Q.もし異世界に一つだけなんでも持っていけるなら?

柳人人人(やなぎ・ひとみ)

問.あるものをひとつだけ持っていって、異世界で生き延びてください。

『無人島にひとつだけ好きなものを持っていけるとしたら?』


 人生で何度か耳にしたことがある質問。

 皆ならなんと答えるだろうか?

 その答えを早急に知りたかった。

 なぜなら、俺は今それととても似た状態に陥っているのだった。


『―――さぁ、異世界になにを持っていくのですか?』


 目の前には、モノクロの空間に神々しく後光が射す大人の女性。こいつが言うには自身は女神であり、どうやら俺は死んでしまったらしい。


『ほら、異世界に転移する際に欲しいものをはやく言ってくださいよ、クソニート』

「俺の名はクソニートではない……ヤマトだ。二度と間違えるな」


 そしてどうやら、これから俺は異世界転移するようだ。俺が熱き冒険者生産性のないゴミクズニートな魂ゆえに、元の世界には転生できず異世界行きおはらいばこということらしかった。


 元々、俺は各都道府県という名のダンジョンをぼうけんすることが趣味なのだが、よもや女神と宣う二十歳越えの変人に逢えるとは思わなかった。世界の広さを思い知る。

 しかしながら、彼女にはただならぬパワーを感じていた。しかも、ここは白黒が練りこまれたような歪つな謎空間だったりする。おそらく、日本でないことは確かだ。あながち彼女の言っていることは間違いではないのかもしれない。


 ここへ来たときに彼女が告げた言葉を思い出す。


『……はぁ、最近異世界へ志願するクソッタレが多くて困ってます。ええ、アナタみたいな方です。どーせアナタも『前世の記憶と同等の精神のまま転生したい』とか『異世界用の装備が欲しい』とかなんたら言うんでしょ。あー、別に結構です。今のあなたと同等の精神状態で異世界に送りこみますし、さらにひとつだけなんでも持って行っちゃってください。ただし、持っていけるのは元の世界にあったもの限定ですが』


 異世界新ダンジョンを求める冒険者のさがだ。どうしようもない。

 それはともかくとして、だ。異世界に持っていくものを決めなければならない。


 これはなかなかの難問だった。かれこれ四時間ほど悩んでいる。


「はやくしてくれませんかー? 私も暇じゃないんですがー?」


 眉間に皺が寄った女神は痺れを切らして急かしてくる。


「そうだな、質問いいか」

『……構わないですが、何個も答えてやる義理はないのでひとつだけにしてくださいね』

「分かった。三つにしてくれ」

『話、聞いてました???』


 女神はため息を吐いた。しかし「はいはい、分かりましたよぉ」と気怠げに手を振った。

 さすがに根負けしたのだろう。考える振りに四時間も掛けたのは決して無駄ではない。


『三つ答えればいいんですね。そのくらい答えますよ。ですけど、答える数が増えた代わりに【はい】か【いいえ】で答えられるやつにしてくださいね、面倒なので』

「分かった。で、最初の質問だが、そこってどんな世界なんだ?」

『ホント話、聞かねぇなコイツ』


 こほんっ、と咳払いをひとつ、女神は発声と口調を整える。


『基本的に清涼な世界ではあります。けど、そうですね。モンスター……いえ、化け物が存在します』


 一瞬だが、言葉を選んだふうに見えた。嘘は言ってないが、本当のことも言っていない。大切なことは隠している、……という感じだ。おそらく俺の瞳に間違いないだろう。俺ほどの観察眼を持っているやつなんてそうはいない。


 モンスターがいるのなら武器……いや、安心して生活ができる防護壁が必要になるが……。


「二つ目の質問だ。そこは辿りついてすぐ死に至る危険性のある環境なのか?」

『……危険性は排除されていますが、すぐに『死』という可能性はあります』


 生きていれば死ぬ可能性も当然ある。だが、今回問題なのは【死因】だ。


「このまま最後の質問だ。その世界は食料は確保されているか?」

『……【はいYes】。それどころか、衣食住から小物までありとあらゆるものが完備されています』


 三つすべてを質問した俺は、顎に手を当て考えこむ。


……ふむ? これは一体どうしたものだろうか?


