共犯者M

@11037

第1話

普通の平日の、普通の夕方。だけど私はとても不機嫌だった。イライラしている、と言ってもいい。朝は寝癖がうまくなおらなかったせいで家を出る時間がいつもより遅くなった。そして定期の期限が切れていたことを忘れていて、改札で引っかかり遅刻寸前。仕方なく切符を買った。学校では何事もなく過ごせるかと思いきや、お弁当を忘れてきてしまったので購買でまた出費。朝の切符代と、お昼ごはん代と……バイト禁止の学校に通う女子高生としては、結構な出費だ。しかも帰ろうとした瞬間に先生に雑用を頼まれたけど、それはしっかりと断って教室を後にした。今日はもう、はやく帰りたい。


若干混雑している電車内で、スクールバッグを持ち直しながらふとドアのほうに目を向けると、外を見ながら微動だにしない女の子と、その子にぴったりくっつくように立っているおじさんがいた。

思わず「うわ」と小さく声が出る。自分のことではないのに鳥肌が立つ。夕方四時半、少しだけ混み始めた電車内ではあるが、そこまで密着する必要はない。

 イライラしていた。はやく帰りたいし、面倒ごとには巻き込まれたくない。けれど私はブレザーのポケットからケータイを取り出して、カメラアプリを探す。シャッター音が出ないアプリを選択し、体ごと向きを変えて自然に二人へレンズを向ける。おじさんの手が女の子の体に触れているのを何枚か写真に収め、二人に近づく。心なしか女の子は震えているような気がした。

「あの、次の駅で一緒に降りてください」

 おじさんにケータイの画面を見せながらそう言う。驚いたように二人ともこちらを見るので、車両内の視線が一気に集まってしまう。恥ずかしいな、と思いながら「降りてくれますよね」と念押しすると、おじさんは力なく頷いた。


 そこから数分と経たずにドアが開いたので、三人で一緒に降りる。駅員に引き渡せばいいのかな、と考えているとおじさんはいきなり土下座した。ほとんど人のいないホームで、おじさんの弱弱しい声が響く。

「頼む、このことは……」

「黙っててくださいってことですか? 嫌です、なんで犯罪者を見逃さなきゃいけないんですか」

「お願いだ、俺には仕事も家族もあるんだ!」

「彼女にも学校や家族や友達、それからプライドがあります。あなたにはプライドなんかなかったみたいですけど。ていうか、家族がいるならなんであんなことしちゃったんですか? それ結婚指輪ですよね? 奥さんもいるのに、いいトシして恥ずかしくないんですか?」

 イライラする。明らかに悪いことをしているのは向こうなのに、なんで私が敬語使っているんだろう、とか、おじさんの罪の意識のなさとか。


「もういいです。言い訳は、もういいので、警察いきましょう」

 めんどくさくなった私がそう言うと、おじさんは尋常じゃない量の汗をかきながらかばんから財布を取り出した。震える手で財布の中身を大雑把に抜き取って、地面に置いて……そのまま脱兎のごとく駆け出した。

「あっ、逃げんな! 私追いかけてくる!」

「……いいですよ。お金おいて行かれちゃったし、下手したらこっちがカツアゲしたと思われかねない」

「それは……あ、でも証拠あるし、」

「二人組の犯行だって思われたら? あたし、あなたに迷惑かけたくないです。助けてもらったし。本当にありがとうございます」

 走ろうとした私のことを止めて、彼女が頭を下げる。慌てて頭を上げさせて、「本当に大丈夫?」と聞けば、「ほとんどなにもされてませんから」と微笑まれた。見慣れない制服と、大きめのセーターが印象的な女の子だ。


「お名前、聞いても大丈夫ですか?」

 彼女がこちらの顔を覗き込むように尋ねてくる。

「あー、えっと、はい。間宮ほたるです」

「ほたるちゃんですね! あたしは片山真白といいます」

 相手がいなくなって安心したのか、彼女の表情がぱっと明るくなる。それでも両手はぎゅっと組まれたままなのを見て、ホームのベンチに座るように促した。

 そのままにしておくのもまずいので、二人でおじさんが置いていったお金を拾う。全部拾い終わってから、とりあえずいくらあるのか数えてみると、冗談じゃないくらいの金額だった。でも、これだけのお金を払えばこっちが黙っていると考えたあのおじさんに、吐き気がする。

