あめ玉

増本アキラ

あめ玉



 日は暮れようとしていた。遥か遠くの高層ビルの山間に煌々と赤く、私の胸を抉るような光を放っていた。私は長らくこの東京という他人の街に暮らしていたが、遂に大嫌いであった故郷へと撤退を始めることに決めたのである。己の巣に急ぎ帰るカラスの如く、平日だというのに我が故郷へ向かう汽車の出る駅のホウムには人が多かった。みな、その眼には一様に沈みゆく赤い光が映っていた。私はまた不快になった。私は生来、右に倣う日本人というものが好きでなかった。嫌悪さえしていた。日本人というやつは通例に倣い、人と同じことを善しとするくせに、人が難儀して行う素晴らしいことを、素晴らしいことと解っていながら、己にとって難題と見るや決して真似したがらない。私はそういう輩が大嫌いで仕方なかった。そして今また、それを象徴するかのように、ここで汽車を待つ人間が一様に夕日を見ているというのが、なんとも気に食わなかったのである。それは私自身、どうしようもないことであり、当然の行為であるというのは承知しているし、私の嫌う日本人の習性とは何ら関係のない事柄であるというのも承知していた。だが長年をかけて構築された私の城壁は、一切を受け入れようとはしなかったのである。


 枯葉の落ち行く秋の夕暮れの中、景色と同じ心持の私に「もし。」と声をかけるものがある。私は首だけをその声のする方へ向けた。若草色の大きな風呂敷を抱えた老婆が一人、私のすぐ近くにおどおどした風で立っていた。私は至極紳士に「どうなされた。」と落ち着かぬ老婆に訊ねた。だが相変わらず老婆は落ち着かず、「あの。」とか「ええ。」とか、声を漏らすばかりで一向に用件を打ち明けてはくれない。私は内心うんざりしながら、今度は体もその老婆に向かい合わせて問うた。老婆は、このホウムに来る汽車は京都へ行くのかと私に訊ねた。私はええと答えた。それを聞いてようやっと老婆は安心したのか、おおきにと礼を述べた。私はまた前を向き、時を待った。汽車はもう半刻とせずにやってくる。この東京とも、もうおさらばである。頬を撫でるつむじ風、面に射す斜陽、空を一文字に割いて飛ぶカラスの群れ。十年前に別の場所で焼き付けた景色と同じものを、ここでまた見ている。私は意味も分からぬまま溜息を吐いた。


「もし。」


また、私のすぐ近くで先ほどと同じように声がした。私はしかし、先ほどと同じように振り向く気にはなれなかった。私は、聞こえなかった振りを決め込んだ。するとまた「もし。」と、あの老婆が声をかけてくる。さすがに私も、か弱い老婆に意地悪をしているような罪悪感に駆られて嫌々ながら老婆に振り向いた。


「どうなされた。」


私は先ほどよりやや固い口調で訊ねる。しかしこれまた老婆は己で呼びかけておいて「あの。」とか「ええ。」とか、声を漏らすばかりだ。私はまたまたうんざりとして、少々ぶっきらぼうに「なにかね。」と言ってしまった。老婆はおずおずと、きゅっと握られた右手を私の方に差し出してきた。わずかに震えている。私は少し申し訳ないことをしたと反省し、もう一度「なにかね。」と訊ねた。老婆は何も言わず、握られた手を開いた。しわしわになった、木のような小さな手のひらに、紙に包まれた一粒のあめ玉が乗っている。私はそれを見てぎょっとした。そして次には胸が痛くなった。だが、相手は私のことなぞ何も解していない老婆である。ここで要らぬ、仕舞えと吐き捨てるのは私が思うところの人道に背く。なによりも、善意からあめ玉を差し出してくれているこの老婆が可哀想だ。私は、先ほどの礼だと理解して、そっと手のひらのあめ玉を受け取ると「ありがとう」と言い、あめ玉を上着のポケットに押し込んだ。老婆は満足そうな顔をすると、私と、そして周りの人間たちと同じような格好で、汽車を待った。


