誰かへの思いは形に 後編
「あー、その、えっと」
「答えて」
「…………」
正直、困った。
いきなりそんなことを言われるなんて思わなんだ。
絢よ。少しそれは違う。と言いたいところだが、間違ってもいないので否定はできない。
「死ぬ、って言うのには語弊がある。
……正確には『死んでもいい』だ」
「それ、何が違うの?」
「僕にもわからないけど、気持ちの問題だよ」
「やっぱり同じじゃない」
相変わらず泣きながら絢は言う。
何と言うか……やっぱりそれを隠していたのがバレたのだろうか。
「……あっくんが事故に遭ったって聞いた時、私は何も考えれなくなった」
「そりゃ初耳だ」
「言ってないもの」
「だよね。僕は事故に遭った時こんなことを考えてた。『やばい、死んだな』って」
「生きてるからセーフだね」
絢は泣き笑いながら、僕はぎこちなく笑いながら、僕らはたわいも無い会話を続ける。
ーーそうだ、何とか話題を変えなければ。
こんな話、する必要なんてないんだ。
「あぁ、泣いてるのが馬鹿馬鹿しくなっちゃったよ」
「そんなもんだって。いい加減泣きやめよ」
「それは無理。あっくんが考えを変えるまでは」
「いやだからそれは……」
絢は語気を強めて答える。
こりゃあ簡単に折れてくれそうに無い。
僕は少しだけどうしたら良いかを考える。
そうだ、よく考えてみたら最初から変だった。タイミングも時間帯も全部急過ぎる。
最初から、この時のためだったのだろうか。
だとしたら僕は逃れることは出来ない。
こうなった絢は強い。
「僕の考えを話したら、納得してくれる?」
「……場合によって」
絢が弱々しく答える。
彼女には納得してもらわなきゃならないのだ。……話したいことだってあるんだし。
「……じゃあ、話すよ」
◇
たまたま通りかかっただけだった。
道路に飛び出していく子供を見かけただけだった。
危ないなぁ、そう思った矢先にトラックが走ってくる。
おいおい、冗談じゃないぞ……!
手に持った荷物を全て投げ捨て、子供の元へ駆け出していく。
急げ、急げ。今やらなきゃ後悔するだけだ!
「危ない!」
ーー激突音。うん、間に合ったみたいだ。いや、安全策じゃなかったけどね。
あんまり痛くないや。
思いっきり道路に飛び出した僕は子供を庇うようにトラックに吹っ飛ばされた。
「…………ぁ、ぁぁ」
苦しい。でも少し安心している。
意識が朦朧としている。不安。
視界が暗転と明転を繰り返している。
鼻腔をくすぶる鉄と赤色の匂い。
薄れゆく意識の中、通行人の叫び声やらが耳に響く。
視界の隅にあの子供の姿が見える。
良かった。本当に、良かった。
ーーこれで、もし死んでも後悔はない。
流れるように襲ってきた眠気に任せて、目を閉じる。もう瞼が上がることはないかもしれないけど。
あーでも、まだ心残りあったかもしれない。
「ぁ、ゃ……」
まだ言ってないこと、あったのにな。
◇
「あ、あぁ……?」
目が覚めて最初に視界に入ったのは白い天井だった。あの血しぶきの跡はどこにもなく、消毒の薬品の匂いが鼻をつく。
ーーピッ、ピッ、ピッ。断続に聞こえる機械音は、僕が生きていることを証明している。
『生きている』
僕にはその事実が信じられなかった。
自分で言うのも何だが、あの時僕は死を覚悟した。本当に死ぬと思ってたから。
意識が戻ったことに気づいた看護師さんたちが騒がしい中、そんなことを考えていた。
……左足の複雑骨折、頭部打撲全身からのひどい出血。
生存は絶望的だったそうだ。
あの事故から一ヶ月。僕が目を覚ますまでに一ヶ月かかったらしい。
眠り続ける僕を見て、家族は何度も泣き崩れたそうだ。もちろん僕が目を覚ましてから真っ先に来てくれたがその時も泣いていた。
嬉しいような、恥ずかしいような。
僕の主治医さんはそれを微笑ましく見ていた。
そんな死んでいてもおかしくない怪我を負った代償、それはあの子供を救ったからだが誰もそんなことは知らない。
もしかしたらこれから裁判なんてことになるかも知れないがあの子のことを言うつもりはない。
これから、あの子はこの事故のことを気に病みながら生きていくのかも知れない。そんな時は、気にすんなよとでも言ってやりたいものだ。
僕が目を覚まして二日。
突然主治医に呼び出された。
内容は入院生活のこと、リハビリ計画のこと、そして、余命のこと。
「十年生きれるかわからない、か……」
話によると、後遺症が及ぼす生命への影響が否定できないらしい。
全身打撲からの頭部損傷。生きているだけで奇跡だったらしかった僕にとって、十年生きれるだけでありがたいようなものだが。
ベッドに寝そべり、白い天井を見上げながら考える。死ぬって何なんだろうか。
世界からいなくなることか?
誰かと共にいられなくなることか?
それともただ息が止まるだけ?
わからない、わからない、わからない。
目を瞑って呟いてみる。
「願うなら、眠りような死を……」
我ながらちょっと厨二くさい。
あー、こんな考えをしてしまうのはきっと頭を打ったせいだろうな。
「失礼しますね」
「……?どうぞ」
ノックの音が聞こえる。
誰だ?聞き覚えのある声だけど……。
「はろーうあっくん。元気?」
「あぁ……、絢、か」
「何?私が来たっていうのに冷たい反応ね」
「え?いや、あの……久しぶり」
「ん、変なあっくんね」
絢が病室内に入っていく。
はっきり言ってしまうと彼女に会いたくなかった。
だって、僕はこれから彼女へ伝えたかったことを心の奥に押し込めたまま生きることにしたから。
だからこの想いは隠したまま。
それでいいんだ。
病室、椅子に腰掛けて楽しそうに話す君のことを僕はどんな思いで見ればよかった?近くて遠いとはまさにこのこと。
君が笑えば僕も笑う。
それが僕に許される幸せの形だ。
ただ、許されるのならば。
ーー君は僕といてくれるのか?