「えーっと、真白さん何歳?」

「呼び捨てでいいですよ。あ、高校二年生です」

「じゃあ、同い年なんだ」

「偶然ですね!」

「そうかなあ……? ていうか、お金、どうしよう」

「募金にしても警察に届けるにしても、これだけの大金だと逆に怪しまれそうな気もしますし」

「全部説明するしかないかな。むしろ、監視カメラとかでおじさんのこと特定できれば一番いいんだけど」

「どうでしょう。ホームにほとんど人いなかったし、目撃者なんていないかもしれませんね。でも、監視カメラなら……」

「あっ、話すことで嫌な事思い出させちゃうかもしれないし、それなら、無理に届け出る必要もない……のかな? 真白が決めていいと思う」


 ベンチに座りながら二人でずっと話し込んでいると、だんだん喉が渇いてきた。お昼に買った紙パックの紅茶はすでに飲み干してしまったから自販機で買おうかとも考えるけど、今日いちにちでの出費を考えると、少しくらい我慢しようかな、という気分になる。

「どうかしたの?」

「いや、大したことじゃないんだけど……喉かわいたなぁって」

「あたしはお腹も空いてきちゃった。今日このあとケーキバイキング行く予定だったから、お昼ごはん少な目にしたのになぁ」

 同い年なんだし敬語は使わないで、と伝えると彼女は少し申し訳なさそうにしながらも砕けた口調で話してくれるようになった。

「それは……不運だったね。真白、そんなに甘いもの好きなの?」

「うん、とっても!」

 にこにこしながら言う真白は、本当に甘いものが好きなんだろうなあ、と思う。ちょうどこの駅の最寄りにあるお店で、今日はレディースデーだから、と楽しそうに話しかけてくる彼女に、ちょっといけない考えが浮かんでくる。いやでもだめだな、と思い直したところで、ひらめいた! という顔をする真白。嫌な予感がする。

「このお金、使っちゃわない?」

「さすがに、それは、駄目だと、思います」

「えーっ、あたし被害者だよ? 慰謝料……みたいな感じでさ、使っちゃおうよ」

「使うなら真白ひとりで! 私は帰る!」

 犯罪すれすれの行動を、さすがにとりたくはなくてベンチから立ち上がろうとすると、左手を真白に掴まれる。有無を言わせないような力がこもっていた。

「お願い、ほたるちゃん。共犯になって?」

 罪悪感なんて微塵も感じていないような笑顔だった。さっきまで私に敬語を使って遠慮していたような子には見えない。

 私はしばらく迷った後、不運続きの今日だから、こんなこともあるかもしれない、と自分でも妙な言い訳をつけて、私は「しょうがないなあ」と返事をしてしまっていた。



「んん~っおいしい、やっぱりここのケーキ最高!」

「『やっぱり』? ってことは来たことあるの?」

「五回目だよ。ていうかほたるちゃん、もっと食べなよ。元、取らないと」

 お金は真白の財布の中にしまわれた。今更ながら、なんでついてきちゃったんだろうバレたら怒られるのかな。心配やら不安やらで食欲なんか湧かない私は、行儀悪くシフォンケーキをフォークで何回かつっついて、それからフォークをお皿の横に置いた。目の前に座るこの子をちらりと見ると、ぱくぱくとおいしそうに食べている。十個を超えたあたりで数えるのはやめたらしい。

「ずいぶん来てるね、そしてよく食べるね……」

「まあね! ここ、穴場だから人少ないし。一目気にしなくていいし。学校の人もいないし」

「そういうの、気にするんだ? ていうか真白の制服、このへんじゃ見たことない」

「うん。ちょっと、離れてるから」

  今時ケーキバイキングに来る女の子なんて珍しくないだろうに。いっぱい食べるから恥ずかしいのかとも思ったけど、それを差し引いても、真白はかわいいと思う。髪はきれいにセットされていて、たぶん薄くメイクもしている。自分を「魅せる」方法をよく知っている。加えて、スタイルも良い。長身で、手足も細い。うらやましいな、と漠然と思った。


「あのね、ほたるちゃん。あたし、とっても嬉しかったんだよ」

「うん?」

「電車でね、誰も助けてくれないだろうなって思った。あたしも、もしそんな場面に出くわしたらなんにもできないと思うから、しょうがないなって諦めてた。でもほたるちゃんが声をかけてくれた、助けてくれた!」