 女神の言葉を総合すると、【モンスター】はいるが【危険性はない】。【衣食住】が確保されており、さらに【清涼な空間】。……しかし【致死】の可能性がある。


 まず、細菌汚染や大気汚染、水質汚濁などの可能性はない。生物モンスターや食べ物もあるならおそらく飢えの可能性も低いと見ていいだろう。さらに、さまざまな小物まで完備されているということはそこそこの文明レベルがあると推測される。



 女神を一瞥すると、彼女は小悪党のような薄気味悪い笑みをしていた。まるで『お前の貧弱な頭では分からない』とでも言いたいかのように。かなり苛立つ表情だったが、その裏には『こんな簡単ながあるのに気がつかないでやんのー(笑)』という腹黒さを感じた。


 ……そうだ、コイツは異世界志願者ぼうけんしゃに対して、明確に憎しみを持ってる。罠が仕掛けられていてもおかしくない。できることなら悔しがる姿が見たいところだろう。普通に行けばその罠にかかり悔しがりながら死ぬことになる、ということだ。


 問題はそれがどんな罠なのか、ということだ。


 しばらく静思した後、決心した俺は頷き、―――【答え】を口にした。



  ◆ ◇ ◆


「よし、俺の見立ての範囲内だ……!」


 周りを見渡すと、真っ暗で静寂する空間が広がっている。どうやら夜に転生したようだったが、その暗がりに既視感を覚える建築群が軒を連ねているのが見えた。そこに雑多に置かれてある製品などもどこか見覚えがあった。


 その光景は、俺の仮説が正しければ日本と同レベル、またはそれ以上にシステム化された社会だった。たしかにそこは衣食住が完備されている。しかし、これらは他人のものだ。手を出せば法に触れる。


 仮に日本を想像してくれれば話がはやい。つまり、日本と衣食住もなく一文無しで路頭に迷う自分の姿が想像できる。もし、季節や地域が冬のように寒かったら、その時点で凍死する可能性もある。そしてネックになるのは、ここは日本のようでその実、日本ではない―――つまり、言語が違うのである。助け舟はほぼ皆無というわけだ。異世界ファンタジーを予想して転生するにはあまりに現実的すぎる世界、というわけだ。


 しかし、それも杞憂だった。軒を連ねる建物にかかる看板や商品らしきものに付属する値札は、日本語や英語など見覚えのある文字だった。それに、とくに暑さも寒さも感じない。


 さて、そういった世界でなにがあれば生きられるのか?


 俺は足元にあった真っ新な箱に手を伸ばす。

 答えは、この箱の中にある。そして、蓋の開ければ俺の勝利が決定する。


「くくっ、俺がこの名前を指定した時の女神の呆れ顔ときたら、今思い出しても笑けてくるぜ」


 この箱に入っているもの。それは―――



   …。


「―――、だ」

『……は?』

「おいおい、何度も言わせるな……俺は【世界の真理アカシックレコード】と言ったんだ」

『……はぁ?』

「【全知全能アカシックレコード】」

『はぁ???』

「【跪 け、負 け 犬アカシックレコード】」

『はぁぁ~~~~????』


   …。



 ―――というわけだ。


 一応説明しておくが、アカシックコードとは元始からのすべての事象、想念、感情の記録……つまり、世界記憶のことだ。


 現実というダンジョンは物体的なもの一つでどうにかなる世界ではない。だから、そう、俺は最初の質問からがあるかどうかだけを確かめていたのだ。そこさえ乗り越えさえすればあとは情報がものをいう世界だ。あのあと「卑怯だ!」「チートだ!」「それでいいんですか! 本当にいいんですねっ!」と女神が喚いていたが、そんなの関係ない。『ダンジョン異世界に手を抜かず、常に全力』。それが俺のモットーだ。


 そして、女神から強奪してきた箱。この中にアカシックレコードが入っているわけだ。


 なぜ箱なのか、という疑問もあった。

 無形物の場合、望んだモノが入った箱の形で渡され、開封すると授かることができる、という決まりらしい。女神が言うには、無形物を無理やり物体に落としこむための措置として採用しているそうだ。


 ……ゥォォォォォォオオオオォォオオオオオンン……


 隙間風を無理やり大きくしたかのような音が黒い空に反響する。なにやら意志を持った声のようにも聞こえた。


「そういえば、化け物モンスターがいるって言ってたな……」


 女神の言葉を思い出す。即死のような危険性もないとも言っていたが、用心に越したことはない。

 とっとと箱の封を切ろう、と決心する。


 ……ふっ残念だったな、女神。俺に攻略できない異世界ダンジョンはないんだ!


