第3話 サンタ・コール
「いつからクリスマスが恋人の日になったんだ!」
俺、城川一樹(二十一歳・大学生)は、強くそう主張したい。
ほんと、なんとかしてほしい。普段なら見ないフリでスルーできるバカップルどもも、この日ばかりはやたらと目について仕方がない。イチャイチャするなら、俺の見えないところでやってくれ。
だいたい、クリスマスってのは宗教行事なんだろう?
信者でもないのに、便乗して騒ぐのはおかしい。どうしてもやりたいっていうなら、子ども限定のイベントにでもすればいいんだ。
バレンタインと同様、商業主義にまんまとのせられやがって。まったく情けないね、どうにも日本人ってのは。
暖房の効いた電車を降りると、冷たい風が俺を出迎えた。みぞれ混じりだった雨も、いよいよ本格的な雪になっていた。
……いや、だからホワイトクリスマスとか、俺には関係ないし。
今夜は、大学の悪友たちととことん飲もうということになっている。
もちろん参加者はみんな独り者。名目こそ忘年会だが、ようするに予定のない男どもで、やけ酒でも飲もうというわけだ。
※
「……おっと!」
自動改札を出ると、何か重たいものが俺の腹を直撃した。
下を向いて歩いていたから、何が起きたのかわからない。かなり重いものとぶつかったらしく、反動で尻もちまでついてしまった。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
OL風の女性が、そんな俺に手を伸ばしていた。
どうやら、その肩にさげているカバンが俺の腹を直撃したらしい。いったい何が入っているのか、カバンはパンパンに膨らんでいる。
「いや、大丈夫っすよ……」
衝撃はあったが、痛みはほとんどない。
暇を持て余して、無駄鍛えた腹筋のおかげだろう。
しかし、相手が若い女性というだけで、怒る気がさっぱり起きない俺。
なんつーか、節操ねえなあ。
「あの、立てますか?」
「ああ、余裕っすよ」
笑顔を浮かべて、さっと立ちあがる。
それから差し出されていた手に気づき、思わず下品な後悔をして、そんな自分に空しくなった。
こんなんで、女の手を握ったことにはなんねーって。
年齢は、俺よりも少し年上だろう。
紺色のスーツに、後ろでまとめた黒い髪と真面目そうなメガネ。いかにも事務職のOLですって感じの地味な格好だ。
別に美人ってわけじゃないけど、仕事はできそう。
恋より仕事を選びます、みたいな?
あ、もしかしてこれってチャンスなのか!?
これがキッカケで、恋がはじまったりするのか!?
「あの、お怪我はありませんか?」
「いえ、鍛えてるから平気ですよ」
「お強いんですね」
「いやあ、それほどでも」
「あの、おわびに……お茶でもいかがですか?」
「え?」
「私、せっかくのクリスマスだっていうのに一人ぼっちで……寂しかったんです」
ってな感じで!
「あの、本当にすみませんでした。それじゃ、私、急ぎますので!」
「……あ、はい」
俺が
ま、そりゃそうだよな。
わかっていたさ。
世の中、そんなに甘くはないってな。
でもさ、夢くらい見たっていいだろ。
減るもんじゃないんだし。
※
居酒屋を出る。
仕送りで生きのびている俺たちに、朝まで飲み明かすほどの経済的余裕なんてない。きっちり二時間、騒ぎに騒いだあと、俺たちは店の前で肩を組み「クリスマスがなんだーっ」と叫んで解散した。
このあと俺の部屋で飲みなおそうと誘ってみたが、みんなは明日にでも実家へ帰る予定らしく、あっさりと断られてしまった。おまけに、おまえも実家帰れば、みたいなことまで言われてしまった。余計なお世話だ。
まったくノリが悪いっていうか、冷たい奴らだよ。
イブの夜をひとりで過ごす俺の身にもなれっての。
電車で帰るのは、俺ひとり。
みんなとは店の前で別れて、雪の降る町を歩き出す。
寒いし、雪は降ってるし、みんなつきあい悪りぃーし。
部屋に帰るのも面倒だ、漫画喫茶かネットカフェで夜を明かそうか。
いや、その金で酒を買って家で飲みなおそう。
気を取り直して、ほろ酔い気分で駅へ向かう。
ところがその途中で、またしても俺は心にダメージを負うハメになった。
ふと顔をあげると、前を歩くのは仲良く傘を並べて楽しげに話す男女。
しかもその横顔、どう見ても中学生にしか見えない。
せっかく忘れてたのに。
あー、むしゃくしゃする!
