欠如



黒板に書かれたものにざわざわと教室中が騒がしい。


窓際の席の私だけ違う世界にいるような感覚になる。






「憐どこだった?」


そんな私を皆んなのいるところまで連れて来てくれるのはいつも君だった。




「窓際の1番後ろ」


自分の手の中にある紙に書かれた数字と、黒板に書かれた同じ数字の場所を言う。


するとみるみる太陽の顔が笑顔で溢れた。



「え!まじ?俺隣だよ!」


やったー!


と満面の笑顔で言いながら太陽は、紙を持っている私の手を握ってブンブンと上下に振った。


そんな彼を見て

痛い痛い

と言いながらやはり自分も笑顔になっている。






私が窓側にいるはずなのに、何故か彼が眩しく見える。


いつになったら彼を見て眩しいと感じなくなるんだろう。





「おいお前ら教室でいちゃつくな〜」


誰かがそう言ったのを聞いて太陽が


うるせ〜!羨ましいだろ〜


と返す。

その下で私は離された手を見つめていた。




暖かかったはずのその手が、別のものかのように急に冷たくなる。




怖くなって膝の上でぎゅっと手を握りしめた。







「憐〜〜どこだった〜?」


明らかに沈んだ顔と声で近づいて来た美雨(ミウ)に、場所が悪かったんだなと思いつつ自分の場所を答えた。



「え!めっちゃいいじゃん!

あたしなんで真ん中の前だよ〜

憐…変えて♡」



よっぽど嫌だったんだろう。


別に断る理由もない。


「うん、いいよ」

と席を変えるため立ち上がった。




そう答えると美雨は


いいの?!


と、続けてお礼を言いかけた時、

私の手を太陽が後ろから引っ張った。





「なんで?」


立ち上がっている私からは、座っている太陽が上目遣いで私を見ているように見える。





まず、

驚いた。




彼の表情に。




いつも私に優しく笑いかける太陽の、こんな表情は見たことがなかったから。




彼のこんな、悲しいような、怒ったような、いろんな感情が混ざった表情を。




彼の顔を見て固まっていると、

美雨が驚いたように慌てて


「え!もしかして2人隣だった?!

憐〜言ってよ〜。ごめんね!」



そう言って謝っていってしまった。


美雨には何も言ってないのに分かってしまった。




それなのに私には分からない。


彼の気持ちが。

表情が。





そのまま何事もなかったかのように新しい席で隣のまま1日が過ぎた。


いつもの太陽に戻ったように見えた。



日が落ちて、日常がオレンジに染まった頃


「帰ろっか」


そう微笑んで私を見る太陽。


私も微笑んで

うん

と答えて教室を出た。





帰り道いつも通り何気なく私の手をとって歩く。



でも、いつもと同じじゃない。


手を繋いでいても、今日は手のひらが冷たい。




手を繋いでいるはずなのに、君は私の隣にはいない。


半歩前を歩くから、私から君の顔が見えない。




こんなに近くにいるのに、こんなにも遠いと感じる。

こんな感情は初めてだ。


どうしたらいい?


