明日の食卓
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明日の食卓
オレンジ色に染まった空の下でひとり、ショーンは公園のベンチに座って、じっと相手を待っていた。あいつが遅れて来るなんて珍しい。そう思いながら腕時計に目をやった時に、後ろから声が掛かった。振り返ると、パウロがコートのポケットに両手を突っ込んで、こちらに歩いてきていた。
「よおパウロ、久しぶり。少し痩せたか?」
「かもな。お前は、また少し太ったか?」
「さあな」
学生の頃から幾度となく繰り返された、お決まりの挨拶である。実のところは、二人とも外見には殆ど変化がなかった。
パウロは、ショーンから少し離れて座った。
「しかしパウロ、なんでこんな場所を選んだんだ? 適当なレストランで、飯食いながら喋ればいいじゃねぇか」
「……あまり、周りに聞かれたくない話をしたいんでね」
「ひょっとして、お前が今参加してる、研究の事か?」
パウロは、3年ほど前に、今の研究所へ引き抜かれる形で転職をした。しかしその研究内容については、守秘義務があるからと、
「ああ。正確には、新製品の研究開発だがな。お前には、どうしてもその話をしておきたくてな」
「で、何を作ってたんだ?」
「分かり易く言えば、人工肉だ」
人工肉——動物を殺さずに得る事が出来る、食肉の代価品。ここ最近、聞く機会が増えてきた単語である。
動物の殺傷を伴わない動物性タンパク源——つまり人工肉を求める声は、少しずつ聞こえるようになってきていた。その背後にあるのは、言うまでもなく動物愛護運動である。地球環境の変化による野生動物の減少を背景に、民間団体による動物愛護運動は、ここ数年で一気に数倍の規模にまで膨れあがっていた。また、幾つかのアンケートの結果によれば、そういった運動に参加していない人でも、大多数が何らかの形で動物の保護が必要だと考えていたのである。
だからと言って、食肉のために動物を殺すなとはおかしな主張だと、ショーンは思う。そもそも、食肉にされる動物は人間の手で飼育されているのであって、屠殺を止めたところで野生動物が増えるわけではない。しかし、熱心な活動家にそう言ったところで、食肉にするためだけに動物を飼育する事は、残酷で倫理に反する行為である、と返ってくるのみだった。
おそらく彼らは、動物を殺すという行為に罪悪感を抱いてしまっているのだろう。その罪悪感から逃れる事が彼らの目的であり、本来の目的であるはずの動物保護については、ないがしろにされてしまっているのでないか。ショーンはそのように思っていたから、声高に人工肉の必要性を叫ぶ人々を、冷ややかな目で見ていたのだった。
「人工肉——ねぇ」
ショーンは、大きくベンチにもたれかかった。まさか、パウロがそんなものに関わっているとは、思ってもみなかった。
「本当に出来るのか? 動物を殺さずに肉を作るなんて事が」
「まあ、結論を言ってしまうと、出来なかったんだけどな。いや、量産を考えなければ、不可能ではないんだが——iPS細胞を使うとかな。とにかく、『安価に量産』という条件を満たすために、かなり強引な手法を採る事になった」
パウロは、何か思いつめたような表情で、大きく息を吐いた。
「強引な手法は、お前の得意分野じゃねぇか」ショーンは笑いながら言った。「で、その手法ってのは?」
「ざっくり言うと、癌細胞——いや、どちらかと言うと良性腫瘍が近いかな。それのメカニズムを応用した。まずは母体となる生物に、遺伝子を加工した細胞を移植して体細胞を増殖させ、それを採取する。その採取した細胞にまた別の細胞を打ち込んで、今度は爆発的に増殖させるんだ。この一回の過程でもかなりの量の肉ができるから、母体が死ぬまでに何万体ぶんの肉が生産できる」
「ちょっと待て、母体が『死ぬ』までだと? 生きたまま肉を切り取り続けるってのか?」
「だから、強引な手段だと言ったろう。まあ、さすがに母体には脳死状態の生物を使う予定にはなっているが——」
それでも、えげつない。ショーンは素直にそう思った。何千体もの動物が殺されるよりは、はるかにマシだ。理屈は分かるが、感情的にはやはり簡単には受け入れがたい。本当に、科学者というやつは、時々とんでもない事をやらかす。
「なあ、そこまでして、人工肉とやらを作らにゃならんのか? 何か崇高な目的でもあるのか?」
