P.art 2 女神の誕生

「それ、欲求不満じゃね。」

 駅前のベンチにだらしなくもたれながら桃子は言った。凛は昨日の奇妙な夢のことを桃子に相談してすぐその答えが返ってきたのだった。


 桃子は持っている苺牛乳のパックをへこませながら加えた。

「凛はええ子ちゃんやからな。ホンマはなにか別のモンになりたかったんちゃうの。」

 図星すぎて何も言えなくなった凛に、桃子はいつになく真面目な表情を見せた。

「自分に素直やないと、いつか後悔するで。」


 あまりにも深長な顔をしているので、凛は思わず不安になった。

「どうしたの、桃子。」

 我に返った桃子は照れ笑いしてこう言った。

「ほいじゃあ…ネットアーティストやってみたら。」

 桃子のあまりに突飛すぎる提案に凛は口をあんぐりしていた。

「じゃあ、リアルで自分出されへんのならネットで自分の気持ち曝したらいいやん。凛てめっちゃ絵上手いし。絵描きってことで動けばいいし。そしたらアドルフさんに会えるかもしれへんしな。リアルで声かけづらかったらネットでナンパしろってこと。」

 桃子は戸惑う凛をよそに、得意げに笑った。

「でっ…でも、ネットで個人情報書いたら親に怒られるし。」

「マジレスせんでいいって。嘘が嘘であると見抜ける人でないと、ってか気持ちがホンマやったらええんちゃう。」

 桃子は駅からアドルフさんが出たのを目にして、ベンチから立った。

「あ、アドルフさん来た。ストーカー活動がんばっ」

 凛が何かを言いかける前に、腰まで伸ばしたブロンズの髪を靡かせて秋風のように爽やかに立ち去った。


 また取り残された凛は、アドルフさんの後をこっそりつけて喫茶店に入った。

 冬の匂いのする町並から相変わらず区切られた店の、いつもの席でその空間にも馴染まない体つきのよい彼の姿を遠くで見つめながらこう呟いた。

「…ネットアーティストかぁ、かっこいいかも。アドルフさん、あたしのこと見てくれるかな。」


 凛は、彼のスケッチの隣に少女漫画によく出てくるような瞳をダイヤモンドのように輝かせた女の子を描いてみせた。

「この子は絵が描けて、あたしじゃ絶対に似合わないレースたっぷりの天使みたいな白いお洋服を着ていて…髪はピンクのツインテールで…瞳は透き通ったアクアマリン。」

 凛は嬉々とした瞳で仮想の自分を作り上げた。その姿をアドルフさんが見ていると気づかずに。

 


 その夜、

「。」

 凛の水面に彼女とは明らかに違う容の何かが映し出されていた。


「パソコン開けるの何年振りだろ。」

 そう、凛は根っからの機械音痴でパソコンの起動音が大嫌いなため、父親が使わなくなったそのパソコンを貰ったままにしていたのだ。


 凛は恐る恐る電源のスイッチを押した。やはり起動音が嫌いなので鳴るだろうタイミングで廊下に逃げた後、慣れない手つきでインターネットのアイコンを押した。


「ええと、サイトってどうやって作るの。」


 とりあえず音楽プレーヤーで数年前流行ったアイドル歌手の曲を聴きながらサイトの作り方を検索した。

 やはり、パソコンを使うのは苦手だが、自分でものを作るのが好きな凛はすぐにプログラミングを覚えた。そして寝ることさえ忘れて、とり憑かれたように自分のサイトを作った。

 サイト作りどころかパソコンを扱うこともままならないはずの凛は、無心でキーボードを器用に叩きつづけた。すべては自分の消された人格のため、近くて遠い片思いの人に近づくため。



 パステルブルーの壁紙にスケッチブックに描いた例の少女を浮かべた。まるで夜のない空に翼を広げる天使のように。


 それは創造主であるはずの凛でさえ傍から見れば黙々とそれを作っているが、それが形になるにつれて、心のどこかを奪われる感覚に襲われるほどの不気味に蠱惑的な生き物であった。


 少女の周りには、今まで自分の部屋で埋もれて日を見ることなく終わるはずだった宝石のような作品たちを載せた。

 凛は椅子の背もたれに身を任せつつ、天井を見つめて溜息をついた。

「サイト名、どうしようかな。」


 暫く唸り悩んだが、片手間に聴いていたパソコンの音楽プレーヤーから入れた覚えのない音楽が流れた。あまりに不気味で、電子音楽特有の重低音と男の声と、微かに聴き取れる声を頼りに検索した。

「エノラ…」

 その音楽がイヤホンの宇宙で鳴り響いていた。それが何を意味するのかは全く知らないが、これが彼女の本能であるかのように、思わず凛はキーボードを叩いた。

 動くはずのない画面上の少女が、人間を地獄に落とした悪魔のような不敵な笑みを浮かべた気がした。


「この子…この子の名前はエノラ。」

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E.nora 倉木 仁那 @kuragi-nina

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