながら駅へ向かった。



 ――師走二十四日。

 城川一樹は雪の降りしきるホームで一人立ち尽くしていた。


 なんて書けば、文学っぽくてカッコいいんだろうけど、現実はそう甘くない。

 雪のせいで、電車が遅れているらしい。

 立ち尽くすのも疲れるので、ベンチに座る。

 ケツがつめたい。


 俺の田舎と違ってホームにも屋根があるから、濡れる心配がないのは嬉しい。それに酔っているおかげで、それほど寒さも感じない。

 しかし、ぼんやりと雪が降るのを見ていると、そのまま催眠にかかって眠ってしまいそうだ。


「……あれ、城川くんだ」

 しばらくして、静まり返ったホームに聞き覚えのある声が響いた。

 いきなり自分の名前を呼ばれた俺は、驚いて声のした方を見る。


 そこにいたのは、同じゼミの小湊こみなと由佳だった。

 明らかに酔った様子で、顔は真っ赤。足取りもちょっと危なっかしい。


 ちなみに、ゼミが同じだから名前と顔を知っているだけで、小湊とは知り合いでもなんでもない。話したこともほとんどないが、印象には強く残っている。

 なぜかというと、俺がゼミで発表した時に、鋭いツッコミを入れてきたからだ。しかも、そのせいで教授からも欠点を指摘され、後日発表をやり直すハメになった。


「城川くんたちさあ、ちょっと騒ぎすぎだよー」

「え?」

「近くの席にいたんだよ。気づかなかった?」

 小湊はぷぷっとおかしそうに笑うと、すとんと俺の隣に座る。

「でもさー、大声で『どうして俺たちはモテないんだーっ』とか叫ぶからさぁ、私たち、おかしくておかしくて、おかげで飲みすぎちゃったよ」


 ゼミ室のコの字型に並べた机の、ちょうど俺の正面が小湊由佳の定位置。

 だから見慣れてはいるが、こんな風に近くで横顔を見るのは初めてだ。

 さりげなくチラチラと横顔を盗み見る。

 ほんのり赤くさせた頬は、ふっくらしていてリスみたいだった。





「そりゃあ、叫びたい気持ちもわかるけどねー」

「同じ穴のムジナってやつ?」

「げー、一緒にされたくなーい」

 こんな風に女の子とふたりっきりで話すのは、いつ以来だろう。たぶん、思い出せないくらい前だ。


 普段もこんな感じで、女の子と気軽に話せたら苦労はないんだけど。

 さすがに、朝から酒飲んで学校行くわけにはいかねえよな……。


「もしもーし。おーい、大丈夫ー?」

「あ、ああ。大丈夫」

 小湊の赤く染まった頬に目を奪われる。

 酔った女の子が頬を赤くさせてるってだけで、どうしてこんな色っぽいんだろう。

 ヤバ、ちょっとドキドキしてきた。


「やっぱりさぁ……城川くんも、彼女が欲しーとか思うわけ?」

「そりゃ、誰だって……」

 言いかけて、ふと考える。


 これって、まさか、もしかして?

 1、私だって彼氏欲しいんだよ

 2、お互い、似たもの同士だね

 3、実は城川くんのこと、ちょっと気になってたんだ

 ……って流れか?


 いやいやいや。

 さすがに、それは深読みしすぎだろう。

 でも、ちょっとくらい期待してもいいよな。

 いいよな?


「あのさぁ……」

 小湊は、ふいに声のトーンを落とす。

 まるで、とっておきの秘密をばらすような言い方に、ちょっと期待がふくらむ。

「ん? なに?」


 さりげない感じをよそおう俺。

 ああ、なんかドキドキがとまらん!