だいたい中学生がデートとか、百年早いっつーの!
早足で彼らを追い越し、俺は心の中で思いつくかぎりの
――師走二十四日。
城川一樹は雪の降りしきるホームで一人立ち尽くしていた。
なんて書けば、文学っぽくてカッコいいんだろうけど、現実はそう甘くない。
雪のせいで、電車が遅れているらしい。
立ち尽くすのも疲れるので、ベンチに座る。
ケツがつめたい。
俺の田舎と違ってホームにも屋根があるから、濡れる心配がないのは嬉しい。それに酔っているおかげで、それほど寒さも感じない。
しかし、ぼんやりと雪が降るのを見ていると、そのまま催眠にかかって眠ってしまいそうだ。
「……あれ、城川くんだ」
しばらくして、静まり返ったホームに聞き覚えのある声が響いた。
いきなり自分の名前を呼ばれた俺は、驚いて声のした方を見る。
そこにいたのは、同じゼミの
明らかに酔った様子で、顔は真っ赤。足取りもちょっと危なっかしい。
ちなみに、ゼミが同じだから名前と顔を知っているだけで、小湊とは知り合いでもなんでもない。話したこともほとんどないが、印象には強く残っている。
なぜかというと、俺がゼミで発表した時に、鋭いツッコミを入れてきたからだ。しかも、そのせいで教授からも欠点を指摘され、後日発表をやり直すハメになった。
「城川くんたちさあ、ちょっと騒ぎすぎだよー」
「え?」
「近くの席にいたんだよ。気づかなかった?」
小湊はぷぷっとおかしそうに笑うと、すとんと俺の隣に座る。
「でもさー、大声で『どうして俺たちはモテないんだーっ』とか叫ぶからさぁ、私たち、おかしくておかしくて、おかげで飲みすぎちゃったよ」
ゼミ室のコの字型に並べた机の、ちょうど俺の正面が小湊由佳の定位置。
だから見慣れてはいるが、こんな風に近くで横顔を見るのは初めてだ。
さりげなくチラチラと横顔を盗み見る。
ほんのり赤くさせた頬は、ふっくらしていてリスみたいだった。
※
「そりゃあ、叫びたい気持ちもわかるけどねー」
「同じ穴のムジナってやつ?」
「げー、一緒にされたくなーい」
こんな風に女の子とふたりっきりで話すのは、いつ以来だろう。たぶん、思い出せないくらい前だ。
普段もこんな感じで、女の子と気軽に話せたら苦労はないんだけど。
さすがに、朝から酒飲んで学校行くわけにはいかねえよな……。
「もしもーし。おーい、大丈夫ー?」
「あ、ああ。大丈夫」
小湊の赤く染まった頬に目を奪われる。
酔った女の子が頬を赤くさせてるってだけで、どうしてこんな色っぽいんだろう。
ヤバ、ちょっとドキドキしてきた。
「やっぱりさぁ……城川くんも、彼女が欲しーとか思うわけ?」
「そりゃ、誰だって……」
言いかけて、ふと考える。
これって、まさか、もしかして?
1、私だって彼氏欲しいんだよ
2、お互い、似たもの同士だね
3、実は城川くんのこと、ちょっと気になってたんだ
……って流れか?
いやいやいや。
さすがに、それは深読みしすぎだろう。
でも、ちょっとくらい期待してもいいよな。
いいよな?
「あのさぁ……」
小湊は、ふいに声のトーンを落とす。
まるで、とっておきの秘密をばらすような言い方に、ちょっと期待がふくらむ。
「ん? なに?」
さりげない感じを
ああ、なんかドキドキがとまらん!