「大したことはしてないよ。それに、私も今日はちょっとイライラしてたから……」

「それでもいいんだよ! 結果、あたしは助けてもらったんだもん。それと、……あたし学校だとあんまり友達いないから、こうやって一緒に遊べてすごく嬉しい。今日は、特別な日だ」

 言い終わると、タルトの最後の一口を頬張って、勢いよく立ち上がった。

「おかわり、持ってくる!」

「あっ私も行く」

 私も慌てて立ち上がって、真白の隣を歩く。シフォンケーキの皿はそのままに、新しいお皿を手に取った。

「私もね、今けっこう楽しいよ。バレたら怒られるのかなぁとかそういうドキドキもあるけど、真白と一緒に遊べて楽しい。こんな日は、たぶんもう絶対こないと思う。だから今日は、本当に特別な日だね」

 ショーケースの前で、ケーキを選びながら思ったことを言葉にした。真白が嬉しそうに笑ったから、もうなんでもいいや、という気さえする。お金を勝手に使ったことを怒られても責められても、先に悪いことをしたのはあのおじさんなのだから。

 今日は特別な日だから、いつもと違うことをしてもかまわない。もう、そう思うことにした。

「それにしても真白はよく食べるねえ」

「まぁ、他の女の子よりはいっぱい食べる……かなっ」


「お会計は、一緒で大丈夫です」

 そう言って真白が会計を済ませる。シンプルなデザインの、黒の長財布から数枚のお札を取り出して、店員に対し微笑む。

「さてー、次はどこに行こうか、ほたるちゃん」

「えっまだどっか行くの」

「お金まだあるし……せっかくだから、服見に行かないっ?」

 お店を出て、軽く手を引かれる。この駅で降りたことはあんまり無いから、土地勘がないことを伝えれば「あたしが詳しいから大丈夫!」と真白はどんどん歩いていく。

「この先に、ちょっと大きいショッピングモールがあるからさぁ」

「そうなの?」

「うん。あたし、服はだいたいそこで買うよ」

「真白の家、ここから離れてるんじゃなかったっけ」

「そうだよー。でも、……あんまり見られたくないんだ、知り合いに」

「そういうもの?」

「そういうもの!」

 前を歩いていた真白が、立ち止まってこちらを振り返る。「人間だれしも、ひとつやふたつ秘密を抱えているものだし、それを知られたくないと思うのは当然じゃない?」少しだけ声が震えているのに気付いて、そうだね、とだけ返事をする。

「あたしも、ほたるちゃんに隠してること……ある。ごめんね」

「私も、真白に隠してることあるよ。親に秘密にしていること、とか。でも真白になら、話してもいいかな」

 速足で真白に追いついて、隣に並んでゆっくり歩きだす。心臓が大きく鳴った。他人からしてみれば、くだらない悩みで、どうでもいい秘密だと自覚している。それでも、この子なら話してもいいかなと思える。


「ほたるちゃんが話してくれるなら、あたし、聞くよ」

「うん。ありがとう。私ね、かわいい服が着れないの」

「……うん?」

「かわいい服はかわいい女の子にしか、似合わないんだよ。それに気づいちゃったときからなんか、もう、着れなくなっちゃった」

「そう、かな」

 真白の歩くスピードがさらに落ちた。私も速度を緩めて歩きながら、しゃべり続ける。不思議なくらい汗をかいていて、さっきのおじさんを思い出した。でも、私は逃げずに真白にきちんと自分の答えを伝えたかった。ただ悩みを聞いてほしいだけなのかもしれないけど。

「中学の制服が、それはもうかわいいデザインの制服だったの。赤のリボンが、かわいくて、小学生の頃はそれが着られるのが楽しみでしょうがなかった。でも、いざそれを着て学校に通い始めて、『……あ、自分はなんか違う』って思っちゃって」

「誰かになにか、言われたの?」

「ううん。自分でそう思い込んでるだけかも。でも、かわいい服を着るのはかわいい女の子の特権。それは真実だと思う」

 かわいい女の子。それはそう、例えば真白のような。

 自分も、努力していないわけではない、と思いたい。ダイエットも、メイクも、振る舞いも、自分にできる範囲でできることをやっている。それでも、あの日なんとなく気付いた真実は、私の心に絶対のものとして刻み込まれている。

