僕がいた跡は点に、君といた証は線に。

小見川 悠

誰かへの思いは形に 前編

「あ、見てよ!あれ日の出じゃない?」

「うん?あぁ、もうそんな時間だったのか」


 いま、僕らはどこまでも広がる海を背景にして砂浜を歩き回っている。

 足で踏みしめた砂がサンダルの隙間から入って足の指に絡みついてくる。

 正直に言って、こんな時間に砂浜で散歩するなんて乗り気じゃない。

 だから早いところ何か理由をつけて家に帰るつもりだった。でも……


「あ、今!あそこでイルカ跳ねた!」


 ……あぁもう。

 そうやって隣で、君が嬉しそうにしてるもんだから、「早く帰りたい」なんて言えないんじゃあないか。


「……今日はありがと」

「急にどうした、お腹でも痛くなった?」

「ち、違うよ!そんなんじゃなくて……」


 もちろん今のは冗談。

 でも君は思ったよりも深刻そうな表情をしている。

「……ほんとにどうしたの?」

「い、いやね。もしかしたら無理させてないかと思って、さ」

「なんだ。そんなこと気にしてたの?」


 まぁ、『そんなこと』と言えるほどどうでもいいことでも無いんだけど。

 それでも心配されるようなことじゃない。

「大丈夫だよ、あや。ここに来たのは自分で決めたことなんだからさ」

「それならいいけど……」

「全く、絢は心配性だよな。退院したばかりの僕が無茶をする様な奴に見えるのか?」

「あ、いや、あっくんがそんなことするわけないのは知ってるから」

「……辛辣だな」

「本当のことでしょ」


 僕はあまり自分から運動するタイプじゃない。いわゆる体育会じゃない。

 それでもこんな早朝に僕が散歩をしている理由は他でもなく、絢のせいだ。


 絢は僕の幼馴染だ。昔からの腐れ縁で大学生になった今でも仲がいい。

 なんだかんだ入院中はほぼ毎日の様にお見舞いに来てくれたし、旅行の土産話を聞いたりした。

 でも幼馴染といっても最初からこんな仲ではなかった。こんな関わりを持つ様になったのは……いつ頃だっけ?


 まぁ、そんな昔からの付き合いだからだいたいの考えは読まれる。そしてやっぱり絢のだいたいの考えもわかる。

 そして絢はたまに親よりも自分のことをわかってるんじゃないのかと思う様なことを言ってくる。

 今がそうだ。僕が面倒を嫌うタイプだって知っている。

 昔からそれを周囲にバレないように徹して来たにも関わらず、だ。

 そのたび僕は、「なんでわかるのかな」と感心しながらあまり追求しないようにするのだ。

 ……あんまり言うとボロが出そうだし。


「まぁ本当だけど。それにしても、なんで急に散歩をしようなんて言い始めたんだ?」

「気分転換、気分転換!あっくんここの所ずっと家に引きこもり気味だったでしょ?」

「引きこもりじゃない。病院で絶対安静って言われてるの!」

「じゃあなんで今日来たの?」

「え、あぁそれは、だな……」


 僕はごまかすように頭の後ろに手をやる。

 絢に言われたから言おうと思った、なんて言えるわけがあるか。

 必死で何か別の言い訳を考える。


「うん、……うん。たまには外に出てもいいかなって、思ったんだよ」

「ふーん。そう、なら良かった」

「え?何が?」

「気分転換になってるってわかったから」


 ……とっさに思いついたことだったけど、これはほんとのことだ。

 実際絢に感謝している。多分声をかけられなかったら、僕は外に出ることは無かっただろう。

 ましてや自発的に外出なんてもってのほかだ。


「うん、本当にありがとう。絢」

「え!?きゅ、急にどうしたの?」

「え?いや……思ったことを言っただけど?」

「ふ、普通タイミングってものがあるでしょ!?」


 絢はアタフタしながら腕を上下させながらぴょんぴょん跳ねている。

 ……相当動揺しているみたいだ。


「ご、ごめん。でもさ、今言っとかないといけないと思ったんだよ」

「……なんで今言ったの」

「え?えーと……、何となく?」

「何、またそうなの?」


 何と言うか本当にごめんなさい。

 余計混乱させてしまったみたいだ。

 それにしたってタイミングなんてわかるもんか。

 というかさっき絢だって変なタイミングでありがとって言ってたじゃないか。


 ……まぁ全部心の中で押しとどめておくけれど。

 と言うか今、って言わなかったか?