「彼女が欲しいとか言ってると、彼女なんてできないと思うよ?」

「……へ?」

「だって、彼女なんて名前の女の子はいないでしょ?」

 思考停止。ドキドキは収まったけど、今度は頭いっぱいのハテナマーク。


「だからさぁ、そこに誰かの名前が入らなきゃしょーがないのよ。具体的なさ、どこかの誰かさんを好きになって恋がはじまるわけでしょ? だから「彼女」なんていう漠然とした存在を欲しがっても、恋なんてはじまるわけないじゃない」


 誰かの名前。

 これが漫画なら「ガーン」とでっかく書かれるくらいの衝撃。言われてみれば当然の指摘だけど、なんかすげえショックだ。

 今まで「彼女が欲しい」とあきれるほど口にしてきたけど、そこに誰かの名前を挙げたことなんて……どれだけあっただろう。


「だいたいねえ、流行もんの服じゃあるまいし、欲しいってなによ。女の子はモノじゃないのよ!?」

 そんな俺に構うことなく、小湊は勝手にヒートアップしていく。

「いや、欲しいっつーのはものの例えで……」


「でもさ、それが本音の人もいるよね。欲しいものが欲しいなんて、どっかのキャッチコピーじゃあるまいし。恋人はブランドやステータス? ばっかじゃないの。だいたい、彼女が欲しいから彼女になってくれって、そんなのおかしいでしょ?」

