第23話一緒に~空・翼~

 辺りは薄桃色に染まっていた。切り刻まれたような雲。にじみながら空気と混ざっていく陽。


「自由って……こういうことなのかな」


 屋上の端のフェンスにもたれ掛かるようにして、美空は空を眺めている。

 肌は透明な光を放ち、その瞳は何色ともつかない不思議な色……様々な色が波のように押し寄せ、やがて消えていく。それは別の世界の色だった。


「自由は、孤独」


 一生分の寂しさを背負っても潰れないぐらいの強さがほしい。

 そんなものがあれば、きっと今頃は全く別の人生を歩んでいたはず。


「翼なんて、意味ないのかな。私には空なんて飛べない」


 屋上からだとよく見える。

 翼を持つ彼が。


 走っているのか、飛んでいるのか。脚を動かしているのか、翼を広げているのか。

 どちらにしても、美空からは遠くにいる彼。


 ……大好き。


 私はあなたが好き。


 美空は願った。空に向かって両手を握る。


「神様……私は皆と同じ時に生きたい。氷川くんと、同じ時間に」


 神様は聞き入れてくれるだろうか。


「もう翼なんていりません。飛べないままでもいい。だから……」


 だから、世界の時を止めてください。私の時も、皆の時も、同じように止めてください。

 自由なんて、もういらない。









 どの教室も、窓が開けっ放しになっていた。しかし風はない。

 時計の秒針が止まり、静けさに包まれている。


 やっぱり、時間が止まってる。


 翼は階段を上る。上へ上へ。いちばん最後の段を上りきる。

 目の前にはさびついた扉がそびえていた。

 ドアノブに手をかける。


 ギィーッ。


 閉ざされた薄暗い空間の向こうには。


「……夏目」


 美空がゆっくりと振り返った。


「氷川……くん?どうして……」


 不意に美空の表情が崩れる。それまでの崇高な光を捨て、幼子のようにしゃくりあげる。


「私はっ……世界を眠らせようと……自由になれると思った。でも、氷川くんがいないと……私、私……」

「やっぱり君だったんだ、世界の時を、止めた?」

「……世界なんて本当はどうでもいいの。自由なんてなくても、飛べなくても。私の本当の願いは……」


 屋上から見下ろすと、地上の人たちが見える。石像のように固まって、無感情に色をなくした憐れな人たち。


「こんな風になるなんて……っ。やっぱり私だけは時が止まらなかった。私は疎外された邪魔者だから。独りぼっちで、どこにも居場所がなくて」

「………………」

「氷川くんもきっともうすぐ止まっちゃうよ。石みたいに。それで私は独り残るの。神様はね……私のことが嫌いだから、そうやって苦しめるんだ」


 涙をこぼす美空は壊れかかっている。もう何も考えられない。すがりつくものがない。周りから隔てられる透明な壁はさらに分厚くなって。


 ………………。


 氷川……くん?


 美空は驚いて顔を上げた。

 自分は今、翼に抱き締められている。そのことが信じられない。


「こうやって、君の体温を感じてれば……うん、今、俺は生きてるって思う」

「……え?」

「時間、ちゃんと動いてるよ。止まってない。こんなに泣いてる君を置いて、時間に取り残されるなんてできないから。もし止まりそうになったら、走って、走って、意地でも追いつく」


 美空の背中には翼の腕が回されていて、泣く子をあやすようにゆっくりと優しくその背中をさする。


「だから、安心して。俺はいつでも君の側にいる。知ってる?俺って走るの結構速いんだ。絶対追いつくよ」

「……だい……すき」


 美空は震える声でつぶやいた。翼の胸に顔をうずめ、必死に声を絞り出す。


「氷川くんのこと……大好き」


 翼にぎゅっとしがみつく。離れたくない。ずっとずっと一緒にいたい。ずっと……。

 翼の腕にも力がこもった。離さない。離したくない。


「………………」



「……行かなきゃ」


 不意に聞こえた。

 澄んだ声。

 天使のように美しく。


 彼は腕をほどいた。そうせざるをえなかった。


「行かなきゃ」


 黒髪の天使。

 彼女はゆっくりとフェンスに歩み寄る。


「私は飛ぶの」


 ふわりと軽やかに飛び乗り。フェンスがきしむ間もなく。


 翼の目の前から彼女が消えた。


「………………!」


 あの日と同じように。あの淡い春の夢と。

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眠り空 水谷りさ @mizutanirisa

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