「なぁ絢、今って……」

「あっくん!あの防波堤までちょっと走ろうよ!」

「って、おい絢!待てよ!」

 僕が質問をしようとした瞬間、急に絢は防波堤に続く階段まで走り出してしまう。

 ちょっと待ってくれ、入院明けでろくに走れないんだぞ。

 そんな状態で追いつけるはずがない。

 絢が階段を登り始めた頃、僕はまだ砂浜のど真ん中にいた。


 そして僕がやっと階段にたどり着いた時。


 ーー絢は防波堤の上に立っていた。


 何しているんだ?

 僕が絢に声をかけようとした瞬間、絢は大声で叫ぶ。


「中学生の頃さ!」

「……!」

「近所の花壇が荒らされてた事件、覚えてる?」

「……あぁ、覚えてる。覚えてるけども」


 あぁ、その事件はよく覚えてる。

 だって、その犯人は僕が見つけたから。


「わかってる。あまり思い出したくないよね」

「なら、どうして」

「いいから。聞いて。あの事件のあとに転校した子、いたでしょ?」

「……覚えてるよ。高野さん、だよね」

「そう、高野さん。……あの犯人の、親友の子」

「…………」




 ◇◇




 高野さん。その名前にいい思い出はない。彼女は花壇荒らしの犯人の親友だった。僕が犯人を明らかにした後真っ先に反論して来たのも高野さんだった。


『あの子がそんなことするわけない!』


 物凄い剣幕の訴えは、自分で確かめた犯行の決定的瞬間さえ何かの間違いだったのではないかと思ってしまうほどだった。

 しかし僕はそれでも主張を撤回することは無かった。僕と彼女は何日も言い争い続けた。

 だけど、犯人の自首でその口論は終わる事になる。


 結局、犯人は僕の主張通りだった。

 彼女は、泣いて泣いて、泣き喚いていた。

 僕はそれを、どこか冷めた視線で見ていた。

『結局こうなるんだ』そう思っていた。


 だけど事件は犯人の発覚から一週間後に起こる。

 いじめが起こったのだ。

 対象は……、高野さん。


『犯人の親友』というだけで頭の悪い連中が彼女を貶し始めた。

 最初こそグループから仲間外れにされるくらいの軽いものだったけれどそれはどんどんエスカレートする。

 仲間外れにされるのがグループからクラスへ、学校へなっていく。

 いじめの方法が言葉の暴力から直接の暴力になっていく。


 その頃の僕は何をしていたかって?

 彼女とは全くの逆……。『犯人を見つけた優等生』という扱いをされていた。

 そんな立場だから当然いじめの話は耳に入ってくる。

 その時の僕は愚かだった。

 あろうことか、彼女の状況を当然のことだと思っていたのだ。


 親友なら、幾らでも事件を止めることは出来たはずだ。それをしなかった彼女は責められて当然……。その頃の僕は本気で思っていた。


 でも、いじめに耐えかねた彼女が他校への転校を決めた時。彼女が転校する前日のこと。僕の元に来てこう言った。


『自分のやりたいように散々引っ掻き回しやがって!満足かよ!関係ない事に首突っ込んで褒められて、それで自分が幸せなら良いって言うのか!

 あんたは最低だ!人間の屑だ!ただの偽善者だ!そうやっていつか、誰かに感謝されて恨まれながら死ね!』


 と、言ったのだ。

 こんなもの、敗者の負け惜しみと思っていれば良いのかもしれない。

 でも彼女の言う通りだった。


 僕は正義感なんかじゃなくて単なる興味本意で犯人探しをしたのだ。

 結果なんてどうでも良かった。犯人が見つかったらそれで良かった。

 でもその結果二人の少女の人生が狂った。

 これまでの人生に後悔なんてなかったけれど、この日だけは後悔した。


 もっと良い方法があったんじゃないか。

 もっと別の選択もできたんじゃないか。


 その日から、僕の考えのあり方は変わった。

 極力面倒なことは避けるようにした。

 自然に僕の周りにあった事件は遠のいていった。いや、僕が離れていった。

 とにかく、その日から余計な事には関わらないと決めた。




 ◇◇



「それが、どうかしたの?」


「実はさ、この前会ったんだ」

「え……?」

 絢が信じられない一言を口にする。

 この前会っただって?高野さんに?


