血梅の枝

オボロツキーヨ

日野本町にて

何故こんなに空が近いのだろう。

空に手が届きそう。

青い空に吸いこまれる。

千枝ちえは歩いた。

生まれも育ちも東京都新宿区の大学生の千枝にとっては驚きだった。

ここには空を切り裂く高い建物がない。


尖った冷たい空気とふんわりとした日差しの温もり。

冬と春の二つの季節が楽しめる日曜日。

微かに聞こえる優しい、せせらぎを聞きながら、

駅前から日野用水沿いの遊歩道を、ぶらぶらと歩く。


最近、某新選組コミックを読んでファンになった千枝は、

一人で初めて東京都日野市へ新選組史跡巡りにやって来た。

土方歳三の義兄、佐藤彦五郎の屋敷〈日野市指定有形文化財〉の

日野宿本陣を見学しようと、JR中央線の日野駅で降りた。


駅前から真っ直ぐ歩けば本陣はあるはずなのだが、

千枝は日野本町の住宅街に迷い込んでいた。

どうやら通りを一本間違えたようだ。

家々のあちらこちらでは梅の花が咲き始めている。

凜とした香りがスーッと鼻をかすめる。


「うわ、可愛い梅」                             


低いフェンス越しに見えた。

鮮やかな紅色で花びらの小さな梅。

あまり手入の行きとどいていない広い庭に咲いている。

その梅に千枝はすっかり心を奪われた。


斜めがけしているショルダーバックからデジカメを取り出しシャッターを押す。

なんだか上手く撮れないなと思いながら、夢中でシャッターを押し続けた。

いつのまにか人が隣に立っているのにも気づかずに。


「うちの梅、気に入ってもらえた」


丸顔で小柄、感じのいい女性がニコニコしながら話しかけてきた。

少しかすれた甘い声。

どうやらこの家の人らしい。


「あっ、すいません、勝手に写真を撮ってしまって。

あまりにも綺麗だったのでつい」


驚いた千枝は、とりあえず謝る。


「いいわよ。どうぞ狭いけど、せっかくだから庭に入って。

そのほうが撮りやすいでしょう。

お嬢さんは新選組の史跡巡りをしている途中なのね」


門の扉を開けて玄関前を通り、庭へ案内してくれた。


「はい、日野宿本陣へ行こうとしたら、道を間違えたみたいです」

千枝は遠慮なく言われるままに庭へ入った。


「たくさん歩き回って疲れたでしょう。よかったら座って休んでいって」


背もたれのない、素朴な木のベンチが梅の木の横に置かれていた。

そういえば、気合を入れてお洒落して履いてきた、

ヒールのある黒革のロング・ブーツのせいで足が痛む。


千枝はベンチに座ると梅を見上げた。

早春の青空に、薄紅色の小さな梅の花が良く映える。


女性は千枝の隣に腰をおろした。

二十代後半ぐらい。長い黒髪をアップのまとめ髪にしている。

早春の空気にさらされている、白いうなじが少し寒そうだ。


「本陣は、ちょうどこの家の真裏よ。

通り抜けられないから、おおまわりになるけど、

その道を曲がると甲州街道に出られるわよ。

あら、土方家には行って来たのね」


女性が千枝の膝上をチラリと見た。


「はい、そうですが、どうしてわかったんですか」


「だって、その布の手提げに石田散薬と書いてあるじゃない。

藍色に白い文字が素敵ね。私も欲しいわ」


女性の目が綺羅りと輝く。


「今日、土方さんの生家にある資料館へ初めて行ったので、

つい色々と土方さんグッズや本を買っちゃいました。

このトートバックも大人気で最後の1つだったんですよ。


多摩モノレールの万願寺駅を降りたら、

病院や会社の看板や家の表札が〈土方〉さんだらけで、ホント驚きました」


千枝も負けず劣らず、目を輝かせて興奮気味に話した。


「ふふ、歳三さんは相変わらず人気者ね。

日野には数百年前から住んでいる一族が多いのよ。

土方姓もすごく多いわ。

学校で一クラスに何人も土方さんがいるわ。

うちは、まだまだよそ者。

明治になってから日野へ越して来たばかりだから。


ねえ、知ってるかしら・・・・・・

日野では<明治の御一新>とは言わないのよ。

ここでは明治元年のことを瓦解がかい元年と言うの。

多摩が壊された年、徳川幕府が倒れた年という意味ね。

明治時代なって多摩は徳川の時代よりも生活が厳しくなったのよ」


「瓦解元年、初めて聞きました。

日野では明治維新とは言わないのですか」


「明治いしんなんて知らないわ。何だか、嫌な言葉ね」


千枝は黒いウールのチェスターコートの襟を立て、白いマフラーを巻きなおした。

日野宿本陣近くに住む、この綺麗で優しそうな女性から、

地元ならではの新選組にまつわる面白い話しが聞けるかもしれない。


「この梅の名は<ちばい>枝の切り口が赤くて、

まるで血が流れているように見える。

だから漢字で血の梅と書いて<ちばい>なのよ」


梅をうっとりと見上げながら言った。



