灰と萌芽

 風が吹く。

 太陽は傾き始め、見渡す限りの大草原はひんやりと心地よい風に吹かれて波のような音を立てる。


 視線を地上に戻すと、焼け焦げた地面がところどころに残っている。そんな戦闘の爪痕の只中で、4人は王の前で代わる代わる話をしていた。4人というのは、イェーナとトビアスとラウレンスとノエだ。ちなみにエドムントはというと、レイケルス王が呼び出したボートくらいの大きさの『太陽神の船』に括りつけられて、今しがたどこかへ運ばれていったところだ。

 彼らの話は主にエドムント絡みのことになっているようで、つい昨日砦にやってきたばかりの俺と、治療のためにほとんど自由がなかったらしいベアトリスについてはそろってハブられていた。

 で、そのベアトリスはというと、彼らの方をぼーっと眺めているようだった。不敵な笑みを浮かべるでもなく、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるでもない。

 そんな彼女を見ていると、なぜだか今のこの姿こそが本来のベアトリスという少女のあり方なんじゃないか、というような気がしてきた。

 と、視線でも感じたのか、急にベアトリスの赤い目がギョロリと動いて俺の方を見た。

「な、なに……?」

 思わずうわずった声で訊いてしまったが、特に思うところはないらしい。

「別に。何でもねえよ」

 ベアトリスはぶっきらぼうにそう答えると、急にどんっと体をぶつけてきた。

「……疲れた。肩貸せ」

「え、うん、いいけど」

 肩を貸せと言われてもどうすればいいんだ、腕回して支えたりした方がいいんだろうか……とか俺が考えているうちに、ベアトリスは俺に体重を預けてきて、そのまま動かなくなった。

 軽いな、というのが素直な感想だ。

 十代前半くらいの少女の体は、それほど体が大きくない俺からしても、細くて小さくて軽い。こんな少女があれほど大きくて強かったエドムントと対等以上に渡り合っていたという事実が、まるで嘘のように思えてくる。

「……さっきのこと、誰にも言うんじゃねえぞ」

 唐突にベアトリスが言う。だが、すぐにはその言葉の意味するところが分からない。

「さっきの……?」

 すると苛立った声で、しかし声量は抑えたままベアトリスは器用に喚く。

「あたしがさっき使った炎の話だっての! あのクソ野郎はあんたが一人で倒した、いいな?」

「まあ、そうしろってんなら従うけど」

 理由は良く分からないが、何か大事なことなんだろう。

「分かればいいんだ、分かれば……ふあぁ」

 ベアトリスはあくびをして、より一層体重を預けてくる。どうやら本当に消耗しているみたいで、赤い瞳は半分ほどまで閉じかけている。

 まあ、当然と言えば当然だ。つい昨夜まで生死の境をさまよっていたのに、今日になって新たな力を発現させ、格上を相手に立派に戦ったのだ。疲れないわけがない。

 俺はもうしばらく、この細くて軽い体温を支えようと――

「よう、今の話だと俺様はどうなんだ?」

 瞬間、全体重を預けきって安心していたベアトリスが勢いよく飛び退った。割り込んできたのはしゃがれ声のカジン・ケラトスだ。

 俺はやれやれと首を振った。

「空気読んでくださいよ、どう考えても喋っちゃダメですよ」

「マジかよつまんねーな」

 と、いつもの調子でカジン・ケラトス神と話していると、信じられないものを見たような顔でベアトリスが目を見開いていた。

「お、お前、何者だ!」

「あん? 分かんだろ。俺様はカジン・ケラトス、こいつの神だぜ」

 言いながら、カジン・ケラトスは何もない空中から直径1メートル弱の灰色目玉となって出現した。

 だが、姿が見えるようになったことでむしろ恐怖心が和らいだのか、ベアトリスは早歩きで戻ってくると、めいっぱい低くした声で灰色目玉に詰め寄った。

「全部聞いてたんなら分かるよな? 余計なこと喋りやがったら、神だろうが何だろうが、燃やすからな!」

「おーおー、怖えな。ま、俺様もフィルグクーのイカレ野郎とは関わりたくねーし、うっかり言わねえように気を付けるとすっかな」

「……邪神のくせに妙に物分かりがいいな」

「脳ミソ沸いてるクソ化け狐のフィルグクーなんかと一緒にすんじゃねーよ。俺様はもうちょいまともだっての」

「ハッ、奴がどうしようもなく狂ってやがるってのはあたしも同意見だがな」

 ……なんか意気投合してないか?