「なんで」

「街中で偶然ね。……あの子も一緒だった」


 あの子、とはきっと犯人のことだ。

 そうか、あの二人はまだ親友のままなのか。

「それなら……良かったかな」

「それでね、あっくんの話をしたの」

「僕の話?なんでまた?」

「話しておかなきゃならないと思ったの。それで、なんて言ったと思う?」


 なんて言った、か。

 きっと彼女は変わらず僕のことを恨んでいるのだろう。

 それならば、仕方ないことだと割り切って絢に聞く。


「……なんて言ってたの?」

「『相変わらずなのね』だって」

「……なにそれ」

「『変わってなくて安心したわ』とも言ってた」

「……なんだよそれ、変じゃないか?」

「どこが?」

「いやだって……、高野さんって僕のことを恨んでたんじゃないの?今の話のノリだと昔の友人がまたふざけたのかって反応だったけど?」

「あっくんがどう思っているかはわからないけど、高野さんはそうは思ってないみたいだよ」


 絢が優しく微笑みながら言う。

 いつの間にか防波堤に腰掛けて足をぶらぶらさせている。

「……どういうことだよ」

「簡単だよ。向こうはとっくのむかしに許していたってこと」


 へぇ、じゃあつまり。僕は背負わなくても良い重圧をずっと背負っていたということか。

 ……なんだ、そんなことか。


「ははっ、そうか、そうか……」

 自然と体の力が抜ける。

 僕はそのまま階段の段差に腰掛ける。


「じゃあもう、気にしなくていいのか」

「別に今の今まで気にしてきたわけじゃないでしょ?」

「……それも、そうだな」


 何となく、本当に何となくだけれど。

 胸の奥でつっかえていたものが無くなった気がする。

 だがこれでは納得しないぞ。


「で、絢。今の話とさっきの話、何の関係があるんだ?」

「あー、その話ね。実は事件が解決して高野さんが転校した頃に私、噂を聞いたの」

「どんな噂?」

「犯人を見つけてその協力者まで潰した勇敢な生徒がいるって噂」


 何だその噂。前半はあってるけど後半が脚色されすぎてないか?

