カクヨム専用短編 『七分間の幸福』
くさなぎ そうし
お題60『カクヨム』 タイトル『七分間の幸福』
……どうやったらこんな小説が書けるのだろう。
穏やかな波が胸の隙間に入ってくる。その文章は僕の意識とは無関係に心をゆっくりと
それがたまらなく心地いい。
……たったこれだけの時間しか経っていないのに、不思議だ。
時計を見て、ふと吐息が漏れる。目の前のモニターには一次元の文字しか映っていない。二次元の漫画も三次元の動画も見ることができるのに、今の僕には不要な産物だ。
ただ、この作品のイメージだけが僕の頭の中を駆け巡り、二次元にも三次元にも、膨れ上がっていく。
時間の概念すら忘れてしまっているのだから、四次元ともいえるのかもしれない。
……自分で書いたら、どんな気持ちになれるのだろう。
読書感想文ですら億劫な僕が物書きになれるはずがない。シナリオも、ストーリーも何も浮かばないのに、それでも小説家となった自分を夢想してしまう。
……こんな風に夢中になれる文章があるなんて知らなかった。
羨望がゆっくりと募っていく。何を書けば小説になり、何を書けば完結できるのかもわからない僕が、ただひたすら筆者の文章に憧れてしまう。
性別もわからない筆者の世界に足を踏み入れ、僕は静寂のなかに確かな世界の存在を確認する。
そこには一つの海がみえた。
穏やかな風がなびき、眩しい光を浴びている碧い海が存在している。
白い砂地も、ごつごつとした巨大な岩も、全ては海をよりよく見せる風景の一部に過ぎない。シンプルな地の文が、カメラワークをはっきりとさせ、余すことなく物語の魅力を綴ってくれている。
透明で何もかもが美しく見える世界がここにある。
……それなのに、奥の方まで見通せないのがはがゆい。
深海を覗き込んでも全ては見えないように、この物語には
……こんな物語がまた読みたいな。
画面に誘導されながらWEB小説のHPに登録する。彼の小説を多くの人に読んで欲しい。自分だけの物語にするにはもったいないと感じてしまう。
……どうか、また別の作品を書いて下さい。
評価の星を限界の3まで上げてレビューをする。
表示に明かりがつき、彼の小説は光を帯びるように強くなった。
……たった7分間だけなのに、全てを掴まれたように感じるから不思議だ。
再び時計をチェックする。読書を開始してから、10分も経っていないのに、僕の心は宙に浮くくらい軽くなっている。
心を掴まれたのは有名な作家の本でも、ランキングに入っている長編小説でもなく、たった一つの無名という名のWEB小説だった――。
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★★★ Excellent!!!
『地元の海が蘇りました』
――
名も無き定食屋 / 無名
◆◆◆
「物語を読んでくれ? どうしたんだ、いきなり?」
「心を掴まれる短編に出会ったんだ。よかったら読んで欲しい。本当に引き込まれたんだ」
僕が尋ねると、友人は苦笑いして僕を見直した。
「絵描き志望だったお前が短編ねぇ……」
彼の表情にも負けずにじっと見つめると、彼は小さくため息をついた。
「別に文章なんか読まなくても、娯楽はたくさんあるといっていたじゃないか。 お前、漫画の方が好きだっていって、俺のおすすめ小説を断っただろう」
「うん、あの時はね。でも今は違う」
僕は率直に答えた。
「こんな世界が現実にあるとは思っていなかったんだ。映像で見たら、きっと僕は後悔するだろうね。あの景色はきっと文章じゃ表せない」
「何を読んだんだよ、お前は」
友人は肩を竦めながらいう。
「短編なんだから文字しかないだろう? それなのに、文章で表さなくてどうするんだよ」
「それはそうなんだけど……。それでも、あの文章は何かが違うんだ」
「何が違うんだよ?」
「……空白だと思う」
僕は頭を掻きながらいった。
「文章の美しさは素人の僕でもわかるよ。国語が苦手なのに、すらすらと読めたからね。だから君なら、もっと深く読み込めると思うんだ。小説を書いていた君なら」
「……書くのと読むのは全然別物だよ」
急に彼の顔が暗くなる。
「それでどんな話なんだ? 教えてくれよ」
「うん、それがね、その小説に僕は海の景色を見たんだ。海なんて登場しないのにさ」
「はぁ?」
友人の驚いた表情のまま、僕は思いを連ねる。
「変だと思うだろう? だってその世界はただの都心部で、ビルやネオン街しか映っていないんだ。ただ一人の男が働いて日々の退屈な悩みを抱えていて、グルクンの煮つけが詰まった定食を食べるだけの話なんだ」