「……私は、かわいくないから。フリルもレースも諦めた。ついでに言うと、リボンは本当に無理になっちゃった」

「ほたるちゃんが、着たくないなら、着る必要はないと思う。でも、あたしには、ほたるちゃんはかわいいお洋服着たいって言ってるように、聞こえる」

 着られるなら着たいよ。思ったより小さく、そして震えた声になってしまった。

 真白が私の右手をとった。

「ほたるちゃん。今日は特別な日だよ。だから、何したって大丈夫。あたしと一緒に洋服選ぼう。お金ならある、おじさんのお金だけど。とびっきりかわいい服を買おう。もし、ほたるちゃんが『かわいい服を着ること』をいけないことだと思っているんだとしても問題ない。だってあたしたち、共犯者だから」

 真白の言葉には不思議な迫力がある。思わず頷いてしまい、彼女がにっこりと笑ったときには「しまった」と思う。

「じゃあこのあとは、ほたるちゃんの洋服選びってことで!」

 いつの間にか右手は離されていて、真白は元気よく目の前のショッピングモールを指さす。意外と歩くのが早い真白に続いて、私も駆け出した。



 真白は意外とえぐかった。私の『かわいい』トラウマは、中学一年から高校二年の今までずっと患っている筋金入りのものだ。私服はパンツスタイルがほとんど、スカートは制服でしか履かないし、ついでに言えば高校選びの基準は女子制服がネクタイであることだった。

「スカートくらいは履かされるかなぁと思ってたけどさすがにこれは……」

「似合うよほたるちゃん」

「真白、私の話聞いてた? リボンがいちばん苦手なんだよ」

「うん、だからそれを克服しよう。大丈夫、背中側なんだし気にすることないよ」

 真白が選んだ、見るからに女の子らしいショップの、店頭マネキンが着ていた黒のワンピース。彼女はそれを見るなり、店員さんに「これ試着したいんですけど」と声をかけた。ぱっと見はシンプルなデザインだが、よく見ると細かい刺繍があったり、レースがついていたり、そして背中側にリボンがアクセントとして装飾されている。

 愛想の良い店員さんに連れられ試着室に入り、着替えたものの自分に対して違和感しかない。

「真白、やっぱりこれは……」

「あんまりピンとこない? じゃあ次行ってみようっ」

「えっ」

 いつの間に選んでいたのか、数着一気に手渡される。着ろ、と真白の目が言っている。恐る恐る受け取り、試着室のドアを閉めると、外から真白と店員さんの楽しそうな会話が聞こえてくる。私の体系とか、髪型とかを考慮して服を選んでいるようだった。

「あんまり短いスカートはハードルが高いと思うので、短くても膝くらいまでで」「たぶん体のラインが出る服は好きじゃないから、ゆったりしたものを」「露出は少ないほうがいいかなあ……」

 それから繰り返し試着をして、最終的に最初に着たワンピースを買うことに決まった。あの服が、一番かわいいと思ったから。思い切って「お揃いにしたい」と切り出せば、真白はその言葉を待っていたかのように色違いのワンピースを持ってきた。

「あたしには、何色が似合うと思う?」

「えー……白かピンクかな……」

「じゃあピンクにしよっと」

「試着しなくていいの?」

「サイズはだいたいわかるし、ほたるちゃんが選んでくれたから、ピンクにするよ」

「あ、やっぱり名前から白を選んだのバレた?」

「まぁね。持ってる服も白が多いし、だから今日はピンクにするよ。あ、お会計お願いします」

 袋は別で、こっちはプレゼント用で。プレゼント、という言葉を聞いて店員も微笑んで、少々お待ちください、とテンプレートの言葉を述べる。贈り物なら真白しかお金を出さなくても不自然ではないと解釈したんだろう。ポイントカードまできっちり出して、真白が会計を済ませる。


 同じ紙袋を持ちながら、二人で駅に向かう。もう七時をとっくに過ぎていて、母親からどこにいるのか、とメールが届いていた。そんなに心配している風ではなかったので、友達と遊んでいると返信をする。

「お母さんから?」

「うん。でも、平気」

「そっか。だけどそろそろやっぱり帰らないとね。……ごめんね、いっぱい連れまわして」

「ついてきたのは私の意思だよ」

「共犯者だから?」

「そう。共犯者だから」

 真白の財布の中身は、ほとんど元の状態に戻っている。ケーキバイキングと洋服代に使った以外の残ったお金は適当に分けて、何個かの募金箱に入れてきた。最初からこうするべきだったのかもしれない……。