 私の上着のポケットは、謂わばゴミ捨て場である。無精者の私は要らぬものを一旦、ポケットに押し込んでおく癖がある。後で然るべき場所に捨てようと思うのだが、結局忘れてしまい、今や私の上着のポケットは亡霊で溢れかえっている。そのたびに私は「ああ。」と己の愚かさに押し潰されるのである。今回は老婆から受け取ったあめ玉を仕舞い込んだ時に、そのことに気が付いた。故郷へ向かう汽車に乗った私は窓際の席に落ち着くやいなや、ポケットの中身をあらため始めた。いつぞやのレシイト、クズのような消しゴム、空になった煙草の箱、くしゃくしゃになった映画のチケット。それらを物色しながら、ああ、これはあれだ。これはあの時のだ。と、物に刻まれた私だけの暗号を読み解くのは嫌いではない。そうして亡霊の話を聞くうちに、いつしか私は気分が良くなって亡霊たちをすっかり一つの棺桶に供養してやると、懐から一冊の書籍を取り出して読み始めた。なかなかに滑稽な悲劇を綴ったもので、こんな可笑しな悲劇もあるものかと、私は感動したものである。それをまた読み返して一笑いしてやろうという心づもりであった。このとき私は誰と喋るわけでもなく、一人で笑いを押し殺していたので周りから狂人のように見られたかもしれない。ということを思うと、私はまた不機嫌になった。私が文章を読んでいて、その内容が可笑しくて笑っているのは誰が見ても瞭然であろう。だのに、あの人はおかしいなどと烙印を押されるのはどうにも得心が行かぬ。人は一人で居るとき、必ず無表情な地蔵でなければならぬらしい。我ながら気難しい男だと思う。私は笑っていた顔を仁王のようなしかめっ面に変え、黙々と面白くなくなった滑稽な悲劇を追っていた。


だがこうなると口元が寂しくなる人種というものは必ずいる。可笑しな漫才を笑うときには酒と肴が、映画を観るときにはポップコーンが供になるのと同じように、今この私は供を欲していた。私は何も考えずに先ほど、駅のホウムで老婆から受け取ったあめ玉の包み紙を開け、黄金色の玉を口の中へと投げ込んだ。すぐに砂糖の安っぽい甘みが口の中に広がった。私は、開いていた書籍の文字を追うのを止めた。安っぽいあめ玉の味がどうにも気になる。不快ではなかった。私は、角材で頭を思い切りガンと殴られたような感覚に陥った。そして悔しいやら恥ずかしいやらで顔を赤らめた。己の犯してきたモラトリアムな過ちの数々に、今ようやく気付いたのである。


 そのあめ玉は特筆することのない、ただのあめ玉だ。小学生がマラソンのご褒美にもらうようなあめ玉だ。子供はそれの大きいや小さいで揉めに揉める。当たりが出た友達と本気で殴り合いの喧嘩まで始める子供もいた。そのような景色を、私は実に冷めた目で見ていた。それから、少し歳を重ねると、人と同じであることを教えられ、人生とはこう生きるのが普通であるとも教えられた。そんな見識の狭い故郷に嫌気が差した私は、十八になるや両親の反対を押し切り、勇躍、東京へ出た。だが、ここにも私の思うような世界は無かった。大きな会社に勤めたり、また記事を書いたり、舞台に立ってみたりと様々なことをしてみたが、終ぞ望む生活は見えぬままに憂鬱な日々が十年も続いた。私は結局、己が何を望んで、何をしたいのかも分からぬままに上京し、そして今、故郷への帰路にある。私は、故郷の年寄りがこぞって子供に渡したがる、このあめ玉が嫌いであった。故郷の土しか知らず、故郷の土しか知らぬままに果てていくこの人達を封じたかのようなあめ玉。私は一種の病のように同じことを、口を揃えて説くあの土地が嫌いでならなかった。そして必ず、年寄りたちはあめ玉を同じように渡してくる。それが恐ろしかった。今、私はそこへ向かっている。


私は、それでも今はすがすがしい気分である。私は私の全てを了解した。日はとっくにわずかな光を残して、はるか遠くの黒い峰々に隠れ、みな一様に眠り始めている。迫る宵闇の中空に、気の早い月がぼんやりと輝き始めている。汽車は走る。木々が、柵が、煙が、思い出や記憶が、そして時間までもが通り過ぎていった。私は未だに安っぽい甘みを放ち続けるあめ玉を転がしながら、ようやく故郷に向かい始めたのである。

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