 俺は満を持して箱に手をかけた。




   すかっ


 ……と、漫画的な擬音が聞こえるような勢いで、箱がすり抜けた。

 もう一度手を伸ばす。が、また通り抜けた。

 俺の目は二、三度ほど瞬く。


 そして、出来ることなら思いつきたくなかった仮説が頭のなかを巡る。


 それを否定したくて、あの女神にしてやられたことを認められず、俺は雑多に置かれているものにも触れようとする。


「……これも、これも……チクショウ! 全部一緒かよっ!」


 俺の願いを嘲笑うかのように、仮説は真実に近づいていく。

 それでも、ナニカに触れないかと手を伸ばしつづける。

 衣服・食料、はたまた住居まで、あらかたのものに試みたが、どれもダメだった。それどころか、製品や看板に書かれた日本語が馬鹿にしてくるような気さえした。仮説が正しかったことを理解して、俺は呆然と真っ暗な空を眺めた。


「そうか、ここにあるものはすべて……」


 ぽつりっ、と思わず口の端から零れる。


 ……ゥォォォォォォオオオオォォオオオオオンン……


 また、あの声が夜の帳に反響する……と、同時のことだった。

 建物の奥から、巨塊が姿を現す。建物を超える背だけほどあり、人間の手足や目、鼻、口だったと思われる無数の造形が、無造作に塊から生えている。化け物モンスターと呼ぶにふさわしい姿をしていた。


 ……ゥォォォォォォオオオオォォオオオオオンン……


 雄たけびが鳴り響く。声の主はこいつだったようだ。

 そのなかにある一つの眼球と視線が交わった。瞬間、一斉に無数の目がこちらを向く。

 ゆっくりと俺のほうへと体の向きを合わせる。


 ……ゥォォォォォォオオオオォォオオオオオンン……


 よくよく聞くとその雄たけびは、一つの声ではなかった。

 『死にタクなイ…ヨォ……』『女神ィコロス……』『ヤ……メ、ェ……』『女神女神女ガミ女神メガミガミガガガガガ』『闡峨′縺昴�縺セ縺セ騾夂畑縺吶k繧医≧縺ォ縺ェ縺」縺溘や�…』……複数の声が一つの咆哮へ変わり、世界に震わせた。


「……ははっ、女神に騙された異世界冒険者たちの怨霊なれのはてってとこか」


 今ならすべてが分かる。この世界は、存在するすべてがで構成されていること……そして、ソレらは転移したままの状態で放置されていることに。


 俺は背を向けて走りだす。少なくとも捕まったら終わりだ。

 あんな化け物モンスターに取り込まれたら一溜りもない。


 しかし、俺がを望んでいれば、こんなヤツどうってことはなかったのだ。


「……ああ、そうだな。今回ばかりはテメェーの勝ちだ、クソッタレ女神! 俺は負けを誤魔化さねぇから、きっと今もどこかで聞いてるだろうから、耳の穴をかっぽじってよく聞きやがれ!! 俺の、最高に惨めな負け台詞を!」


 今頃、腹を抱えて笑っているであろう女神にありったけの恨みを込めて、の名を叫んだ。



「【肉体カラダ】が……欲しいぃぃぃぃいいいいいいいい!!!!!」


 














「……ぷっ」


「あはははははははは!!」


「……はぁー、笑った笑った」


 世界を映しだす鏡のなかにいる、異世界転移者のヤマトの姿。それを見下しながら、女神は彼の言葉通り、腹を抱えていた。


「やっぱり彼らが悔しがりながら苦しみ抜く姿は笑えるわねぇ。元の世界で徳を積むこともしてこなかった人間たちに厚意なんてあるはずがないって考えればわかることなのに」


 彼の逃げ惑う姿をまるで新しい玩具でも見るように、女神は無邪気に笑う。


「……どうかしら? ううん。きっと貴方たちは楽しんでくれる。楽しんでもらわないといけない。でしょ? だって、ここには貴方たちが望んだモノしかない。神である私がわざわざ作った世界。貴方たち異世界転生希望者の異世界転生希望者による異世界転生希望者のための異世界 。その名前を貴方たちの言葉で表すなら……」


 一瞬、言葉を止めて、世界を映す鏡を伏せる。


「 ……地 獄あのよ ってなるかしら?」


 そして女神は、次の異世界希望者がはやく来ないかな、とまた微笑む。

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Q.もし異世界に一つだけなんでも持っていけるなら? 柳人人人(やなぎ・ひとみ) @a_yanagi

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