「それは確かに変というか……つまらなそうな話だな」
「そうなんだ。それでも僕は筆者の心境になって物語を追っていくと、そこに海を見たんだ。ただ登場人物が食べている魚の心境を考えるだけなのにね」
あの小説の短文が頭から離れない。
『――口の中に入った魚は再び蘇る。私の血となり肉となり、体の中で泳ぐだろう。
グルクンの血潮が体を火照らせ南国にいるかのように錯覚していく。ああ、ここにオリオンビールがあればどんな風景が見れるのだろうか――』
「ふーん。そりゃお前が沖縄出身だからじゃないか?」
友人は的確に突っ込む。
「綺麗な海が恋しくなっただけだろう。こっちの海は汚いから、綺麗な海が見たくなっただけだよ」
「それだけなのかなぁ」
僕がぼやくと、彼はぐいっと生ビールを飲み干していった。
「人は環境が違うし、価値観だって違う。山にいれば山が好きになるし、海にいれば海が好きになるだろう。魚を連想すれば海だって見えるさ」
「そんなものなのかなぁ」
「そんなものだよ」
彼は酒のつまみであるピーナッツを口に突っ込んで背広を着なおした。
「下らないこと考えてないで、一緒に映画でも見に行こうぜ? あの映画、一人じゃ見に行きにくくてさ……」
「どうせ、あれでしょ?」
今、巷で流行っている『俺の名は』というストーリーだ。映像、ストーリー、何もかもが凝っていて、興行収入ランキングを日々更新しているという話だ。
「ああ、そうさ。いい景色がみたいなら映画を見るのが一番だよ」
◆◆◆
映画館につくと、ほぼ満員で僕と彼の席が離れ離れになるくらい人で溢れていた。
地元の人間を勢ぞろいで並べても、この人数には勝てないだろう。
……皆、何を楽しみにしているのだろう。
上映されてから、僕は他人事のように映画の画面を見続けた。
確かに映像は綺麗だ。見渡す限りの山、海、川、都心ビル、何もかもが詰め込まれており、その背景に一切妥協はない。どれだけの月日を費やしても、この絵は僕には描けないだろう。
……あの頃は綺麗に描写することだけに集中していた。けど、そんなんじゃないんだよなぁ。
美術部員だった頃の記憶が蘇る。本物に似せるための技法をいくつも習得し、絵描きになるのだと夢溢れていた。
だが与えられているものを見せられても、そこにはそれだけの価値しか感じない。小説には漫画や映画などの映像には適わないものが確かに存在している。
絵描きのプロになれなかったのだから、彼にこの話をしても、ただの負け惜しみに聞こえてしまうけど。
……ここにいる人達があの短編を読んだら、どう思うだろう。
この物語のように、壮大ではなく、何の変哲もないただの食事を堪能する短編を読んだらどう感じるのだろう。きっと途中で飽きて止める人もいれば、何も感じずに忘れてしまうことだろう。
あの話には恋人も登場しなければ友人も登場しないのだ。描かれているのはただ定食のグルクンの煮つけが美味しかったということだけ。
……それなのに僕はあの文章の虜になってしまっている。
映画を見ながら、僕の頭の中は陸に上がって赤くなったグルクンが浮かんでいる。物語の主人公はただ、その魚を食べながらどうやって都会にまで運ばれてきたかを想像する。
筆者の心境を思うだけで、僕の心は碧い海とシンクロする。
碧い海には僕の故郷である
ダイビングが趣味だった僕には、その姿を鮮明に思い出すことができ、光を受けきれずに中途半端に染まったサンゴが恨めしそうにこちらを覗いている。
僕はゆっくりと潜り続けていく。空気圧が減るスピードが早くなり、耳抜きの回数も増やしていく。それでも奥の景色が見たくて、後先考えずに進んでいく。
そこには確かに泳いでいるグルクンが見える。
「おい、ナツ」
「ん?」
気づけば映画は終わっており、人で溢れていた会場が静寂に包まれていた。
「ああ、もう終わったんだね」
「何だよ、寝てたのかよ」
彼に揺さぶられても、僕の頭の中にはあの海の淡いサンゴ礁しか浮かばない。
「いや、起きていたよ。夢は見ていたけどね」
◆◆◆
友人と別れ、家に帰り着くと、僕は一目散にPCの電源を入れた。あの作品の評価が気になったからだ。
「あれ、誰も見ていない」
僕が評価してレビューを残したにも関わらず、お気に入りの作品は星3つ輝かせているだけで閲覧数も増えていなかった。
「何で誰も読まないのだろう」
……いい作品だからといって、評価されるわけじゃないんだ。
心の中で小さく呟く。僕が感じたエネルギーを誰かに受け渡したかった。次の誰かがまた、別の誰かに連鎖していけば、僕の中で再び物語が蘇るような気がしたからだ。