「少なくとも、会社のお偉いさん方は、崇高な目的だと信じているよ。うちの会社は、表向きは資産家や科学者が共同で新事業に乗り出したという体裁だが、どうも設立の中心ンバーは、全員がとある秘密結社のメンバーらしい。不確かな情報だが、どうやら有名な動物愛護団体の中核をなす団体でもあるようだ」
「はん、動物愛護ね。でも、結局は動物が犠牲になる事に違いは無いじゃねぇか。数が大幅に減るとは言え、それでいいのか?」
パウロはしばらく答えなかった。これから言わんとする事は、ショーンには絶対に伝えておかねばならない。しかし同時に、言うのが
「人工肉製造の母体として使われる生物は——人間だ」
ショーンの思考は、しばらくの間、停止した。——今、人間って言ったか? その言葉の意味するところが、すぐには理解できなかった。だがやがて、ゆっくりと時間をかけて、人間が生きながらにして肉を切り取られるイメージが、脳内に形作られていった。
「……
それが本当な筈があるか。明らかに正気ではない。
「冗談じゃない、本当だ。当初の予定は、あくまで何者も殺生せずに済む人工肉を開発する事だった。しかし、現在ではそれが不可能だと分かった時点で、極秘に人間を元に人工肉を作るという代価案に切り替えられていたんだ。——俺は、全く聞かされていなかった」
「人間を犠牲にしてでも、動物様を守るってか。はん、お偉いこった」
ショーンは吐き捨てるように言った。
「彼らの考えは、単純な動物愛護とは違っていたよ。彼らの狙いは、人間と動物との間の、公平性を確立する事だ。牛や豚を食べる事は認めるが、その条件として、同じように人間も食べられるべきだと言うんだ」
「そんな馬鹿な話があるか。公平って何だ? 動物を食べるのは罪だとでも言うのか?」
「どちらかと言うと、彼らの理想が高すぎたんだろうな。最初は、俺たちの食事のために何者も犠牲にならずに済む状況を、本気で目指していたよ。しかし、それが不可能だと分かってしまった時に、その理想が歪んでしまったんだろう。その頃、彼らの態度がおかしかったからな。単に動物の犠牲が大きく減るだけでは、満足できなかったのだろう」
「その結果が、人間を食べるってか。お利口さんの考える事は、良く分からねぇな。で、そうやって作った人工肉をどうする気だ? 売るのか? 人間から作った肉を、誰が食べたがるんだ? それに、法的にもアウトだろう」
「もちろん、原材料が人間である事を隠して、売り出すんだ。力ずくで、人間を食べているという既成事実を作るためにね」
ショーンの中で、怒りがふつふつと湧き上がってくる。自分達の正当性を示すために、無関係な人間を平気で巻き込む。こいつらがやろうとしている事は、完全にテロじゃねぇか。
「何が理想だ、ふざけるな。そんな事は、絶対に許せん。なあ、どうにか止められないのか? 原材料が人間だとあちこちに触れて回るとか、何か方法があるだろう? どうして、やらない?」
「もちろん、止めようとしたさ。今言ったみたいに、人工肉の正体をバラすと脅してみたんだが、無駄だった。そういう事態を、あらかじめ想定していたんだな。ご丁寧に、人工肉がどんな動物も犠牲にしていないと証明出来るだけの証拠が——もちろん偽造されたものだが——きっちりと用意されていたよ。俺が公の場で発言して、もし訴えられたら、こちらが負ける」
「だが、人工肉を調べれば、元は人間だったと分かるだろう」
「残念ながら、無理だろうな。二度にわたって遺伝子操作が行われる関係で、人工肉の遺伝子は、人間のものから変化してしまっている。要するに、人工肉は人間の肉とは別物なんだ」
ショーンは、ぎりぎりと歯ぎしりした。何としてでも、こんな計画は止めねばならない。何か方法はないか。——しかし、いくら考えても、止める手立ては何一つ思い浮かばなかった。
「——どうして、こうなった?」
ショーンはそう言ったが、実のところ、その問いに対する答えを欲していたわけではなかった。ただ、やるせない思いから、何の気なしに口をついて出ただけだった。
「状況がそうさせた、としか言いようがないな。ひょっとしたら、遅かれ早かれ、同じような事態になったのかもしれない」
ショーンは顔を上げてパウロを見た。パウロはこちらを見ておらず、正面のどこか、遠くの方を見ているようだった。
「将来的に、地球環境の変化の影響で、畜産や野菜の栽培が大打撃を食らう可能性は、十分に考えられる。そうして食料の選択肢がなくなった時に、人々はどうするだろうか。人肉を食うという選択をする可能性も、否定は出来ない」