「ほたるちゃん、その服、絶対着てね」

「努力はする」

「だめだよ、絶対着て」

 駅の改札の前で真白が真剣な顔で言う。

「ほたるちゃんは、自分がかわいくないから、かわいい服着られなくなったって、そう言ったよね。でも、そう思っていたら、一生着られなくなるよ。かわいい服なんて、今しか着られないだから」

「それは、分かってるつもりだよ。このまま高校卒業して、大人になったら、スカートもはかなくなるだろうなって思ってた」

「自分の着たい服、着なきゃだめだよ。絶対だめ。人生楽しんだほうがぜーったいおトクなんだから。……若いうちにやりたいことやろう?」

「……うん」

「まぁ、高校生って免罪符を一番使ってるのはあたしなんだけど。……ごめんね、ほたるちゃん、ずっと騙してて。これ、見てほしいな」

 真剣な顔をまま、真白はかばんの中から小さな手帳を手渡してくる。手は小さく震えている。それを受け取って見ると、生徒手帳だった。名前は片山真白、正真正銘彼女のものだ。顔写真も、今目の前にいる彼女とほとんど変わらない。

 髪型と、顔つきを除けば。

「……えっと、もしかして」

 違和感はそれだけじゃない、自分の記憶が正しければ、この学校は。

「うん。あたし、男です。嘘ついてて、本当にごめんなさい」

 男子校の生徒手帳、短い髪、メイクも何もしていない、不愛想な表情。でも、この写真は絶対に真白だった。

 驚きすぎて声は出なかった。だって、こんなにかわいいのに。


 頭を下げる真白の肩を叩いて、顔を上げさせる。今日いちにち、笑顔ばかりだった彼女の顔は、いま初めて強張っていた。

「最初に言うべきだって思ってた。でも、ほたるちゃんがすごく真っすぐでかっこよかったから、友達になりたいなって思ったの。ごめん、本当にごめんなさい。謝っても許されないと思うし、腹が立つなら、学校にこのこと伝えてもらっても構わない。ごめんね、気持ち悪いよね」

 泣きそうな顔をしていても彼女はかわいい。慌てたように、早口で真白は喋り続ける。

「女装なんて、気持ち悪いし、男のくせにウィッグ被ってスカート履いて、おかしいよね。それなのに、女の子のフリして、買い物したりほたるちゃんのこと騙したりして、本当に救いようのない変態だなって自分でも、自覚あるんだ」

「ちょっと待って。真白は自分のこと気持ち悪いと思ってるの?」

「普通に考えて、そうでしょ」

 真白がもう一度俯いて、髪が揺れた。甘い色の髪も、潤った唇も、長いまつ毛も「片山真白」が生まれ持ったものではないんだろうな、と漠然と思った。

 それでも、その努力は私がしなかった努力だ。

「真白、着たい服着よう、したいことしようって言ったよね。それは真白がやりたいことをやってるから、私にそう言ったんだよね。じゃあその言葉は嘘だったの?」

「嘘じゃないよ、」

「私、いま怒ってるんだよ。私は真白の言葉で、勇気をもらったし、私にもかわいい服が着られるかもって思ったのに、いま真白がそれを否定したんだからね」

 体系を隠すような大きめのセーターは彼女なりの防具なのかもしれない。真白の右手をとって、両手で握る。女の子にしては骨ばった手だ、男の子だから当たり前なのかもしれないけど。

「真白は、今の自分を恥ずかしいと思ってるの」

「……そんなわけないじゃん」

「そうだよね。だったら笑って。笑ってるほうが、真白はかわいいよ」

 あと目は擦っちゃ駄目、メイク落ちるだろうし赤くなるから。ハンカチを差し出しながらそう付け足すと、「女子力高いね」真白はやっと笑った。


「……真白は、このこと、学校に秘密なの?」

「え? あ、うん。言えるわけないよ。先生にも、友達にも……家族にも言ってない」

「そっか。じゃあこんなに遠いところまで、買い物とかくるんだ」

 彼女は相変わらず不安そうな顔をしていたけど、私は今まで感じていた疑問や違和感が解消されてすっきりした気分だ。

「ほたるちゃん、本当に怒ってないの?」

「なんで怒るの?」

「だって、騙してたし嘘ついてたし、……気持ち悪くない?」

「うーん、真白はその格好似合うし、ずっとかわいいと思ってたよ。それに、私からしてみれば、真白のほうがかっこいい。やりたいこと、ちゃんと自分で決めて自分でやってるんだよね。そのための努力も怠らずに。それは、私にはできなかったことだから」