「この血梅は近藤勇が愛した梅なのよ。

まだ京都へ行くずっと前に、

八王子千人隊の組頭の石坂家を訪れた近藤さんが、

庭に咲く血梅を見て感激したんですって。

石坂さんは、この梅を近藤さんにプレゼントしたいと思って、

接木つぎきの約束をしたそうよ。


私のうちは明治時代に、戸塚村から日野に移り住んだ三味線屋だった。

石坂家の庭に残されていた、この木は縁あって八王子から日野宿本陣に近い、

うちの庭に接木されたのよ」


「八王子は空襲で炎に焼かれたのに、まだ血梅は生きていたなんて、

木の生命力ってすごいですね」


千枝は八王子の空襲の話を、祖母から聞いたことがあった。


 女性は深くうなずいた。

 

「結局、近藤さんは官軍に流山で捕まって、

武士として扱われなくて切腹すら、させてもらえなかった。

あんなに徳川幕府への忠誠心が強かったのに。

最後は無宿人扱いだった。

その上、京都三条河原でさらし首だなんて酷い。

新選組は多摩人の誇りだったのに。


その一年後に歳三さんは箱館で戦死。

侍として完璧な死だと皆が言うわ。

でも生きて帰って来て欲しかった。

帰って来てくれると信じていた。


自分の代わりに可愛がっていた鉄之助くんに、

たくさんのお金を持たせて箱館から外国の船に乗せて逃がした。

鉄之助くんと仲良しだった小姓と二人一緒よ。

歳三さんは優しいから、心細くないようにと二人乗せたの。

佐藤家への言付けと、あの有名な歳三さんの写真を届けてくれたのは鉄之助くんよ。

歳三さんは、お姉さん思いだから、ノブさんに写真を見せたかったのね。

 


石坂さんも近藤さんと同じ頃に惨い死に方をされた。

切腹だったのだけれど、介錯できる剣の達人の息子さんが留守で、

八十代のお父様に介錯された。

でも、お年だったから上手くいかなかったらしくて、

息子の首を切り落とすなんて、お辛かったことでしょう。

結局、石坂さんは、なかなか死に切れなくて、

一晩中苦しみぬいて亡くなられたそうよ。

どんなに痛かったことか。


石坂さんは、数日前に八王子千人隊の隊長に就任したばかりで、

日光を無抵抗のまま、官軍に引渡したことの責任を取らされたのよ。


日光は山城だったらしいわ。

日光は徳川家の巨大な要塞。

最後のとりでだった。

そこで官軍と戦わなかったことが、

八王子千人隊士たちの反感をかってしまったのね。

でも石坂さんは何も悪くないわよ。

だって肝心の将軍の徳川慶喜公は、とっくに降伏していたのだから。

あら、話が長くなってごめんなさい。

これから歳三さんが居た日野宿本陣へ行くのよね」


女性が優しく微笑んだ。


「この梅は色々な時代を生きて、その風景や人を見て来たのですね。

だからこんなに綺麗なのかな。

きっと楽しいことも悲しいことも、たくさん見ていた。

何だか幕末と明治は、つい最近のことのような気がしてきました」


千枝は日野へ来てよかった思う。

胸に詰まる思いを吐き出すように、深いため息をついた。


「ふふふ、いいこと教えてあげようか。知りたい? 」


女性が突然、千枝の手を握った。

薄いニットの手袋の上から手の冷たさが伝わる。


「えっ、何ですか」


手の冷たさにゾクリとして身を縮める。


「近藤さんと歳三さんは流山で別れて、

それぞれ別の土地で亡くなったのだけれど、

毎年、日野本町のこの庭に血梅を見に来るのよ」


女性は何故か寂しそうに目を伏せた。


「えっ、おねえさんには近藤さんと土方さんが見えるの。

二人は毎年一緒に、この梅を見に来るの」


千枝は興奮気味に問いかける。


「そうよ。二人で来るのよ。けちゃうくらい仲がいい」


手を離して、うつむいた。


「土方さんは、生涯独身だったのですよね。

でも実は許婚いいなづけがいて、新宿の戸塚村のお琴さんという、

三味線屋の看板娘だったそうですね。

もしかして、おねえさんが、お琴さんだったりして」


千枝は静かにベンチから立ち上がった。


血梅の微かな香りを思いっきり吸い込んでから、千枝が後ろを振り向くと、

そこには古びた木のベンチがあるだけで、庭に人影は無かった。

そして、よく見ると家は廃屋だった。


どこか遠くから風にのって三味線の音が聴える。



やっぱり、そうだ。


私が生まれ育った新宿区西早稲田は、江戸時代は戸塚村だった。

私はお琴さんの叔母にあたる人の子孫らしい。

まさか日野で、お琴さんに会えるなんて思ってもみなかった。

いつか土方さんと近藤さんにも会えるかもしれない。


哀しいほど青い空の下で紅色の血梅が笑っていた。

                         


                                      


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