「人としての倫理に逆らってでも、か?」
「倫理観とは、絶対的なものじゃない。その時代その状況に応じて、倫理観は変化してきたんだ。俺たちの倫理観が、この先もずっと残るなんて保証は、どこにもない」
倫理観が変化するという点については、ショーンも同意できるところがあった。だが、やはり腑に落ちない。人が同じ人を食べる事を受け入れることが出来るとは、ショーンにはとても思えなかった。
「お前が言う事には一理あるかもしれん。ただ、人の心は倫理だけで動いているわけじゃない。人間を食べるという事に、人の心は本当に耐えられるのか?」
「自分達が生き残るために、大量の人間が『屠殺』されるとしたら、さすがに耐えられないかもしれない。しかし、彼らが——俺達が作り出した人工肉という形でなら、さほど心を傷めずに済むかもしれない」
『さほど心を傷めずに済む』——この言葉に、ショーンは明らかな不快感を覚えた。
「人工肉が、そんな未来を切り開いてしまったわけか。まったく、えらい物を作ってくれたもんだな」
「まあ、これはあくまで思考実験だがな。未来がそうなると決まったわけじゃない」
「だが、パンドラの箱は開かれてしまった。いずれ、俺達が試される時が必ず来るだろう。人肉を食う事を認めるのか、認めないかをな」
そのまま、二人とも黙りこんだ。
「なあパウロ、これからどうするんだ? もう今の研究所には居られないだろう?」
「ああ、追い出されたよ。表向きは希望退職という形だがな。——俺は、今度こそ何者も殺さずに済む人工肉を完成させるために、研究を続けるよ。たとえ俺一人だけでもな。俺が生きている内には完成しないかもしれないが、それでも何もしないよりはマシだ」
そうか、とショーンは相槌を打った。未来がそうなると決まったわけじゃない——パウロは、まだ未来を諦めていないのだ。ショーンには、パウロの研究が上手くいくのかどうか、良く分からない。しかし少なくとも、希望は持てる。今は、それだけでもいい。
「あと——俺はしばらく、姿を消すよ。いや、二度と会わないなんてつもりはない。たぶん数年くらいで帰って来るだろう。ただ、実態を知らされてなかったとは言え、俺がこの人工肉の完成に手を貸してしまった事には違いない。——少し、一人になりたいんだ」
「まあ、気の済むようにすればいいさ。そのうち帰って来るのならな。だがその前に、もう一度会って飯でも食おうや。いいレストランを見つけたんだ。——今度は、明るい話をしながらな」
「ああ、そうだな」
パウロは静かに笑った。
それから一月も経たない内に、パウロは姿を消した。
人工肉が発売されて、一年が経過した。発売直後は、メディアで大きく取り上げられるなどして話題になったものの、大した売り上げにはならなかった。結局のところ、いくら値段が少し安いとは言え、得体のしれない肉を買う気にはなれなかったのだろうと、ショーンは思う。
それでも、緩やかではあるが、右肩上がりで売り上げを伸ばしているのが、不気味ではあった。動物愛護運動の過熱ぶりを考えると、これからもシェアを伸ばしていくのに違いないだろう。
今、人工肉を食べている連中は、その正体が何かを知らない。その事を考えると、ショーンは胸が痛んだ。実は、とあるタブロイド紙に密告してみた事があった。しかし結果は、笑って追い返されただけであった。裁判になる以前に、そもそも信じてもらえなかったのだ。
だが、その正体を知った時に——いずれはバレるに決まっているのだ——大衆はどんな反応をするだろうか。きっと、大きなスキャンダルになるだろう。法でも裁かれる筈だ。
しかし本当の問題は、その先にやってくる。騒ぎが収まり、感情も落ち着いた後、今回の『事件』が持つ意味について、人々は改めて考えざるを得なくなる。殆どの人は、自分の身近なところで人間が食用にされる事態が起こるなどと、露ほどにも思っていなかったに違いない。しかし、それは実際に起こってしまった。それを経験してしまった以上、もう知らない振りは出来ない。世界は、変わってしまったのだ。
ショーンは願う。その時、せめて人々が理性に基づいた判断をするように、と。
明日の食卓 kc @gengorou
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