 というかそんな噂が流れていたこと自体今初めて聞いたし。


「で、その噂を聞いた絢はどうしたの?」

「もちろんあっくんに会いに行ったよ」

「あぁ、思い出した気がする」

「えぇ、はっきり言って第一印象はだったよ」


「……何でまた」

「初めて会った君を見て思ったのは、目が死んでるとつまらなさそうな顔をしているってことだった」

「……うん、ちょうどあの頃に面倒を避けようと決めたからさ。初対面の人ともあまり関わらないようにしようと思ったんだけど、……そう見えてたのか」


 何年越しの大発見。軽い黒歴史だ。

 他人との関わりも減らしていこうと思った態度だったのだが、思ったよりも効果があったらしく、あれから僕に声をかけてくる人はいなくなった。

 そんな中でも声をかけてきたのが、絢だった。


「それでしばらくして私、財布を無くしちゃうの。それで一人でしばらく探したけど見つからなくて。その時声をかけてきた奴がいたの。というか、もう思い出してるよね?」


 あぁ思い出した。その時声をかけたのは……


「あっくん、だったんだよね」


 そう、僕だ。

 面倒事には関わらない。

 そう決めてはいたけれど、通りがかった時に必死な顔で何かを探す人を見たら放って置けなくなって声をかけたら、

 一番会いたくなかったと言っても過言ではなかった、絢だった。




 ◇◇




「あの、大丈夫ですか?」

「え?あ、あぁびっくりした。実は財布を無くしちゃ、って……西崎」

「……悪かったな、僕で」


 その頃の僕と絢はとても仲が悪かった。

 というか完全に初対面が悪かった。

 僕の方は他人と関わらない方法を模索中でとんでもなく印象は感じ悪かっただろうし、絢の方もそれを見てそういう人なんだと判断した態度をとっていた。

 二人して反発しあっている、それがあの頃の僕らの状態だ。


「……何しにきたの」

「帰る途中にゴソゴソやってる奴が何だろうって思って声かけただけ」

「あっそ、それだけ?」

「それだけ。悪かったな花川、邪魔して」

「あ、ちょ、ちょっと待って!」

「……?」


 急に呼び止められて振り返る。

 内心、結構ドキドキしていた。

 絢は校内でも美人と評判だったし僕も前々から話せたらいいなと思っていたくらいだ。

 ……まぁ、あの事件の後だったからそういう気も起きずこんな関係となっていたけど。


「まだ、何かあるの?」

「……これから西崎何か予定ある?」

「特にない。家帰るだけ」

「なら、手伝って。このまま探しても見つかる気がしない。だから人手が欲しいの。……手伝ってくれる?」


 そう言って絢は頭を下げる。

 正直言って信じられなかった。

 あの強情そうな少女が、頭を下げた。

 そう考えたら、何だか負けた気がした。

 ここまでされたのだ。

 ーー無視するわけにもいかないだろう。


「……わかった。どんな財布か教えてくれ」


 学ランを脱いで、服の袖を上げてズボンをまくる。

 準備バッチリだ。


「じゃあ、探しましょ」

「はいはい。さっさと見つけようぜ」


 ーーそれからは、いろいろ探した。

 草むらの中、ドブの中、ゴミ箱の中。

 あるわけないだろう、という場所まで探した。絢が何度もポケットに入ってないかと確認しているのを見て相当焦っていることがわかる。


 こりゃあ、見つけないと。

 なぜか知らないが、そう思えた。


 日が暮れて星が見えるようになった頃。

 教えてもらった特徴に近い直方体の何かを見つけた。

「お、おい!花川!これ、これ!」

「なによ……、って?え!え!これって……」

「財布、だよな?」

「財布、だね」


 探してた財布が見つかった時、僕たちは近所の迷惑なんて考えずに叫んで、喜び合った。

「よっしゃぁぁ!!見つけた!」

「やった!本当に見つかった!」


 その時僕は気づいたんだ。

 自分の自己満足も誰かのためになるってことを。

 誰かのためにやろうとした事は、きっと誰かのためになる。

 僕はきっと、が欲しかったのだ。自分の欲求を正当化するための、理由が欲しかった。

 その欲求を貫いた結果が、あの事件だ。

 あれから僕は自分のくだらない欲求を捨てた。それなのに今日、声をかけてしまった。

 それはどうして?……簡単だった。


 自分で言うのもおかしな話だが、僕は誰かのためになりたいのだ。

 それに気づいた。誰のおかげで?

 あぁ、そうだ。絢のおかげだ。

 僕は自然と口に出していた言葉を思い出す。


「……今日は、ありがとう」




 ◇◇





「あぁ、思い出した」

「そう、あれから登下校も二人でするようになって……高校も同じだったね」

「思えば俺たち、意外と長い付き合いなんだな」

「ふふ、そのせいで勘違いされたりね」

「あぁ……まぁ、悪い気はしなかったよ」


 僕らは昔の思い出を語りながら笑いあう。こんなことがあったな、とか。

 ありがとうって言った後に、「何で西崎が言うの?」って言われた後に言い訳として「何となく」って言ったこととかを思い出しながら。


 ふと、空を見上げる。

 薄暗い群青の空はすっかり青く雲一つない快晴の空となっていた。

「もう、みんな起きる頃かな」

「そうだね。私たちも帰る?」

「もういい時間だしな、帰るか」


 そう言って僕は立ち上がる。

 立ち上がった時に治ったばかりの足が痛む。少しよろけるけど踏ん張る。

 やっぱり痛いものは治っても痛いらしい。


 さぁ帰るか。そう思って一歩足を踏み出そうとするが……。

「どうしたの、絢?」

「…………」


 絢は動かない。遠くの海を見たままこちらの方を向こうとしない。

 ……なんかまずいことを言ってしまったかな?それとも何か?本当に調子悪いとか?


「もしかして、お腹痛いとか?」

「……違う、違うよ」

「あぁやっとこっち向いた……って、え?」


 絢がこちらを向いた。その表情を覗き込むと僕の中は驚きで満たされた。


 ーー泣いている。理由はわからないけど、あのいつも笑っている絢が、泣いている。


「ちょ、本当にどうした!?何だ?何かあったのか?」

「……あっくんは優しいね」

「は?何でそこで僕が出てくるんだよ?」

「だって、一番泣きたいのはあっくんのはずなのに、さ。そうやって笑顔でいられるんだもん」

「いや、僕は……」

「ねぇ、あっくん」


 絢の嗚咽の音が止む。

 そして、絢の口がゆっくり、ゆっくりと動き、言葉を紡いでいく。


 聞いてはいけない。

 聞いてはいけない。

 聞いてはいけない。

 いやだ。嫌だ。嫌だ。いやだ。

 だから、頼むから、言わないで。








「あなた、死ぬ気なの?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る