蝶とタンポポ

歯車

蝶とタンポポ

■タンポポの花言葉……「愛の神託」「別離」


 

 タンポポは、いつも退屈していました。毎日毎日同じ場所で、同じ景色を眺め……同じ場所で生きる。一度根を張った地面から、もう動くことはできない。同じ場所から、過ぎて行く日々をただ眺めているだけ。それが、生まれた時から与えられた「タンポポにとっての世界」でした。

 

 そんなある日。タンポポの元に、一匹の黒い蝶がとまりました。突然空から舞い降りてきて、自分の元で羽を休める自由な蝶に対して……初めはびっくりして、ただ受け入れることしかできなかったタンポポでしたが。なぜだかそれを、嫌だとは思わなかったのです。


 どんな空だって、ひらひらと自由に飛んでみせる蝶はとても美しく。「疲れた」と言って羽を休める姿も、また愛らしい。そんな蝶に憧れ、目を奪われていく内に。退屈だったタンポポの世界は、素敵なものへと変わっていきました。

蝶はタンポポに、タンポポが知らない世界の話をたくさんしました。自分が知らない世界の話を、ひとつ、またひとつと聴くたびに。タンポポの世界は、まるでモノクロの絵に色が吹き込まれていくように。鮮やかに変化し、彩られていくのでした。

タンポポは、蝶のことが大好きになりました。たくさんの新しい世界を見せてくれて、自分を狭い世界から連れ出してくれる蝶は……タンポポにとって、何よりも大切でかけがえのない存在になりました。

色付いた世界は、とても美しく。春の優しくて暖かな風と、若葉から覗く木漏れ日の輝きが蝶とタンポポを包み込んでいます。

「蝶と過ごすこの幸せな日々が、いつまでも続きますように。」

タンポポは、心の中でそっと神に祈るのでした。

 

 けれども、時間は残酷に過ぎて行きます。

少し冷たい風が吹いて、季節が秋に変わろうとしていたある日のこと。蝶はタンポポに、別れを告げました。

「僕は寒い国では生きられないから、同じ場所に留まり続けることができないんだ。そろそろ、他の暖かい国へ行かなければならない。だから……今まで、ありがとう。楽しかったよ。」

そして、最後にもう一度だけタンポポの元で羽を休めて……蝶は、また新しい世界へと旅立って行きました。

タンポポは、蝶の姿が見えなくなるまでその旅立ちを見守りました。それくらいしか、できることはありませんでした。


 蝶がいなくなってしまってから、タンポポの世界は一瞬で元の退屈な世界に戻ってしまいました。蝶と過ごした日々の思い出や、蝶が自分に教えてくれた世界の話を思い出しても……それでもとても寂しくて。悲しくて。どうすることもできません。胸の苦しみだけが、日々の色を染めていきます。

……それでも、ここに根を張り続けている限り。自分が枯れるそのときまで、生きて行かなければなりません。

そんな現実の中で、タンポポは思うのでした。

タンポポなんて、どれも同じ姿でいくらでも咲いている。その中で、蝶は自分の元へやってきた。きっと蝶のことだから、ただの気まぐれだったのかもしれない。特別な理由なんて、最初からどこにもなかったのかもしれない。それでもあの蝶は、一瞬でも自分のことを選んで羽を休めていった。自分にとって何の意味もなかった世界に色を付けて、世界を素敵なものに変えてくれた。新しい世界をたくさん見せてくれた。自分が今まで生きてきた退屈な時間の中に、ほんの一瞬でもそんな大切な存在がいたことはとても幸せで。共に過ごした日々の中で生まれた思い出や大切なものは、確かに自分の中にある。

それだけで、もう充分なんだ。と……。


 ひとりぼっちのタンポポは、願うのでした。

「この先、蝶が飛ぶ空に……冷たい雨が降りませんように。これからも、あなたが生きる世界に……たくさんの幸せが降り注ぎますように。」

雑草や他の花に囲まれる中、今日もタンポポは風に揺れ咲く。

自由に美しく舞うあの羽を、今でもそっと想いながら。












 ……この時のタンポポは、まだ知りません。

この先自分が綿毛となって生まれ変わり。今度は与えらた世界の中で生きるのではなく、自ら新しい世界に見て触れて。

再び世界が、色付くことを。



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