◇
「つまり、死にかけて余命宣告を受けた、と」
「うん、そうなるね」
僕は、余命のことをーー僕の内面的な部分は隠してーー絢に告白した。
「はぁ。そんなことだったなんてね」
「そんなことって……と言うか知らなかったの?」
「あっくんが隠していたことを私が知ってるわけないでしょ?」
「じゃあ今日ここに呼び出したのは?」
「あなたを連れ出したかった、それだけよ」
……やっぱり絢には勝てないや。
雲の切れ間から差し込む光が僕に当たる。まぶしい。
今ここにある現実を見つめて思う。
僕はもう、この世界をひいき目でしか見れなくなっている、と。
いつ尽きてもおかしくない命が一つ。
それが幸せを掴もうと言う。
笑える話だ。そんな幸せ、いつ崩れるかわかったものじゃ無いのに。
「じゃあ、あっくん。こっち向いて」
絢が言う。目はまだ腫れているが、すっかり泣き止んだようだ。
「どうしたの?」
「いいからいいから」
そこまで言うか……。僕は体を絢の方へ向ける。一瞬目があって驚くが、視線をそらす。
「ダメ。こっち向いて」
絢がじっと見つめたまま腕を離さない。
何だよ一体、何が不満なんだ?
「わかったよ、……これでいい?」
最近まともに目を合わせなかったせいか、少し恥ずかしい。
そのにこやかに微笑んだ表情はこの世界で一番に美しいとさえ思えてしまうほどだ……、待てよ、そうじゃない。
そんな気持ちを持ってどうする。
「ねぇ西崎
「……それ、名前、あぁ、本気か」
「えぇ、私は本気」
まさか絢が僕のことを再び名前で呼ぶ日が来ようとは。
ダメだ、今の僕に質問の答えをごまかせる自信はない。
何を聞こうってんだ……。
「私は、あなたが好きよ?」
「……はい?」
「で、あなたはどうなのよ」
絢が顔を赤くしながら言う。
僕の腕を掴む力は強くなる。
おいおい、嘘だろう。
このまま隠し通しているだけで良かったのに。
……嬉しいさ、嬉しい。
でも、今の僕にはそれを掴む権利など、無い。この想いに答え、自分の想いを伝えたとしても、いずれ失われることが決まっているなら僕は……
「私はね、あっくんが事故に遭ったって聞いたとき、泣きそうになった」
絢が、声を震わせ、目を涙に滲ませながら僕にギリギリ聞こえるくらいの音で呟く。
「……それは聞いた」
「それでさ、思ったの。『ああ、まだ思ってること言えてないや』って」
「…………!」
それは奇しくも、僕が事故に遭った時と同じことだった。何だ、同じこと考えてたのか。
「それでさ、あなたが目覚めるまで毎日通った。大学の講義も放っぽり出してさ」
「それは初耳だ……」
「で、あなたが目覚めたって聞いた時は本当に嬉しかった。やっと言える、そう思った」
絢は泣きながらだけど、確かに笑って言った。その顔は、今までで一番幸せそうだ。
「それなのにあっくんと来たら、私の顔を見ようとしない!私の話に笑って頷くだけで聞いちゃいない!
……嫌われたかなって思ったよ」
「そんなまさか!」
予想以上に僕の、絢と距離を取る方法は
うまくいっていたらしい。
だがそんな風に思われていたとは知らなかったな……
「伝えたいのに伝えられない。普通に辛かったな」
僕の腕を掴む力はすっかり弱くなって、今じゃただ握っているだけだ。
あぁもう。どうしてだろう。
あんなに距離を撮ろうと思ったのに。
幸せになんかなれないと知ってるくせに。
ーーどうしてこの手を握り返したいと思ってるんだろう。
「改めて、聞くわ」
「…………」
「私はあなたが好きよ」
「……うん」
「あなたはどうなのよ」
「…………」
もう僕は、何も考えられなかった。
拒絶とか、忌避とか、そんなことだって僕がその気になれば出来たはずなんだ。
なのにしなかった、なぜか。
理由なんて単純だ。
絢との繋がりを断ち切りたくなかった。ただそれだけだ。
あぁ、僕はなんて弱いのだろう。
ただそれだけの話じゃないか。
結局さっきまでの考えは逃げだったんだ。だったら今だ。今しかない。
「僕はさ、十年くらいしか生きられないかも知れない」
「……さっき聞いた」
「君の幸せが、僕にとっては残り少ない幸せだ」
「……」
「それでも、許されるのならば」
「片桐 絢さん。僕と、この十年を、生きてください」
「……うん」
僕は、握られていたその手を、確かな意思を持って、握り返した。
波のさざめきが聞こえる。
堤防の上、潮風に揺られながら未来に進むことを僕らは選んだ。
不確定で不安定な未来。
掴もうとしなければ離れていく幸せ。
どうしようもないことだって、これから起こるだろう。
あと何年くらい生きられるかなんて、どうでも良かったんだ。
僕がいた証は
君と過ごす今だっていつか
僕がやりたいことは、誰かのために生きること。自分の幸せと相手の幸せを同時に願う。欲張りすぎるかもしれない。
でも、僕はそれでいいんだ。
だってそれはきっといつか。
誰かの
僕がいた跡は点に、君といた証は線に。 小見川 悠 @tunogami-has
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