71年目の恋文

のらねこ

71年目の恋文


梅雨の湿った空気が吹き抜けた。


幸太郎は91歳になった。

婆さんは20年前に癌で先に逝った。


食うには困らなかった。

しかし大きな家に1人。

もう20年もだ。


息子夫婦は幸太郎を高齢者施設に入れた。

息子は幸太郎に似て、とても頑固だ。

幸太郎は入りたくはなかったが、言い合う前に折れた。


しかし、する事がない。

幸太郎はもともと社交的ではないからだ。

窓の外は草木が手入れされた綺麗な緑色の空感。

それをボッーと、特に乗る必要のない車椅子に乗って見てた。


ひ孫に会いたい。

裏庭の野菜はもう枯れただろうな。

色々あったが、ここが終着駅か………。

幸太郎はとりとめのない事を考えていた。


ある日、新しい方が入所して来た。

増岡しず さん。


幸太郎は信心がなかった。

しかし大きな偶然だった。


71年前。


幸太郎は航空母艦・赤城に乗っていた。

零式の整備をし、操縦者を送り出した。

そしてあの大きな戦い。

彼が送り出した零式はほとんど帰ってこなかった。


赤城は航行不能となり、仲間の魚雷によって沈められた。


幸太郎は内地に帰った。赤城を見捨てた男として、野次られた。

整備士で戦いもせず、内地にもどる。風当たりは強かった。


しかし幸太郎は高等警察に任命された。共産主義者などを取り締まる役目。

彼の性格には合っていなかった。


ある天気の良い初夏の夏、彼はブラブラと一人でパトロールしていた。

すると大きな向日葵が数本、顔を出している家があった。

思わず覗き込んだ。庭で洗濯板をつかって洗濯をしている女性がいた。


目が合った。

「ご苦労さまです。」

「いえいえ、主婦の方には頭が下がります。

我ら軍人にはそのような器用な者はおりませぬ(笑)」


「いえ、兵隊さんがおるから私らの生活は成り立っておるのです。

だから私らは家を守らねばいけません。この長屋と家事が、私らの戦場です。」


「アハハ、ここが貴方の戦場と申しますか。

でも多分、貴方の様な方が沢山がいれば、大日本帝国は負けんでしょう。

そういえば………。

午後からの天気はどうでしょうな。雨が降らんといいが。」


「貴方の様な素敵な方と出会った日は、必ず晴れますよ。」


幸太郎はふと表札をみた。表札には 増岡幾三、しず と書いてあった。

結婚されているんだな。素敵な女性だ。幸太郎は恋心を抱いた。

しかし人妻には想いは告げられない。


1945年8月6日、広島に新型爆弾が落とされた。

広島は全て火の海になったという事だった。

そして大日本帝国が降伏するまで

全ての地域に新型爆弾が落とされるとみんな騒ぎ立てた。

幸太郎は覚悟した。

そして人妻と知りつつも彼女に恋文を書いた。


だが、すぐ終戦となった。幸太郎は恋文を大事にとっておいた。


71年が経った。


ある日、幸太郎は施設の許可をもらい、自宅の箪笥の奥にしまったおいた、

71年前の恋文を取りに行った。………ひどい内容だった。

新型爆弾を恐れている事がよくわかった。

自分の気持ちなど何を書いているのかよくわからない。


だから幸太郎はもう一度、恋文を書く事にした。

彼女が71年経っても人妻と分かっていながらだ。

そして渡せる事ができたら、別の施設に移ろうと思っていた。


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拝啓、増岡しず様

突然のお手紙で驚きでしょう。


貴方はもう覚えてはいらっしゃらないかも知れませんが、71年前、終戦の少し前、

私は貴方と言葉を交わした事があります。なんて事はない、洗濯の話と、

軍人と女性のやるべき事の話だったと思います。


ほんの5分でしょう。お話したのは。私はあなたに好意を持ちました。

しかし貴方は人妻だった。あれから71年経ちましたが、貴方はまだ人妻。

でもこの長い、長い、時間に銘じて、この文章を送らせてください。

わたしは今も貴方の事を………。


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そこで筆が止まった。

恋してます??

愛してます??

健康を願っております??


幸太郎は考えた。………恋が1番近いのかも知れない。

しかし71年後に?しかも人妻に?

どうしたらいいんだ。


夜、幸太郎はベッドに入る気持ちにはなれなかった。

食堂横のソファに座ってずっと月を見ていた。


隣に女性が座った。しずさんだった。

「月が綺麗ですね。ーーー眠れませんか?」

幸太郎の事は全く覚えてないようだった。


幸太郎は言葉にしてみた。

「………お恥ずかしながら、今、恋文を書いております。

ですが最後の言葉がどうも見つからないのです。」

「………そうですか。そのお歳になられても心に想える相手が居るのは、

とても羨ましい事です。」

「まあ、でも恋文となると尋常小の頃と変わらん文章です(笑)」

「私も今の旦那に恋文を書きましたよ。内容は全く覚えてませんけどね(笑)」


幸太郎は少し淋しげな目で月を見上げた。


「でもまあ………その時に考えましたね。大変な時代でしたからね………。

確かに恋文は相手に自分の気持ちを伝えるもの。だけど、それだけでしょうか。

………自分の気持ちを伝える事っては、相手に何かを求めるっていう事です。

………でも………何も求めなくてもいいんじゃないでしょうか。

相手を慕う気持ちというのは、求めなくても伝わるのではないでしょうか。」


「………そうですね。」


「喋りすぎましたね(笑)あ、あと私、痴呆持ってましてね。

明日、今日の事忘れているかも知りませんが、悪しからず。」


幸太郎は、最後の言葉を見つけた。


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ではこの長い、長い、時間に銘じて、この文章を送らせてください。

あの時、貴方は洗濯をしておりましたが、あの日の午後は曇ったのでしたっけ?

雨が降りましたっけ?………でも多分晴れていたのでしょうね。

貴方には雨は似合わない。それでは。お元気で。


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数日後の晩、しずさんはまた月を見ていた。

「しずさん、こないだお話した恋文です。」


幸太郎は恋文を手渡した。


「恋文?何の恋文ですか?貴方はどなた?」

幸太郎は笑顔で自室に戻った。


次の日、幸太郎は別の施設に移る事になった。

息子は費用面で怒っていたが今回は幸太郎の頑固さが勝った。

職員さんが大勢で送り出してくれた。

そして車に乗ろうとした時、しずさんが駆けつけてきた。


「あの日の午後は、突き抜けるような青い、青い、綺麗な空でした。

軍服姿のあなたはキラキラとして格好良かった。

あの日の洗濯板は、まだ家にあります。」


「………お互い歳を取りましたね。来世では結ばれたら。

そう思います。ではお元気で。」




車は山道を下った。

後部座席から見る空は、さっきしずさんが言った通りの空だった。


「………ちょっと見通しのいいところで止めてくれ。」

「え?トイレかい?さっきしてくればいいのに………」

「空が見たい。」

「………んん?」


71年か………。


でも見てる空はずーっと一緒だったんだな。


幸太郎の心は、空と同じ色になった。



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