「……そおですね」

 勘弁してくれ。これじゃ、まるで俺が怒られてるみたいじゃないか。


「しかも、そうやって欲しがるだけ欲しがっておいて、大事にできないヤツが多すぎるのよ」

「はいはい、そおですね」

「と・に・か・く! 男でも女でも、人を大事にしようって思えないヤツが、むやみに恋人なんて求めんなっつーの、ってこと」


「わかった。わかったから、まぁ落ち着け、な」

「えーえー悪かったわね、からみ酒で」

 ああ、自覚はあるんだ。


「誰だってね、一度や二度や三度や四度くらい失恋するんだから、別にいいのよ」

 聞いてもいないことまでよくしゃべる。

 でもまぁ、そういうことなら絡みたくもなるか。


「そりゃ、ご愁傷様で」

「いいの。何もないよりはマシだから」

「そおですか」

 さっきから、小湊の言葉がチクチクと突き刺さってくるのは気のせいか。


 言うだけ言って落ち着いたのか、小湊はそれっきり黙ってしまった。

 俺は、小湊の言葉を脳内でリプレイ。

 酔った頭じゃろくに考えもまとまらないけど。


「あーあ。どっかに、いいオトコ落ちてないかなー」

 しばらくして、ぼそっと小湊がつぶやいた。

 少しはクールダウンできたのか、口調も大人しい。

「男だってモノじゃねーんだ、落ちてるわけねえだろ」

 さっきの仕返しとばかりにそう言い返すと、小湊はその言葉に大きくうなずいた。


「そうなんだよね。空から女の子は降ってこないし、イケメン男子が私の争奪戦をしてくれるわけでもない。結局さあ、こっちから腰あげて探しに行かなきゃいけないんだよね」


 薄々、俺も気づいてはいた。

 でも知らんぷりして、ずっと何かを待ち続けてきた。

 何かが起こってくれるのを。

 誰かが何かしてくれるのを。

 俺はずっと待ち続けてきた。

 その結果、俺は経験値をためられないままここまで来ちまった。


 今の俺は、RPGに例えるならスライム相手にさえ苦戦するレベル1。しかも、おっかなくて最初の町からも出られないでいる。

 われながら、なっさけねー主人公だよ。





 電車到着のアナウンス。

 残念ながら反対方向だったが、それを聞いて小湊が立ちあがる。


「じゃあね。私、こっちだから」

「……おう」

「なんかごめんね。グチにつきあわせちゃって」

 酔いも醒めてきたのか、苦笑いで言う。


「誰か大切な人が見つかるまでさ、お互い自分をしっかり磨いとこう!」

「そだな。……気をつけて、ちゃんと家帰れよ」

「うん、ありがとさん」

 小湊は胸の前で小さく手をふり、到着した電車に乗り込んだ。


 人を大事にしようって思えないヤツが、むやみに恋人なんて求めんな……か。

 直接、俺に向けられた言葉じゃないけど、痛てえなぁ。

 寒さなんか忘れちまうほど、なんつーか心の傷にしみるね。


 だけど、そもそも大事にするって、経験もねえのにどうすりゃいいんだよ。

 彼女イナイ歴二十一年の俺には、とりあえず告白して、デートして、キスして、エッチしてとか、そういうことしか思い浮かばない。

 それだって、雑誌かネットか他人の受け売りだ。


 友達は、大事にしてるつもりだ。

 でも、それだって「つもり」なだけかもしれない。

 そもそもあいつの言う「大事」ってのが、よくわかってない気もするし。

 ましてや相手が女の子となれば、どう大事にすればいいかなんて、まるで見当がつかない。


 身近なところに女の子がいなかったっていうのも、こうなっちまった一因かもしれない。でも、それで経験値を積んでこなかったツケが免除される、ってわけでもねえし……。


 やっぱ俺だってさ、夢みるわけよ。

 クリスマスに、恋人と手をつないでデートしてみたいって。何も特別なことはしないでいいから、ただ隣にいてほしいって。


 そんで、いつかは結婚とかしちゃって、自分の子どもの枕元にプレゼントを置いてやったりしたいわけ。

 つーか、今の俺からじゃ全然想像できないんですけど。


 レベル1の俺には、遠い場所だよ。

 はるか遠く、海の向こうって感じ。

 まずは身近なところで、コツコツとレベルあげるしかないんだろうけど。

 今の俺に大事にしたい人なんて、いるわきゃ……。


 かじかむ手をこすって、スマホを取り出す。

 酔った勢いで、今ならできそうだ。

 画面に呼び出した番号。

 それは、このスマホに最初に登録した電話番号。

 この世で最初に覚えた番号で、そして、きっと一生忘れない番号。


 だけど上京してから、俺がこの番号へかけたことなんて数えるほどだ。

 やっぱ、大事になんてしてねーじゃん、俺。


 かじかんだ指で、発信ボタンをぎゅっと押す。

 ふるさとへ……届け電波!


「あ、もしもし……。俺だけど。うん。元気……」


「別に用なんてねーよ。どうしてっかなーと思って」


「え? ああ、そういやそうだな。メリー、クリスマス」


「親父はいいよ。適当に言っといて。うん、わかってるって……」


 電話の向こう、久しぶりに聞く声に見慣れた笑顔が脳裏に浮かぶ。

 面倒くさいとか思ってたけど、やってみるとこういう感じもたまには悪くない。

 たまには、でいいけど。


 母親が妙に浮かれた声で『あんたの元気な声が、何よりのクリスマスプレゼントだよ』なんて言う。

 急に恥ずかしさがこみあげてきて、思わず黙った。

 電話一本しかできない、すっげぇ情けないサンタでごめんよ。

 そう思いながら、長話になる前に適当なことを言って電話を切った。





 大きく吐いた息が、白いもやになって流れていく。

 まさか、ここまで喜ばれるなんて思いもよらなかったけど。どんだけ俺が親不孝してんのかってことは、よーくわかった。


 そういや俺、親にプレゼントなんてしたことあったっけ?

 ……っていうか、親の誕生日いつだ?

 なんつーか、やっぱ大事にしてねーな。

 いろんなもんをさ。


 こんな俺でも、もう二十一歳。

 世間じゃ一応、大人に分類されてるわけ。

 だから、もちろんサンタなんて信じちゃいない。

 だから、もちろん……空から女の子が降ってくるなんて信じてちゃいけない。

 そろそろ、目ぇ覚ませよってことか。


 電車到着のアナウンス。

 立ちあがると、雪混じりの風がびゅんっと吹いて、思わず身を縮めた。

 でも冬の次は、やっぱ春になるわけだし。

 せめてその頃には、好きな人の名前くらいは言えるようになっていたい。


 当たり前だけど、はじめないと、何もはじまらねえんだよな。

 最初は貧弱な装備で連敗するかもしんねーけど。

 レベル1の勇者だって、いつかは強くなれる。


「いっちょ、やってみるか」

 小さな声で、そうつぶやいた。

 ますます勢いを増した雪の向こうで、列車のライトがキラリと光った。


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