「変だって、思わないの?」

「私の『かわいいコンプレックス』も同じくらい変だと思うよ」

「優しいね、ほたるちゃんは。……ほんとはね、ほたるちゃんがかわいくないからかわいい服着られないとか言い出した時、すごい不安になったしムカついたんだよ」

 今だから言えるけど。はにかみながら、真白は自分の髪をいじりながら私を見る。

「え、あ、うん」

「じゃあ、あたしはどうなるんだろうって思って。かわいいものが好き、きれいな服が着たい。それが似合う自分になるために、ウィッグ被って、メイクして、そしたら楽しくなってもっとやりたいって思った」

「かわいい服はかわいい女の子にしか似合わないなんて言って、ごめんね」

「ほんとだよ! 傷ついたよ! でも、そこからは意地だった。なんとかしてほたるちゃんにかわいい服着せてやる、って。自分がやってることは間違いじゃないって証明になるって思ったから。今のうちにやりたいことは全部やる、それができる期間は、あたしはほたるちゃんより確実に短い。でも、ほたるちゃんは変な思い込みのせいで自分から諦めようとしてたの、なんか許せなくて」

 自分が手に持っている紙袋を持ち上げて、「お揃いにしたいって言われたときは嬉しかった」と真白は言う。


「ほたるちゃん、絶対このワンピース着てね。約束だよ。お願いだから」

「……うん、絶対着るよ。そしたらまた、遊んでくれる?」

「もしまた、会えたらね」

 ブレザーのポケットからケータイを取り出したのを見て、彼女は小さく首を横に振った。

「もし次、また、会った時に、ほたるちゃんが『あたし』をまた見つけてくれたら、そしたら……」

「そのときは、友達になろうね。共犯者じゃなくて」

 ケータイを再びポケットにしまい、真白の声を遮ってそう言った。彼女はまだ不安そうな声色だった。たぶん、私たちが友達と呼べる関係なのかどうか迷っているんだろう。

「大丈夫、私は必ず真白を見つけるよ。友達だからね」


 改札を抜けて、お互い乗る電車を確認する。乗るべき電車の方向は見事に逆だった。真白はまだ何回か乗り換えて、帰宅するのだと言う。

「家に帰るまでに着替えなきゃいけないし」

「そっか。じゃあ私の電車のほうが先だね」

 あと三分で電車が来る。相変わらず人の少ないホームで、電車を待つ。真白の髪がウィッグだなんて気づかなかったよ、笑いながら言えば「医療用ウィッグだから、自然でしょ」と自慢げに話された。加えて地毛は短髪なので、セットしやすいらしい。ちなみに真白の着ている制服は、いわゆる『なんちゃって制服』であり、この制服の学校はないという。

「あたしも、あたしのできることは全部やって、かわいい服着るから、ほたるちゃんも諦めちゃだめだよ!」

「分かったってば」

「うん。また会えるといいな」

「会えるよ、絶対。真白、この駅使うでしょ?」

「わりと」

「じゃあ、大丈夫。私の通学範囲内だから。平日なら毎日乗る」


 電車が参ります、とアナウンスが流れる。そろそろ真白も移動しないと、乗るべき電車に乗り遅れる。手を振りながら、真白が小さく口を動かした。聞こえていないふりをして、そのまま手を振り返して電車に乗った。座席についてホームを見ると、小走りで自分のホームへ向かう彼女の背中が見えた。

 ほたるちゃん、青春の賞味期限は短いよ。

 他の人が言ったら笑っちゃいそうな言葉でも、彼女が言うと重みが違う。でも、私が考えている意味と、真白が考えている意味は違うかもしれない。今度会ったら、ちゃんと聞いてみよう。

 今はそれよりも、このワンピースの言い訳を考えなければ。今までかわいいものを避けてきた私の変化を、母は見逃さないだろうから。

 それから私は電車の揺れに身を任せ、目を閉じた。瞼の裏には、まだ彼女の笑顔が残っている。

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