第93話 Freefall

 堕ちていく…そんな感覚が…。

 コールタールに飲み込まれる様な感覚とでも言うのだろうか、時折、ズブッと沈むように心が重くなる。

 彼女へメールの返信はしなかった。

 今までも何度か、こういうことはあった。

 そういうときも彼女は仕事をしながらメールで僕を繋ぎとめようとした。

 逢って、話したことは1度だけ、コンパの帰りに迎えに行ったときだ。

 金を払わずに彼女を抱いたのは、そのとき1度きりだと思う。


 月に1度くらい、僕のために時間を…そんなことを言っていたが、無理だったようだ。

 逢えるのは送迎のときだけ。

 それが僕たちの全てだったと思う。


 彼女はソレ以上を求めてないのかもしれないが…僕は、少し進んだ関係を期待してしまった。

 月は地上から見上げるからこそ美しい、行けば何もない…知っていたはずなのに、憧れてしまった…ソコに行こうとした。

 僕は、いつもそうだ。

 仕事でも、今を変えたがる…だから周囲と足並みが揃わない、上に嫌われ…下に疎まれ、そして周りに失望する…その繰り返し。


 タラレバはある。

 あのとき、こうしていたら…こうしていれば…。

 でも考えるだけ無駄なことも知っている。

 人生にSAVEもROADもないのだから…。


 彼女のことを嫌いになったわけじゃない…今も逢いたいと思う…だから昨日も彼女の夢を見た。

 穏やかに口づけを交わす夢…。

 だが、その先には進めない、夢の中でも…。


 スマホの動画に彼女が花火をしている姿を保存してある。

 夏の明け方、明るくなった海岸で花火をしたときの記録。

 鼻に掛かった声、眠そうな目、細い指の先で花火が揺れる。

 もう…これらに触れることは無いのだと思うと…とても大切な記憶だと思える。


 拒んだのだろうか…躊躇ためらったのだろうか…いずれにしても僕は、その全てに背を向けた…。

「また逃げるんだね…」

 きっと、今まで肌を、心を重ねてきた過去はそう言うだろう…。


 僕が独りになるのは誰のせいでもない…僕自身のせい…。

 独りがいいんだ…誰にも傷つけられないから。

 独りでいいんだ…誰も傷つけないで済むから。


 今回も同じだ…。

 開きかけた心が閉じるだけ、閉じてしまえば何も感じなくなる…時間は必要だが、きっと大丈夫…慣れるはず。


 時間は掛かるかもしれないけど…慣れるはず。


 きっと…愛していた。愛せると思った…彼女の全てを好きだった。

 でも…それを感じる時間が足りなかった。


 それだけ…逢える時間が無かっただけ…。


 よくある理由。

 そう…出会いも…その別れも、よくあること…特別なことは何もなく、特別な理由も特にない。


 それだけのこと…ただの『恋』・『愛』の話…。


                                                       Fin

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僕の彼女?は風俗嬢 桜雪 @sakurayuki

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