作者の更新を調べると、半年前に途絶えていた。もしかしたら、もうここには戻って来ないのかもしれない。
先ほどまで鮮明に見えた海が消えていく。中途半端に染まったサンゴ礁も、色鮮やかなピンクに変わっていき、映像美としての姿しか思い出せなくなっていく。
……違う、僕がみたいのはこんな景色じゃない。
友人の言葉が反芻されていく。
そうだ、僕はただ故郷の海を思い出したかっただけなのだ。グルクンというキーワードと、主人公がその魚を想像するだけで、僕の頭にはエメラルドグリーンに輝く海が見えた。
その姿を想像するだけで、心が潤っていたのだ。
……僕はただ、あの景色を、あの光景を見たいだけなのに。
絵描きになりたかった頃の思い出が浮かんでいく。油絵の奥行きに感嘆し、水彩画の淡い線に溺れていた。あの文章には沖縄にいた頃に抱いていた夢まで見せてくれていたのだと気づく。
……お願いだから、消えないで。
投稿者の文章を何度読んでも、そこにはただグルクンの煮つけが描かれているだけだった。
……仕方ない。他の作品を読んでみるか。
あてもなく短編集を検索していると、見慣れた名前が目に入った。
◆◆◆
「はぁ? お前が文章を書く?」
「うん、だから教えてくれよ」
再び彼と居酒屋で飲み合わせた時、僕は彼に願った。
「君は大学時代、ずっと書いていたじゃないか。読んだことはなかったけど、それなりの評価を手に入れたともいっていたよね」
「……昔の話さ」
友人は生ビールが入ったグラスで顔を隠す。
「あの頃は若かった、だからがむしゃらに何かに打ち込みたかったんだ。俺にとってはそれが小説ってだけで、特に何かの賞を得たわけじゃない」
「それでも僕は君に教えて欲しい」
僕は彼の生ビールを追加しながらいった。
「勝手に僕の名前を使っているんだから、いいだろう? あれだけ書けるのに、持ち腐れは勿体ないよ」
「名前は仕方ないだろう。それに、あれくらいは誰でも書けるさ」
友人はグラスを掴んだまま、そっと目を伏せた。
「小説なんて、書いていけば誰でもうまくなる。だけど、読み手がいなければ意味がない。俺は読んでくれる人がいたから、思いつきで書いていくことができた」
「じゃあ僕が読むから、君が続きを書いてくれよ」
「んーそりゃ無理だ」
友人は未だ僕が頼んだビールに口つけずに体を丸めている。
「創作っていうのは、書かされるものじゃなくて書く意思がなければまずできない。イメージが必要なんだ」
「イメージ?」
「ああ、俺にはお前が見てきた海は知らない。だから書きようがない」
「ってことはあの作者は沖縄に行ったことがあったのかな?」
「そうだと思うよ、俺は」
友人は小さく頷いた。
「グルクンの煮つけなんて、こっちで食べないだろう。輸送費だって高いし、鯛なんか食べた方が絶対旨い。こだわりがなければ、書かないよ、普通」
「……そっか」
未だ会ったことがない筆者を連想する。
筆者はどんな気持ちであの短編を書いたのだろう。本当に会社勤めに疲れてしまって、ただあの煮つけが食べたいから書いたのだろうか。それとも別に食に興味がなくても、グルクンが好きだったのだろうか。
筆者にも、夢があったのだろうか。
「ナツ、考えるってことはそれだけでエネルギーがいるんだ。まして書くことになると、色んなものを犠牲にしなくちゃいけない。後悔することになるかもだぞ」
友人の真剣な瞳に動揺する。未だかつてないほど、こんな表情を見たことがない。きっと彼の本心なのだろう。
「お前にその覚悟が……」
「あるよ」
僕は即答した。
「あの景色が思い起こせるのなら、何だってできそうなんだ。君にお願いすることだって本来はしたくなかった。だって、君は……」
プロになりたかったんだろう、という言葉はいえなかった。彼のレビュー数と評価数を見て、驚愕したのだ。
彼は自分の作風だけでなく、手あたり次第に読んでいた。それはきっとたくさんの人に読んで欲しかったからだろう。
彼はまた、近況ノートを使い、様々な人と交流していた。オフ会など、ネットではなく現実でも会うほどに小説にのめり込んでいたのだ。
……そんな彼が小説を書かなくなった理由。それはプロとの壁に気づいたからだろう。
僕は彼の作品を読んでいくうちに、気づいてしまった。最初の頃に書き合わせたものに比べて、彼本来の持ち味が消え失せていたからだ。万人受けの話にシフトしていき、彼は他人の評価なしには創作できなくなってしまったのだ。
毒にも薬にもならない、ただの水を彼は丁寧に描いていた――。
「そうか、やっと読んでくれたのか……」