「彼女が欲しいとか言ってると、彼女なんてできないと思うよ?」
「……へ?」
「だって、彼女なんて名前の女の子はいないでしょ?」
思考停止。ドキドキは収まったけど、今度は頭いっぱいのハテナマーク。
「だからさぁ、そこに誰かの名前が入らなきゃしょーがないのよ。具体的なさ、どこかの誰かさんを好きになって恋がはじまるわけでしょ? だから「彼女」なんていう漠然とした存在を欲しがっても、恋なんてはじまるわけないじゃない」
誰かの名前。
これが漫画なら「ガーン」とでっかく書かれるくらいの衝撃。言われてみれば当然の指摘だけど、なんかすげえショックだ。
今まで「彼女が欲しい」とあきれるほど口にしてきたけど、そこに誰かの名前を挙げたことなんて……どれだけあっただろう。
「だいたいねえ、流行もんの服じゃあるまいし、欲しいってなによ。女の子はモノじゃないのよ!?」
そんな俺に構うことなく、小湊は勝手にヒートアップしていく。
「いや、欲しいっつーのはものの例えで……」
「でもさ、それが本音の人もいるよね。欲しいものが欲しいなんて、どっかのキャッチコピーじゃあるまいし。恋人はブランドやステータス? ばっかじゃないの。だいたい、彼女が欲しいから彼女になってくれって、そんなのおかしいでしょ?」
「……そおですね」
勘弁してくれ。これじゃ、まるで俺が怒られてるみたいじゃないか。
「しかも、そうやって欲しがるだけ欲しがっておいて、大事にできないヤツが多すぎるのよ」
「はいはい、そおですね」
「と・に・か・く! 男でも女でも、人を大事にしようって思えないヤツが、むやみに恋人なんて求めんなっつーの、ってこと」
「わかった。わかったから、まぁ落ち着け、な」
「えーえー悪かったわね、
ああ、自覚はあるんだ。
「誰だってね、一度や二度や三度や四度くらい失恋するんだから、別にいいのよ」
聞いてもいないことまでよくしゃべる。
でもまぁ、そういうことなら絡みたくもなるか。
「そりゃ、ご愁傷様で」
「いいの。何もないよりはマシだから」
「そおですか」
さっきから、小湊の言葉がチクチクと突き刺さってくるのは気のせいか。
言うだけ言って落ち着いたのか、小湊はそれっきり黙ってしまった。
俺は、小湊の言葉を脳内でリプレイ。
酔った頭じゃろくに考えもまとまらないけど。
「あーあ。どっかに、いいオトコ落ちてないかなー」
しばらくして、ぼそっと小湊がつぶやいた。
少しはクールダウンできたのか、口調も大人しい。
「男だってモノじゃねーんだ、落ちてるわけねえだろ」
さっきの仕返しとばかりにそう言い返すと、小湊はその言葉に大きくうなずいた。
「そうなんだよね。空から女の子は降ってこないし、イケメン男子が私の争奪戦をしてくれるわけでもない。結局さあ、こっちから腰あげて探しに行かなきゃいけないんだよね」
薄々、俺も気づいてはいた。
でも知らんぷりして、ずっと何かを待ち続けてきた。
何かが起こってくれるのを。
誰かが何かしてくれるのを。
俺はずっと待ち続けてきた。
その結果、俺は経験値をためられないままここまで来ちまった。
今の俺は、RPGに例えるならスライム相手にさえ苦戦するレベル1。しかも、おっかなくて最初の町からも出られないでいる。
われながら、なっさけねー主人公だよ。
※
電車到着のアナウンス。
残念ながら反対方向だったが、それを聞いて小湊が立ちあがる。
「じゃあね。私、こっちだから」
「……おう」
「なんかごめんね。グチにつきあわせちゃって」
酔いも醒めてきたのか、苦笑いで言う。
「誰か大切な人が見つかるまでさ、お互い自分をしっかり磨いとこう!」
「そだな。……気をつけて、ちゃんと家帰れよ」
「うん、ありがとさん」
小湊は胸の前で小さく手をふり、到着した電車に乗り込んだ。
人を大事にしようって思えないヤツが、むやみに恋人なんて求めんな……か。
直接、俺に向けられた言葉じゃないけど、痛てえなぁ。