 なんだかんだ話の続いている灰色目玉とベアトリスを眺めていると、すいーっと銀髪金眼の美青年――レイケルス王がこちらに近づいてきた。

 足音も何も聞こえなくとも結構な存在感があるもので、ベアトリスもすぐに話を切り上げてレイケルス王の方へ向き直る。

 お互いが向かい合った状態で、先に口を開いたのはレイケルス王だった。

「此度の件では貴様らには苦労をかけた。そこでだ、罪人となったエドムントの処遇について、貴様らに何か希望があれば申してみるがよい」

「希望……?」

 俺はすぐにはレイケルス王の言葉の意味を理解できなかった。しかし、ベアトリスは違ったようで、

「ハッ、何もねえよ。この手で燃やせねえなら興味はねえ」

 ……どうやら、望む刑罰を言えば叶えてもらえる、みたいな話のようだ。俺は興味がない以前にどういう扱いをされるのが普通なのかも分からない。というわけで訊いてみるか。

「あのー、何も希望を言わなかったらどういう扱いになるんでしょうか」

「目も潰して力も奪ったからな、運搬用の労働力といったところが妥当であろう。分かりやすく言えば家畜みたいなものよな。当然人としての扱いは受けぬ」

 さらりとレイケルス王は言ってのけたが、前世の常識からはかけ離れた話だ。まあ奴隷も普通に存在してそうな世界だし、これもこの世界の当たり前ということなんだろうが。

 ……俺としては、家畜並みの扱いってことなら普通に牢屋で過ごすよりきつそうだし、罰としては十分に思える。

「俺も、希望はありません」

「そうか。では余の裁量で罰するとしよう。……では話は変わるが、貴様、余に仕える気はないか?」

 貴様。そう言ってレイケルス王はその細い指を俺に突き付けた。

 いきなりのことで、俺は思わず隣の灰色目玉を見上げた。

「えぇ……ど、どうなんでしょう」

 灰色目玉からの返答はそっけないものだった。

「知らね。俺様としちゃ、おめーがこれまで通り暴れまわってくれんなら場所はどこでも関係ねーしな」

「あ、そういう感じですか」

 俺たちのやり取りを聞いて、レイケルス王はその美貌にうっすらと笑みを浮かべた。

「カジン・ケラトスの許可も得られたのであれば、慌てて今決断することもない。ただし、この地に人として生きるということは余の支配下に入ることと同義であるからな。余に仕えるか、あるいはこの地を去るかの二つの道しかないことは理解しておくことだな」