彼は目を潤ませて答えた。
「できることなら、もっと早くに読んで欲しかったよ……。作者っていうのはさ、孤独なんだよ。誰にも相談しないでいきなりフルマラソンを始めるようなものでさ、誰も観客がいないんだ。終わったとしても、それを評価してくれる人がいるとは限らない。だから……」
流行っている物語を書き続けた。
救いを求めて、彼はモニターに縋り続けたのだ。
「……本当にごめん。その時は僕も思い悩んでいたんだ。だから君の苦悩にまできづけなかった」
僕たちは必死になって、プロを目指して走っていた。やり方など考えず、ただ前だけを見ていたのだ。隣に助け合える仲間がいたのに、ただ目の端に映していただけだった。
「……それでも、あそこには君の書いた物語が埋まっている」
僕は気持ちを込めていった。
「どんな内容だって、精一杯書いたのはわかるよ。文章を書くっていう作業は大変だ。一文字違うだけでも、違和感を覚えるし、読者の想像力を台無しにしてしまう可能性だってある」
彼の世界を想像する。
そこは異形の地で、コミカルな世界が広がっている。何でもありの世界だ。だけども、彼が精一杯に考えて辻褄が合うように形づくられた、完結していなくとも、美しい世界。
それを馬鹿にすることなんてできないし、許されない。
自分のためだけに作られた世界ではないからだ。
「そうか、そこまで考えてのことか……」
彼はグラスを掴んで中身を一気に飲み干した。
「少しだけ時間をくれないか。こればっかりは覚悟が必要なんだ」
◆◆◆
彼と居酒屋に行ってから1週間。
僕たちは何の連絡も取り合わずに過ごしていた。
だが彼が何をしようとしているのかはわかっている。
彼が作っていた物語が更新され始めたからだ。
きっと彼は自分の書いた物語に終止符を打とうとしているのだろう。完結されずに埋もれていた世界に決別しようとしているのだ。
……やっぱり素晴らしい世界じゃないか。
夢中で彼の描かれた世界をスクロールしていく。一次元でありながら、二次元、三次元、と無限に広がっていく世界を堪能する。
魔王と戦わずに、時給自足で生きていく彼らはモンスターですら食事の材料にする。その食べ方について吟味し合うのが今作の魅力だ。
今回のエピソードには海が広がっており、そこにはグルクンを含んだ世界中の魚が生息していた。仲間たちは夢中で魚釣りを楽しみ、料理の仕方を談笑する。そこに争いはなく、ただただ自由を満喫しているようだった。
……ここにも、あったんだ。
時間を忘れ、彼の世界にのめり込んでいく。定食屋を描いた世界にしか僕の海はないと思っていた。
だけど、ここにだって僕の
僕が目指していた絵画がこんな所にあった――。
……なぜ小説を欲したのか、今ならわかる気がする。
僕は次元を求めていなかった。一次元の文字、二次元の映像、三次元の現実、全てに共通するのはイメージだ。
イメージ、それは0次元にある。自分の頭の中でだけ想像できる『空白』を僕は欲していたのだ。
そこに限りなく近いのが一次元の小説であっただけなのだ。
「これだよ……、これが欲しかったんだよ、
僕は独り言を述べながら、彼の作品にレビューを投じた。満開の星3つ並べてだ。
レビューをつけると、ホームページ画面に彼の名前が大きく表示された。
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僕は画面に張り付いて物語の閲覧数をチェックする。
……誰でもいいんだ、何なら一人でもいい。この世界を誰かに繋げたい。頼むから、誰か――。
気づけば僕の記した広告は10分もせずに消え、PCの電気だけがこの部屋を支配するくらいに時間が経っていた。
だが僕の心は乾く所か、潤っていく。
……こんなこと、小説の中でしかあり得ないと思っていた。
モニターを再確認し、間違いではないかと何度も吟味する。
こんな偶然、ありえるのか。それとも誰かが僕をはめようとしているのか。
……僕の好きな小説の連鎖が続く、それだけでどうしてこんなにも幸せな気分になれるのだろう。
きっとこの時間はさきほどと同じように、10分にも満たないだろう。
それでも僕が書いたものよりも、大切な、7分間の幸福になることは約束されている。
……ありがとう。このレビューが映り続けている限り、僕は幸せでいられる。
再びモニターを見て頬を緩ませる。そこには新たなレビューがつき、友人の小説がトップページに息を吹き返していた。
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