寒さなんか忘れちまうほど、なんつーか心の傷にしみるね。
だけど、そもそも大事にするって、経験もねえのにどうすりゃいいんだよ。
彼女イナイ歴二十一年の俺には、とりあえず告白して、デートして、キスして、エッチしてとか、そういうことしか思い浮かばない。
それだって、雑誌かネットか他人の受け売りだ。
友達は、大事にしてるつもりだ。
でも、それだって「つもり」なだけかもしれない。
そもそもあいつの言う「大事」ってのが、よくわかってない気もするし。
ましてや相手が女の子となれば、どう大事にすればいいかなんて、まるで見当がつかない。
身近なところに女の子がいなかったっていうのも、こうなっちまった一因かもしれない。でも、それで経験値を積んでこなかったツケが免除される、ってわけでもねえし……。
やっぱ俺だってさ、夢みるわけよ。
クリスマスに、恋人と手をつないでデートしてみたいって。何も特別なことはしないでいいから、ただ隣にいてほしいって。
そんで、いつかは結婚とかしちゃって、自分の子どもの枕元にプレゼントを置いてやったりしたいわけ。
つーか、今の俺からじゃ全然想像できないんですけど。
レベル1の俺には、遠い場所だよ。
はるか遠く、海の向こうって感じ。
まずは身近なところで、コツコツとレベルあげるしかないんだろうけど。
今の俺に大事にしたい人なんて、いるわきゃ……。
かじかむ手をこすって、スマホを取り出す。
酔った勢いで、今ならできそうだ。
画面に呼び出した番号。
それは、このスマホに最初に登録した電話番号。
この世で最初に覚えた番号で、そして、きっと一生忘れない番号。
だけど上京してから、俺がこの番号へかけたことなんて数えるほどだ。
やっぱ、大事になんてしてねーじゃん、俺。
かじかんだ指で、発信ボタンをぎゅっと押す。
ふるさとへ……届け電波!
「あ、もしもし……。俺だけど。うん。元気……」
「別に用なんてねーよ。どうしてっかなーと思って」
「え? ああ、そういやそうだな。メリー、クリスマス」
「親父はいいよ。適当に言っといて。うん、わかってるって……」
電話の向こう、久しぶりに聞く声に見慣れた笑顔が脳裏に浮かぶ。
面倒くさいとか思ってたけど、やってみるとこういう感じもたまには悪くない。
たまには、でいいけど。
母親が妙に浮かれた声で『あんたの元気な声が、何よりのクリスマスプレゼントだよ』なんて言う。
急に恥ずかしさがこみあげてきて、思わず黙った。
電話一本しかできない、すっげぇ情けないサンタでごめんよ。
そう思いながら、長話になる前に適当なことを言って電話を切った。
※
大きく吐いた息が、白いもやになって流れていく。
まさか、ここまで喜ばれるなんて思いもよらなかったけど。どんだけ俺が親不孝してんのかってことは、よーくわかった。
そういや俺、親にプレゼントなんてしたことあったっけ?
……っていうか、親の誕生日いつだ?
なんつーか、やっぱ大事にしてねーな。
いろんなもんをさ。
こんな俺でも、もう二十一歳。
世間じゃ一応、大人に分類されてるわけ。
だから、もちろんサンタなんて信じちゃいない。
だから、もちろん……空から女の子が降ってくるなんて信じてちゃいけない。
そろそろ、目ぇ覚ませよってことか。
電車到着のアナウンス。
立ちあがると、雪混じりの風がびゅんっと吹いて、思わず身を縮めた。
でも冬の次は、やっぱ春になるわけだし。
せめてその頃には、好きな人の名前くらいは言えるようになっていたい。
当たり前だけど、はじめないと、何もはじまらねえんだよな。
最初は貧弱な装備で連敗するかもしんねーけど。
レベル1の勇者だって、いつかは強くなれる。
「いっちょ、やってみるか」
小さな声で、そうつぶやいた。
ますます勢いを増した雪の向こうで、列車のライトがキラリと光った。
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