教えて。






太陽の口からはいつもの何気ない話が楽しげに語られる。



けれど君の顔が隣にないからそれもいつもとは違ってしまう。



君の顔には笑顔が見える。



けれどいつもの君の柔らかい笑顔とはどこかちがう。





君と目が合わない。


ただそれだけがこんなにも胸を辛く締め付けるのか。


私の目を見て欲しい。

あなたの顔が見たい。




けれど私は君にそうしてもらえる術を知らないんだ。


わたしは何も知らない。




頰に伝った物が何か分からなかった。

拭うと指が濡れている。



そして初めて自分が泣いているのに気がついた。





自覚した途端それは溢れて止まらなくなった。


自分で止められないことに焦ってまた手で拭う。




でも止まってくれない。


どうしようもなくて、困り果てて立ち止まってしまった。




歩かなきゃ


そう思って歩き出そうとしても足が前に動かない。

自分の身体が別の誰かの物になってしまったかのように感じる。





怖い。

助けて。


そう言いたいけどわからない。

言ってしまったらきっと君は、皆んなは困ってしまう。




何もできない。わからない。




「え?!憐?!」


手を繋いでいるのだから気づいて当然だ。

慌てて私の前に来る





そして私の両肩に手を置いて、私に目線を合わせる。



「どうしたの?」



その彼の問いかけにも答えられず首を横に振った。

まだ溢れて止まってくれない涙を手で拭い隠すようにして。




わからない。

どうしたらいいのかわからない。




「泣かないで。

あんまり触ると赤くなっちゃうから」



そう言って太陽は私の両手首をそっと掴んで顔から離した。


すると涙でぼやけた君が困った顔で私を見ていた







そんな顔をさせていたことに、さらに心が締め付けられる感覚がした。


見ていられなくて、硬く瞼を閉じた。






まただー…




さらに涙が溢れた。



すると急に身体が暖かくなった。



「大丈夫だから。

泣かないで」


そう太陽が強く私を抱きしめて、頭を撫でる



何分、


いや、もっと短かっただろうか。

もっと長かっただろうか。



それもわからないまま、

いつのまにか落ち着いて涙も止まっていた



すると太陽が身体をゆっくりと離し、また目線を私に合わせた。




きっとひどい顔をしているだろうと思って顔を逸らそうとしたら太陽の手が私の頰に優しく触れた。


そして親指で瞼をなぞる。




「やっぱり赤くなっちゃったね」

悲しそうに微笑んで私を見た。




「ごめん」


そういうと太陽は驚いたように私を見て

え?と聞き返した。


「私が怒らせたんだよね」




そう続けると、沈黙が続いた。

やっぱりすごく怒っているんだと恐る恐る顔を上げると同時に目の前に勢いよく太陽がしゃがんだ




驚いて黙っていると、その体勢のままガシガシと頭をかいて


あーーーーー


と声を出した




何が起こっているのか掴めないまま太陽を見つめた。


「かっこ悪〜〜…

全然出てないと思ったんだけど…

隠れてなかったのか〜…」


うわーーー


と言いながらまた頭をかく。






困惑している私を見上げると、立ち上がって私の頭を撫でた。




「ごめん、隠してたつもりだったんだけど…。

怖かったよね。ごめんね」

「やっぱり…怒ってるんだよね…」


彼の顔が見れずに、目の前の制服のボタンを見つめる。




「うん」


そう彼が答えた瞬間、崩れそうになった。


ただ、


と、そう続けた太陽の顔を見上げる。

「馬鹿だと思われるかもしれないけど隣になれてすごく嬉しかったから、なんで軽く席譲っちゃうの、って思った」





その彼の言葉に、私は何も言えなかった。




「ごめん。ただのヤキモチ。…ってか、自分でもよく分かんないけど、憐にもっと、俺と一緒にいたいって同じように思って欲しいって思った」




手の甲で自分の目を隠し、もう片方の手で私の手を握る。



今この手を離してはいけないと、それだけははっきりとわかった。




「うん」

そう一言だけ言うと、目元を隠していた片手を離して私を見つめた。




「ごめん…かっこ悪いよね…

嫌いにならないで…」




そう弱々しく掠れた声で言う彼をそっと抱きしめた。


彼の首に腕を回す。

手のひらで彼の頭を引き寄せた。





驚いたのか身体を硬くした彼は、すぐに身体の力を抜いて同じように私の腰に手を回して力強く抱きしめ返した。







暖かい。


この暖かさを離してはいけない。

忘れてはいけない。







夕日で照らし出された私たちは一つになっていた。

いっそのこと、この影のようになってしまえたら。


そしたら君の心が手に取るように分かるだろうか。







「嫌いになんてならないよ」


なる筈がない。

なれる筈がないんだー…




君が悪いわけじゃない。


悪いのは私で、

いつも私の心は何かが足りない。




まだ君の心が理解できない。



だから君にそんな顔をさせてしまう。


いつも笑顔でいるはずの君を、こんな悲しい顔にささてしまう。


そんな私が、君の隣にいていいのだろうか。


そう考えるとまた胸が締め付けられるように痛くなった。




私はやっぱり欠陥品なんだ



そう思った瞬間、自分の身体がロボットのように重く、硬くなったかのように感じた。



自分の意思では身動きが取れない。




君がこんなに近くにいるのに、私はどうすることもできない。


君がこの腕の中に確かにいるはずなのに、


君の気持ちがわからないー…








君の体温を身体で感じながら、私はまた、ひとつになった影を見つめた。

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