 そこまで言うと、レイケルス王は音もなくゆっくりと俺たちから離れていく。

「さて、あー……貴様、名は?」

「カジナです」

「そうか。ではカジナよ。貴様に限っては、余の門はいつでも開かれている。気が向いた時に余の元へ来い」

「……はい」

 そのまま王は金銀の衣を翻して立ち去ろうとした。しかし、その直前にベアトリスが声を上げた。

「王よ! あんたはどこまで知っていた?」

 突然の言葉だったが、ベアトリスが言わんとするところは、俺にもすぐに分かった。

 まるで全てを見通していたかのようなレイケルス王の態度。それゆえにベアトリスは問いたださざるを得なかったのだ。

 次の瞬間、レイケルス王の白皙の美貌に浮かんだのは、寂しげな笑みだった。

「この体であれば特にだが……余とて万能ではない。そこな神憑きと同じよ。この小さな手では、全ては掬えぬ」

 そう言い残すと、レイケルス王は無音のまま空高くへ舞い上がり、東の空に向かって飛んで――地平線の向こうへ消えた。



 どすん、と二の腕に衝撃が走る。高さと重さからして、またしてもベアトリスだということは見るまでもなく分かった。

 今度は言葉はない。だからこそ俺も無言のままベアトリスの軽い体重を受け止めていたのだが、

「あっ! こら、カジナ様に何やってるのベアトリス!」

 飛んできたのはいつもとはちょっと声色の違うイェーナの声だった。

 すると俺にもたれかかったまま、威勢よくベアトリスが叫び返す。

「はぁ? あたしは病み上がりなんだからこれくらいいいだろうが!」

 と、言い返しているうちにイェーナは全速力で駆けてきて、ベアトリスの体を引っ掴んだ。

「わかりました、じゃあ私がおんぶしてあげます。だからカジナ様からは離れなさいったら!」

「やめろ、引っ張んな! あと姉気取りやめろ! 気色悪いんだよ!」

 そこからあっという間にぎゃあぎゃあと二人の言い合いはヒートアップしていく。

 しかしこれも日常の光景なのか、野郎ども3人は妙な笑みを浮かべてこちらを眺めているだけだ。

 仕方がないので俺はイェーナに声をかける。

「あ、あのー、イェーナさん。俺なら大丈夫なんで、このままでいいですよ?」

「えっ、よろしいのですか!? カジナ様も相当お疲れかと……」

「いやいや、俺もこう見えて神憑きですしね」

 最後のはハッタリみたいなものだが、まあ肩を貸して歩くくらいなら大丈夫なのも事実だ。

 と、今度は急にベアトリス。

「おい、あたしの時だけ言葉遣いが違ってんぞ」

 ……そう言われれば確かに。

「いや、なんていうか距離感が違うっていうか……」

「ふん、まあいいや。とりあえず疲れたから帰ろうぜ」

 言いながら、ベアトリスは俺を押して砦の方角に向きを変えさせる。すると、ベアトリスの反対側にぬぅっとイェーナが姿を現した。

「じゃあ私も肩を貸しますね。さあ一緒に歩いて帰りましょう」

 言いながら、イェーナは有無を言わせぬ素早さでベアトリスの腕を取り、肩の下に潜り込んだ。ベアトリスは何か言いたげだったが、逆らう体力ももったいないと判断したか、俺たちは三人横並びで帰ることになった。


 ◆


「ところで」

 両脇を抱えられて歩きながら、ベアトリスは言った。

「お前の弱点はどこまで知られてんだ?」

 砦に向かう帰路の途中。カジン・ケラトス神は用事があるとかで姿を消し、男3人は俺たちの前後に少し距離を取る陣形で一応の警戒をしている。

 今ならば、声を抑えれば俺とイェーナとベアトリスの3人だけで会話することもできる。それがベアトリスの狙いだったようだ。

 だが、先に口を開いたのはイェーナだった。

「カジナ様の弱点、というと?」

 それを聞いて、ベアトリスは一瞬だけ俺の目を見た。その合図に俺は小さく頷く。

「巨人相手だとあんまり気付かなかったかもしれねえがな、こいつ右腕以外は何の加護もないぜ」

 瞬間、はっとイェーナの黒い瞳が見開かれる。しかし、同時にベアトリスの意図も察したようで、それ以上騒ぎ立てるような真似はしなかった。

 そして、黙り込んだイェーナの代わりに俺は答えた。

「多分だけど、トビアスとラウレンスは何となく分かってるんじゃないかな。他には気付かれてないはず」

 まあベアトリスにも打ち明けた覚えはないんだし、他にも気付いている者がいないとも断言できないが。

 すると、ベアトリスは想定通りという顔で数回頷いた。

「ま、そんくらいだろうな。とにかく、弱点は極力隠し通すべきだとあたしは思う。特にあんたのはあっさり死にかねないからな」

 確かになぁと思いつつ、しかしそれより先に気になったことがあった。

「なんでベアトリスがそこまで心配してくれるんだ?」

 俺の言葉に、ベアトリスはものすごく変な顔をしたかと思うと、長々とため息をついた。

「お前がそれを言うかよ……。いいよ、親切心だとでも思っとけ」

「こう見えても根はいい子ですから、ベアトリスは」

 ……話の流れが分からないが、とりあえずお礼でも言っておこう。

「そっか。ありがとうな」

 ベアトリスはそっぽを向いたかと思うと、一言だけ返してきた。

「……ばーか」



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